ノックとともに入ってきたのはグレーのスーツに身を包んだ男だった。
 糊の効いたワイシャツにブルーのネクタイ。身なりだけ見れば、一流企業のエリート社員か青年実業家といったところか。
 だが、それが額面通りでないことは、ここにいる二人にはすぐにわかった。
 鋭利な刃物を思わせる研ぎ澄まされた気配。サングラスをした風貌からは、この男が何を考えているのか読むことすらかなわない。
「こちらへ、どうぞ」
 上官──六道四郎(りくどう・しろう)に勧められ、男はソファーに腰をおろした。向かい合うように六道がすわり、その後ろでオクツは、いつでも動ける体勢で男を見つめた。
 ほどなくして、テーブルに二つのカップが運ばれてきた。
 立ち昇る湯気の香りから、インスタントではないにしても、たいして旨くないブレンドだと察しがつく。
「私が許可するまで、この部屋には誰も近づけないでくれ」
 六道の命令に、お茶汲み娘? は一礼すると部屋を後にした。
「……まわりくどい話は嫌いでね。早速本題に入りたいのだが、よろいしいかな?」
 男は、軽くうなずくとちらりと、オクツへ視線を走らせた。それに気づいた六道が、
「これは、私の部下だ。ぜひ、君の顔を見てみたいというので同室させた。気にさわるのなら退出させるが?」
「いいえ。かまいませんよ」
 そう言って男は内ポケットに手を伸ばす。
 オクツは瞬時に反応していた。
 西部劇のガンマンもかくやという早業で、銃口が男の額をポイントする。だが、男は顔色ひとつかえず、
「ふっ、ここではタバコも自由に吸わせてくれないらしい」
 口元だけを歪めて笑った。
「客人に失礼をした。ここは上官の私からも謝らせてください」
「いや、いい部下をお持ちで羨ましい」
 頭を下げようとする六道を制して、男はタバコに火をつけた。ゆらりと昇る紫煙の向こうで六道は、苦笑した。
「そう言っていただけると、恐縮する。それよりも、書面での君の話、実に興味深い。ぜひ詳しく聞かせてもらいたいものだ」
「──もちろん、そのつもりで来ました。が、タダというわけにはいかない。昨今、情報というのも売買される時代ですからね」
「私どもと取り引きをしたいと?」
 六道はカップに口をつけると、チロッと唇を湿らせた。
「さすがは、シャドウブレイザーズを預る六道四郎。察しがよろしいですね」
「条件を聞こう」
 男は、勿体をつけるようにタバコの火を消すと、六道の顔を見据え、
「──今後、こちらのボーグには手を出さないでもらいたい」
 サングラスの奥の目がわずかにすがめられた。
「なんだとっ!」
 牙をむき出した獣さながらに、オクツが咬みつく。六道の睨みつけるような一瞥がなければ、おそらく彼女は男につかみかかっていただろう。
 六道は残り少ないコーヒーをカップの中でくるくると遊ばせながら、しばし考えるふりをした。もともと彼の中では、この話を呑むつもりでいた。だが、そこはかけ引きというものである。
「……了解した。今後そちらのボーグ並びにボーグマスターには手は出さないことを約束しよう」
 六道の言葉にオクツの顔色が変った。
 まさかと思った。こうも易々と相手の誘いに乗るとは……。
 死んでいったエミコの仇がとれないではないか。けれど、上官である六道の命令は絶対だ。命令無視は、反逆とみなされ処分される。そうなっては、もともこうもない。
「感謝します、六道さん。それでは、こちらの知りうることをお教えしましょう」
 男はツとサングラスを押し上げてから、静かに話を始めた。
 もちろん、その内容は肝心なところをごまかした、彼に都合のいいネタであったことは言うまでもない。
 六道はひと通り話を聞き終えると、
「いや大変興味深いお話を聞かせていただきました。で、今後あなたと連絡を取るにはどのようにしたらよろしいでしょうか?」
