日本にもこんな土地があるのか――亜夜は目を丸くして、車窓の外の光景を眺めていた。
 見渡す限り、樹木に覆われた山肌。道なき道。人の足の踏みいった形跡すら感じられない、薄暗い鬱蒼とした森――ここが本当に首都圏から車で二時間程度の場所なのか?
 その道なき道を、大型四駆が強引に突き進んで行く。運転している暁にとって、この土地は決して知らない土地ではない。いや、むしろ彼にとっては心休まる場所ですらある。
 この前人未到の山中に住んでいるのは、むろん仙人や天狗の類ではない。亜夜にとっては初対面になるが、暁にとっては親であり、師であり、信頼できるかかりつけの医師であり、そして重要な情報源である人物だ。
 亜夜の頭の中は、未だに疑問とショックと不信感が渦巻いていた。この数日で起こった出来事は、彼女の繊細な精神をズタズタに切り裂くほどのインパクトを持っていた。ひとつひとつの出来事が重い上に、それが連続的に、そして総てが彼女の知らない「見えない糸」で繋がっているのだ。
 千木良真弓。
 シャドウ・ブレイザーズの隊長・オクツ。
 ニセの御厨暁。
 シャドウブレイザーズとの戦闘で大破したボーグR。
 そして、暁からは何の回答も得られないままに連れてこられた、この昼なお暗い山中。 暁への不信はつのるばかりである。
 しかし、亜夜とて、頼れるものは彼しかいない。
 暁は明らかに回答を知っているのだ。総てを繋ぐ「糸」の在処を知っている。
 この鬱蒼とした森の奥に、その「糸口」があるのか?
 車内でふたりは押し黙ったまま、二時間という時間の流れを過ごしていた。車載されたMDチェンジャーが2枚目のMDを再生し終わり、3枚目の一曲目にかかろうとしていた。亜夜の知らない洋楽である。かすかにザナドゥという言葉が聴き取れた。
 暁もまた、頭の中を整理していた。
 今日、暁はひとつの決意をもって亜夜を車に載せた。足の悪い彼は通常乗用車は極力使わないのだが、この山中を登るためにはどうしてもマニュアルの四駆が必要になる。彼は左足の痛みに耐えながら、微妙にクラッチをコントロールして道なき道を走破していく。
 痛みは同時に、過去を彷彿させる。そしてその過去の思いは怒りに変わり、亜夜との出会いに通ずる総ての事象を暁の脳裏に浮かび上がらせた。彼はギアをコントロールしながら、その脳裏に浮かぶ事象をもコントロールし始めていた。
 亜夜と同じく、彼の脳裏にもいくつものキーワードが浮かび出る。
 鷺宮恭三。
 柳英良。
 東海林真純。
 試作型ボーグ。
 そして姉、御厨春水……。
 総ての謎を暁とて把握しているわけではない。だが、彼の頭の中には明らかに一本の線で繋がった流れがあった。
 その答えの一端を、亜夜に話す時が早くも来てしまったのだ。

「ドクター、ご無沙汰です」
 暁が杖をつきながら入った山小屋は、外観こそ朽ち果てた廃屋のようだが、内部は想像を絶する科学者の実験室になっていた。
 亜夜には想像もつかない機器の数々、色とりどりのケーブル類、あやしく明滅するモニタ、そして大型の発電機。総てのものが低い唸りを上げ、低周波を発生させているかに思える。
 暁の大きな背中から顔を横にずらし、亜夜は暁の視線を追った。そこには、ちいさな銀髪の老科学者が薄汚れた白衣を着、安楽椅子に座っている姿があった。
 銀髪はざんばらであらゆる方向に跳ね上がり、顎は銀色の不精髭で覆われている。眼鏡は光を乱反射し、その眼は正面からは明解に見ることは出来ない。わずかにグレーの瞳がこちらを見ている、ということが判る程度だ。口は大きく、歪んだ笑みを浮かべていた。シニカルな表情、とでも言うのだろうか。歓迎されているようには亜夜にはどうしても思えなかった。
