・豊島氏の支族、赤塚氏が住んでいたとされている城跡です(ただしこれはまだ立証はされていません。しくしく)
中世・鎌倉の時代には寺領でした。
1456年に一族の争いで負けた千葉氏(実胤、自胤)が、太田道灌に助けられ、実胤は石浜城に、自胤はここ、赤塚城に入城して、武蔵千葉氏を名乗る事になります。
(この二人の親類の千葉信胤は志村城に入りました)
因みに、太田道灌が文永12年に石神井城を落とした時に、彼等は道灌側として、彼に付き従っていました。くぅぅぅ〜っ!
この城址公園の下には池があるのですが、そこは水濠だったそうです。
これは城址公園の端っこの方にある、『本丸跡』の石碑と説明板です。
ど〜んとど真ん中に立てればいいのに、と思ったのは私だけでしょうか?
その石碑の横から本丸跡の城址公園の一部を写したもの。
本当に何もないのがびっくりです。
いや、ゴテゴテ色々置かれるのも問題ありですけど(苦笑)
個人的感想。
本当に何もないってのは、ある意味残酷ような気がします。
この下には、(さっき言っていた水濠と一緒に)『赤塚溜池公園』という公園があり、その脇には『板橋区立郷土資料館』があるのですが。
ここが全くと言っていい程板橋の中世に触れてないっ!
ってか、近所に城跡あるんだから、そういったものをどど〜んっ!とやってほしかったと言うのが正直な感想。
因みに、犬がいる方向に足を伸ばすと、梅林があります……。二の丸跡とかは畑になっているようです……。 |