長い間、目の前にいた人間がようやく去り、彼は安堵した。 かれこれ2時間、その人は彼の前に立ち、人待ち顔できょろきょろと辺りを見回していたのだ。 彼の後ろで本を読んでいる彼にとって、それは邪魔以外の何者でもなかった。いっその事声を掛けようかとも考えたが、それは出来なかった。 結局待人は来ず、その人は悲しそうな顔で去っていったのだが。 『まったく、やってらんないよな』 彼は思わず腕をグルグルと回し、凝った肩を解きほぐそうとした。でも、出来ない。鉛のような彼の腕は、少しも持ち上げる事が出来なかったから。 『しょうがないなぁ。ああ、背中に背負ってるのさえなければ、少しは楽だろうに』 彼は自分の象徴とも言うべき、背中にあるものを、本気でとってしまいたかった。でも、これがなければ彼は判別がつかなくなってしまう。そこいらに立っている仲間と、同類にしか見られないだろう。 『いいよなぁ。上野のあいつは犬引き連れていればいいんだし、日比谷公園の仲間は、馬に乗ってる仕事だもんな。楽だよなぁ。 あ、でも北海道に配置されたあいつ、あいつは不幸かもな。腕上げてるのが日課だって言ってたもんな。 土佐にいる先輩は、懐に手をつっこんでるだけで良いんだよなぁ。うらやましい。 でも、一番最悪なのは海外派遣のちびだよなぁ。丸裸でいるのが義務だもんなぁ。俺なんかまだまだマシなのかもしれない。大好きな本読めるし』 そう思い直し、意識を本の方に戻した。絶対にページがめくれない本を。
どこぞやの学校の校庭の隅で、薪を背負って本に目を落としている二宮金次郎像は、静かに立っていたのだった──。
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