・Silent Color

 



 一人、ふらりふらりとバベル内をうろついていた。
 待機室だと人がいるから。
 今みたいな時は一人がいい。
 戻ってからずうっとため息ばかりついてる私に薫ちゃんと葵ちゃんは最初不思議そうな顔をしていたけれど、しばらくしてからなにやら合点がいったようで、絡めていた手を外し、ニッコリ微笑んでくれた。

「とりあえず、夕飯までには帰ってくるんだよ」
「皆本はんにはうちらが誤摩化しておくさかいな」

 理解ある友人を持ったことが嬉しくて小さく手を振って待機室を出た。
 ふわふわと、宛もなくひとけがない所を探しながら進んでいく。
 冬は日が落ちるのが早いのが歩いていると実感できる。まだ16時過ぎだと言うのに窓から入り込む光が色味を増してだんだんと赤くなっているから。
 そんな色に誘われるように、自然と歩いていって見つけたのは、バベルの隅にある休憩所という名前の喫煙室だった。
 ここはちょうど建物の西側に位置していて、その上西側が全面ガラスで。赤とオレンジの色の洪水と言う表現がふさわしいくらいに光があふれていた。
 あまりの光量にくらりとして、目で確認することを諦め、壁に手をついて人の気配を透視た。夕方に近いこの時間だと、人がここに来ることは滅多にない。且つ、このご時世にタバコなんか吸う人もあんまりいない。
(あの人も、この時間ならもう仕事に戻っちゃってるだろうし)
 タバコと言う単語で脳裏に鮮明に浮かんだ人物の影をふるふると頭を振って追い出してから、窓際まで進む。こつりと色と反して冷たい窓に額を当てる。

(こんなことで思い悩むなんて、思いもよらなかった)

 一つ、ため息をつきながら。




 今日は特務の任務だった。確率変動はそんなに大きなものではなかったけれど、瞬間移動と接触感応能力が必要だと言うことだったけれど、当然のように皆で現場に行った。
 薫ちゃんは皆本さんと一緒に下で待っていて、私と葵ちゃんはぶつぶつと文句を言いながら、でも的確に任務をこなした。私たちが本気を出したらあっという間に片付く任務で、ものの数分で終わってしまった。

「皆本はーん、終わったで……って何やっとんねん、薫」

 私と葵ちゃんが皆本さんたちの所に戻ると、薫ちゃんがいつものように皆本さんを壁に埋めていた。いつもと変わらない当たり前の光景、一つ違うのは薫ちゃんの頬が真っ赤に染まっていたこと。

「あ、え、っとぉ……」

 薫ちゃんが一所懸命言い訳しようとする。葵ちゃんがテレポートで皆本さんを引きずり出しているのを横目で眺めながら、薫ちゃんの言葉を待った。
 けれども薫ちゃんはもじもじしてなんにも言わない。耐えきれなくなった私はつかつかと救出された皆本さんの所に歩いていって、能力を使った。
 ちらりと透視えた情報に、思わず笑みが浮かぶ。

「薫ちゃん、うっかりつまづいたら皆本さんに抱きとめられて、びっくりした勢いで思いっきり埋めちゃったのね……可愛いっ!」

 あまりに可愛らしい薫ちゃんの行動に思わず彼女の所に走っていって抱きついてしまっていた。

「──いや、それは可愛くはないだろう」

 皆本さんが遠くからポツリとツッコミを入れてるけど、気にしない。……皆本さんは薫ちゃんの乙女心ってのが本当に判ってないんだから。

「皆本はんって、ホンマ女心ってヤツが判らんの? さすがにそれはどうかと思うわ」

 私の胸中のツッコミをものすごいタイミングよく葵ちゃんが呟いてくれた。
 皆本さんはなおもあまりよく判らない顔をしているのだけれど、そんな彼を見ている薫ちゃんの表情がなんだかものすごく皆本さんへの想いがあふれていて。いつもだったら更にからかって遊ぶんだけど何も言えず、抱きついたまま薫ちゃんをそっと見つめているだけだった。
 そして帰りの車の中で、さっきの薫ちゃんの様子をからかいながらも私の心はなんだかどうしようもなく沈んでいった。
 ……薫ちゃん、いいなぁ。
 確かに皆本さんは好き。今でもそばにいると幸せな気分になる。からかって遊んでみたり、甘えてみたりすると心が温まる。
 でも、これが恋じゃないってのは何となく判ってた。──はっきりと判ったのは、最近だけど。
 ──自分があの人に恋をするなんて、思いもよらなくて。
 最初に気づいてしまった時はもう、あまりの驚きにパニックに陥ったりもしてた。でも、今はこの心の気持ちをどうすればいいのか判らなくて一人で悩んでたりする。
 今じゃうっかり廊下で出会うだけでどうしたら良いか判らなくなっていて。それを表に出さないよう、うっかり透視まれないようにと気を張っていて、正直何を話したか覚えている事は少ない。
 さすがに薫ちゃんたちはこの事実は伝えてない。言ってもいいかな、とは思う事はあるけれど、やっぱりまだ恥ずかしいし、それに。
 正直、私なんかが相手してもらえる人じゃない。からかったりからかわれたり、騙したり騙されたりな駆け引きの対象としては見てもらっているかもしれないけれど、あの人の中だと、年齢的にも性格的にも位置的に私は『恋人』のラインに立てないと思ってる。
 そんな、絶望的な状況を説明したいとは正直思えなくて。
 そんなモヤモヤした気持ちは結局どんどん重く心にのしかかっていって。一人でふらりと外に飛び出したのだった。




 冷えた窓ガラスが心地よくて尖った心が少しだけ凪いでいく。額を付けたまま、小さく呼気を吐き出した。このまま一人でこうしてじっとしていればきっとこの心は落ちついてくれるかな、なんて淡い期待を抱いてみた。
 でも、どんどん思考の中に浮かんでくるのはあの人のこと。何気ない仕草にどきりとなったり、ちらりと絡んだ視線に舞い上がったり。
 こんなの自分らしくない、と思いながらももう止められなくて。

(本当に、どうしたらいいんだろう……ここで二人きりで会ってみたら少しは判るのかな?)

