サプライズ。
7
「──ほら、着いたよ。ここにゴオはいるよ」
「……えっ? ここって……」
しばしの後、霧子が立ち止まった場所を見て、杏奈はこれ以上はないというくらいに驚愕した。なぜならそこは。
「ここって、私たちの部屋──」
だったから。
呆然と自分の部屋のドアを見つめる娘の背中を、霧子はポンと押した。振り返った杏奈に優しくささやく。
「ほら、何躊躇ってるんだ。早く行ってきな」
「う、うん……」
あんなに待ち望んでいたゴオの姿を見る事が、何故だか不安だった。ドアに手をかけ、ごくりとつばを飲み込むと、思い切って一気にドアを開け放つ。
──すると。
うをーーーーっ!
いきなり耳をつんざくかのような大勢の人の声が、耳を駆け抜けて行った。それと同時に聞こえる乾いた火薬音、まき散らされるテープ。紙吹雪。その向こうにいたのは、ベースの人たちだった。狭いリビングダイニングの中にぎゅうぎゅうになりながらも立ってニコニコしている。手にはテープやらクラッカーなどを持っている。
「な、なにこれ……」
予想だにしない出来事の連続に杏奈が呆然としていると、横から声が聞こえた。
「すまん杏奈。色々大変だったみたいだな。これは全部俺が仕組んだ事なんだ。ごめんな」
「ゴオちん……」
声のした方を見やると、ずっとずっと探し続けていた最愛の人が、頭をかきながら立っていた。会えなかった淋しさがあふれ出て、人が見ているのも構わずに杏奈はぎゅっと彼に抱きつく。いつもなら周りの目を気にしてあわてて身体を引き離すゴオも、彼女の気持ちを理解しているのか珍しく腕を振りほどかずに話の続きを再開した。
「計画を順調に遂行するにはどうしても秘密でやりたかったんだ。だから皆に協力してもらってお前を引き止めてもらっていたんだ」
「計画……秘密……?」
さっき母から聞いた単語がゴオの口からも飛び出す。
「あれをみてみろよ、机の中央においてあるもの。書かれている文字もな」
身体はゴオに抱きついたまま、首だけを動かして食事用テーブルの上を凝視する。たくさんの料理が所狭しと並べられている中に燦然と輝くもの、それは大きなケーキだった。上のプレートには『おたんじょうびおめでとう』の文字……お誕生日?
「あーっ!! すっかり忘れてたーっ」
思わず杏奈はゴオから手を離し頭を抱えた。すっかり忘れていた。そうだ、確かに今日は5月5日、自分の誕生日だ。なにしろ近頃は忙しく、部活にトレーニング、それに加えて学業に家事と一日一日が予定でびっしりで、そんなものの存在は頭からすっぽりと抜けてしまっていたのだ。
「だと思ってな。それに、いつもなんだかんだ言ってひっそり二人きりで祝っていただろ。たまには大勢の人に祝ってもらうのもいいな、と思って招集かけたら皆集まってくれたんだよ」
杏奈は嬉しくなって、部屋の中のひと皆一人づつを見つめた。自分の誕生日を祝ってくれる人がこんなにもたくさんいるという事に喜ばずにはいられなかった。
「おめでとう」
「おめでとう、杏奈ちゃん」
あちこちからお祝いの言葉もかけられる。杏奈は「ありがとうございまーすっ」と手をぶんぶんと振って皆に応対していた。
「はい、本日は『猿渡杏奈ちゃん誕生パーティー』にお越し下さってありがとうございます。僭越ながら司会は私、森本がつとめさせて頂きまーす」
部屋の真ん中辺りに作られた台の上に森本が飛び乗り、マイクを握りしめて司会を始める。ヤンヤヤンヤと喝采の嵐。森本はこほんと咳払いをして、壁に貼られた『式次第』と書かれた紙の一番を読み上げる。
「まずは最初に、皆様でお祝いの歌を歌いましょう。指揮は猿渡忍くんです、どうぞ!」
森本の代わりに台の上に菜箸を1本持った忍が立つ。途端、しんと静まり返る部屋。
「はい、じゃあ行きまーす。さんはいっ」
菜箸による指揮棒が振り下ろされると、皆が一斉に合唱。聞いている杏奈の瞳から、ぽろりと涙が一粒こぼれ落ちた。
ものすごく嬉しかった。たくさんの人に祝ってもらう誕生日パーティーが。企画してくれたゴオに感謝の気持ちがいっぱいだった。
「さーてお次は、誕生日には欠かせない、ロウソクの吹き消しだ! さあさあ杏奈ちゃん、ケーキの前へ」
ゴオに背中を支えられ、たくさんの人たちの間をかき分けながら、ようようケーキの前へ。既にロウソクには火が灯されている。
「ハイッ、電気を消してくださーい」
森本の号令で部屋はほの暗くなり、揺らめく炎の灯りだけが辺りを照らした。杏奈は緊張の面持ちでふーっと吹き消した。ちゃんと一息で全て消えてくれてホッとする。周りからも歓声が上がった。同時に消されていた電気も戻る。
「さーてお次は、主賓の猿渡杏奈さんから、コメントをちょうだい致します。ささ、杏奈ちゃんどうぞ」
森本に手を引っ張られ、ふと気づくと杏奈は壇上(よく見るとそれは座布団を5枚ほど重ねたものだった)にいた。改めてこうやって皆を見渡すと、またも嬉しい気持ちが胸いっぱいになる。嬉しくてたまらない。その気持ちをぶつけるべく、マイクを掴んで声を張り上げた。
「今日は本当にありがとうございましたっ! 猿渡杏奈、嬉しさでいっぱいです。ってことで、ここからは堅苦しい事言いっこなしで、無礼講で行きましょうー!」
うおーっ!! と、大歓声。直後、猿渡一家の部屋はものすごいどんちゃん騒ぎとなった。料理を食べる者、かくし芸を始める者、日頃の鬱憤を上司に晴らす者、隠し持ってきた酒を呑み始める者、遠くから眺めて物思いにひたる者と種々様々。ただ、皆夢中になっていたので、主役が部屋の中にいないという事実に気づく者は誰一人としていなかった。
で、当の本人は何をしていたかと言うと、ゴオとともにベランダにいた。杏奈は柵の上に座って、海からの風に吹かれていた。興奮でほてった頬に、風が心地よい。ぼーっと海を眺めている横に立っているゴオは大きく伸びをしながら呟いた。
「いや、今日は朝早くから本当に疲れたけど、お前があんなに喜んでくれたから、やった甲斐があったってもんだよ」
「うん、すごく嬉しかった。ああいう秘密のパーティーってすごく楽しいね。……今日は本当にありがと」
お礼の言葉とともに、杏奈はゴオの肩を引き寄せ、唇で唇に触れた。途端、ゴオが顔を赤らめる。
「バカヤロー、窓越しに誰か見てたらどうするんだよっ」
「うふふ、いいじゃない。気にしない気にしない。だって今日は無礼講だもん」
そのまま肩に頭を乗せぎゅっとしがみつく。ゴオも杏奈の身体を抱き寄せるようにして、しばらく二人はベランダで抱き合っていた……。
「……杏奈ちゃーん、僕も頑張ったよー。だからねぎらってよー」
窓越しに偶然二人のラブシーンを目にしてしまった忍は、一人部屋の隅で涙を流すのであった──。
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