「オペレーションSKY・HI開始まであと四十八時間。最終ミーティングは本日二一〇〇時、第八会議室にて――」
 腕時計に内蔵されたPHSから、所内放送が聞こえる。しかしオクツの心にそれは届かない。
 シャドウブレイザーズの各隊長が集う最終ミーティング……オペレーションSKY・HIはシャドウブレイザーズ始まって以来の最大規模の同時作戦となる。
 シャドウブレイザーズは〈人形〉および〈人形使い〉探索のために、通常四名のチームを組む。この人数は基本パターンであり、チームによって人数はまちまちである。
 事実、オクツのチームであるキャッズアイは五名構成であった。
 しかし、今は四名しかいない……。
 オクツは会議室とは別の方向に歩いていた。
 夕陽が廊下に差し込む。眩しいほどの夕焼け空だ。
 オクツの身体が、ふ、と止まる。
 そこはオクツたち最前線の人間は滅多に訪れない部署である。
 技術工房と呼ばれる、機械油の匂いのするセクションだ。
 シャドウブレイザーズは戦闘集団であるが、そのバックアップセクションはさらに大規模である。ひとりの戦闘隊員をサポートするバックアップ要員は平均して二十名を下らない。最新の技術と最高の素質――シャドウブレイザーズに選ばれる人物は、エリート中のエリートでなければならない。そのエリートを支えるスタッフもまた、優れた集団でなければならない。
 技術工房のドアを開け、オクツは中を覗く。
 オクツほどの知識のある人物にも判らないような機械類がひしめく。薬品、油、金属、その他雑多な臭いが鼻腔を突く。
 技術員の姿はなかった。このセクションの勤務は終了したのだろうか。
 オクツはそのまま歩を進める。
 人間の臭いを察知したからだ。
 複雑に張り巡らされたケーブルを潜り抜け、彼女はさらに奥に進む。
 窓のない奥の方から、ほのかな明かりが見えてきた。
「あら、珍しい。キャッズアイ部隊のオクツ隊長さんじゃないの」
 明かりの方向から声がする。まだオクツからその姿は見えない。しかし、その人物は的確に近づいてきた者が何者かを言い当てていた。
「まだ錆びついてないわね、索敵感覚……お久しぶり、サキエ技術仕官」
 何度目かの角を曲がり、ようやく明かりの前に出たオクツは、小柄な女性に声をかけた。女性は振り向くと、眼鏡を外してにっこりと微笑んだ。
「伊達に戦場には出てなかったわ。まだ身体さえまともに動いてくれれば、キャッズアイに負けないだけの活躍はできるわよ」
 サキエ技術仕官は白衣の胸ポケットに眼鏡をしまうと、オクツに向かってさらに言葉を繋げた。
「〈B〉の捕獲に失敗したそうね」
 オクツの心臓が一瞬、鷲掴みにされたかのように委縮する。
「知っているとは思うけど、あたしが出撃した最後の戦い――あれであたしは全身に傷を負って前線から離脱したわけだけど――あの戦いのことを忘れたわけじゃないわよね」
「そっ……!」
 オクツの口から反論は……出なかった。
「そう。我々シャドウブレイザーズが初めて〈人形〉を拿捕したときの戦いよ。死傷者が何人も出たわ。先輩も仲間も後輩も……あたし自身もこうして生きているのが不思議なくらいだわ」
 サキエ技術仕官はお手上げのポーズをしておどけてみせる。しかしオクツの眼は凍てついたままだ。
「あの時に〈C〉を拿捕できたから、いまのシャドウブレイザーズの功績があるのよ。あなたはたまたま作戦には参加していなかったから――」
「その話は!」
 オクツは必死の形相で話を遮った。恐怖が蘇ってきた。死傷者が次々にかつぎ込まれてくる後方で、支援すらまともにできなかった自分――そして先日の戦いで死んでいったエミコのこと――あらゆる戦いの恐怖が脳裏に蘇ってきていた。
「あなた、過去から逃げようとしてない? だったらあたしに会いに来たのは間違いね」
 サキエ技術仕官はオクツから視線を外すとパソコンのモニタに顔をよせ、データをチェックし始めた。その声は醒め切っている。
「それとも、無意識でここに来たの? 過去を背負って……血に染まった手を拭いきれなくて……」
 オクツはがたがたと震えだしていた。振動が床を伝わり、サキエにも届く。
「オペレーションSKY・HIがどんな作戦かは知らないわ。でも、ひとつだけ言わせてもらえば」
 サキエはモニタから顔を外すと、リーガルパッドにマイスターシュテュックを走らせつつ言った。
「あなた、役立たずよ。外されるわ、今回の作戦から」
「判ってる! 判ってるからここに」
「来たって言うの? 何が判っているわけ?」
 サキエはペンを止め、ゆっくりとオクツに向き直った。そこにいたオクツは、勇猛果敢な戦士・キャッズアイ隊長オクツではなかった。迷子になって途方にくれた子猫のようなか弱い女性でしかなかった。
 マイスターシュテュックのキャップを填め、その先をオクツに向けながらサキエは諭すように言った。
「あなた、もう隊長としては失格ね。やっていけないでしょ。自信がないんでしょ。でも復讐はしたい。戦って部下のカタキを取りたい。そうでしょ」
 オクツはただ子供のように、何度も頷くしかなかった。
「……いいわ。オペレーションSKY・HIとは別系統で進めていたプロジェクトをあなたにあげる。ラストチャンスよ」
 サキエはキーボードを叩くと、モニタに画像を表示させた。
「あたしが〈C〉拿捕の時に使った強化装甲――ブリザードスーツよ。覚えてるでしょ? 試作品だったのを無理やり着ていったのよね。で、この体たらく、と」
 サキエは腰を叩いてみせる。特殊部隊で歴戦の勇士だった彼女も、現在では長時間立って仕事ができないほどに全身を痛めつけられていた。
 ブリザードスーツは現在のシャドウブレイザーズの標準アーマースーツの原型となった強化服である。その試作品は当時のトップ戦士だったサキエの身体に合わせて作られていたが、ボーグCとの激戦に耐えられるものではなかった。
「結果的にあたしが〈C〉と相打ちになった時にラス・カチョーラス・オリエンタレスのふたりが〈C〉を拿捕したわけだけど……」
 パソコンのモニタの画像が切り替わる。
 途端、オクツの眼に生気が戻った。
 驚愕、と言っていい。
 真っ暗だった目の前に、一気に光明が見えたのだ。
 そこにあったのは、戦闘用のアーマースーツとは思えないような、鮮やかな薔薇色をしたスーツの画像だった。
「〈C〉のメインコンピュータから、敵――〈人形〉のデータをいくつか採取することに成功した我々は、その能力を調べるべくデータを徹底的に洗ったわ。〈C〉のデータの中には〈A〉と〈B〉の断片的な資料が残されていた。〈A〉〈B〉〈C〉の三体はいわばプロトタイプであり、まったく異なるタイプの〈人形〉だった――〈A〉は人体を改造して機械化した、いわばサイボーグタイプ。〈B〉は周囲の人間の感情をパワーとする反応攻撃タイプ。そして〈C〉は自ら行動の意思を持つロボットタイプ……人間型と呼ぶには不細工な機体だったけどね」
 画像は3D処理され、ぐるりぐるりと全身を表示していた。
 特異なのは、その色だけではない。ヘルメットのデザインも、だ。
 金と黒の縁取りが、まるで虎を思わせる。
「あたしは〈C〉の機能そのものにも驚愕させられたけど、そのパワーを人間が超えられないかという点も興味があった。自分がブリザードスーツを着て戦ったから判るのよ……アーマースーツと〈人形〉のタッグなら、〈人形使い〉たちに勝てる!」
 突然、轟音とともにサキエの背後のロッカーが開いた。ロッカーと言っても、スチール製のやわなものではない。爆破すら困難なのではと思われるような分厚い扉のついた、言わば等身大の金庫のようなものである。そのロッカーから冷却ガスが吹き出し、部屋の温度を一気に下げる。
「いま、一七〇〇時……会議まで四時間。あなたならどちらを選ぶ? 自分が外される作戦の会議に出るか、それともこの四時間で勝負するか?」
 冷却ガスの白い煙が少しずつ晴れていく。視界が蘇る。オクツはロッカーの中を改めて見据えた。
 薔薇色のアーマースーツ……夢に見た、あの薔薇色の虎が、そこにはいた。
「ティーゲル・トラウム……あなたのものよ、隊長オクツ」
 サキエの眼がきらりと光った。

