アミューズメント・パーティOnLine
6  二つの黒い影

 里美が来ない。
 授業はとっくに終わっているのに。
 五分や十分でいらいらする飯島ではなかったが、さすがに二十分を過ぎた頃にはホールの隅から隅へとうろうろし始めた。いくら何でも遅すぎる。何か事故でもあったのではないだろうか。しかし確かめる手立てはない。飯島には、ホールでひたすら彼女を待つしかなかった。
 飯島の足が止まった。ごく微弱ではあるが、鋭い視線を感じたのである。視線を辿ると、ホールの北側の出口からこちらの様子を伺っているらしい黒い影が見えた。影は飯島が見ていることに気づくや否や身を翻し、校舎の外へと消えていった。その時数人の学制に触れたらしく、しきりにその学生たちに謝っていた。
──どこかで見たような──
 気にはなったが、それよりも里美の方が重要である。飯島は再びホールの中に目を転じた。
「どした? 飯島」
 不意に背後から声をかけられ、飯島は飛び上がった。声の主は飯島の高校からの親友・黒田であった。
「わりい、驚かせた? いやね、お前さんが異常にぼや〜っとつっ立ってたからさ」
 飯島は苦笑いした。黒田は飯島がテレポーターであることを知る数少ない友人の一人である。
「人待ちだよ、ひ・と・ま・ち! もう二十分も待たされちゃっているんだ」
 黒田の目が光った。
「女、か……」
 ダテに五年も親友やってないぜ、と黒田の眼と口が同時に言った。恐るべき洞察力である。下手に言い訳するより軽く話題にして別れるのが得策であると踏んだ飯島は、妙にはにかみながら里美の話をしようとその口を開いた。
「実はな……」
 その口は声を発する前に閉ざされた。先程までホールにいたあふれんばかりの学生たちが全くいなくなっていることに気づいたからである。そしてたった今まで自分と話をしたがっていた黒田までが、後退るように飯島の視界から消えていく。
 異常を察知し、飯島の神経は頂点まで高められた。状況判断に全能力が必要であると感じたからである。異様な雰囲気がホール全体に流れた。生まれて初めて感ずる、邪悪な空気であった。
『山崎里美は君たちの手に負える代物じゃない。我々が管理する』
 脳髄に響き渡る声。テレパスでなくとも感じられる、強烈なテレパシーである。
『管理』? 何のことだ? 彼女を強制的に『管理』すると言うのか! 何の権利があってそんなことを……飯島の脳の中は煩悶でウニのようになっていた。
『いずれ君たちには消えて貰わねばならない。しかし今は時期ではない。またいつかお目に掛かろう』
「待てッ!」
 と同時に飯島は後頭部に強打を食らった。数十秒ぶりの人間的な感覚であった。視界が少しずつ開けていく。ホールの天井が見える。右手が触っているのはホールにある椅子の脚である。ゆっくり伸ばした左手を握り返したのは、見覚えのある顔──雪崩山の手であった。
「……どうなってんだ」
 雪崩山は飯島をゆっくりと起こしながら言った。
「かなり強烈なテレパシーをぶつけられたようだっだな。半催眠状態になってた。殴ったことは許せ。そうでもせんとお前は完全に相手の思うがままだった」
 後頭部の大きなコブを摩りながら、飯島は辺りを見た。心配そうに数人の学生が覗き込んでいる。その中には黒田の顔もあった。
「あんまり遅いんで来てみたんだ。そしたらこれだ。どうなってんだはこっちの台詞だ」
 雪崩山は多少憤慨した声で飯島に言った。
「ところで彼女はどうした」
「……誘拐われた」
 雪崩山の顔面がひきつった。


 飯島の連絡により、今日の新入生獲得会議はまたもや流れた。肝心の山崎里美が蒸発してしまったのではどうしようもない。飯島の食らった強烈なテレパシーよるメッセージが本当なら、里美はエスパーによって誘拐されたのである。しかも相手は一人の人間を遠隔催眠可能な程のテレパスなのだ。APのメンバーにはそこまで出来る超能力者はいなかった。唯一ヒュプノシス(催眠テレパシー能力)を使うことの出来る瀬川でさえ、考えられない事態であった。
「そりゃムチャクチャ強力なヤツだぜ、飯島よ。俺だって相手の目を見ながらでなきゃ出来ないんだからな」
 ホールに集まったAPのメンバーは、この瀬川の言葉に沈黙した。
「これだけの仕事が出来る能力者というと……」
 皆の意見が次の瞬間、全く同時に一致した。
「E研だ!」
 他には考えられない。E研も新入生に困っている。さらってでも一年生は入れたい。で、里美を誘拐した──。
「多少強引ではあるが、まぁつじつまはあってるな」
「そして犯人はテレパス……あの蛇のように生っ白いにたにた野郎、安藤善」
 雪崩山は無意識に腕捲くりをしていた。
「待った! あれ見て」
 名東が指差す先には、ホールの学生伝言板があった。その表面をゆっくりと白いチョークがひとりで這っていた。遠隔念動通信──テレ・メッセージ。APのメンバーが伝言板を囲んだ。チョークは少しづつ、確実に文字を綴っていった。やがて一つの文章をしたためると、チョークはことんと下に落ちた。
〔山崎サトミを保護した すぐ白楽天に来い──五六〕
「五六先輩からだ!」
「山崎里美を保護したって、どういうことだ?」
「とにかく行ってみよう」
 雪崩山の号令一下、APのメンバーは中華料理店・白楽天へ向かった。


