アミューズメント・パーティOnLine

14  闇に囁くもの


「セレファイスがなくなっちまって、集まる場所が減ったなぁ」
 雪崩山の言葉が、学生ホールに虚しく響き渡った。周囲の学生たちの中には、その雪崩山の言葉に耳を傾ける者もいない。慌ただしく駆けていく者、大声で談笑しながら歩く者、仲睦まじいカップル……平和な学園が、そこにはあった。
 雪崩山のサングラスには、そんな人々が映っては消え、消えては映っていた。
 アミューズメント・パーティの面々がこのホールから消えて、久しい。現在では、このホールに顔を出す常連APメンバーと言えば、雪崩山と五六だけである。それ以外の人間は皆、何かしら傷を負い、登校を不可能にしている。
 同時に、超常能力研究会の人間もまた、雪崩山の視界から消えていた。E研は、部長・広樹と腹心・安藤の不祥事により、現在学校側から活動停止処分を被っているのだ。学校側の処理も、「とある非公認団体とのいざこざ」をその原因としている。
「セレファイスの一件が学校側に理解ろうはずもない」
 雪崩山は再び、独り言を言った。
 四限開始のチャイムが鳴る。ホールから見える壁時計は、二時を指していた。雪崩山はゆっくりと腰を上げ、肩に革のナップサックを背負った。
「そろそろ飯島もこっちに顔出してもいい頃だと思うんだがなぁ」
 ひとつ大きく伸びをしながら、雪崩山は授業の行われる教室へと歩み出した。
 既に日差しだけは夏であった。廊下の窓から内側に差し込む初夏の光線は、雪崩山にジャンパーを脱がせるのに充分な力を持っていた。脇に脱いだ黒のジャンパーを抱え、サングラスを取りながら、雪崩山はくわえていた煙草を廊下の片隅にある灰皿に投げ捨てた。
「あらら」
 吸殻は見事に灰皿を外れ、床に落ちた。雪崩山はその吸殻を、何の気なしにPKで遠隔操作し、灰皿に捨てた。この程度の仕種ならば、誰も気がつくまい。彼は、そう思っていた。
 しかし、気づいた人間がいた。
「むやみに力、使うべからず」
「五六さんかぁ」
 突然の後方からの声に驚いた雪崩山だったが、声の主が五六であることを確認すると、ほっとした表情に戻った。
「今日は授業ですか?」
「いや、藻間の見舞いにきて、そのついでだ。雪崩、面白い話を聞かせてやろう。藻間の恋物語だ」
「はぁ?」
 普段の五六らしからぬこの言葉に、雪崩山は強い興味を示した。あの、常に沈着冷静で、理路整然とした五六さんが、こんなににんまりとした表情をするとは! 雪崩山の頭の中から、四限の授業は消え去っていた。
 二人は、連れ立って地下の喫茶室へ向かった。
 からん、という乾いたベルの音とともに、喫茶室のドアが開けられる。中は学生で一杯である。
 地下の喫茶室は、決して広い店ではない。四人掛けのテーブル席が六と、ガラスで廊下と仕切られた側に二人掛けが二つある。四人掛けは満員であり、二人は仕方なく二人掛けに席を取った。
 二人はマスターにコーヒーを注文すると、向き合って席に座った。五六は、普段に似合わずにこにこ──いや、にやにやしている。やはり、いつもとは違う。雪崩山の興味は、ますます膨らんでいった。
「で? 何なんです、その藻間さんの恋物語ってのは」
「まあ、そう焦りなさんな。ゆっくりと話そう。それより、まずお前さんには聞きたいことが沢山ある。そっちから解決したいもんだ」
 今日の五六は、いつになくざっくばらんである。やはり、その恋物語がよほど面白可笑しかっただろう。表情や口調につい出てしまうらしい。雪崩山はすぐに話を聞けそうにないことには不満だったが、それを顔に出すわけにはいかない。にこやかに応対する。
「で、何を聞きたいと?」
「……取り合えず、皆んなの容体からだ。名東くんと山崎さんはもういいのかね?」
 雪崩山はジャンパーのポケットから煙草の箱を出し、その一本をくわえながら、答えた。