 男はしばし逡巡した後、置いてあった卓上メモに、さらさらと走り書きをした。
「ここに、メールを──」
 そう言って、男はすくっと席を立った。
「もうお帰りですか? 今、お食事なども用意させてますが……」
「いや、結構。こう見えても、いろいろと忙しいのでね」
 男はちらりとオクツを見ると、意味ありげな微笑を浮かべた。オクツが怒りのこもった瞳で睨み返す。
『お客様が、お帰りになられる』
 インターホンに向かって六道が話しかけると、ドアが開き案内係りの女性が現れた。
 部屋を辞去しようとする男に向かって、六道は、
「そういえば、お名前をまだ伺ってませんでしたね?」
「御厨暁」
 ふりかえらず、男は答えた。
 六道は、ククッと小さく笑った。
「……いや、失礼。私が想像していたイメージと随分あなたが違ったもので。お許しください」
 だが男はそれ以上何も言わず、その場から立ち去った。

「納得がいきません。どうしてあんな男なんかと──」
 御厨と言った男が消えた部屋で、オクツは上官につっかかった。
「言っただろ? ボーグは一体ではないと。ボーグ同士で潰し合いをしてくれれば、こちらとしても助かる──」
 そう言った上官の顔には、人あたりのよさそうな笑みはもうない。
「ですが……」
 それでも、彼女は食い下がる。目の前に仇であるターゲットがいても手出しができないのだ。
「エミコが報われないか? ふっ、お前のチームの結束が硬いのはわかる。だが、必要以上の仲間意識という奴は、ときに命取りになる。そのことを覚えておくのだな」
 オクツは反論できないまま、きつく唇を噛みしめた。このことをキャッズアイのメンバーたちにどう伝えたらいいというのだ?
 ボーグに対する怒りというより、何もできない自分の情けなさに、彼女の胸は締めつけられた。
「──追って指示があるまで、チーム・キャッズアイは待機。いいな?」
「はっ……」
(この屈辱は……必ず晴らす。エミコのためにも……)
 消え入りそうになる声を懸命に奮い立たせ、オクツは敬礼すると部屋を後にした。
「……そう、それでいい。駒は駒らしく私に従っていれば」
 去り行くオクツの背中を見つめ六道は、そうつぶやいた。
(鷺宮に御厨か……ふふっ、だが、最後に笑うのは、この私なのだよ)

 学校は西村夕の話題で持ちきりだった。
 校門の付近にはテレビ局や新聞、週刊誌などの報道人が、登校してくる生徒にマイクを向けたりインタビューに奔走している。
 そんな光景を見て亜夜は校門をくぐるのをやめた。
 直接ではないにしろ、結果として夕を死に至らしめたのは自分なのだ。以前よりは感情に流されることの無くなった亜夜ではあるが、それでも17歳の女子高生であることにはかわりない。
「クソッ」
 力任せにアスファルトを蹴っとばした。たまたま、落ちていた爽健美茶の空き缶が宙を飛ぶ。
 ぱこっ、
 それは、いきなり曲り角から現れた人影の側頭部にヒットした。
「むぎゅっ〜、痛いのである」
 どこかの格ゲーにでてきそうな、赤いカンフースーツを着た少女は頭を抱え込んでうずくまった。
「……」
 ぶつけようのない怒りのためか、亜夜は周囲の風景が見えていなかった。何事もなかったみたいに、すたすたと少女の横を通りすぎていく。
 てっきり謝ってくるものだとばかり思っていた彼女は、牙をむき出す犬さながらに亜夜に吠えかかる。
「ちょっと、待つある!!」
 いきなり背後から大声で呼び止められた亜夜は、ピタッと足を止めると、ゆっくり振り返った。
 お団子頭の少女は、立てた親指で転がる缶を指差して、
「ぶつかったのである。美鈴(メイリン)に謝るのであーる!」
「ゴメン」
 あっさりと、しかもほとんど感情のこもってない声でそう言うと、亜夜はキビスをかえした。
 ──ぐががががががっ!!