「久しぶりだな、アキラ。メールは毎日、読んでいたよ。いつ来るのかと待ちわびていたところだ」
 老科学者ははっきりとした口調で流暢な日本語を話した。老けた印象はあるが、年齢不詳・出生国不詳のこの天才的科学者は、実際にはまだ「老」とつけるほどの年齢ではない。
「ドクターからはメールの返事が滅多に来ませんから、本当に読んでいただいているのか不安だったこともあったのですが……それを聞いて安心しました。彼女がボーグRの使い手、祭文博士の娘……亜夜です」
 亜夜はこの怪しい外国人科学者の外見に、好印象を持てずにいた。そのためか、紹介されたことを聞き逃し、会釈が遅れてしまう。焦ってぺこり、と頭を下げると、すると、くすくす、というちいさな笑い声が安楽椅子の後ろから聞こえてきた。
「いたのか、ネメシス、テュケ」
 暁が言う。安楽椅子の後ろから、銀髪の少女が二人、ぴょこりと飛び出てきた。北欧系の顔つきで、年齢は10歳ほどだろうが、既に顔の彫りが深く、将来の期待が多いに持てそうな美少女であった。
「ネメシス、テュケ、ご挨拶を」
 老科学者が即すと、少女たちは亜夜に眼を合わせて会釈した。
「こんにちわ。ネメシス・グレイオンです」
「はじめまして。テュケ・グレイオンです」
「あ……御厨亜夜です」
 ふたりの流暢な日本語にやや戸惑いながら、亜夜も会釈を返す。その動きもまたぎこちない。
「ドクター……ふたり、あれから成長を……」
「いや、逆じゃ。むしろ成長は後退しておる」
 グレイオンはふたりの娘を見回しながら、暁の質問に答えるようにゆっくりと言った。
「お前からモリタ・マリの話を訊かされた時にはわしも焦った。まったく同じ症状だったのじゃからな。間違いなく、脱走したボーグBの仕業……なぜモリタ・マリにエネルギー対象がロックされたのかは不明じゃが……」
 盛田万里!
 その名を聞いた瞬間、亜夜の口から反射的に言葉が迸り出ていた。
「まりちゃんと同じ症状!? ということは彼女たちもボーグによって成長が退行していまって……それにボーグBが脱走って……」
 その言葉をグレイオンの右手が制した。息を飲む亜夜。グレイオンは右手をそのまま左右の二人の娘に伸ばし、指先で合図をする。ネメシスとテュケは目を閉じた。
 瞬間、彼女たちの背後の空間が割れ、二体のボーグが出現した。
 どちらも華奢な身体をした女性型のボーグだった。長い銀の髪が美しい。瞳はネメシスとテュケに合わせてなのか、薄いグレーカラーである。肌の色はあくまで白く、透き通るようである。
 ギリシアの女神のような薄いゆったりとした布を纏っただけの二体のボーグは、しかし身体のところどころに無骨な武装を施されていた。
 肘には、埋め込まれたロケットノズル。
 背には、羽のような巨大なカッター。
 腰には、戦車砲のようなバズーカ。
 踝には、水平フィンとホバーノズル。
 それらはあまりに不似合いであり、彼女たちの美を確実に損なわせるものであった。
「わしの設計によるボーグSとTじゃ。こいつらのデータは鷺宮のところでは欠番扱いになっておる。そしてこのボーグのエネルギー源はDエンジンではない」
「え、Dエンジンじゃない? それ以外にどんな動力で……」
 亜夜の口をグレイオンはふたたびその右手で制する。
「ネメシスとテュケの精神エネルギーをそのまま利用しておる。これは試作ボーグでわしが設計したオリジナルエネルギーシステムじゃ。簡単に言えば、ネメシスとテュケは、ひとりでふたり分のエネルギーを使って生きていることになる」
 亜夜の口が開いたままで止まる。暁は視線を亜夜から離し、機器で埋まった部屋にその眼を移していた。
