アミューズメント・パーティOnLine
9  思い通りの物語

「飯島さーん!」
 名東は心の中で叫んだ。
 校内、近辺、飯島のいそうな場所はほとんど回り尽くしていた。もう名東には、飯島のいそうな場所は思いつかない。彼の頭の中には、飯島を発見するという一つのことで、一杯の状態であった。
 B大学の敷地を出るとすぐに、大きな通りがある。その通りを北上するとお茶の水駅があるのだが、駅の周囲の店には飯島の影すら発見出来なかった。大通りを南下すると神田のスポーツ街と古本街があるのだが、その方向も回り尽くしていた。
「絶望……」
 名東の身体はくたくたに疲れていた。精神の疲労と肉体の疲労のダブルパンチで、彼は歩くのでさえままならなくなっていた。
「もう、こうなったら……」
 名東は最後の気力を振り絞って、人込みの中を駅に向かった。彼は、既に飯島はお茶の水界隈にいないのではないか、と考えたのだ。ただ、電車に乗ったところで、飯島がどの街に向かったかなどは皆目見当がつかない。それでも名東は、北に向かってゆっくりと歩いていった。
『無駄だ。飯島が帰って来たところで、君らに勝ち目はないのだ』
 名東はその強烈なテレパシーを直に受け、その場に倒れた。通行人の間から、悲鳴に似た声が上がった。
「ぐわああっ!」
 同時に、セレファイス内の割澤もまた、頭を抱えて転がり出した。五六が駆け寄り、ソファに彼を寝かせた。
「冗談じゃない! 貴様などに負けてたまるか!」
 そう怒鳴る雪崩山の額には、玉の汗が吹き出していた。セレファイス内の温度が、急上昇していたのである。空調施設は死んだように停止したままであり、窓を開けてもドアを開けても空気の流入がないのだ。温度が上がり、空気がこもり、二酸化炭素の濃度は次第に上昇していった。
「……何とかならんもんかねぇ、この状況」
 比較的のんびりした口調で藻間が言った。しかし、これは決して悠長に構えたセリフではない。藻間が不服を口にすること自体がかなりの状態なのである。雪崩山は額に汗しながら必死に脱出方法を考えていた。
「壁や窓を破壊しても、あの精神障壁とやらが破れない限り、俺たちはここから出られないわけだ。厄介だな」
「雪崩、お前のPKでも無理か」
「おそらく駄目ですね、藻間さん。いくらPKが物理法則をねじ曲げるって言っても、こいつはいわばPKのオリだ。磁場とかは曲げた経験はありますけど、PKそのものを曲げたり無効化させたりは……」
 そこまで言って、雪崩山はずっと自分の腕の中にあった重さが、すっとなくなるのに気づいた。
「山崎……!」
 その名を呼ぶ暇もなく、里美は雪崩山の腕の中からすり抜け、床面に膝をついていた。雪崩山の反射神経のたまものか、危ういところで頭を打つには到らなかったが、その衰弱ぶりは異状を示していた。
「おい、山崎さん! どうした?」
「雪崩、彼女も寝かせよう。こっちへ連れて来い」
 五六の提案で、里美も割澤同様にソファに寝かされた。その表情は衰弱しきっており、顔色こそ薄いピンク色を保っていたが、発熱症状を併発していた。
「精神障壁の悪影響か……?」
 藻間が心配そうに言う。奥からマスターが、冷えたおしぼりを持ってやって来た。里美の額に一つ、割澤の額に一つ、そして残りのメンバーにもおしぼりは配られた。
 一服の清涼剤とは、まさにこのことであった。
「みんな頑張れよ。俺たちが学生の頃は、学校側との戦いはこんなもんじゃなかったぜ」
 マスターはそう言うと、一つぎこちないウインクをしてみせた。
 こころ和む瞬間であった。
 しかし、その和んだ雰囲気も一瞬にして断ち切られた。店内の照明が一斉に消えたのだ。
「しまった。電気を切られた!」
 精神障壁が、ついにセレファイスから文明の恩恵をも奪い去ってしまったのだ。これでクーラーが効かなくなり、温度の上昇は決定的となった。
『無駄だ。お前たちは一生そこから出られずに、人知れず死んでいくのだ。そのお嬢さんを渡してくれないならな』
 麻都のテレパシーが再びこだました。割澤はその声を必死にブロックしている。雪崩山は拳に力を込め、壁に向かって言い放った。
「許さん! 貴様、絶対に許さん! 必ず貴様の卑劣な罠から抜け出してみせる!!」
 にらみつけた漆喰の壁に大きなヒビが走った。