 怒り心頭で、少女──メイリンはわなわなと両手を震わせた。ちなみに、このときまだメイリンは彼女は御厨亜夜だとは気付いていなかった。
「ごごご……ゴメンですんだら、警察いらないのである」
 猛然とした勢いで、亜夜に追いすがるメイリン。
 だが、亜夜も(もちろん、自分が悪いのだが)こんなヘンテコ少女の相手をしている気分ではなかった。
 ちらりとメイリンの方を見ると、
「悪かった。申しわけない──これでいいかしら?」
 ほとんど挑発的とも言える口調で謝罪すると、歩くスピードを早めた。
 ぴくぴく。メイリンの額に青筋が浮き出す。
「ムカァァッ──ある!!」
 もはや、そこからは何が何だかわからない世界に突入していた。
 互いに抜きつ抜かれつのデッドヒート。競歩さながらに商店街を闊歩するありさま。道行く人たちは立ち止まり、中にはどこから持ってきたのか、日の丸の旗を振り出すものまでいた。
 気がつけば、いつの間にか人気もほとんどない空き地へやってきていた。ゼイゼイと肩で息をしている二人。いったいどーいう経緯でこんなことになったのか、きれいさっぱり忘れている。
 そこだけポッカリと取り残された空間に目を向ける者はいない。バブル華やかりしころの地上げの後は今や都会の中の異界と化していた。
 亜夜は青い空を見上げ、大きく深呼吸をすると
「つ、疲れた……」
 いくら日々鍛練をかかしてないとはいえ、競歩はキツイ。これならマラソンの方がナンボか楽だったりする。
「や、やるある──オマエ、名を名乗るある」
 メイリンはにわかライバルを、素直に賞賛した。亜夜の顔にも久々に笑みがこぼれる。戦いとは違う、純然とした運動にいつになくすがすがしい気分になっていた。
「亜夜……御厨亜夜。あなたは?」
 その名を聞いたメイリンはしばし考え込む。
(みくりや……ミクリヤ……御厨……なっ!!)
 頭の中で反芻しているうちに、彼女はやっとあることに気付いた。びしっと亜夜に向かって指を差したかと思うと口をハグハグさせながら、後ろへさがる。
「さささ……さすがある。こうして油断させておいて、このメイリンを倒そうなんて、恐るべき作戦なのである」
 メイリンはほとんど勝手な解釈をつけた。
 いきなり、わけのわからないセリフを紡ぎ出すメイリンを見て、首をひねる亜夜。だが、次の刹那、彼女の背後の空間がわずかに歪んだのを亜夜は見逃さなかった。
「まさか……〈人形使い〉!?」
 亜夜の身体に緊張が走る。
 水面にできた波紋のように波打つそこから、ハチュウ類をデフォルメした頭部がにゅうっと突き出してきた。
 メタリックブルーの装甲。そのフォルムはさながら金属でできた龍を思わせた。西洋にでてくる龍じゃない。オリエンタルドラゴンまたはチャイニーズドラゴンと呼ばれる細長いものだ。
「蒼龍、行くあるっ!」
 速い。全長3メートルはあろうかという身体が一瞬鎌首を立てたかと思うと亜夜に向かって疾った。Dエンジンの生み出す無限のエネルギーと地球の地磁気を利用した常温超伝導システムが蒼龍――ボーグEに宙を舞う力を与えていた。
 亜夜の中で心臓がビートを刻む。その鼓動にシンクロして熱くヒートするDエンジン。
「ボーグR、ゴーッ!」
 空に生じた水面から、くるりと一回転すると亜夜の分身は華麗に大地に降り立った。そこへボーグEが突進してくる。
 がしっ、
 2体のボーグが激突する。ボーグRはボーグEの角をつかんだ。二つの力がせめぎあって起こる衝撃波が大気を震わせる。
 ぐいぐいと顔を突き出すように押すボーグE。身をくねらす様は、本物の龍をみているかのようだ。
 じりっ、じりっ──
 ボーグRは地面をえぐりながら押されていく。パワーはどうやら、ボーグEの方に分があるらしい。
 と、ふいにボーグRが地を蹴った。ボーグEの力の反動を利用して角を支点に回転する。
 メイリンが鼻で笑う。彼女の手の中で透きとおる青をたたえたオーブが、淡い光を放った。
「甘いある」
 だが、それもメイリンの予測の範囲内の動きだ。ボーグEに馬乗りになったボーグRを鉤爪のついた腕が襲いかかる。
 ぎぎぎっ、
 人工皮革のスーツが無残に切り裂かれる。ボーグRは身をよじらせ、ボーグEの背から振り落とされた。
 大地に打ちつけられ、彼女のボディがバウンドした。そこへ、すかさず身体を反転させたボーグEがやってくる。
「ボーグRっ!!」
 亜夜の声に応え間一髪のところで蹴上がると、しなやかな身のこなしで後方へトンボを切った。たった今ボーグRがいた大地が、大きくえぐられる。
 亜夜はふーっと息を吐いた。3メートルの巨体から繰り出されるタックルを食らっていれば、いかなボーグRとてスクラップ寸前だったに違いない。
(このボーグ実戦慣れしている――)