「ボーグは稼働に膨大なエネルギーを必要とする。それは例えて言うなら、火力発電所や原子力発電所に匹敵するエネルギーじゃ」
 いつの間にかグレイオンは立ち上がっていた。立ってみると、この科学者は意外なほどに背が高い。小柄な老人に見えたのは、安楽椅子への座り方に原因があったらしい。グレイオンは亜夜を見下ろすようにして言葉を続けた。
「わしは鷺宮とふたりでロボット研究を続けてきた。最後の問題はやはりエネルギー源じゃった。バッテリでは数時間どころか数分しか動けない。有線では有事に断線した場合を考えると不便すぎる。内燃機関の内蔵は事故のときに最悪じゃ。電力車から至近距離のマイクロウェーヴ電送技術を使って電力を供給する案もあったが、それでは有線と使用範囲が変わらなくなってしまう」
 グレイオンはひとつのモニタに近寄り、マウスを握って操作を始めた。モニタにはボーグの概念図が映し出されている。
「そのときじゃ。祭文博士のDエンジン理論を知ったのは。彼の大胆な仮設は賭けてみようと思ったのじゃ。無電源ペースメーカーとして開発されたものじゃが、実質Dエンジンは異次元から無限のエネルギーを取ることが出来る」
 亜夜は父の名が出たことで、その顔を引き締めた。
「鷺宮は祭文博士に近づき、その技術を応用した新しいエネルギーシステムを作り出すことに成功した。それが現在のDエンジン……正確に言えば、“特定の人間からエネルギーを無線で取り出す技術”に“異次元から無限のエネルギーを得るDエンジンの技術”を掛け合わせたわけじゃ」
「それが〈人形〉のエネルギーシステム……」
 亜夜が呟く。老博士は頷くと、ふたりの娘に指先で指示をした。美しい二体のボーグが、その両の手をゆっくりと開く。まるで、何かを招き入れるかのようである。その動きに目を細めながら、グレイオンは亜夜に言った。
「亜夜、ボーグRを出せ。修理が必要じゃろう?」

 作戦開始から二週間。
 オペレーションSKY・HIは大詰めを迎えていた。
 日本各地で〈人形使い〉が捕縛されていく。
 六道たちシャドウブレイザーズの手に入れたシステムは、ほぼ完璧に稼働していた。
 Dエンジンを持つものを発見する特殊なレーダー。
 いや、正確に言えば、鷺宮博士の「服従回路」を組み込まれたDエンジンを持つ〈人形使い〉を発見するレーダー「Dレーダー」。そしてその服従回路の組み込まれたDエンジンの異次元エネルギーを遮断し、その効力を弱めてしまうジャマー「Dジャマー」……。
 いまや日本中に、〈人形使い〉は数えるほどしか残っていない。
 シャドウブレイザーズはその総数を把握しているわけではなかったが、過去の犯罪統計と捕縛した〈人形〉のメモリ解析から、その実績に満足していた。
 捕縛数は、プロトタイプであり、〈AJ〉の基となったボーグCを除けば、七体にのぼっていた。
 ボーグI、橘実優。
 ボーグK、玉川理恵。
 ボーグL、矢作博美。
 ボーグN、古川由美。
 ボーグO、音貝美智子。
 ボーグP、三神幹子。
 ボーグQ、村山いち。
 捕縛した中では最新型であるボーグQのメモリから、〈人形〉の実数はボーグQまでに一七体あることも判明した。そのうち、シャドウブレイザーズの把握していない〈人形〉は九体。
 試作型、ボーグA。
 試作型、ボーグB。
 特殊機能型、ボーグD。
 特殊機能型、ボーグE。
 特殊機能型、ボーグF。
 動物型、ボーグG。
 動物型、ボーグH。
 動物型、ボーグJ。
 悪魔型、ボーグM。
 あの特殊部隊CAZAIを分裂状態に陥れたテディベアがボーグBであることと、そのCAZAIの元隊長であるオクツが死闘の末に殺害した〈人形使い〉が使っていた〈人形〉がボーグMであることを考えれば、残りの捕縛すべき〈人形〉はあと八体、ということになる。