「どうしました?」
「人が倒れているんですよ」
「突然うずくまって……」
 坂の途中の狭い歩道に黒山の人だかりを見つけたのは、ほんの偶然であった。小川は、何の気なしに、その輪の中心にいる青年を見た。
「名東君!?」
 小川は輪を崩して中に入り込み、名東を抱え上げて言った。
「どうしたんだ名東君。一体何があったんだ?」
「お知り合いの方ですか?」
 それまで名東の様子を見ていた人の一人が、小川に向かって尋ねた。小川は短く説明すると、急ぎその場を離れるべく名東を担いだ。細身の小川の、どこにそんな力があるのかと思われる程、その担ぎ方は豪快であった。
 彼は名東を、大学構内へと担ぎ込んだ。中庭の芝生に名東を降ろし、自分も腰を降ろした。
 小川には、僅かながらに医学に対する知識があった。名東の衰弱を、いわゆる病理的なものではなく、精神的な、しかもテレパス特有の衰弱であると判断したのである。彼は自分のハンカチを近くの水飲み場で濡らし、それを名東の額に当てた。
 次第に日差しは傾きつつあった。三限終了のチャイムが、辺りに鳴り響いていた。
(名東君)
(……小川さんですか……)
(口はきかなくていい。簡単に説明してくれないか。君の衰弱は異常だ。なぜここまで精神が弱まっているんだ)
 小川は名東の額に直接手を当て、接触テレパシーによる会話を開始した。これは小川の名東に対する配慮であったのだが、これは更に、麻都に又聞きされずに済むという副次的なメリットをも生み出していた。
 静かな会話であった。
(……飯島さんを……捜して……)
(飯島を? 何でだ)
(セレファイスが……APのメンバーが皆んな……壁……壁の中に捕まって……)
(何だって? 理解らない。。壁だって?)
 小川は身を乗り出していた。未だ微動だにしない名東の口元をじっと見る。名東は、目だけを動かしていた。呼吸が少しづつ整ってきているのが、外からも判る。
「麻都……須……」
「アザト?」
 小川は名東のその口を制した。まだしゃべるには、肉体の回復が追いついていない、そう小川は判断していた。
(麻都とは? 壁とは?)
(判らない……飯島さんを早く見つけて……)
 小川の脳は高速回転を始めた。
「あれ? 名東君、どうしたの? 顔色が随分悪いじゃないか」
 小川が振り向くと、その声の持ち主は軽く会釈してきた。見覚えのある顔である。その男が、再び同じ質問を、今度は小川にしてきた。
「E研の小川さん……でしたよね。以前、飯島から紹介されたことがあるんですけど……覚えてませんよね? 写真部の黒田と言う者です。ところで名東君、どうかしたんですか」
 黒田。小川は思い出していた。APのミニコミ誌『アミューズ』の専属カメラマンだ。飯島とはくされ縁の友人で、APにはかなり深く入り込んでいると聞いている。お調子者だが、頼りになる奴だ──そんな飯島の声が、すぐそばから聞こえてきそうであった。
「名東君は少しばかり気分が悪いそうだ。君、もしよかったら少し一緒にいてやってはくれまいか。私はこれから用事があってね」
「そりゃ構いませんが……保健室に連れていった方が良かありませんか」
「そうだね」
 そして二人は名東の両肩を抱えると、彼を保健室に連れていった。
「時に黒田君」
「はい」
 黒田は小川の方を見て答えた。小川は黒田の目を見返し、心の奥を覗いた。
「君、今日は飯島君に会ったかね」
「ええ。会ったっつーても、擦れ違っただけですけどね。あれは昼前くらいだったかなぁ。髪の長い、えれぇ美人の娘と一緒に駅で会いましたよ。声掛けちゃ悪いと思って、黙って擦れ違いましたけどね」
「……ありがとう」
 名東を保健室に預けると、小川は早足で駅に向かって行った。
 黒田の心の中から読んだ情報を、再び噛みしめるように思い出し、整理する。
(髪の長い女性……彼の見た映像から予測すれば、その女性は麗子君だ。擦れ違った場所は新宿方面のホーム……彼の見た映像からの予測では、乗ったのは総武線ではなく、中央線快速だろう。なら、彼の目的地は四谷、新宿、中野……だいぶ絞れた!)
 小川は定期券で駅に入った。