「いいってばぁ真弓ちゃん、そこまでしなくても」
「いいってことよ。この真弓さんにまかせなさいって」
 授業が終わってかれこれ二時間が経とうとしていた。亜夜は真弓に手を引かれ、校舎内のありとあらゆる場所を案内させられていた。
「ここがアーチェリー部の練習場でしょ、で、あっちがプール……」
 亜夜は真弓に引きずられながら、何も考えずにひたすら困っている自分を発見して苦笑いした。
 今日は真弓に振り回されっぱなしの一日だった。朝に感じた緊張感も次第次第に解けていき、気持ちはまるで本物の転校生のような、楽しくて恥ずかしくてうきうきするような――
(まるで本物の……)
 亜夜は自分のこの考えにも苦笑した。転校生であることは事実だからだ。だが、彼女の本当の使命は学生をすることではない。敵を倒すことなのだ。
「これで第二グラウンドの方は終了ね。あとは道路を隔てたあっち側に第三グラウンドがあって、そっちはテニスコートと……」
「ねぇ真弓ちゃん、今日はこのくらいで勘弁してくれない?」
 亜夜の弱音とも取れる発言に、真弓は眉根をひそめて言った。
「まだまだ紹介しきれてなーい」
「だから明日でもいいでしょ? 学校はなくならないんだから……」
「あら、亜夜ちゃんもけっこう面白いこと言うのね」
 からからと笑う。
 いつしか二人は「真弓ちゃん」「亜夜ちゃん」と呼び合う仲になっていた。
 真弓に悪気はない。それは亜夜には充分判っていた。だから二時間もつき合ったのだ。前の学校ではいろいろな理由をつけて級友から逃げていた亜夜だったが、真弓ほどの強烈なキャラクタの友人は初めてであった。つき合っていて、本当に楽しいのだ。
 任務を忘れるほどに楽しいのだ。
 任務……。
 亜夜の脳裏に暁の声が奔る。
「なーに暗い顔してんのよぉ!」
 ばん、と背中を叩かれて、暁の声は遠い彼方に消えていった。
 見れば、真弓はまだ破顔している。
 素敵な友人になれるかも……亜夜は淡い期待を抱かざるを得なかった。