 八体……ボーグRを含めて八体……。
 六道の目の前には、一台のノートパソコンがある。
 薄暗い指揮車の中で、液晶ディスプレィの明かりだけがほの明るい。六道の顔に、色のついた光が映り込む。
「あと八体……しかし、御厨亜夜を含むこの八体を持つ〈人形使い〉は、なぜあのレーダーにかからないのか……Dエンジンのタイプが違うのか……?」
 六道は、御厨暁――実際には東海林真純――の渡したDレーダーの設計図の秘密を知らない。Dレーダーが検知するのはあくまで鷺宮博士の組み込んだ服従回路であり、Dエンジンそのものではない。服従回路が組み込まれていない亜夜は、決してそのレーダー網にかかることはないのだ。無論、ボーグGを操る西村夕とボーグJを操る石坂有紀は既にこの世にいないために捕縛など不可能なのだが、そのことを彼が知る由もなかった。
 独りごちる六道のもとに、指揮車のスピーカーから連絡が入る。
「こちら東京7区のチーム・闘龍門! 〈人形使い〉を発見しました。リストナンバーから推測して、ボーグHの〈人形使い〉と思われます」
「了解。捕獲作戦実行」
 オペレータの女性が無機質な声で指令を下す。六道はその様子を眼を細めながら見ていた。
 すると、スピーカーから怒声が飛び込んできた。
「こちらチーム・闘龍門! 〈人形〉と交戦中! リストにない〈人形〉です!!」
「……なにッ!?」
 狭い指揮車の中で、六道は立ち上がった。
「稼働できる〈人形〉がまだいるのか!? 答えろ、チーム・闘龍門!」
 無線にザッとノイズが走る。途切れ途切れの電波の中から、微かに聞こえる戦士たちの声。
「て……天使……」
 その一言を残して、チーム・闘龍門との交信は途絶えた。
「天使……」
 六道は立ちつくしていた。Dエンジンと〈人形〉との間の異次元通信を途切れさせると言われていたDジャマーは完璧ではなかったというのか? 自分たちは御厨暁に騙されていたのか――。

「ボーグV、〈閃光の黄〉!」
 天使の輪から黄金色の光線が放射される。それは殺人光線。人間はおろか、総ての生き物の生命を奪う「浄化の光」――。
 チーム・闘龍門のメンバーが全滅するまで、さほど時間は要らなかった。天使はその白い羽を拡げながら、慈愛に満ちた笑顔を伴って空から舞い降りていた。
「ユリカ、もういいわよ」
 一面、鮮血に覆われた街角の片隅から、制服姿の少女が出てくる。その服は薄汚れ、もう何日も着替えはおろか風呂にさえ入っていない様子である。
「お姉様……」
 眼に涙をいっぱいに溜め、高杉菊枝――ユリカは天使に向かって駆けていった。
 逃亡生活。
 まさか自分がこのような生活に陥ってしまうとは、予想すらしなかった。
 毎日が追手との戦い……緊張に縛られた日々……休むことの出来ない、血を吐き続けながら走り続けるマラソン……。
 今日はさすがに観念したのだ。もう逃げられない。そこにお姉様が現れてくれたなら、お姉様が助けに来てくれたなら……何度そう思い続けたか……しかし、彼女の疲労も限界に達していた。もう終わりにしよう……そんな諦めの思いすらあった。そこに、天から現れた救世主! ユリカの喜びは筆舌に尽くしがたかった。
 そんなユリカを抱き締めながら、小鳥遊美波もまた思う。
 今まで鼻にも掛けていなかった政府の特務機関が、なぜここまで一気に攻勢をかけられたのか。
 数日前から、ゼファーとの連絡も取れない。彼女の携帯電話は、既にバッテリーがあがった状態だった。
