「亜夜ちゃん、ばいばーいっ」
「またね」
 少し駆け足で追い抜いていくクラスメイトに笑顔を返すと、亜夜は再び口に手を当てて考え込んだ。
(西村夕が失踪してもう六日目……もうとっくに動きがあっておかしくないのだけど……)
 どんな敵がいつ攻めてくるか分からない緊張感を引きずっているのは、やはり気分が悪い。毎日トレーニングで気を紛らわせながら強がってみても、亜夜は弱冠十七歳の少女なのだ。
「……来るなら来なさい……!」
 周りに聞こえない声で呟き、気合いを入れ直す。何かに押しつぶされそうなのをごまかすように……
 怯えてはいけない。迷ってはいけない。復讐を、やり遂げるためには……
「……復讐、かあ」
 自分でもぞっとするような力を日に日に身につけながら、時々不安に思う。……復讐が、何を生み出すのか……と。死んだ父は、帰っては来ない。憎しみの炎を燃やして仇を取って……そして……ひとりだ。
 亜夜は激しく首を振った。いつも考えるのを避けていること。考え出したら……何もかも消えてしまいそうだった。考えてはいけないのだ。……戦いに、集中しなければいけないのだ。
 物思いにふけっていた亜夜は、自分がいつも気を付けながら通る川沿いの土手に差し掛かっているのに気づくのが遅くなってしまった。西村夕と戦った場所でもあるこの河原は、人通りも少なく、十分な広さと隠れるのに最適な深い草原を備えている。――奇襲を仕掛けるにも、もってこいなのだ。
「!」
 突然、身の危険を感じ斜め後ろに飛びのいた。亜夜がいた場所を、何か大きい物体が物凄い早さで通り過ぎて行った。亜夜は自分が土手に差し掛かっていたことにようやく気づき、少し冷や汗をかきながらあたりを見回した。
「ブルーな顔してたからチャンスだと思ったんだけどなー」
 その声が耳に入るのと、その声の主を見つけるのは同時だった。
 シャギーの入ったショートカット、ピアス、腰のあたりで揺れるキティちゃんの携帯ストラップ……どれをとってみても、彼女の隣で羽ばたく紫色の巨鳥とは不釣り合いだ。
「……ボーグR、ゴー!」
 自分が隙を見せていたことを反省しつつ、早く忘れようと亜夜は迷わずそう呟いた。亜夜の前方にできた次元の裂け目から、ボーグRが現れる。地に足をつけるとすぐさま戦闘体勢を取った。
「ちょっと早くない? もっとトークしようよ、御厨ちゃん」
 ボーグRを見て、自分のボーグを構えさせながらも彼女は調子を変えずに言った。
「奇襲を仕掛けてトークはないんじゃないかしら? ……石坂有紀」
「あ、名前覚えてくれてんじゃん。うれしー。ボーグJ、ゴー!」
 向かってくるボーグJを躱し、ボーグRはその勢いでボーグJを蹴り飛ばそうとした……が、ボーグJは空中でひらりと躱し、鋭い爪でボーグRの肩をつかみ、高く舞い上がった。
「ボーグR! 高周波ブレードを!!」
 ボーグRは左耳についている高周波ブレードを素早く右手の人差し指と中指に挟むと、一気に頭の上を横切らせ、ボーグJの足を切りつけた。
――キィエエーー!!