 亜夜はボーグEの攻撃に内心舌を巻いていた。今まで相手にしてきたボーグと比べ動きに無駄がない。おそらくは〈人形使い〉の資質が、根本的に西村夕や石坂有紀とは違うのだ。ボーグを操り殺戮をすることに何の躊躇いもない。いや、メイリンはむしろそれを楽しんでいると言ってもよかった。
 メイリンの手の上で青いオーブが輝きを増す。
「蒼龍、ハウリング・ブレスある!」
 カアッ、とボーグEの口が開いた。その瞬間、ボーグRの身体を凄まじい衝撃波が襲う。腕をクロスしてそれに耐えようとするが、あえなく後方へ弾き飛ばされた。
 毎秒5万ヘルツにも達する超超音波を防ぐことは、至難の業だ。まして、それが不可視の力だけにかわすこともままならない。
「これが、ボーグRあるか? 新型と言っていも使い手が三流じゃこの程度ある」
 倒れたまま起き上がれないでいるボーグRを見て、メイリンが不敵に言い放つ。
 亜夜はぎりっと唇を噛みしめた。彼女の瞳には機械でできた自分のドッペルゲンガーが白煙を上げながら映っていた。衝撃波の影響かボーグRは麻痺したみたく動かない。
「立って、ボーグR。立つのよ――」
 亜夜の呼びかけにも、ボーグRはわずかに指を震わすばかりだ。
「さあ、そろそろトドメある」
 うねりを上げてボーグEが躍りかかる。本物の龍のように咆哮をあげると、再び、その大きなアギトが開いた。
 勝ちを確信したメイリンの唇がニヤリと笑う。少女のあどけなさの中にこの上もなく邪悪な微笑が重なった。
「動いて。動いてよ!」
(こんなところで負けたくなんてない。鷺宮への復讐は? 万里ちゃんを守るって……元に戻すってお母さんとも約束したじゃない── 動いて……お願いよ。動いて──ボーグ・アールゥゥ!!)
 亜夜は心の中で絶叫した。もはや言葉というキャパシティーを越えた彼女の思いが、ハートをDエンジンを熱く震わせた。
 ボーグRの右腕が持ち上がる。その拳が風の疾さで空を裂いた。
 奇跡──いや、違う。彼女の熱い思いにボーグRが答えたのだ。
「なにあるっ!!」
 メイリンの顔が驚愕に歪んだ。ハウリング・ブレスの直撃を受けて、こうも短時間で動けるようになるとは予想していない。
 ワイヤード・ナックル――超伝導の反発作用で発射された拳は、あやまたずボーグEの上顎にヒットした。
 発射角を狂わされたハウリング・ブレスが彼方のコンクリートの塀を破壊する。
「きいいいいーっ!!」
 悔しさのあまり地団駄を踏むメイリン。憎しみのこもった眼差しが、ボーグRを御厨亜夜をとらえる。
「メイリン、油断ある」
「抜け駆けは、いけないのである」 
 はっ、として声の方を見やるメイリン。亜夜もすぐさま、新たなる来訪者に気付いた。
 メイリンとウリ二つの容姿。一人は真紅のチャイナドレス。もう一人は漆黒のパオと呼ばれる拳法着を着ていた。そう、香港のカンフー映画に出てくるスカート状の服だ。
 三つ子なのだろうか? おそらく着ているものが同じならまず見分けがつかないほど、彼女たちは似ていた。
 メイリンはさっと身を翻し、二人の横に並んだ。
「……あなたたち、いったい何者なの?」
 亜夜の問いかけに彼女たちは、クククッと低い笑いを洩らした。
「高鈴(カオリン)である」
「美鈴(メイリン)である」
「胡鈴(ホウリン)である」
 三つの影が重なり一つのシルエットを浮かび上がらせる──
『柳家三姉妹である』
 三人の声が重なった。その瞬間、背後で小さな爆発が起こった。さながら戦隊モノの登場シーンと言っていいその演出は、メイリンが密かにボーグEのハウリング・ブレスを使って行っていた。
『御厨亜夜──』
「死ぬのである」とカオリン。
「くたばるのである」とメイリン。
「あの世の行くのである」とホウリン。
 ボーグEに続き、カオリンとホウリンの背後から紅龍──ボーグD、黒龍──ボーグFが空間を割って現れた。
 三体の龍型ボーグは、色の違いこそあれどれも同じ形をしていた。
「……勝手なこと言わないで」
 亜夜はキッと柳家三姉妹を睨みつける。亜夜の前に出たボーグRがファイティングポーズをとった。
『我らのロンの力、味わうがいいある!!』
 赤、青、黒──柳家三姉妹が手にしたオーブを掲げた。三色のオーブが明滅し、それに合わせ三体のボーグもそれぞれの光りに包まれる。
 その閃光に一瞬亜夜は目がくらんだ。
「ここはカオリンに任せるのである。チェンジ、ボーグ飛龍(フェイ・ロン)、セット・ゴーある」
 カオリンのボーグDを先頭に、ボーグE、ボーグFが続く。その驚愕と謎の変形機構により、三体のボーグが一つの巨大な龍と化した。
「な……」
 視力が戻った亜夜は、そのあまりにも掟破りな光景に言葉を失う。
(こ、こんな奴とどう戦えっていうの!?)
