アミューズメント・パーティOnLine
3  光の都セレファイス

 飯島が里美と一緒に話をしているその頃、学生ホールではちょっとした事件が起こっていた。一人の学生がホールに置き忘れた鞄の中から、蛇皮の財布がなくなっていると言い出したのである。
 その財布の中には今日下ろして来たばかりの生活費五万円とキャッシュカードが入っていたのだとわめきながら、その学生はそこらじゅうの学生に食ってかかった。特にホールのベンチに座っていた連中はしつこく問い詰められ、協力する気すら削がれていた。
 それは雪崩山も同様で、彼も自慢のジャンパーを引っ張られて不機嫌になっていた。もっと冷静に考えろってんだ──と口に出そうとしたその時、雪崩山の視界に一人の女学生が入ってきた。雪崩山はその女性に目配せすると手話に近いジェスチュアであることを要請した。女性は軽く引き受けると、辺りを見回した。
 そしてしばらく辺りを眺めていたかと思うと、ある学生を指差した。雪崩山はその学生を足止めすべく移動し、彼の前に立ちはだかった。
「……何だよ」
 雪崩山は有無を言わせずその学生の肩を掴むと、鞄を引ったくって中身をばらまいた。中にはノートとペンケースの他に、もうひとつ大事なものが入っていた。
「貴様か、俺の財布を盗ったのは!」
 雪崩山と女学生は混乱に乗じてその場を去った。二人は中庭の、雨のかからない屋根の下まで走って行き、そこで止まった。雪崩山は肩で息をしながら、女性に向かって礼を言った。
「ありがとう、麗子。協力してくれて」
 麗子という名の女性は、長い髪を左手でそっと上げながら微笑んだ。その目は、丸で貴方のためならこんなことくらいなんでもないわ──とでも言っているかのように妖しく、鋭い光を放っていた。
 麗子は雪崩山の傍らに寄り添うと、その腕を彼の腕の下に潜り込ませて言った。
「この後授業ないんでしょ? 付き合ってよ」
「腕を組むのはやめろ。まだ誰にも言ってないんだからな、俺たちの関係は」
 雪崩山はそう言って麗子の腕を外した。雪崩山には雪崩山なりの、世間体に関する考え方があった。
 石原麗子は雪崩山の高校時代からの恋人であり、雪崩山の力を知る数少ない女性の一人である。高校時代、一部の人間には有名な事件に巻き込まれ、二人は出会い、いがみ合い、協力しあい、そして恋に落ちたのである。
 しかし二人の間には、一種決定的な壁とも言えるものが存在していた。雪崩山はAPの部長、麗子はE研の副部長という、「犬猿の仲」の真っ只中にいるのだ。
 では何故一年の時、彼女はAPの方に入部しなかったのか? その理由が彼女の口から語られることはなかった。とにかく、雪崩山にとってこれは体面上の問題であり、APの連中に知られれば自分が、E研の連中に知られれば麗子が苦しい立場に置かれるのは目に見えていた。仮に麗子がE研を抜け、APに入ったとしても、APのメンバーが納得するか、E研のメンバーとその後うまくやっていけるか──大いに疑問であった。
「君との付き合いも長い。今日はこのまま別れてくれ。俺は飯島を」
 その口を、麗子の人指し指が優しく塞いだ。長い黒髪が雨の雫で光っていた。途端に、麗子の目が悲しみの色で曇る。泣いているのか? 雪崩山はその顔にそっと顔を近付けた。雪崩山の手が麗子の顔の上を這い、そしてその口がそっとささやくように言った。
「分かった……行こう」
 二人はゆっくりと雨のキャンパスを歩き出した。なるべく人目につかないように気を配りながら──。
 しかし、その様子をじっと見守る一人の男の存在は、二人の知る所ではなかった。男もまた、そっと校舎の中にその姿を消した。