 痛みにボーグJはたまらずボーグRを離す。甲高い悲鳴を上に聞きながら、ボーグRは体勢を整えて着地した。
「J! ウソ、ひっどー!」
 有紀は言いながら、ボーグJをボーグRに向かって急降下させる。ボーグRはとっさに伏せ、ボーグJの攻撃を間一髪で避けた。
 ボーグJは間をおかず旋回して向かってくる。
「J! 行け行け〜、やっちゃえ〜♪」
 有紀は本当に楽しんでいるらしかった。右へ左へ避けるボーグRを見ながら、自らが操るボーグに声援を送る。
 ふと、ボーグRは避けるのを止め、物凄い速さで遠ざかるボーグJをじっと見据えた。
「…来るね」
「ワイヤードナックル!」
「J! よけて!」
 ボーグJが旋回すると同時に、ボーグRの右拳が勢いよく飛び出す。ボーグJは有紀の声に反応して体を傾けた。放たれたワイヤードナックルの方向から大きく進路がそれる。
「あたんないよ♪……!?」
 有紀の微笑が崩れた瞬間、両方の勢いがまともにぶつかる凄まじい音が響いた。
「曲がった…?」
「そうね」
 電磁力の反発の勢いで飛び出すワイヤードナックル……飛び出してしまえば、直線を描いて戻っていくだけ、そう考えるのは自然だ。しかし、ボーグRの右拳は目を持っているかのようにボーグJへと方向を定め、弧を描いたのだ。
「あなたが今ごろ来てくれたお陰よ」
「……!! あんた、あいつを倒した後の一週間足らずで……!?」
 思った通り、ボーグR対ボーグGの戦闘データは、彼女にも渡っているらしい。次のボーグに会う前に成長しなくてはと、亜夜はいつも以上にトレーニングに励んでいた。
 有紀は驚きの表情を見せたのだが、すぐに笑顔を取り戻す。
「まっ……無駄な努力だけどねっ。」
 あれだけまともにぶつかったというのに、ボーグJの動きは一向に衰えない。ボーグJは、先ほどまでとは比べ物にならないほど高く、高く舞い上がり始めた。
「……何が始まるの?」
「ふふ、これじゃ攻撃も届かないでしょ? ね、ちょっと喋ろうよ。Jはまだまだ上に行くからさ」
 有紀は亜夜に笑いながら近づいてきた。
「まさかさ、この隙にあたしを殺っちゃおうとか思ってないでしょ?」
「……話すことなんか何もないわ。……馴れ馴れしくしないで」
「さっきさあ、何考えてたの? マジブルー入ってたけど」
 有紀の言葉に、父親の笑顔がふっと浮かび、亜夜は意図的にそれをかき消した。
「……あなたなんかに……関係ない!」
「……でも…なんか寂しそうだった」
「……!?」
 亜夜は目を見開いて有紀を見つめた。有紀の眼差しが、さっきまでのものとはまるで違う。その憂いを含んだ瞳が、亜夜の目に焼き付いて離れることはなかった。
―――ヒユウウウウウウウウウウウウウウ……
「!!」
 ボーグJがくちばしを地に向けながら、回転して真っ直ぐ降下する。そのくちばしをドリルのように使おうというのはもちろん、高いところから回転したことで風に流れができ、小さな竜巻ができていた。
 有紀の言葉に一瞬ひるんだ亜夜は、ボーグRを避けさせるのが少し遅れてしまった。
「……しまった……!!」
 回転するくちばしはなんとか避けることができたものの、風がいくつものカッターのように働いたらしい。人工皮革でできたボーグRのスーツはあちこち切れ、人工皮膚があらわになってしまった。
「……悪く思わないで。……こっちも命かかってんだから……」
「……」
 亜夜は傷ついたボーグRを見つめ、顔を歪めた。一度ならず二度までも、相手に隙を見せてしまったのだ。
(集中しなさい……御厨亜夜!!)
 両手で自分の頬をぱんぱんと叩き、ボーグRを構えさせる。ボーグJは再び高く飛びあがっていた。
「二度も通用すると思ってるの?」
 いつもの凛とした声で、亜夜は有紀に皮肉な微笑み方をした。
「……ふん……」
 有紀はボーグJを見上げながら鼻を鳴らした。その瞳は、やはりどこか陰っている。彼女の横顔を一瞬だけ見つめ、亜夜は大きく視線をそらせた。
「ボーグR! 高周波ブレード!」
 高周波音が辺りに響く。急降下を始める前に体勢を整えようとしてか、有紀の言葉が届かないようにと図ってか……
――ヒイイイィィィィィ……ン……
 こちらを見つめる有紀を、亜夜は気づかない振りをした。ただボーグJの動きを目で追いながら……
 ボーグJは遥か上空でいったん止まり、何回か羽ばたくとくちばしを下に回転を始めた。
 ボーグRとの距離が見る見るうちに縮まっていく。ボーグRは更に腰を低く構えた。
 その距離を見定め……投げつける!
――ィィィィイイイイイン!!