 うだうだ悩むのがいやで、もう一度詰まった心を少しでも軽くしようとため息をつこうとした、その時。
 背後に人の気配を感じた。こんな時刻に来るわけがないと思っていても、足音が聞き慣れたものだったので、息をのんで確認しようかどうしようか悩んだその時。

「紫穂ちゃん?」

 今の今まで胸に思い浮かべていた人の声が、耳朶を打った。驚いて、一瞬びくりと肩を揺らしてしまう。視線だけを向け、白い白衣を目の端に捉えた。
 やっぱりそこにいたのはセンセイだった。ギュッと心が締め付けられる。ただそれ以上は動く気になれなくてまた、冷静を装って前を向く。でも心は乱れたままで。
 こんな時間に現れた事への驚き。会いたいと思っていた時に来てくれた、と言う喜び。けれどもどうしたらいいのか判らない、不安感。そんな気持ちがぐるぐると身体中を駆け巡っていた。

「……どした?」

 私が声をかけてこないのを不思議に思ったのか、センセイが近づきながら問いかけてくる。けれど、私はやっぱりどう言葉を返していいか判らず、押し黙ったまま外の夕日に目を向けていた。
 だって、今返事なんかしたら何を言ってしまうのか判らない。モヤモヤとした想いが胸からあふれてしまいそうで。だからこそ、何も口には出せなかった。

「なんか、任務でいやなことでもあったか?」

 任務の時の想いを引きずっているからここにいるわけだけど、任務自体にいやな事があったわけではないので、軽く首を横に振った。でも、それだけ。あとはやっぱり何も言えずきゅっと唇をかみしける事だけが精一杯だった。
 背後でしばし、逡巡する気配。

「すまん、俺もいない方がいいんだよな、きっと。あんまり長いこといると薫ちゃんたちが心配するだろうから、落ち着いたら戻るんだぞ」

 そして紡がれた言葉にはっとなる。

(行かないで!)

 心の中で叫んだ。手が咄嗟に動いて去り際に目の端に過った白衣の裾を掴まえる。
 さすがに動きを規制されて気づいたのか、センセイが振り返った気配がした。
 迷惑かな、と思った。でも、これを離したらきっとセンセイはいなくなってしまう、そう思うとたまらなくて、なおいっそう強く布地を握りしめる。
 すると。センセイがこちらに向きを変えて私の横に立つ。その時、ふわりとほのかに薫るかのように透視めてしまった、彼の思考を捉えた。

(俺でいいって言うなら横にいるくらいおやすいご用だけどな)

 心の中がざわめく。
 この人にとって、私はいつまでたっても守ってあげるべき存在であり、子どもなんだな、って言うのが否が応でも読み取れた。
 それは絶望に近い宣言のようなもの。
 悲しくて、悔しくて。涙の気配を感じるけど、涙を見せる事だけは絶対にしちゃいけないのは判ったから。
 顔を見られないように握っていた白衣を少し引き寄せ、私自身もちょっとだけ寄って、センセイの脇に寄りかかり、視界に入り込まないようにした。
 すると次の瞬間。
 ふわり、とタバコの匂いがしてセンセイの腕が私の肩を包んでいた。びくり、と一瞬驚きで身をふるわせて。滑り落ちそうになった涙が頬を伝わないように白衣に顔を埋めた。
 抱き寄せてくれたのは私が何か悲しんでるから、慰めるためにしてくれたんだと思うの、判ってる。でも──。

(いっそのこと、センセイがこの心に気づいてくれたらどれだけ楽なんだろう……)

 そうしたら、きっと一人で抱え込んでいるよりは楽になれるはず。それが、通じる事のない心だったとしても……。




「ありがと、センセイ」

 ようやく声を出す事が出来たのは、夕日がすっかり色をなくし、代わりに夜の気配が忍び込み始めた頃だった。
 バベル内が蛍光灯で染めあげられるくらいの、そんな長い時間。

「少しね、落ち込んでたの。ほんの些細なことなんだけど」
「まあ、そんなことだと思ったよ。──もう、平気か?」

 言ってる事は軽いのに、声音がものすごく心配そうで。彼の心配を吹き飛ばすかのようにくすり、と笑ってみせた。

「おかげさまで。でもよかった、他に人がいなくって。もし人に見られてたらセンセイロリコン扱いだったわよね」

 軽口が言えるくらいまで回復してる自分によし、と心の中でガッツポーズして。そのまま叫んだセンセイに更に追い討ちをかけたりしていたら、ふわりと心が落ちついていくのを感じた。
 やっぱり、今の関係が一番落ちつくのかもしれない。だって言っちゃったらこんなに笑ったりできないもの。
 しみじみ思って心の底に、せつない想いをそうっと押し込んだ。
 ほんの少し深くなった彼の瞳の色に、気づかないままで。


 


 ・注釈。
オンライン用にとあっためていたものをオフで出したのでちょっと微妙な感じになっちゃったのは否めません。
でも、このお話は本当に書きたくて。なので書き上げられて満足です。

 

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