「藻間先輩、こんにちは」
 三限が終わり、階段を下る藻間の背後から声を掛けたのは、名東雄太であった。藻間はその長い手で頭を掻きながら応対した。
「やぁ、名東君。今日は名コンビの割澤君とは一緒じゃないのかい?」
「割澤のヤツは経済ですよ、藻間さん。学部が違ったら一緒の授業は一つだってありゃしません。ところで、飯島さんか雪崩山さん見かけませんでしたか?」
 藻間はどちらも昼休みに見かけたきりであることを名東に告げた。今日は部会もないから、二人を見つけるのは困難ではないかと言うと、名東は元気よく反発した。
 彼の言うには、今日はE研のメンバーが知らないAPの第三集会所にて新入会員確保の検討会が開かれるのだそうである。もちろんその第三集会所がどこであるか藻間は知っていたが、新入会員検討会の存在を聞いたのはこれが初めてであった。
「水臭いと言うかなんと言うか、前部長の五六や俺を差し置いて検討会をやるとはな。何時からだ? 暇だったら俺も行くから」
 名東は少し渋ったが、四年生の言うことを聞かないわけにはいかない。仕方なく、彼は時間を告げた。
「場所は知ってますね?」
「〈光の都〉だろ? 分かってらぁ」
 二人はにやっと笑い合うと、それではと言って二手に別れた。名東は学生ホールに、藻間は下宿に行くつもりでいた。どちらも、飯島を捜すという目的を持っていた。見つけた後のことは別として……。
 学生ホールに出た名東は、ふいにテレパシーを受信した。彼にとっては、無論初めてのことではなかった。それは常にテレパシー通信の可能な親友・割澤大介からの物であった。
(何だ? 割澤)
(名東、さっき三限の時感じたんだけどさ、お前感じなかったか? ものすげー強烈な精神力の塊が爆発したみたいなやつ)
 名東には、割澤が何を言っているのかさっぱり分からなかった。とにかく、会って話をしよう。テレパシー通信の方がイメージを伝える分には優れているのだが、これだけ人のいる所で意識を絞るのは面倒であるし、第一すぐにでも会える距離にいるのだから、こんな七面倒くさい方法を取らなくとも、思いっきり話し合えばいいのだ。名東は割澤に言った。
(すぐに来られるか? 〈光の都〉だ)
(分かった、すぐ行く)
 名東は飯島のことなどすっかり忘れて走り出した。


 一方、藻間の方は下宿の中華料理店に着いていた。のれんをくぐり、元気よく引き戸を開けると、彼は店の中の異様な雰囲気を察して身構えた。視界の中には人影はなかったが、明らかに人の気配は存在していた。おやじさんならこんな気配は発しないはずだが? 藻間の神経は更にとんがった。藻間はESPの類は持ち合わせていなかったが、もし彼がテレパスなら、この異様な気配は一体何を示しているのかくらいは手にとるように分かるはずであった。自分がテレパスでないのを悔やみながら、藻間はカウンターの奥をそっと覗いた。誰もいない……のれんの出ている店を空けている店主が果たして存在するのか? 藻間の神経は最高にとんがった。
「そこだッ!」
 存在する気配の移動を察知した藻間は、その場所に向かって傍らのテーブルにのっていたコショウの瓶を、昼に里美に向かってしたように飛ばした。
 間違いなく手応えがあった。気配の持ち主は相変わらず見えなかったが、コショウ瓶は当たったに相違なかった。何故なら、わずか一瞬ではあったが、クシャミが聞こえたからである。そしてそれ以降、怪しい気配は全く跡絶えた。どうやら気配男はレポートして逃げたらしく、そのテレポートの跳躍点に藻間はコショウ瓶をアポートしたらしかった。その証拠に、そのコショウ瓶は店内から忽然と姿を消してしまったのだ。
「……結局何だったんだ?」
 納得のいかない藻間は、二階の自分の部屋に上がって考え込んだ。納得の行くまで。