「ええ、名東はそろそろ退院出来ると思いますよ。精神疲労は入院してなくても回復出来るレヴェルまでいったそうですから。それから、山崎さんはもう岩崎医院にはいませんよ」
 五六は意外そうな表情をした。
「彼女のアパートに何度電話しても留守番電話だ。色々な時間帯を試したが、どれもいない。入院していたんじゃないのか?」
 煙草の灰を灰皿に落としながら、雪崩山は小声でその疑問に応えた。
「飯島の所です」
「何だって?」
「彼女は飯島のアパートです。回復したら、自分のアパートに戻ってもらうつもりです」
 五六はやって来たお冷やをぐっと一息で飲み、そのままコップを握りしめて雪崩山を凝視した。理解に時間がかかっているようだ。そして、理解した後も、精神の平静を保ための努力を行っている様子である。
「ま、飯島が責任を持って彼女の管理はしてくれるでしょう。それに、〈雷羅〉が彼女を狙っているのは明白ですしね」
「一人にしておくのは危険、というわけか……」
 五六も、この言葉には納得したらしい。そんな五六の眼の前を、雪崩山のくゆらした煙草の紫煙が過って行った。
「そういう五六さんだって、藻間さんや小川さん同様、まだ安静期間じゃないんですか?」
 この雪崩山の問いに、五六は軽い笑みを頬に浮かべながら応えた。
「うん、実はそうなんだよね。岩崎先生に言われた安静期間は、あと三日残ってる。でも、俺はどうやらダメージ的には他の二人よりは軽かったみたいだ。だから、こうして学校にも来られるし、藻間の所へも見舞いに行けるってわけだ」
 五六はそう言って、笑った。しかし、その口元にある疲れと痛みの表情を見落とす雪崩山ではなかった。まだ、完治にはほど遠いのである。
「広樹と安藤は?」
 雪崩山は話題を振った。五六は、その話題に乗らざるを得なくなった。
「広樹はもう退院出来るんじゃないのかなぁ。安藤も、そろそろ面会謝絶が取れてる頃だろう」
 今度自分で見舞いに行ったらどうだと言いつつ、五六はジャケットの内ポケットからメモ帳を取り出し、そこに簡単な地図と病院の住所と名称を記入した。雪崩山はそのメモをじっと見入っていた。初めて聞く名の病院だった。しかし、だからといって、特に問題はあるまい。雪崩山はメモを見ながら、そう思っていた。
 メモを受け取り、ジャンパーのポケットに仕舞っていると、テーブルの上に軽い陶器の弾け合う音とともにコーヒーがやって来た。
「ありがとう」
 ウェイトレスの少女は、その何気ない雪崩山の一言ににっこりと微笑んだ。少し細めの、髪の短い、眼の大きな少女であった。眼を合わせた瞬間、雪崩山の脳に電流のようなものが走った。その、身長が一五○センチ程度しかない、高校生のような華奢な少女に、雪崩山は何かを感じたのである。
 その感覚は、以前にも感じたことのあるものである。ただ、その感覚が、例えば一目惚れとかそういった類のものでないことは確かであった。
 どちらかと言えば、麻都や翼曽に感じたような──敵の臭いである。
 しかし、その少女は、雪崩山に振り向く隙すら与えなかった。
「どうした? 雪崩」
 その五六の言葉が耳に届いた時、既に振り向いた雪崩山の視界には、そのウェイトレスの少女は存在していなかった。
「今、ここにコーヒーを運んできた……」
「マスターだよ。俺がここに入って以来、ずーっとこの喫茶室はあの人が営ってるぜ。それが何か?」
 雪崩山は暫し呆けた。そして、はっと気づいた。
 この喫茶室には、最初からウェイトレスなど存在していなかったのだ。
 そして、自分のコーヒー皿の下に、小さく折った紙片の存在を知り、さらに愕然とした。


 あまりごろごろしていると、身体がなまって仕方がない。飯島は、やおら起き上がると、上半身裸になり、部屋の真ん中で腕立て伏せを始めた。
