・わかりあう、ということ
南向きの窓から入る、冬の長い光が部屋を明るく照らしてくれている。窓の傍にいると、その恩恵がいっそうありがたく感じられて。温められたフローリングは今すぐ寝転んでしまいたいくらい。 ──実際、その暖かさにつられるように、紫穂はフローリングの床に直接座ってお気に入りの雑誌を手に、まったりと午後のひとときを過ごしていた。 部屋の主はこれまた真剣に、リビングのソファー中央にどっかと座り、TVから流れる何かの特番に見入っていた。どうもものすごく興味のそそられる内容らしく、隣に自分がいるということも忘れている雰囲気だったので、床に移動して来たのが事実だったりするのだが。 もぐもぐと、常備してある自分用のお菓子を頬張りながらページをしばし、繰る。まったりと、そして静かな時間がただ過ぎていった。 ──しばらくすると、床の思った以上の暖かさと、だらだらとお菓子を食べていた事が重なって、なんだか喉が渇いてきてしまった。 (……なんか、飲むもの取ってこようかしら?) 紫穂はちらりと一瞬キッチンを見遣り、逡巡する。動くのが少し億劫だったからだ。けれど、ここで悩んでいても飲みものがテレポートしてやってくるわけではない。今は『ちょっと乾いたかな』程度だから我慢しようと思えば出来るけれど、結局もうしばらくしたら必要になるわけで。 (こんな時、葵ちゃんだったら楽なんだけど) 手に持っていたお菓子を口の中に放り込んでから仕方なく、立ち上がろうとしたその時。 賢木がすいっと立ち上がり、おもむろにキッチンの方へと向かって行った。唐突な出来事に対応しきれず紫穂がぼーっと彼の動きを追っていると。 「ほら、紅茶」 目の前に暖かい紅茶が差し出された。ふうわりと漂う香りが鼻孔をくすぐる。 「あ、ありがと……」 そうして賢木は自分用のマグカップを持って、またTVに見入り始めた。 その横顔に向かって紫穂は問い掛ける。 「どうして、私が喉乾いたって判ったの、センセイ?」 こちらに視線を向ける事なく、賢木は問い掛けに応えてくれた。 「さっき、キッチン見てたろ? だからそうなのかと思ってな」 そしてまた、TVに集中し出す。 ──キッチンを見たのなんてたった一瞬の出来事だったのに。どうしてセンセイは判ったのかしら……? 貰った紅茶を持ったまま、紫穂はしばし固まってしまっていた。 賢木はその後も真剣にTVに見入っていた。今流れている経済関係の特番は、多少気になっていた事柄について客観的に解説して行く形式で、理解しやすくじっくりと観ることができたのだ。 CMに入って、一息つくべく口を付けたマグカップの中のコーヒーは思った以上に冷えきっていて、淹れてからだいぶ時間が経っている事を伺わせた。喉を通っていく思ったより冷たい感触で、ようやく我に返る。 (そういえば、だいぶ紫穂をほったらかしたままだな) 改めて、自分の今の状況を思い出し、床に座っていた彼女をちらりと見る。可愛らしく小首をかしげながらじっと、持ち込んだティーンズファッション誌を見入っているさまは、客観的に見てもとても可愛らしいと思う。ましてや自分の彼女なのだから、可愛らしい事この上ないわけで。 ふわりと漂うクセのあるやわらかな細い毛。陽の光に照らされた頬は朱がさしていて、肌の白さをいっそう際立たせていて。 不意に、賢木は彼女に触れたくてたまらなくなった。でも彼女を呼ぶのは気が引けて。 どうしようか悩みつつもCMが終わってしまったのでとりあえずTVに向き直る。もうまとめに入った内容をしっかり理解出来るようにと握りしめていたマグカップをテーブルの上に置いた、その時。 衣擦れの音と小さな足音がしたと思うと、ソファの右横が軽く沈んだ。うお! と小さな叫びをあげ横を向くと、本当に触れそうで触れない位置に先程から触れたくて仕方ない彼女の顔があった。 「なんでびっくりしてるのよ?」 紫穂は少し照れたのか多少口早に、口を少し尖らせながら問い掛けて来る。 「ああ、いや、ちょっとな」 とりあえず誤摩化すつもりではなかったが、目の前にある髪の毛を手に絡ませ、そっと梳いていく。紫穂は嬉しかったのかふわりと微笑み、そっと身体を預けてきた。 「──私は、センセイがこっちを見たとき呼んでるなって思ったから来ただけよ?」 しばらくして上目遣いにそう告げてくる。 「……紫穂、勝手に透視るなよ」 「えー、流れ込んできたのよ?」 不満を言うと、くすくす笑いながらさらりと切り返された。 ……まあいっか、とそのまま視線はTVに向けながら、手はそっと紫穂の髪の毛を撫で続けていた。 紫穂は、賢木に頭を撫で続けられていることに多少のくすぐったさを覚えつつ、思考は一点に集中していた。 ──さっき、私が喉が渇いたとき、ほんのちょっとの視線だけでセンセイは私が何がしたいか判ってくれた。 そして今、私はセンセイのほんの少しの動きだけで、何を求めていたのか理解できた。 言葉になんか出してない、もちろん透視てもいない、それなのに相手の考えていることが判るなんて一体どうしてかしら? ぐるぐると考え続けた。聞いたこと、触れて透視たこと、雑誌などから得た知識。脳内にある知識をフル稼働させてしばらく考え続けて。 「……判った」 紫穂は小さく叫んだ。ようやく一つの答えが見えたのだ。 ──恋人同士が『何も言わなくても相手の望んでいる事が分かる』って聞いた事があって。でもそれってありえないと思ってた。 私たちはそもそも言葉を使わなくても、触れてしまえば相手の事が分かってしまうし。 でもそうじゃない、やっと理解できた。さっきのお互いの行動が『何も言わなくても解りあえる』ってことだったのね。 「……なにが『判った』んだ?」 声が耳に入ったのか、髪を梳く手を止めて賢木が問いかけてくる。言葉にするのが何となく気恥ずかしくて、紫穂は立ち上がって賢木の前に回り、おでこをこつん、とくっつけた。 行動を理解したらしく、しばしの沈黙のあと一言。 「ああ、なるほど」 「判ってくれた?」 にっこりと微笑むと、返事の代わりに頬にキスが落ちてきた。 |
・注釈。
これが、年取ると「あれ」だけで何をどうして欲しいかわかる熟年夫婦になるんですね、わかr(ゲフン)
とりあえずほっぺにちゅーなのは紫穂ちゃん中学生だからだと思います(えー