 ボーグJのコマの針のようなくちばしがすっぱりと切り離され、散った。それでもなお、ボーグJはその勢いを少しも殺すことなくボーグRめがけて急降下する。
「!」
 攻撃の体勢を取っていたボーグRは避けきれず、スーツの切れた足に傷を負った。
 ボーグJは風でくり貫かれた地面の中心に頭をうずめている。ボーグRはその隙を逃さず、ひざを突いたままワイヤードナックルを繰り出した。
 ワイヤードナックルは翼の力で何とか地面から顔を出したボーグJに直撃した。
 ボーグJは一瞬地面に倒れ込んだものの、すぐに飛び始める。戦意は失っていないが、既にボーグJはふらふらになっていた。
「飛ぶのがやっとでしょう? 無理しない方がいいわ」
「……あんたを……殺さなきゃいけないんだ……!」
 有紀から静かに放たれた言葉を、亜夜は聞き逃さなかった。戦う前に亜夜が独り言のように呟いた“来るなら来なさい……”という台詞のように、まるで自分に言い聞かせているような、有紀の言葉を。
 ボーグJは、高く舞い上がった。
「無理よ!!」
 有紀は答えない。何かに取り付かれたように、ボーグを操ることに集中している。
 最後の力を振り絞るように、ボーグJは急降下を始めた。
「……ワイヤードナックル!!」
 落ちたところを見計らって、右拳を腕から放つ。力を失ったボーグJは、風の流れと共に辺りの草を巻き込みながら後ろに飛ばされ――
「!!」
 風のカッターは……有紀の体を切り裂いた。
 草むらの中に、倒れ込む有紀。
 ボーグも、ぴくりとも動かない。
「有紀さん!」
 亜夜は有紀が倒れた場所へと駆け込み……足を止めた。
 服装こそ変わらないものの、そこには胸の膨らみのない…首にうっすらと喉仏のある、少年の姿があったのだ。
「……有紀さん……?」
  戸惑いながら、亜夜は草をかき分け、傍らにひざをつく。
「……ふっ、笑ってくれよ。これが……石坂有紀の真の姿さ」
 透明感のある低い声が響いた。亜夜は黙っている。ただ、少年の姿になってもなお変わらない、その憂いを含んだ瞳をじっと見つめて……
「……自分と似たような心理状態なんか、利用するもんじゃないな……」
「……え……?」
「あんたの父親が……殺されたっていうのは、聞いてたよ」
「……」
「心理作戦に……ほんとにはまってるあんたを見て、こっちが動揺しちまったよ……結果……この様さ」
「……何が……あったの?」
 有紀は口を噤んだ。
「教えて!」
 有紀の目をじっと見つめて、その肩を揺する。有紀の血がはね、亜夜の顔についた。
「……全部、金が全てのあいつらのせいだ」
「……あいつら?」
「俺の命を……変なとこに売りさばきやがって……!」
「……」
 亜夜は、瞬きも忘れるほど有紀を見つめ、じっと話に耳を傾けていた。
 ボーグRが、足を引き摺りながら歩み寄る。
「女の振りもそのせいさ。男に戻ると、ボーグが操れないばかりか……ペースメーカーを埋め込まれた左胸が物凄く痛むんだ。……今もな」
 有紀は切り傷だらけの手を額の辺りに乗せた。憂いの色が消えることはなかったが、口だけで微笑んでいた。自分の運命を、嘲笑うかのように……
 ブランド思考で、いわゆる“コギャル”達と遊びまわって……それも、気を紛らわせるためだったのだろう。有紀をじっと見つめていた亜夜は、割れてしまったキティちゃんのストラップに、一瞬だけ視線を移した。
「ふっ……こんなことあんたに話して……俺は一体何をあんたに求めてんだかな……」
 亜夜は涙でにじんだ目を見開いたまま、首を激しく振った。言葉は、出なかった。
 有紀はスカートのポケットに手を入れると、ナイフを取り出し、亜夜に手渡した。
「……?」
 顔を歪めながら、亜夜はナイフと有紀の顔とを交互に見つめる。
「……殺してくれ」
 亜夜の視線が有紀の顔に止まる。
「あいつらに……殺されるくらいなら」
 亜夜は、この言葉からどれほどの間、有紀を見つめていたのだろう。
 ボーグRが、自らの意志で高周波ブレードに手を掛ける。
「……R」
 左手で軽くボーグRを止めると、亜夜は有紀の胸元にナイフを突き立てた。有紀が幾度もその存在を呪ったであろう、ペースメーカーの眠るその左胸に。
「御厨」
 有紀の声に、亜夜は震える手を止める。
「あんた……強いな」
「……」
「……あんたとは、もっと別の形で、会いたかった……」
「……っ……!」
 ナイフを持つ手が、肩が震える。涙でにじんで、有紀の顔が見えなかった。
「……話、聞いてくれてありがとう……」
 亜夜はナイフを一気に突き刺した。ナイフを持つ手に伝わる鈍い感触。鮮血が、亜夜の顔を、服を、赤く染める。血の匂いがした。血の味がした。
「……うっ」
 地面に突っ伏して、亜夜は息を殺して泣き続けた。
 ボーグRがその長くて茶色い髪を、そっと撫でた。
――ひとりじゃないよ。
 そう言い聞かせるように。

執筆:かざなぎ蛍

つづく