乙女の秘密(2)
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○月□日(木)曇り時々晴
……折角のチャンスだったのに。あんなに忍くんの傍に近寄る事が出来たのに。
やっぱり話しかけられなかった。まあ、仕事中にいきなり昔話に花が咲いたりしたらチーフに怒られちゃうからいいんだけど。
それにしてもチーフもひどい。あんな所で怒鳴らなくてもいいのに。忍くんがあれを誤解して『さくらちゃんてば、あんまり仕事とかできないのかな』なんて思われたりしたらそうしてくれるのよ。柳沢さんも乙女の気持ち、全然判ってないんだから!
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──などと自分の事を棚に上げ、上司に責任転嫁しながら、さくらは日記を書き綴っていた。
忍を目の前にしながらまたもや何もできなかった自分が情けない。そのうえ彼に失敗した所を見られてしまったという恥ずかしさもあって、怒りは倍増だった。
日記に書いた上司への暴言が八つ当たりだというのはいやというほど理解していた。ただ、この心のもやもやをどこかにぶつけたかっただけだった。日記という個人的なものにならきっとぶつけても大丈夫よね、と更にさくらは言葉を書き連ねていく。
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整備班の人はデリカシーってもんがなさ過ぎ。杉山チームはなまじ男の人が殆どだから、女の子の気持ちってのがわかってないんじゃないかな、って思う。
そりゃ、仕事ができない私も悪いんだけど……。
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『仕事ができない私も悪いんだけど……』とまで書いたあと、さくらはポーンッとペンを放り投げる。ぽすっ、とベッドに落ちる音がした。書いていて自己嫌悪に陥ったのだ。どれだけ悪口や文句を書いたとしても、結局は自分の責任だという事が判っている以上、やはりその行為は虚しいだけだった。
「あーもう、やだやだっ! ……何やってるんだか、私」
椅子に座ったまま思い切り伸びをする。嫌な考えを振り払うかのように。
それでも胸のつかえは取れなくて、結局またさくらはふて寝したのであった。
そのまま忍に会えない日々が2ヶ月くらい続いた。同じ敷地内にいるはずなのに全く会えないという思いはさくらの心を尖らせた。ちょっとした事でイライラしてしまい、人に八つ当たりをしてしまっては自己嫌悪、という堂々巡りが続いていた。あまりにもイライラしすぎてしまって、有給休暇をもらってストレス発散にでも出かけようか、そう考え始めてしまうくらいに。
そんなある日。仕事帰りに食堂で早い夕ご飯を食べていると、すぐ傍で自分を呼ぶ声が聞こえたので視線をあげた。すると、目の前にはとても懐かしい顔があった。
「やっぱりさくらだー。久しぶり。整備班に入ったんだよね。元気でやってる?」
相手も思い切り懐かしがって、トレイをおいたかと思うとぶんぶんとさくらの手を握って振り回す。さくらも嬉しくて、同じくらい手を振り回した。
彼女もずっと同じ所で働いていたはずなのだが、忍以上に会えなかった。高校時代から正パイロットとしてベース勤務していた彼女は激務の為、大学時代にも、さくらがここに就職したあとも全く会う事はなかったのだ。だからこそよけいに懐かしさが募った。
「杏奈は髪の毛の伸びたねー。伸ばしてるの?」
さくらの問いに、えへへと笑いながら髪の毛に手をやる彼女──杏奈──の顔は高校時代と殆ど変わりはない。
「さくらは逆に髪の毛切っちゃったんだね。綺麗だったのに」
「うん、ちょっとね。……失恋?」
失恋で切った訳ではないが、今の気持ちが失恋ムードだったのでわざとっぽく言ってみた。すると。
「ええっ、忍っちに?」
杏奈は大仰に驚くと、さくらの向かいに回り込みすとんと椅子に腰を下ろし、じーっと、さくらを見て何かを待っている。話を聞くために待ってるんだ、という事に気づいたさくらはぶんぶんと首を横に振る。
「やだやだ、嘘よ。冗談だってば。だって私大学時代から殆ど忍くんに会ってないんだよ。失恋出来る訳、ないじゃない」