 四、五回で汗が吹き出し、十回を越えるころには、腕や腹、足に軽い痙攣が起こる。暫く身体を動かさないだけで、このザマだ。飯島は心に喝を入れながら、黙々と腕立てを続けた。
 一回腕を折り、一回腕を伸ばすたびに、様々な出来事が飯島の頭の中を駆け巡った。麻都戦も翼曽戦も、俺が奴らを追っ払った? この、一介のテレポーターが? 里美がアンプリファイア? 俺の能力を増幅? その言葉が額面通りなら、俺の能力の増幅とはテレポート能力の増幅であり、距離や回数の増加を意味する。なのに、麻都や翼曽を追っ払った? そんな馬鹿な……。
「二十……ごげ!」
 飯島は二十二回でへばった。肩や胸の筋肉より、腹筋が痛んだ。上半身は、頭の先から臍下まで、汗でぐっしょりだった。鼻の頭を汗が伝って落ちる。
「情けなや……この程度の回数で……」
 ごろん、と畳に大の字になる。息が次第に整っていく。天井の木目がいやにはっきりと認識出来る。まさしく眼のような形状をした木目が、飯島を天から睨みつける。飯島も負けじと睨み返す。暫く、無言の睨み合いが続いた。
 睨み合いの間も、飯島の思考は途切れることはなかった。雪崩山の言葉が、今一つ飲み込めないのだ。あれで全てなのだろうか? 岩崎医師団の調査は、あれで終わりなのだろうか? 確かに、里美がアンプリファイアであるならば、麻都や翼曽が欲しがるのはある意味で当然だろう。彼らは彼女がアンプリファイアであることを知っていたのだ。だから、執拗に追い掛けてくる。〈あの方〉とかいう人のために……。
「〈雷羅〉、か……」
 組織が里美を狙っている。しかも、その組織は前代未聞の超能力戦闘集団だ。警察だろうが軍だろうが、奴らの相手には不足だろう。だからといって、APのメンバー程度の能力で歯の立つ相手ではない。
 俺と里美を掛け合わせた例の〈神格〉パワーを持ってしても──飯島の思考はここで途切れた。
 彼は急激な疲労感から、うつらうつらと寝入ってしまったのだ。
 そんな寝顔を、襖の影から里美は見つめていた。
 初めて口づけを交わしたあの日から、二日が経っていた。里美の回復は予想以上に早く、本来なら昨日にでも彼女は自分のアパートに戻れるほどの体力を回復していたのだ。 しかし、それを拒んだのは、飯島のほうであった。身体が完全になるまでは、ここにいたほうが安全で守りやすい──事実である。下心がないとはいえないが、これは飯島流の親切心からの言葉であった。
 もちろん、里美は素直に従った。彼女とて、彼と離れたくはなかったのだ。すぐ近くに護ってくれる人がいる──彼女たちのように感覚の研ぎ澄まされた能力者たちの一目惚れは、決して感情に流されたものではなく、一種の予知であるとも考えられるのである。
 里美はそっと布団から抜け出し、ピンクのスウェット姿(飯島が近所のディスカウントショップで買ってきた)を露にした。長い髪は後ろで束ねられ、その頬は少し痩せたような印象を受ける。ただ、体重にはさほど変化は出ていなかった。
 自分の枕元にあったタオルを流しで洗い、硬くしぼって飯島の身体を拭く。それでも、飯島は眼を覚まさない。彼の眠い眠い病は相当なものである。里美はそんな飯島に微笑みかけながら、上半身をくまなく拭いた。
 シャツを着せる段階になって、里美は自らの非力を悔やんだ。飯島の上半身すら自分には起こすことが出来ないのだ。仕方なく里美は、自らのスウェットの上を脱ぎ、飯島の上半身に着せた。トレーナー式でなく、前面がジャンパーのようにファスナー式であったのが幸いし、里美はどうにか飯島にスウェットを着せることが出来た。
「ちょっと小さいかな」
 飯島は決して大きな男ではないが、さすがにSサイズのスウェットは彼には小さすぎたようである。ファスナーをしめながら、里美はまた微笑った。
