・遅れてきた甘い一日

 


 さて、どうしようかしら……?
 さっき、いつものように待機室に向かうと皆本から言い渡されたのは急な休暇。予想外の出来事にどうしたらいいか判らず戸惑っていた。
 紫穂自身は春休みで学校も休みなため、別に出かけても良かったのだが、今日はどうしても一日バベル内にいたかった。待機室にいるのも休みだからなんだか居心地が悪い。食堂にでも行こうかしら、と廊下を歩いているときだった。
 バイブにしてあった携帯が、一定のリズムを持って震えだす。あわてて携帯を取り出し、メールを受け取って開いた。今の震え方でくるメールは、一人しか設定していない。透視した方が楽だったかも、と気づいたのはメールの内容を確認してから。

『ただいま』

 メールに書かれていたのは、一言だけ。
 でもこのメールは、紫穂が起きた時からずっと心待ちにしていたものだった。携帯を閉じる暇さえもったいない、というように開いた携帯を握りしめたまま目的地に走り込んで。
 電子ロックを開けてもらうとかそんなまどろっこしいことはできない。急いで解錠キーを透視て探し出し、怒濤の勢いでドアを開け放った。

「センセイ!」

 見慣れた白衣の後ろ姿に、心が締め付けられて。ドアを開けた勢いそのままに背中に飛びついた。

「ただいま、紫穂」

 声を聞いて、ますます胸が高ぶって。抱きついていた手を離し正面に回り込む。久しぶりに見る賢木の笑顔がまぶしくてたまらなかった。改めて正面から抱きつくと、ぎゅっと抱きしめ返される。久しぶりの温度は心地よすぎてうっとりとする。

「おかえりなさいっ。……どうだった、長期出張は?」
「出張自体はやっぱり面白かったなー。でも、紫穂に会えなくてつまらなかった」

 ──1ヶ月近く、賢木は長期出張でコメリカにに行っていた。こんなに長い出張は二人が付き合いだしてから初めての事だった。メールや電話での会話は続いていたけれど当然会う事は叶わなくて。だからこそ今の距離感はとても嬉しかった。

「いやしかし、日本にひと月いないだけで、季節はずいぶん変わってるんだな。もう、桜が開花したんだって?」
「そうよ。気温もだいぶ上がったし。来週には新年度。私ももうすぐ高校2年よ」
「そうか、あっという間だな」

 2人、見つめあってしみじみとしてしまう。その時、賢木が思い出したように声を上げた。

「そうだ、オレ紫穂にバレンタインのお返し渡さなきゃいけないんだった」

 抱きしめられていた身体が解かれる。賢木は自分の机に放っておいた鞄の前に行き、ごそごそと何かを探し始めた。

「センセイ……ホワイトデーはもうとっくに過ぎてますけどー? コメリカから空輸で送ってくれても良かったじゃない」

 ちょっとジト目になって、紫穂は賢木の後ろ姿を睨んでしまう。当日、航空便で届けてくれるのかな、なんて期待していたけど、メールで訊いたら『帰ってからでいいか?』との返事で。あのメールを見たときはちょっとがっかりした憶えがある。何となくそういうのは当日にやり取りするのが普通だと思ってたから。でも。

「しょうがないだろー? こういうのって直接顔を見て渡したいじゃねーか」

 なんて鞄の中をごそごそと漁りながら言い返されたら、ぐうの音も出ない。
 さすが天性のタラシ、などと思いながぼーっと待っていると。

「お、あったあった」

 なんて言いながら戻ってきた。右手は後ろに回されていて多分何かを隠し持っているんだろうな、とは想像できるのだけれど。
 ……一体何かしら?
 小首を傾げつつ紫穂が賢木を見上げる。すると、なんだか珍しく照れている顔とぶつかった。そぐわない可愛らしい顔に紫穂が戸惑っていると。

「はい」

 右手が、差し出された。

「……え?」

 あまりの事実にビックリして思考が一瞬止まる。差し出された右手を見て混乱する。

「──握手でも、するの?」

 そう。出された右手には何も握られてはいなかった。あったのはただ、リボンをくるりと巻いた、賢木の手。

「色々考えたんだけどな、モノもいいけどたまにはこういうのもいいかなぁ、と思って」
「どういうこと? ハッキリ言ってよ」

 曖昧な物言いにイラッときてキツい口調で問いかけると、賢木が逆切れしたかのような口調で叫んだ。

「あーもー、オレだよオレ!」
「……はいぃ?」

 さっきなんかメじゃないくらい驚いて。まじまじと目の前の恋人を見つめる。その視線に
ちょっと照れたのか視線を外しながら言葉を続けていく。
「帰る前に、わざわざ局長に頼み込んで今日の休みをもぎ取ったんだ。まるっと一日あけたから」

 ……つまりは賢木自身がホワイトデーのプレゼントということなのか、という事実に紫穂の思考が行き着くまでに30秒近くを要した。それくらい、突拍子もない言動だったのだ。

「──今日一日、言うことを聞きますよ、お嬢様」

 ダメ押しのようにキザったらしいセリフを口にした賢木に、紫穂は吹き出してしまった。

「ば、ばっかじゃないの? わざわざこれのためにリボンとか、買ったの?」
「い、いや、それはさすがに……。紫穂へのコメリカ土産につけてもらってたリボンを借りたんだ」

 わたわたといいわけをする賢木がなんだか可愛くなって。紫穂はぎゅっと彼を抱きしめた。リボンが巻かれている手を取り、両手でぎゅっと握りしめてほおずりする。

「別にこのホワイトデーのプレゼントが嫌ってわけじゃないの。ただ、ビックリしちゃっただけ。せっかくだから喜んで受け取らせてもらうわ」

 なんたって、丸一日というのは本当にあり得ないもの、と紫穂は心の中で思う。
 賢木にしろ紫穂にしろ、学校だ任務だ診察だ会議だと毎日バタバタとしていて二人で会える時間も一日のうちの数時間、と言った具合で丸一日なんて今まで一度もあり得なかったのだ。

(だから、今日はわざわざ私はお休みだったのね)

 さっき言い渡された不自然な休暇の理由もようやく判って、紫穂はとても嬉しくなった。局長や、皆本たちがわざわざ根回しをしてくれたに違いない。
 さて、せっかくみんなから頂いちゃったお休み、何をしようかな、と紫穂は賢木の胸の中であれこれと考え始めた。
 遠出してアウトレットモールなんかに行ってみるのもいいかもしれない。近くの花見スポットでお花見なんかも素敵。色々と食材を買い込んで、一緒に料理を作ってみたりするのも楽しそう。
 でも、まずは最初に。
 くいっと白衣の襟元を引っ張って。顔を上げて瞳を閉じてさりげなく強請ってみる。ふ、と軽く笑った気配のあとに唇に唇がふれあう感触。

「今日一日、センセイから離れないから。覚悟しててね?」

 長いキスのあと、紫穂はにっこりと笑って宣言した。

 


・注釈。
 ものすごく遅れてきたホワイトデーネタ。
 いや、これ書き始めたの先週くらいだしなぁ(一回考えてたのボツにしたの。だってあまりにも遅れすぎちゃったから)
 そして紫穂ちゃんが珍しく高校生。うちのサイトは基本中学生だからホントに珍しい。 ←大事なことなので二回言いましたw
 しかし、なんでこんなネタを考えついたのかは激しく謎。こんなことセンセイやるかなぁとかちょっと思った。
 

 

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