 特務機関の手口は巧妙だった。どんな方法かは美波にも判らなかったが、彼らはDエンジンを持つ自分たちを探し出すことができるのだ。そしてボーグを異次元から出すことを不可能にしてしまう。どんなにボーグマスターがその力を発揮したくても、これでは大人と子供の喧嘩に等しい。ボーグが使えなければ、多くのボーグマスターは単なる若い女子高校生に過ぎないのだ。事実、今日のユリカは政府機関の連中の前でボーグを出せなかった。
 しかし、美波とボーグVは違う。そんな付け焼き刃の技術で切られるような絆で結ばれてはいない。
 美波はそのDエンジンの持てる最大のパワーを発揮し、特務機関の奇怪な呪縛を解いてみせた。それはもちろん「完成形」であるボーグVそのものの能力にも起因していた。
 ボーグVはその天使の羽から常にDエネルギーを放射し続けている。四次元の力を噴射して、三次元の事象に対して反発しているのだ。それは空を飛ぶときにも使われるが、同時に防御壁ともなる。
 美波は破裂しそうな胸を押さえ、脂汗を流しながらボーグVを呼んだ。ボーグVがその傍らに出現し、巨大な天使の羽を拡げたとき、汚らしい特務機関の呪縛は解けた。防御シールド〈慈愛〉がDジャマーのパワーを遮断したのだ。
 そして後は鮮血の地獄絵――しかし天使の羽はあくまで白く透き通り、血塗られることはない。
 ユリカを抱きながら、美波は数日前のゼファーとの最後の会話を思い出していた。
「――残ったのは三姉妹とお前と高杉だけだ」
 その中に氷室雪花の名はなかった。手足れである雪花がやられてしまったのなら、あの間抜けな柳家三姉妹が今、生き残っているとはとても思えない。
 本当の生き残りは、わたしたちだけではないのか?
 これからは「ボーグRを追うハンター」から「特務機関に追われる猟の対象」になる……それも敵の数は予測不可能……常に緊張を強いられる毎日……再び美波の表情が険しくなる。
 よかろう。総て斃してやろう。総ての特務機関の下衆野郎どもを、この清らかなる白い羽で真紅の海に沈めてやろうじゃないか――。
 美波の心に燃える何かが発生した。それは小さな燻ぶりから、次第に大きな炎へと成長していった。
 ユリカをそっと離し、痛む左胸を押さえながら、美波は独りごちる。
「……いいさ、みんなあたしが斃してやるさ……みんな……」
 その厳しい口調に、涙を浮かべていたユリカがびくっ、と肩をすくめてその視線を上げる。眼と眼とが合う。美波は険しい表情をゆっくりと微笑みに変えていく。
「さぁ、ユリカ……行きましょう……いままでごめんね……怖かったでしょう……久しぶりにお風呂に入ろうか……ね……」
 そんな二人を、すぐ脇の建物の屋上から見る人物のことなど、美波にもユリカにも判ろうはずもなかった。
 ほの白く光る高周波のブレードを右手に持ち、男は真紅のアスファルトに立つ少女たちを見下ろしていた。
「政府の連中……俺には気づかずじまいか……やはりDエンジンそのものを検知するシステムではないようだな……」
 男――氷室雪都は高周波ブレードを背後の異次元にしまい込み、踵を返した。

「参ったよ。こんな事態になるとはな……」
 白髪混じりのオールバックを撫でつけながら、暗い部屋の中で鷺宮博士は溜息をついた。手持ちの〈人形使い〉たちが次々に警察の秘密機関によって逮捕されていく。服従回路から送られてくる彼女らの反応は、日ごとに減っていった。総て警察の特務機関――シャドウブレイザーズ――によって捕縛され、遮断壁に囲まれた特殊房に閉じ込められてしまっているからだ。
 彼の野望は膨大な準備期間に比して、ほんの僅かなこの瞬間で潰えていった。
「残念です。御厨暁にそのような作戦があったとは……意外でした」
 ゼファーは表情ひとつ変えずに言う。鷲宮の悲痛な面持ちに較べると、その面持ちにも声にも悲痛な部分はまったくない。