 飯島の寝息は、相変わらずのリズムを保っていた。窓からの初夏の風が部屋を洗い、里美はぶるっと一回身を振るわせた。まだ一回も着ていないからと言って飯島がくれた黒いタンクトップ一枚になってしまった里美は、他に着る物を探して部屋を見回した。
 いわゆる洋服ダンスというものは、この部屋には存在しない。木のものはおろか、ビニールのものすら、である。では洋服は一体どこにあるのかといえば、それは押入れである。押入れの中に洋服を掛けるスペースがあり、飯島はそこにハンガーで洋服類を掛けてあるのだ。
 この部屋には押入れが二つあり、一つがこの洋服入れになっている仕切りのない押入れであり、もう一つが現在里美の寝ている部屋の、上段に布団、下段に「押入れと書いてあるからといって、押し込んじゃいけませんねー」でお馴染みの透明プラスティック五段重ねの整理箱が入れてある押入れである。
「でも、勝手に開けたら怒るかなぁ」
 ひとり呟き、里美は唇に人指し指を当てて考えた。そして、いつの間にかこの風の涼しさに馴れている自分に気づき、押入れを開けることを断念した。
「いいや。別に寒いってわけでもないし。このタンクトップ、ちょっと大きいけど……」
 脇の大きく開いた自分の身につけているタンクトップを見て、里美は言った。飯島のサイズに合わせて購入されたのであるから、里美に大きいのは当然のことである。ただ、Tシャツの大きいのは着るのに困らないが、タンクトップの大きいのは着方に障害が生ずる。
 里美はそれに気づき、軽く赤面しながらそっと胸を覆うように腕を組んだ。
 この四日の間、飯島は様々な彼女の世話をした。服も買った。銭湯も紹介した。当然、シャンプーだの石鹸だのも買った。食べ物も気を遣った。
 しかし、彼にも不可能な買物がひとつだけ存在した。
 ブラジャーである。
 パンティーはコンビニエンスストアにも置いてある時代である。しかし、ブラジャーだけはサイズやデザイン、装着感などの諸問題もあり、また飯島も言い出しにくかったのか、ついにその購入は成し遂げられなかったのだ。
 故に、彼女は今、ブラジャーをしていない。
 常に寝ているのだから必要ない、と里美も思っていた。寝ている時は外しているのだから。
 しかし、よく考えてみたら、いくら寝ている時のほうが確率的に高いとはいえ、起きて飯島の前に出ることは予想出来たはずである。
 二日前の時は、病院から直接この部屋に来て、そのまま眠りについていた。だから、服を着替える暇もなかった。
 しかし、今は違う。こうして起きて飯島を見ることも出来るし、銭湯に連れられていくことも出来る。
「やだ……何で銭湯に行ったときに気づかなかったのかしら……」
 毎度のことながら、里美は自分の行動の迂闊さを恥じ、その顔を赤らめた。心臓の鼓動が、布と擦れる揺れる胸の皮膚感覚に変わる。
 ひとり悶々と顔を赤らめる里美の存在を、飯島は全く知らないでいた。
「こんにちはぁ」
 そんな精神状態の時である。突然の扉の外からの通る声に、里美は仰天した。まさに飛び上がらんばかりに驚いたのである。そして、数秒の間。声を発した人間も、その声を聞いた人間も、双方の行動を理解しきれないようであった。
 そして、再び通る声が扉の外から響いた。
「こんにちはっ。飯島洋一さんのお宅ですね。洋一さんいらっしゃいますかぁ」
 女性の声である。それも、すこぶる若い。声の感じだけでは、里美よりも若い。中学生か高校生のような声だ。里美は声の主の正体が分からず、途方に暮れた。出るべきか、出ざるべきか? 飯島に他に彼女がいるという話は聞いたことがなかった。電話は留守番電話になっているから出なくていいとは言われていた。しかし、来訪者については全く聞かされていない。もし相手が親戚の子とか何かだったら、自分のことをどう説明すればいいのか?