「待ってくれ。それとこれとは……」
「関係ないとおっしゃるの?」
 飯島は少しばかり混乱していた。この新宿の喫茶店「ぷあぞん」に入って、既に三時間が経過していた。麗子が話をしたい内容と、飯島が聞きたい内容の食い違いは徐々に広がり、また麗子がビールをぽこぽこと飲むようになってから、その話題の方向はばらばらになっていた。仲間が危険に晒されていることも知らず、飯島と麗子はうだうだと長話をしていた。
「だから、君の言いたいことは判った。で、俺に何をしてもらいたいわけ?」
 ついにしびれを切らせて飯島が言った。麗子の眼は酔いで潤んでいた。そっ、と伊達メガネを取り、怪しげな視線を飯島に送る。
「最近、勇次クンが冷たいのよ」
「へ?」
 話の筋がもう一本ずれた。飯島は呆気にとられて言葉を呑んだ。麗子は意味不明の微笑みを浮かべながら、ゆっくりと続きを口にした。
「勇次クン、浮気してるんだ……もう四年も付き合ってるんだから、そのくらいは判るわ……でも、その相手が」
 細い指がすっと伸びる。飯島の眼前に、薄いピンクのマニキュアが光った。
「キミなわけ」 
 飯島は、目を寄せて絶句した。しかし、その目は重要なものを発見して正面に戻った。麗子の手を発作的に取り、その腕に巻かれた時計を見る。
 三時三十六分。
「御免、ちょっと電話してくる」
 そう言って飯島は席を立った。彼は遂に思い出したのだ。今日の午後一時、セレファイスで臨時部会を開くという雪崩山の言葉を。
「えーと、二六一の、と……」
 飯島は待った。しかし、セレファイスには繋がらない。ウンともスンとも言わない。電話器の故障かとも思われたが、少なくとも現在使用している公衆電話に故障はないようだ。
「変だな」
 飯島は受話器を置いた。その時彼はふと、嫌な予感を感じていた。だが、麗子を置いて一人で帰るのも不義理であるという考えが、その予感を掻き消してしまっていた。
「とにかく、彼女をなんとかせにゃ」
 これだけ遅れたのだから、もう部会は終わっているのかもしれない。それなら、何も急ぐことはないじゃないか。
「どこにお電話?」
「君には関係ない所さ」
 麗子はその飯島の答えにふくれた。「何でそういう答えをするわけ?」麗子の大声に、飯島は思わずその口を押さえに行っていた。百五十席はあるであろう広い店内の客の全てが一斉に麗子と飯島を見た。飯島は恥ずかしさにいたたまれなくなっていた。
「もう出ようよ、石原さん。君は酔いすぎた」
 飯島は、麗子を担ぐかのようにして立ち上がらせると、ゆっくりとレジの方に向かって歩いた。
「まだ話は終わってないわよぉ」
 飯島の耳元で囁くように麗子は言ったが、飯島は無視して払いを済ませ、客人監視の中、「ぷあぞん」を後にした。


「言うまい言うまいと思ってるんだけどね……」
「やっぱり……暑いよな……」
 五六と藻間が、小声でそう言った。腕組みしながらテーブルにどっかと座り、雪崩山は思案していた。
 雪崩山は元々、故雪崩山三郎教授の実験材料に半ば自ら好んで志願し、父と子の関係を超えた再考の信頼関係をもってその能力を増大していった。いわば教育型エリートエスパーである。心理学的、超心理学的、また工学的な超常能力現象のほぼ全てを体験し、理解しているつもりであった。
 しかし、今回だけはままならない。彼は確かに本物の超能力者ではあるけれど、超能力現象の蒐集家ではないのだから。
「精神障壁……」
 未だどの文献にも、こんな奇妙な精神の壁を扱ったものはない。少なくとも、雪崩山教授の書架には存在しない。雪崩山も、いわゆるバリアの概念は理解していたが、それも障害物が飛来もしくは高速接近してくる際に、それをPKをその物体に集中して弾き飛ばす程度にしか考えていなかったのである。この行為すら、並みのサイコキノには到底及ばない高等テクニックなのだ。
「それを……壁として持続させ、しかも全ての能力を無力化させるとは……」
 マイナスの力というやつかもしれない、と雪崩山は思った。そうだとすれば、飯島の力とて通用しないかもしれない。
 もう、試していない能力は、テレポートだけなのだ。
「飯島……さん……」
 里美がうなされているのか、飯島の名を呼んでいる。店内の温度は上昇し、少なくとも体温以上には上がっていると思われる。酸素濃度も先程よりもぐんと下がったように感じられた。かなり息苦しい。
「おいおい、立ったら危ないぞ」
 藻間のその声に振り向くと、里美が立ち上がろうとしている所であった。雪崩山は思わず手を差し延べた。その手を握り、ゆっくりと立ち上がろうとするのだが、足下がおぼつかない。ふらふらとよろめく。
「危ないよ、山崎さん。座っていなさい」
 その声に、半ば無意識に里美は答える。
「……飯島さんは?」
「まだだ」
 五六が冷静に答える。里美は腰を中心にぐらぐらと揺れながら、やっとのことで立ち上がり、雪崩山に寄り掛かった。その表情は歪み、苦しそうに肩で息をしている。
 そんな彼女を見ながら、雪崩山はつぶやくしかなかった。
「一体どうすりゃいいんだ……え? 飯島よ……」
 苦しげな呼吸の音だけが、セレファイス内部を支配していた。

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