「彼自身にそのような技術は存在しないでしょうから……祭文教授の遺産なのか……それともDr.グレイオンの入智慧なのか……とにかく意外な結末でした」
 ゼファーの言葉尻に、鷲宮は目を剥いて怒鳴った。
「結末? 結末だと!? 貴様、これで終わりだと思っているのか? これでこの天才・鷺宮恭三の世界征服計画が終わりだと……」
「そうです。結末です。プロフェッサー、貴方の計画は終わりました」
 鷺宮の言葉をゼファーは遮った。長い前髪がその瞳を隠しているが、鋭い眼光が鷲宮を射抜いているのは明らかだった。
「御厨暁が用意したものがどんなからくりのものかは判りませんが……とにかく警察はDエンジンを持つ者を発見する方法と、ボーグの異次元からの出現を妨げる方法を知ってしまったことは事実です。貴方の計画は総て崩壊しました。もう貴方にはこれ以上、何もすることはできません」
 鷲宮はその声の響きの威圧感に、脂汗を流していた。眼が泳ぎ始める。手が、何かの救いを求めるかのようにわらわらと蠢いた。
 無論、ゼファーにとって鷲宮のそんな行動は意味のないものである。ゼファーは背後に〈見えない力〉を蓄えつつあった。
「そう……プロフェッサー……貴方の時代は終わったのです……お別れの時期が来てしまったようですね……」
「ゼ……いや……捨てないでくれ、ハルミ……」
「その名は忘れました。私はゼファー、四兄弟の中では最も親切な〈西風〉……」
 ゼファーの背後の空間が割れた。今まで姿を見せることのなかったゼファーの〈人形〉が、そこにはいた。
「慈悲に満ちた〈春風〉が貴方の命の灯し火を吹き消して差し上げますよ……さようなら、愛しい人……」
 瞬間、風が吹いた。ごとっ、という音が床に響く。続いて、赤い噴水が部屋を染め上げていった。
「もう容赦はしない……暁……」
 ゼファーは、背後の三体のボーグとともに、鷲宮教授の部屋を後にした。

 季節は秋に変わっていた。
 暑い夏は終わり、山の木々には赤い葉が目立つようになっていた。
 涼しい風が頬をかすめる。しかし、亜夜にはその涼しさを感じる暇はなかった。玉のような汗が頬を、腕を、胸を伝う。
 腕。
 脚。
 胸。
 腰。
 背中。
 拳。
 総てが鍛えなおされ、さらに絞り込まれていた。
 打ち込む拳は空を切って唸りをあげる。
 繰り出す脚は切れ味に重さを加えていた。
 そして敏捷な動き。軽快なフットワーク。時には重い震脚。重心のぶれない移動。
 暁に再び叩き込まれた、活殺の拳――斬獄業火四将拳。
 もう、亜夜に迷いはなかった。
 亜夜の動きに合わせるように、その横では修理され、以前の美しい姿を取り戻したボーグRが華麗なる演舞を見せている。人間と寸分違わぬ動き、格闘のために生まれてきた機械人形、美しき破壊者……。
 亜夜の気持ちに整理がついたのは、暁が今まで秘密にしてきたことを総て告げてくれたからであった。
 もやもやとしていた霧が、少しずつ晴れていく。
 それに伴って、稽古にも熱が入るようになっていった。
 誰のために闘うのか?
 何のために闘うのか?
 復讐? それもある。父を筆頭に、鷺宮博士とその手下であるボーグたちによって死んでいった人は多い。
 しかし、それだけではない。
 今の亜夜を突き動かしているのは、それだけではなかった。
 ボーグからの開放。
 総ての〈人形使い〉から〈人形〉の呪縛を解くために。
 鷺宮博士の、悪の呪縛を解くために。
 マリオネットの糸を斬るために。
「よし、仕上げに入るぞ。亜夜、ボーグRに指令を!」
 演舞を見守っていた暁からの声に、亜夜は素早く反応した。
「ボーグR、ストロングフォーメーション!」
 その声に呼応して、ボーグRの身体が大きく変化していった。

執筆:楽光一

つづく