『おめでとう』
誕生日当日、最初に言葉をくれたのは薫でも葵でも皆本でもなく、賢木だった。
それに気づいたのは朝、散々二人とベタベタして、学校に行こうかと携帯を手にした時。
チカチカと光る受信の合図に誰からだろうと携帯を開いて、見た名前にびっくりして。
そして送られてきた時刻を見て二度驚いた。
まさかの0時ちょうど。
相変わらずこういったことにかけては頭が下がる、としか言いようがない。
(でも薫ちゃんにも葵ちゃんにもセンセイからメールなんか来てなかったはず。……なんで?)
やはり同じ能力の持ち主ということで気にかけてくれてたりするのだろうか?
不思議に思いながらもまあ、お礼は言わないと、と、学校に行きがけに返事を打った。
『ありがとうセンセイ。わざわざメールくれるとは思わなかったわ』
送られてきた時刻からして、夜勤かなにかだろう、だったら返事はきっと放課後辺りね、なんて思っていたのに、送って数分ですぐに携帯が揺れた。
『まあな。これくらいは男として当然です』
『威張って言う事じゃないわ。センセイくらいよきっと』
なんて皮肉を返したのに、返ってきたのは全く違う返事だった。
『そういや、今日って学校終わったあとは?』
『マンションに帰るけど』
『じゃあ、返る前にバベルに寄ってくれないか?』
『……いいけど』
『寄り道させちまって済まないけど、よろしくな』
なんだかよく判らないままメールが終了し、紫穂は携帯を握りしめたまましばし思考を巡らす。
(メールしている間に、なんだか妙な展開になったわ。呼び出すだなんて何の用かしら?)
賢木の意図が読めなくて、紫穂はしばらく携帯を握りしめたまま考え込んでしまった。
が、メールでは結局相手の意図など全く読めないわけで。
仕方なく紫穂は放課後、一人でバベルへと向かうことにしたのだった。
「おっじゃましまーす」
「あ、おいこら。開けるなって言ってるだろ」
勝手に解錠してひょいと顔を覗かせると、ものすごく真面目に仕事に取り組んでる賢木が見えた。声をかけると一瞬眉をひそめたが、まあいいやと言わんばかりにすっと立ち上がって簡易的な応接スペースに紫穂を案内する。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
差し出された紅茶を一口飲んでから、紫穂はおもむろに切り出した。
「で、なんでわざわざ呼び出したの? だってこのあとセンセイうちに来てくれるってことになってたじゃない?」
向かいに座った賢木にジト目で睨む。
そうなのだ。紫穂もさっき思い出したばかりなのだが、このあとの紫穂の誕生会には賢木も呼ばれていたはずなのだ。なのにあえてここに呼び出すなんて、どういうつもりなのか。
正直さっぱり判らないのでイライラする事この上ない。
が、当の賢木は紫穂の怒りを受け流しながらにやりと笑うのだ。
「まあいいじゃないか。ちょっとどうしても先に会いたかったんだよ」
「うわなにそれナンパ師みたい」
「うっせ。……とりあえず、目、閉じてみ?」
紫穂のツッコミを受け流してから、唐突に賢木は話を変えてきた。内容が内容なので一瞬無視してやろうかしら、と思った。けれど、彼の言葉尻に潜む何かに急かされるかのように、紫穂は目を閉じてしまった。
そして待つ事しばし。
……。
「ねえ、いつまで閉じてればいいの?」
視界を遮るとなんだかどうしたら良いか判らなくなって、紫穂は見えない視界のまま賢木のいる方に向かって問いかけた。が、相手からは何のアクションもない。いっその事目を開けてしまえばいいのかもしれないが、それもなんだか悔しくてしたくない。
不安と苛立がつのってきた、その時。
「よし……手、こっちに出してみ?」
ようやく賢木の声が聞こえた。ホッとして、言われるままに右手を差し出す。
と。
手の上に何かふわりとモノが乗せられて。
次の瞬間にはぐいっと腕を持たれて引っ張られ。急だったので踏ん張る事も出来ず引かれるままの方向に身体が動く。
ちゅ。
かすかな音と共に、頬に何かが触れた。
頬に当たったものが何かを悟るのにかかった時間はほんの一瞬だった。次の瞬間には目を開けて、目の前にあった賢木の顔をひっぱたいていた。
「いきなり何してんのよ!」
「……って! 何も本気で叩く事ないだろう!」
「これが叩かずにいられると思うの? お、お、乙女に向かって何やらかしてんのよこのスケベ医者!」
ちからの限り、叫ぶ。怒りで正直、どうしたら良いか判らなくて、ただわなわなと震えることしか出来ないでいた。
「ほっぺにキスとか、なんでかって一つしかないだろ?」
紫穂に叩かれた頬に手を添えながら、賢木は呟く。先程の飄々とした声で、でも瞳はものすごく真面目な光をたたえていて。どうしたら良いか判らずに紫穂は黙って彼の話を聞いていた。
「呼び出したのは、プレゼントを皆本よりも薫ちゃんたちよりも先に、渡したかった、とか子どもじみた意地なんだよな。誕生会じゃ明らかに一番最後に渡すことになるし。メールも似たような理由」
言いながら、ひょいと床に落ちていたものを拾い上げる。
「紫穂ちゃんが皆本が好きだってのは知ってるけど、こういうのもいるんだよってアピール、ってのが正しいかな」
言って、にやりと笑った。その目にはさっきの生真面目さなんてひとかけらもなくて。
何を信じたら良いか判らなくてその場に立ち尽くしたまま、一言も発せずにいた。
「ほい、さっき渡したやつ。とりあえず持っててよ。あ、先に渡したのは皆には内緒な。あとでマンションでももの渡すけどそっちはカムフラージュだから」
賢木は固まったままの紫穂の前にすっと立ち、拾ったものを紫穂の手に握らせてからぐいっと引っ張った。
「ま、今までのは水に流してとっとと誕生会会場に行きますか」
「え、ちょ、センセイなにそれ! おかしくない? 流すとか難しくない?」
「いーのいーの、気にしない気にしない!」
賢木に引っ張られてバベルの廊下を走りながら、紫穂は思った。
──今まで賢木の事が気にならなかったわけじゃない。でもそれは恋とかそう言った気持ちとは無関係で。
でもきっとこれから違った視点で彼を見つめてしまいそうで。
それってなんだか結局彼にノせられてしまってるみたいじゃない。それはすごく嫌。
……絶対、そんな事にならないんだから! と言い聞かせて一所懸命走った。
走りながらちらりと賢木に送っている自身の瞳の色が、既に今までと違う事に気づかないまま。
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