「アヤコです。御厨の言っていた〈人形使い〉を発見」
「アイです。友人といっしょのようです。〈B〉の存在は確認できません」
「ミカです。人気のない路地に入りました。周囲からは死角です」
「了解。各位、待機。今回は正式な行動ではない。お前たちまで処罰の対象になる必要はない」
「隊長……」
「サキエ技術仕官に〈AJ〉を準備させろ」
「アヤコです。〈AJ〉暖機に入ります。交戦可能まで五分」
「オクツ、いいわね。ティーゲル・トラウムの人工筋肉が触媒疲労を起こして機能停止するまで、約三十分。〈AJ〉も内蔵バッテリに切り替わってからは最大で三十分しか機能しないわ」
「サキエ技術仕官、感謝します」
「これは技術仕官としてではなく、ファイティングプロデューサーとして言っておくわ。オクツ、〈人形使い〉を倒せば〈人形〉はただのガラクタよ」
「了解。全通信カット。運が良ければ三十分後に逢いましょう!」

「御厨の〈人形使い〉! 聞こえるか!」
 頭上から響いてきたその声に、亜夜ははっと振り向く。
 どこからだ?
 どこからの声だ?
 だれの声だ?
「この声に聞き覚えはないだろう。だが、この剣には見覚えがあるだろう!?」
 背後のビルの屋上だ。六階建てのビルの屋上に、夕陽を浴びて薔薇色に輝く人物がいた。そして、その左手の中に、鈍く光る獲物を握っている。
 隊長オクツの愛用ナイフ、シルバーリンクス――。
 咄嗟に亜夜は真弓を背後に払いのけた。あまりの素早い行動に、真弓は声も出ない。
「お前はあの時の!」
 気づかぬうちに、路地に二台のトラックが入り込んでいた。走って逃げる隙間はない。校舎のフェンスと窓のないビルの壁面に挟まれた路地は、完全な袋小路だ。
 紅い影はシルバーリンクスを左手に持ったまま、右手を高く天に向けて上げる。人指し指が落ちゆく夕陽に輝いていた。
「エミコの敵討ちだ!」
 六階の屋上から、薔薇色の人物は身を投げた。通常なら地面に激突してジ・エンドだ。しかし、その軽い身のこなしでふわりと地面に降り立つ紅い影。
「〈人形〉を出すかい?」
 ヘルメットに覆われて表情は見えないが、薔薇色の人物――ティーゲル・トラウムを纏ったオクツは凄むように言い放った。
「な……何? 何なのよぉ!」
 ようやく真弓が声を出した。しかし、亜夜にその声に応える余裕はなかった。
「出してもいいよ……でも、あんたの〈人形〉の相手はあいつがする!」
 亜夜の右側――路地を塞いでいたトラックの扉が開かれた。
 脚が出る。ずしり、という振動がアスファルトを伝って亜夜の足元まで届く。
 それは、金属の塊だった。
 腕がある。脚がある。頭もある。胸も腰もある。そして、総てが分厚い金属の塊でできていた。人間の形、と言うよりは、腕の長さから見てゴリラに近いプロポーションをしている。
「我々シャドウブレイザーズの〈人形〉と言うべきかな……開発者二名の頭文字を取って〈AJ〉と呼んでいるわ」
 背後から数十本伸びていたケーブルが次々に切断されていく。そのたびに小刻みに揺れる巨体。その身長は2メートル近くあった。
 冷蔵庫並みの大きさを持つ拳が、ゆっくりと持ち上げられていった。
 亜夜はその様を見て、初めて危機に気づいた。
 真弓のことは度外視するしかない。彼女と自分を守るためには、ボーグRを出すしかない。
 しかし、形勢不利は逆転しない。
 ボーグRと〈AJ〉を戦わせれば、おそらく勝てるだろう。しかし、ボーグRを操る隙を、ボーグRの必殺武器を使わせてくれる隙を、目の前の薔薇色のアーマースーツの人物は与えてくれるだろうか?
 目の前の相手は〈人形使い〉ではないのだ。〈AJ〉は別人が遠隔操作しているか、あるいはコンピュータプログラムされたロボットに違いない。相手は〈AJ〉を操作する必要がないのだ!
 ボーグ戦よりも難しい戦い――亜夜は知らず知らず、拳を固く握り締めていた。

執筆:楽光一

つづく