志村城跡。

・豊島氏の支族、志村氏が住んでいたとされている城跡です。
 鎌倉末期に豊島氏から分流した一族です。
 とりあえず1448年の熊野領豊島年貢目録に名前がある事から、ちゃんと実在した一族です。下の立て看板を見ると、1048年(平安時代末期!)にも名前があるらしく、詳しくはよく判らないのですが、だいぶ昔からの一族と言えます。某赤塚氏とはえらい違いですね(爆)
 志村城は、その後、1456年に千葉氏がやってきて、信胤が志村城に入ります。(これもちゃんと文献に残ってます)何とその時志村氏は出城したというのです。
 なんで追い出されてるんだ、志村氏(泣)とりあえず土地の名前貰ってるくらいなんだから居座ってくれい。
 千葉氏はその後1524年に北条氏綱に滅ぼされるまで居続けました。
 しかし、城跡に建てられてる看板に、志村氏の名前が少ないのが悲しすぎます。
 板橋区、千葉氏びいき?(苦笑)


ここは志村城の二の丸跡に建てられていると言われている熊野神社です。
手前側には『城山幼稚園』があります。

 


志村城で凄いのは、なんとちゃんと空濠が残っている事。
二の丸巡って濠があります。
熊野神社、えらいや。


これが噂の立て看板。
実は一回取材して、この看板見て『違うのか』と思い、ボツにしちゃったのです。
板橋区、本当に志村氏に何か恨みでもあるのかしら?

 

個人的感想。

 何でこんなに豊島氏の支族って無名なんでしょうか?
 所詮歴史は戦国時代からなのでしょうかねぇ。
 遠野が好きなのは戦国以前ばかりなので、それはちょっと判らないです。
 ――で、志村のお話。
 空濠が残っていると言うのは、ものすごい事だと思ってます。
 やっぱり、神社があるから掘られたり、家建てられたりしなかったからでしょうか?
 因みに残っているのは二の丸跡で、本丸跡は小学校に化けているんだそうです。
 熊野神社挟んで向かって右がおっきな会社、左が小学校、山の頂上にある事から、ここが志村城である事に間違いはないとは思うのですが。
500m先くらいに城北公園ありますし。

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