「は、はーいっ」
 しかし、里美は返事をしてしまった。もう、居留守は使えない。里美は髪をなでつけ、恐る恐る扉に近づいていった。ドアチェーンをつけたまま、鍵を開けて外を覗く。
 少女だった。里美よりも小さい。背丈も、年令も、である。明らかに十五・六の、輝く大きな瞳を持つ少女である。眼の大きさでは里美もかなりのものだが、少女の瞳はそれ以上に大きい。そして、海のように深い濃緑色を湛えていた。日本人には違いないのだが、純粋な日本人かどうかは、はっきりとは言えない──そんな感じのする少女であった。
「お姉ちゃん……洋一さんの恋人?」
 いきなりの質問に、里美は再び赤面した。少女の言葉に毒は一切感じられなかった。それだけに、里美は怒ったり不機嫌になったり出来なかったのだ。
「な、何か御用?」
 そう言うのが精一杯だった。少女は短い髪に手を入れながら、大きな眼を輝かせて言った。
「これ、洋一さんに渡してほしいの。きっと渡してね」
 少女の手に握られていたものは、よく女子高生が〈手紙〉と称して授業中に仲間に廻す、複雑な折り方をした小さな紙片だった。
「これを……飯島さんに?」
 少しかがみ気味になってその紙片を受け取った里美は、左手で胸元を抑えながら言った。
「ところで、あなた……あれ?」
 里美が頭を上げた時、既に少女の姿は、その扉の細い隙間からは見えなくなっていた。
「ちょっとお!」
 急いでドアチェーンを外して外へ出たが、少女の姿は里美の視界には全く入らなかった。急いで階段を下ったのであれば、鉄のガンガンという音が残るはずである。しかし、それすらも全く聞こえなかった。
 立ちすくむ里美の身体に、風が強く吹きつけていった。


「へえ〜、なるほどねぇ」
 雪崩山は消えたウェイトレスのことが気になっていたが、五六の話もまた興味を持って聞くことが出来た。藻間とイグと名乗った少女との、出会いの話である。五六の口調からすれば、藻間はよほどこの出会いに感動したらしく、自ら「恋物語」と称したほどであったらしい。
「藻間さんにそんなおいしい話があったとはねぇ」
 雪崩山は二杯目のコーヒーを飲みながら、五六に言った。あの、恋愛などに全く縁のなさそうな藻間が、横浜埠頭で出会った謎の美少女と「恋物語」……五六も本気で面白がっていた。
 傷心の藻間の前に現れた、謎の美少女イグ。その純粋な心は藻間の心に共鳴し、二人はその瞬間から意気投合していた。わずか一時間の逢引であったが、二人の心には互いの姿がしっかりと焼き付けられていた。
「あのカタブツの藻間さんが惚れたんだから、きっと相当の美少女だったんでしょうね」
 五六は頭を縦に大きく振った。頷くという行為以上のものを感じさせるゼスチャーであった。
「うん、奴の言うには、とにかく長い黒髪の綺麗な少女だったそうな。こう細身で、とにかく小柄。ま、奴はでかいからな、本当の身長がどのくらいかは分からんよ。で、眼が大きくて瞳が輝いていて……」
 細身。小柄。眼が大きい。瞳が輝いて……。
 雪崩山の頭の中に、一人の少女が結像した。
「さっきの……!!」
 雪崩山は急いでズボンのポケットから先程の紙片を取り出し、開いた。
「何だそれ」
 五六は怪訝そうな眼でその紙片を見た。五六は、その紙片の存在はおろか、ウェイトレスの姿も知らない。
「……!!」
 内容を一瞥すると、雪崩山は突如喫茶室を飛び出した。五六はただ茫然と、その光景を見ていた。そしてその足元に落ちた紙片を広い、内容を読み、雪崩山の飛び出した原因の一つを知った。
「マスター! 勘定、置いてくぜ!」
 五六も同様に、雪崩山を追うべく駆け出していた。


 電話のベルがけたたましく鳴った。しかし、里美は出ない。留守番電話のスイッチが入っているからだ。ランプがつき、テープが回り始める。
「はい、飯島です。ただいま外出しております。御用のある方は……」
「馬鹿野郎、飯島、出ろっ! 俺だ、雪崩山だ! 二人ともいないのか!?」
 雪崩山の罵声が、飯島の部屋一杯に鳴りひびいた。これは出るしかない。里美は恐る恐る、受話器を取った。
「はい、飯島です」
「その声は山崎さんか? 飯島の馬鹿は?」
 里美は寝入っている飯島をちらっと見て、
「あの……寝てます」
「起こせ! いや、起こしてくれっ」