 名東は割澤と一緒に、普通の人には絶対に見つけられないと思われる路地の奥にある小さな喫茶店にいた。この店こそAPのメンバーが秘密集会を行う時に使う、通称〈光の都〉、喫茶セレファイスであった。
「さっきの続きだが、何なんだ? その『強烈な精神力の塊が爆発したみたいなやつ』ってのは?」
 割澤はエスプレッソをすすりつつ、その名東の問い掛けに答えた。
「何てのかな……お前にもサイコパワーの圧力って分かるだろ? あの熱いんだか冷たいんだかはっきりしない、各細胞にしみわたる圧力が。あれのすげー強烈なやつがこの近くで突然爆発的に生まれたんだ」
「生まれた?」
 割澤の説明によると、その強烈な力は誰かが持ち合わせているとか、その場でその力を使ったとかいう感じではなく、爆発したというか暴発したというか、そういった類の出現だったのだそうである。しかもその力は、今まで見てきたAPやE研のメンバーのどれよりも強力で、かつ新鮮だったという。
「新鮮……ってのが分からんな」
「俺にも分からん。それを発した人にもう一度会って確かめたいね。一体どんな力なのか」
 名東は不思議に思った。今まで、自分は割澤と同程度の能力を持つテレパスだと思っていた。しかし、どうして割澤にはその力は感じられて、自分には感じることが出来なかったのか? もしかしたら、割澤には自分にはない、そういった能力が備わっているのかもしれない──そうでも思わないと気持ちがすっきりしない自分に、名東は少し嫌になった。
 割澤は名東と比べると格段に暗い男だが、言うことは言うし、曲がったことは容認しない男であった。名東は、割澤のそんな冷静沈着な所が好きであり、自分にないものを持つ彼をどこかで尊敬すらしていた。名東は明るい男ではあったが、超能力者にありがちの我がままな気質も持ち合わせていた。自分本位の性格が直りだしたのは、APでこの自分と正反対の親友・割澤大介に出会ったからだと彼は思っていた。
「ま、その話はまたいつかしよう。今日は新入生確保の検討会やるんだろ?」
 割澤は地味な茶色のブルゾンの袖をたくし上げながら名東に言った。名東は露骨に嫌な顔を見せた。
「参ったよ。今年は本当に見つからない。チェックリストの四百人はあっという間に赤線だらけ……残り百人に望みを託しているんだ」
 それから暫く、二人は思い思いの雑誌を読んで時間を潰していた。しかし、待てど暮らせどAPの他のメンバーは現れない。
「何で来ないんだ? 時間や場所を決めたのは雪崩山さんや飯島さんだろ? 何でだ? 連絡くらいくれてもいいのに」
 名東も割澤も、何かはぐらかされたような気持ちになっていた。そこに電話のベルが突然けたたましく鳴り響いた。マスターが取るが、その受話器はすぐに名東の手に渡された。
「はい、名東です……雪崩山さん? え? 来れない……飯島さんですか? まだです……はい……はい……分かりました、はい」
 雪崩山からの電話の内容は、こうである。今日自分は用事ができて行くことができない。飯島が来たら、自分抜きで話を進めて欲しい──名東は少し困っていた。肝心の飯島はここにはいないのだ。もしこのまま現れなかったらどうするのだろうか。いつになくぼそぼそと喋り、何者かに急かされるように電話を切った雪崩山の様子などお構いなしに、名東はひとり困り果てていた。
「虚しい一日だ」
 名東のぼそっともらしたその言葉の意味を、割澤が分かろうはずもなかった。
 そして結局飯島も来ず、二人は虚しく〈光の都〉を去った。
 帰り道、名東は公衆電話から飯島のアパートに電話をかけた。何回かのコールの後、飯島は電話口に出た。その声は完全に死んでいた。
「どうしたんですか、その声は。病気か何かですか、今日来られなかった理由は」
「ま、そんなもんだ。悪かった、雪崩山にも謝っておいてくれ」
「雪崩山さんも来られませんで、今日は結局お流れになってしまいました」
 電話の後ろでごそごそという音がしきりに聞こえていたが、名東にとってはそんなことはどうでもいいことであった。今日は早く帰って眠りたい……会話はそこで途切れ、名東は明日会うことを約束して電話を切った。
 雨はとうとう一日中止まなかった。明日は晴れるといいな……名東は心からそう思い、電話ボックスを出た。

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