「あ、来た来た」
 店の外では、おやじが心配顔で待っていた。飯島が先頭で店に飛び込み、急ぎ藻間の下宿している六畳間に上がった。襖は開け放たれており、中には布団に寝かされた里美と、それを挟んで見守る五六と藻間の姿があった。五六が飯島と雪崩山だけを部屋に入れ、あとの四人は廊下にいるように言うと、飯島に向き直って経緯を話し始めた。
「俺と藻間はここにフーチを取りに来ていた。そうしたら、下でなにやらおやじさんが慌ただしくしてるんで見てみると──」
「サングラスにマスクの男が彼女を抱えて走り去ろうとしてたのさ」
 藻間が続ける。
「そりゃやっぱ怪しいわな。で、おれと五六が男をとっつかまえて彼女をひっぺがしたんだ。そしたら賊のやつ、驚いたことに」
「テレポートして逃げたんだ」
「テレポートですって?」
 E研の安藤にはテレポート能力はない──少なくとも、飯島には初耳である。
「いや、安藤とは限るまい。テレパシーをぶつける役目は安藤でも、実際に彼女を誘拐したのが安藤とは断定できないからな」
 五六がつけ加えるように言う。
「そいつの人相は? 身長・体重は?」
 しかし、その飯島の質問は無駄であった。里美の介抱に手一杯だったおやじは相手の男が黒いコートを着た背の高い男だと言う以外は全く覚えていなかったし、それに関しては五六も藻間も同様であった。
 飯島は五六と藻間の顔を交互に見、襖の奥に横たわる里美を見た。
 里美は可愛い寝息を立てていた。気絶、ではない。睡眠だ。何故眠っているのか? 飯島は妙に気がかりになっていた。
「何でそんなに簡単に彼女を手放したんだろう?」
 飯島のこの問に、雪崩山は視線を里美に向けたまま答えた。
「相手に何か不都合なことが起こったとしか考えられん。ま、当然と言えば当然だ。誘拐したところで彼女がE研のメンバーになるとは限らないし、第一よく考えたらこの行為はやつらにとって逆効果だ。E研のイメージを悪くするばかりだからな」
 一理ある。これは一種の挑戦状なのだ。どのような手段を講じてもAPには渡さないという、E研の激しい敵対意識の表現なのだ。ならば、降り懸かる火の粉は除う以外にない。
「面白いじゃない。彼女をE研なんかにゃ絶対に渡さないぜ!」
 そんな飯島の言葉にAPのメンバー全員が頷いた。
「E研許すまじ!」「安藤許すまじ!」とそれぞれ勝手にシュプレヒコールが上がった。
「ん……」
 そんな騒がしい声で、里美は目を覚ました。何故自分がこんな所にいるのか、何故今まで眠っていたのか、彼女には全く理解出来なかった。ただ、周りを取り囲んでいる人々は、自分の「味方」であるということは分かった。何故なら、一番良く見える場所に、飯島と雪崩山の顔があったからである。
「気がついたね。大丈夫?」
「私……どうしていたんです」
「事情は後で話す。もう少しゆっくり休んでいていいよ」
 飯島の優しい声に、里美は落ち着きを少しづつ取り戻していった。そして自分の身に起こった出来事を思い出し始めていた。ホールで飯島を待っていたこと、そこでAPの四年という男に声を掛けられたこと、そして……いきなり、この部屋。
「麻都……須って」
 飯島が反応した。里美は飯島の方を向いて、もう一度言った。麻都なる人物はAPには存在しない。それに第一、APのメンバーは全員この藻間の部屋に集まっていた。里美は各人の顔をゆっくりと見回したが、やはりあの麻都と名乗った男はいなかった。
「麻都ね……E研にもそんな名のやつはいなかったと記憶するが」
 藻間のこの意見も、安藤が偽名を使ったに過ぎないという見解で否定された。犯人はE研に決まっている──他に考えられないのだから。
「やっぱりE研に彼女を渡すわけにはいかないな」
 雪崩山は立ち上がりつつ皆に言った。
「よし、ここで彼女をAPのメンバーと決定する。異義のあるものは?」
「なくて当然!!」
 笑い声が白楽天の建物全体に響き渡った。


「今日はさんざんだったね」
 夕焼けの真っ赤な空を見上げながら、飯島は里美に言った。里美は小さくうなずくと、飯島に視線を送らず下を向いて言った。
「何て言ったらいいのか分からないけど……飯島さんがそばにいてくれれば」
 二人は歩みを止めた。里美は、自分の言ったあまりに含みの多い言葉に思わず赤面していた。飯島さんはこの言葉をどう取っただろう──そんな彼女に飯島は微笑むと、手を差し延べた。
「今日は意外と寒い、どこかで飯でも食って早く帰ろう」
 里美は大きくうなずいた。長い髪がふわりと揺れる。そんな二人の背後に、黒い影が身をひそめて立っていた。黒いコートを纏った背の高い男──里美に麻都と名乗った、あの男であった。
「広樹の馬鹿が……お陰で計画がぶち壊しだ。よりによって、あの店の前を通るとはな……わしが転移させたからいいようなものの──まあいい。もう少し利用させてもらうか」
 呟きおえた口をきゅっと閉じると、麻都はその黒いコートで体を隠すかのようにその場を去った。

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