 雪崩山は相当に焦った声を出している。里美は仕方なく、飯島を揺り起こすべくその肩に手をかけた。何度か揺すってみる。声もかける。しかし、飯島は容易に起きようとはしない。
 里美は受話器を取って雪崩山に言った。
「あの……起きません」
「ヴ……」
 雪崩山は勢いを削がれ、押し黙ってしまった。里美は電話機のスイッチを開放し、受話器なしでも会話出来るようにセットして、再び飯島を起こしにかかった。
「飯島さぁん……」
 何度も何度も揺り起こす。しかし、飯島は起きない。強度の低血圧らしい。その様子は、受話器の向こうの雪崩山にもありありと伝わっているらしく、一度は絶句した雪崩山も再び絶叫し始めた。
「飯島ぁ、手前、起きろおおっ! 翼曽の挑戦状が届いたんだぞおおっ! 一大事なんだぞおおっ!!」
「何だってぇ! 翼曽のぉ!?」
 飯島が突然、がばっと身を起こした。その身を起こした先には、里美が彼を揺り起こすべく、三たびその肩をつかもうとしていた。
 二人はもんどり打って畳に倒れ込んだ。里美が下に、飯島が上になって、二人は暫く互いの状態を理解出来ずにいた。
「……ごめん」
 飯島がゆっくりと身を起こす。里美は素早くその胸を両腕で押さえ、飯島に背を向ける。
 沈黙。
「何やってんだよー、飯島ぁ! 翼曽の挑戦状が──」
「ちょっと待ったらんかい、われぇ!」
 飯島は電話機に向かって怒鳴り、里美の肩に手を当ててもう一度詫びた。
「ごめんよ。わざとじゃないんだ。わざとじゃ……」
「……これ」
 里美は、あの謎の少女からもらった紙片を飯島に渡した。脈絡を理解出来ないままに飯島はその紙片を受け取り、中を見た。
「!! これは……!?」
 素早く身を翻すと、飯島は受話器を取って雪崩山に怒鳴りつけた。
「来た! 俺の所にも、翼曽の挑戦状が、来てたぞ!」


 その夜、飯島のアパートには四人のAPメンバーが集まっていた。
 飯島、里美、雪崩山、五六の四人である。
 四人が車座を作って座っている。その真ん中には、里美と飯島の作ったオードブルの大皿、一人一人にコップが配られ、里美がオレンジジュースを、他の三人はキリンのラガーを開けている。しかし、その酒量は決して多くはない。今夜は飲み会ではないのだから。
「もう一度、お前のもらったほうを見せてくれ」
 雪崩山が言う。飯島は、傍らの机の上にある小さな紙片を広げ、雪崩山に渡した。
 何度見ても、雪崩山の持つ紙片と、この飯島の持つ紙片には、寸分の違いもなかった。
 この二つの文章は、全く同じワープロから打ち出されたものであるらしい。紙片の大きさ、折り方まで全く同じである。重ねたら、多分折り目も合致するだろう。
 四八ドットの文字が美しい。雪崩山の眼が文章を追う。それは、こう読めた。


親愛なるアミューズメント・パーティの諸君

 貴殿達には積もる恨みもあるし、目的は果たさねばならない。
 貴殿達との決着の刻が来たのだ。今夜、飯島洋一君のアパートに使者が訪れる。その者に、貴殿達の今後を聞かれるべし。
 このお誘いを承諾してくれることを、切に願う。


〈雷羅〉・翼曽通 
 

使者、か……」
「翼曽本人ではない、ということですかね」
 雪崩山はうなる五六に尋ねた。多分、と五六は頷きながら答えた。では、一体誰が来るのか? また、「今夜」とはいつのことを言うのか?
「ま、今夜襲ってくるってわけじゃないんだ。もう少しリラックスして待とうじゃないですか」
 飯島はつとめて明るい。酔わない程度にビールを飲み、腹一杯にならない程度におつまみを食べる。
「しかし、挑戦状とはまた古典的な手ですねぇ」
「それだけ相手には自信とプライドがあるってことさ。俺たちなんかは相手にならんよ、せいぜい準備しておけってね」
 五六は極めて冷静に言った。雪崩山は少々イライラしてきたらしく、煙草をむさぼり吸いはじめた。部屋に紫煙が充満する。
「雪崩山、過度の煙草は能力に悪いっていつも言ってたじゃないか」
「吸わずにはいられん。お前、よく平静を保ってられるな。信じられん図太さだ」
 雪崩山は意外に神経質だ。言いようのない恐怖に弱い。はっきりと否定出来ない驚異に対して、人はその性格をはっきりと出す。五六は冷静に、飯島はつとめて明るく、そして里美は献身的に。
「それは人それぞれってヤツだ。お前さんに言われる筋合いのもんじゃない」
