さくらいろの時


  ひとり、空を飛んでいた。 
 すると、冷たい何かが舞い降りてくるものを頬に感じて、上を見上げた。白い何かが舞っているのが目に止まる。
「あ、雪……」
 この地方にしてはとても珍しい、粉雪だった。小さい白いものが舞い降りてくるさまは、あたしの心に何かを思い出させた。
(そうだ、この雪に似たあの光景……)
 あたしはその事を思い出した途端に、急にその景色が頭から離れなくなってしまった。
「ちょっと覗きに行ってみようかな」
 そう思ったらいてもたってもいられなくなった。
 その思いに身を任せるようにして、あたしは時の縦糸を飛んだ。 夕闇迫る街の中に、桜の木がその花びらを舞い散らせている。その光景をジッと見つめている少女の姿を認めた。水元頼子だ。
 まだ、彼女からは普通の人間の霊格しか感じられない。当たり前だ。あたしは彼女がまだ《魔法使い》の協力者じゃない時に、飛んで来たんだもの。
 この時の事は、あたしの記憶の片隅にちらっとだけ残っている。確か、片桐先輩が三年生になったから受験のために部を引退すると言われた時だ。
 だから、水元頼子の瞳に実は桜は映っていない。ただ、片桐先輩の事に心を捕われているだけ。これからの事に思いを馳せているだけ。桜の花びらなんか目にも止まってやしない。
 でもね。あなたはこれからもっと素敵な人と出会えるんだよ。これから消滅するその時まであなたの心の中に住み続ける人がいるんだよ。
 だからこそ、今の想いは大事にしないといけないんだよ。
 ──なんだか、自分に言い聞かせているみたいな雰囲気になってしまって、あたしは苦笑した。
 心の中に何か空虚な穴があいているような感覚に陥っていく。
 なんだろう? 寂しいのかな? そう自分に問い掛けてみはするけれど、分からない。
 ──本当はここじゃなくてもう一つ行きたい場所があった。けれど、あたしは今の協力者と約束した。前の協力者に逢うのはただ一度きりだと。だからこそ、ここに来た。
 桜の花を見た記憶なんかこの時と、あの人と見た記憶しかない。
 そう、あれは──。
 