「でもね、さくら、すごく悲しそうな顔してるんだもん」
ぼそっと呟いた杏奈の言葉に、さくらは驚愕した。尖った心は顔にも出ているんだ、という事が判った。えーい、ここで久々に友人にあったのも何かの縁、それに忍くんとは親戚だからきっと何か聞けるかも、と思いさくらは正直に杏奈に悩みを打ち明ける事にした。
長い話を聞き終えた杏奈はため息を漏らす。しばらく無言だったが、そのうちゆっくりと話し出した。じっとさくらの瞳を見据えて。
「さくら、どんな時でもいいから声かけなよ。たとえ自分が恥ずかしい事しでかしちゃって顔合わせられないと思っても、目の前に忍っちはいるんでしょ? だったらちゃんとお話しした方がいいと思うな。わたしたちパイロットは、この先何があるか判らない身だから。今だ! と思ったら何をおいても話しかけなきゃ。あとで嘆いても遅いよ」
しみじみと諭すかのように一言一言心を込めて話す杏奈の顔を見て、ハッと思い当たった。彼女がどうしてここまで言えるかを。──これは、杏奈の実体験だ。
杏奈が今どういう状況におかれてているかをさくらは知っていた。だからこそその言葉にはとても力が、想いが込められているのが判った。真摯に受け止め、さくらはしっかりと頷く。
「うん、判った。ありがとう杏奈。私頑張るから、応援しててね」
にっこりと笑って杏奈が頷いた、その時だった。
「あれ、杏奈ちゃんだ。夕飯作ってくれないの?」
とても聞き覚えのある声がさくらの耳を通過していった。驚きのあまり声が出なくなり、ぱくぱくと酸欠の金魚のように口を動かしている横に、カップを置く右手が見えた。
そこから、目の動きだけでつつーっと身体を辿って行くと、見覚えのある素敵な笑顔。
「あれ、さくらちゃんだ。久しぶり。杉山さんたちに絞られてるんだって? 大丈夫?」
「ししししししし忍、くん……」
ギギギギギ、と、ロボットのように身体を動かし左を向く。忍がアイスアメリカーノのカップを持って横に座っていた。さくらは心の中で絶叫する。
(今決めた事とは言え、流石にここまで急じゃ心の準備ができてなーいっ!)
けれど目の前の杏奈は盛んに目で合図をする。さっきの言葉を思い出し、エイッと心で喝を入れてから、言葉を絞り出す。
「ひ、久しぶり、忍くん。元気だった?」
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×月◎日(月)雨
今日はすごく嬉しい事がいっぱい。久々に杏奈に会えたし、お反し聞いてアドバイスもらっちゃったし。
それに何より! 忍くんとお話し出来たよーっ!
もう、天にも昇る気持ちってのはこういう事よね。忍くんの声が心地よくって、ウットリしすぎちゃった。忘れられてるかと思ってヒヤヒヤしてたけど、ちゃんと憶えていてくれた。もう感激!
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忍の前で失態をやらかして以来、ずっと暗い言葉だけの日記だったが、久々に明るい話題を書く事が出来た。嬉しさのあまり、鼻歌まで飛び出してしまう。
好きな人との会話が、ここまで心浮き立たせるものだというのを、さくらは実感した。思わず文末にハートマークを書いてしまおうと思ったくらいだ。……流石にやめておいたが。
今まで抱えていたイライラも、心のささくれもすっかり影を潜めている。ここまで心穏やかだったのはいつ以来だろう。
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とりあえず今日の会話で友達までには戻れたんだから、この先はアタックあるのみ! 杏奈の言う通り今が攻撃あるのみなんだから、しっかりと私をアピールしなきゃ!
よーし、明日からどんどんアプローチ開始!
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鼻息荒く日記に決意を書き記したさくらなのであった。
後日。
格納庫を通りかかった杏奈が見たものは、忍の後ろ姿を仕事を放り出したまま柱越しにウットリと眺め、杉山にゲンコツをもらっているさくらの姿であった。
心の中で杏奈が嘆息したのは、いうまでもなかった。
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