 飯島も少々むっと来たのか、ビールをぐっと一気に飲み干し、次を手酌した。里美はそんな飯島の傍らにぴったりと寄り添い、離れようとしない。彼女の右手は、軽く飯島のトレーナーの裾をつまんでいた。
「こんばんわー」
 そんな、ぴりぴりした四人の耳に、突然部屋の外から声がかかった。全員がその声に驚き、一斉に飛び上がったのは、言うまでもない。
「誰だ!?」
 飯島が扉を開けようと玄関に歩み寄る。と、その途端、その脇を里美が素早く擦り抜けて扉に向かった。
「昼間の娘ね? そうでしょ? そこにいてよっ!」
「昼間の娘?」
 昼間の娘──里美に〈手紙〉を渡した少女か! 飯島も里美に続いて扉に張りつき、素早くドアロックとドアチェーンを外した。
 扉は大きく開かれたが、外は漆黒の闇があるのみだった。人間のいた痕跡──気配すら、ない。後から雪崩山と五六もやって来ていた。
「下へ降りる!」
 飯島は靴に履き代えると、階段に頼らず直接階下に飛び下りた。雪崩山も続く。五六と里美は階段で降りた。小さな街路灯に照らされたアパートの前の地面にも、気配はなかった。アパートの敷地の外の空き地や道路、隣のアパートとの間など、人の隠れられそうな場所を隈なく探したが、彼らはついに人影すら発見することは出来なかった。
「どうなってるんだ……」
 雪崩山は天を仰いで言った。テレポートか? それならそれで不思議ではない。しかし、そうなると〈雷羅〉の人材が相当膨大であると考えざるを得ない。〈雷羅〉には一体何人のテレポーテーション能力者が存在するのか?
「駄目だ。本当にテレポートしたのかもしれん」
 その雪崩山の言葉に、飯島は唇を噛んだ。テレポーテーションは逃避には最高の能力である。どんなに優れたテレポーターでも、目の前でテレポートされたら、それを追うことは出来ない。いつ、どこに逃げた相手が現れるかも分からない。
 そんな、自分と同じ能力を持つ敵に、飯島は言いようのない怒りを感じていた。
『心配はいらないわ。あたしはテレポートして逃げたわけじゃないもの』
 声が闇の中から響いた。最初、四人が四人とも、この声を麻都や翼曽と同じく強制テレパシーであると錯覚した。しかし、違う。これは肉声である。はっきりと、聞こえてくる方向が分かるのだ。四人は、その声のする闇の方向へと走り出していた。
『無駄よ。あたしを見つけることは出来ないわ』
 囁きに近い声が、四人の前方から流れるように聞こえてくる。四人は走る。しかし、走っても走っても闇が切れない。街路灯の数から言えば、こんなに闇の空間が多いはずはない。しかし、闇は一向に切れる気配を見せなかった。
『そう。あたしは絶対にあなたたちには捕まらないわ。あたしは闇に同化するのよ。〈雷羅〉よりの使者として、姿を見せられないのが残念。声だけの伝達なら、電話だっていいんですものね』
「駄目だ。本当に駄目だ」
 最初にへばったのは、意外にも飯島だった。里美も同時にアスファルトに膝をついた。雪崩山と五六は足を止め、相手の術中にはまったことを後悔していた。しかし、それでは何の解決にもならない。雪崩山は大声で闇に向かって言った。
「〈雷羅〉よりの使者と言ったな。翼曽のメッセージを持ってきたんだろ? 言えっ!」
『いいわ。教えてあげる』
 悪戯っぽい声で、使者は言った。
『翼曽は焦ってるわ。あなたたちが意外と手強いもんだから、おじいちゃんに叱られてるのよ。そんな翼曽からのメッセージを言うわ』
 ここで使者は言葉を切った。一瞬ではあるが、真の闇が四人の周囲を覆った。
『えっと……場所は御茶の水のあなたたちの大学構内よ。日時は、と……あさってね。お昼すぎってところかしら。みんな、学生ホールに集まっていてね。あさってなら、怪我した人たちも何人かは出てこれるでしょ?』
「あさってぇ? 日曜じゃないか! 学校は閉まってるぞ、おい!!」
『これが不思議なことに、開いてるのよねぇ。ま、皆さんこぞってご参加下さいな。それじゃねっ』
 ふっ、と闇が消え、周囲に光が戻ってきていた。あまり見慣れない風景が周囲に乱立している。隣町、だ。いつの間にか、一キロ近くを走ってきていたのだ。
 もう、闇からの声は聞こえなくなっていた。

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