 
「ちょっと〜、《皇帝》っ! 置いていかないでよ」
「《女帝》が相変わらず遅いのがいけないのだろう」
 あたしたちは日本の空を飛んでいた。フェーデの前で緊張していたあたしを見兼ねて、どうやら《皇帝》が気を利かせてくれたらしい。それを口に出す彼ではなかったけれど、あたしは彼の心が手に取るように分かった。
 だってほら。緊張して固まっていたいた心の中がす〜っと解けていくのが分かるもの。
「あ、ほら。あそこ! 桜の花が咲いてる」
 しばらく飛んでいてあたしが見つけて指差した先には散り始めた桜の木。朝日に溶け込むように舞う桜。
「本当だな」
 《皇帝》も飛ぶのをやめてその桜の木に目をとめた。
 その桜はたった一本きりで立っていた。弱々しいように見えて実は華やかなその木が、あたしは妙に気になった。
「ねえ、ちょっと降りてみない?」
 あたしの言葉に彼は驚いた様子だった。「何故降りてまで見たいと思うのだ?」
 彼の言葉に答えを返す事はできなかった。分からないけど、そんな想いが強かったのだ。
「とにもかくにも降りてみようよ」
「愛しい妻の意見には《皇帝》は逆らえないぞ」
 そんな彼の台詞に顔を赤らめながらもあたしはその木の下に降り立った。何故か、人にも見えるような霊格と普通の人間のようなカッコをして。
 ──その木は、上から見るよりずっとずっと小さかった。まだ、樹齢5年程度といった所だろう。それなのに、この存在感はどうしてなのだろう?
 木の真下にあったベンチに、そっと腰を下ろす。
 上を見上げ、散るゆく花片を見つめる。何故か急に、高校二年の時が頭をよぎった。片桐先輩が部活に出てこないと宣言をした、あの日。
 あの日も、桜を見つめていたような気がした。もう、かなり昔の事だし、あの時は心に桜なんか映している余裕もなかった。ただ、悲しかった事しか記憶にない。
 今急にあの日の想いが浮かんできたのは何故なのだろう──。
「どうしたのだ?」
 何か考えているのが分かったのだろう、《皇帝》が声を掛けてくる。
「ん〜、ちょっと昔の事を思い出しちゃったのよ」
「昔というと、どのくらい前の事だ?」
「まだ高校生で学校に通っていて、『運命のタロット』なんて全く知らなかった頃」
 言いながら、手を組んで軽く伸びをする。隣に、《皇帝》が腰掛ける気配がした。ちらっと横目で見遣ると、極めて珍しいカッコで座っていた。何と、詰め襟(しかも円海学園のだ)を着ていたのだ。
「珍しいじゃない。あんたがそんなカッコするなんてさ」
「《女帝》に合わせたのだが」
 ほんのちょっと、不機嫌そうな声。
 その声で、気付かされた。自分が霊格を変えた時にまとった服の事を。そう、それは昔着ていた事のある、円海学園のセーラー服。
 何故、この服をあえて選んで纏ったのかは、分からなかった。心の赴くままに、衣装を転じただけ。
 けれども。
 あたしは心の中で何かを求めていたのかもしれない。あの時確かにあたしは傷付いていたはずだ。けれども、もしかしたらそんな平凡なあの頃の時代を懐かしんでいたのかもしれない。
 でも。と、再度思い直す。
 彼がいたからこそ今のあたしがいるんだってこと。
「さてとっ」
 ぴょんっと跳ね上がって(ついでに霊格とカッコも元に戻して)、《皇帝》を促した。
「行こう。そろそろ行かないと《力》たちが首を長くして待ってるよ」
「《皇帝》たちは時間移動ができるのだから別に《力》や《審判》の首を長くはさせないとは思うのだがな。まあ、《女帝》の心が落ち着いただけでもよしとしておこう」
 同じく元の姿に戻った《皇帝》が笑いながら言う。
「もう〜、言葉のあやってもんがあるでしょーに」
 反論しながらも、あたしの心は満たされていた。
 今のあたしには彼がいる。昔を懐かしがる必要性なんかどこにもない。それに気付いたから。
 思い出は、懐かしがったりするものじゃない。ただ、たまに後ろを振り返って、確認するだけ。そこにあるんだって事を。
 うん。多分、それでいいんだよね。
 横の桜の木を心に焼きつけ、あたしたちは時を跳んだ──。
 
 
「っくしゅん」
 水元頼子の小さなくしゃみの音であたしは我に返った。
 いけないいけない、思いきり心の中にトリップしちゃった。
「……そろそろ、うち帰らなきゃ」
 そう呟きながら水元頼子は家路へと急ぎ始めた。
 あたしは、彼女の背中を見送りながら、木を見つめた。木は、尚も花びらを舞い散らせていた。
 さて。そろそろ元の時代に戻りますか。
 そうしてまたあたしは時の縦糸に身を潜らせた。
 
 
 元の時代に戻ると、一面雪で真白になっていた。
 尚も、降り続いている。けれどもさっきの光景を思い出す事はなかった。
 見に行ったからなのか思い出したからなのか。
 でも、心の中に何か暖かいものはあった。
 それを抱き締めながらあたしは飛ぶ。
 彼の元に──。
 


解説。

 運タロ小説……うっわうっわ懐かしー!
 これは前世紀に久々に運タロサークルとして出た時に、急いで書いたものです。
 これ以前は漫画描いてたんですが、2年ぶりだったのでちっとも描けず。
 しょうがないんで小説書いた訳です。
 でも、元媒体が小説なのに小説ってのは辛いよママン。
 とりあえずこれを読み返したとき最初に思ったのは『私って本当に《女帝》が大好きなんだなぁ』でした(笑)
 (2000.12.28作成)
 



 

 

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