 全長にして10メートル。その巨体が宙でトグロを巻くがごとく浮いている。
「どうだ、驚いているのである」
「恐怖で足がすくんでいるのである」
「まさに風前の灯火なのである」
 いったい誰がどのセリフを言ってるんだかわからない。
『行けっ、フェイ・ロン!』
 三姉妹が叫ぶ。
 ゴオォォォという唸り声を上げながら、飛龍が動いた。ボーグRと亜夜は同時に後方へ跳んだ。ただでかいだけのハリボテとは違う。その攻撃力は3つのDエンジンの相乗効果で3倍以上の攻撃力を有している。
「ボーグR、ワイヤード・ナックル」
 亜夜の命令に鋼の拳が空を疾った。
 だが、それもあっさり弾き返されてしまう。
「無駄なのである。あきらめて溶けるのである」
 ホウリンが言った。
「フェイ・ロン、バーニング・ブレスある」
 ぐーっと飛龍はコブラさながらに鎌首を立てて、ボーグRを見下ろした。
 と、遠くから近づいてくるイグゾースト・ノーツ。悲鳴のようにタイヤをきしませ、一台のバイクが空き地へと入ってきた。
 開いた飛龍の口の中にオレンジの炎が揺らめく。摂氏1万度以上の超高熱の火炎放射器がそこには仕込まれていた。
 燃え盛る熱い息が、勢い良く吹き出す。
(かわしきれない──)
 亜夜がそう思ったとき、バイクがバーニング・ブレスの火線上に割り込んだ。
 鉄の馬にまたがった青年が左手をかざした。細く長い人差し指にはめられた、ルビーに似た石が煌めく。
 炎が――超高熱の炎が、青年の前で何かに遮られた。どうやら、指輪から発生した特殊な力場が、物理的な障壁を形成したらしい。
 青年はバイクから颯爽と降り立った。栗色のショートの髪がふわりと揺れる。黒のライダーズジャケットに同色のデニムを穿いた姿は、まるでしなやかな黒ヒョウさながらだ。
「……これが噂に聞く、柳家三姉妹のロンか」
 飛龍を見上げ青年がつぶやく。完璧な天使の横顔から漏れる声は、楽の音のように密やかで、美しい。玻璃の瞳は、目の前の巨大な殺戮兵器をいささかも恐れてはいない。
 青年の唇がかすかに動いた。おそらく本人も気付かないほどの小さな微笑。だが、それは、見るものにとってこの上もなく不敵な笑みに感じられた。
 青年は肩に背負った剣を抜く要領で、右肩に手をまわす。空間がわずかに揺らいだ。
(ボーグ? この人も〈人形使い〉なの?)
 だが、亜夜の予想と違い空間からボーグは現れなかった。代わってそこからは、剣の柄のような握りが突き出す。青年は、それをつかみ引き抜いた。
 ジャンプ一番、空へ跳躍する。
「邪魔しないある!」
 メイリンが吠えた。ぶんと巨大な龍の手が宙を薙ぐ。青年は龍の鉤爪を紙一重でかわす。青年の持つ剣がヒィィィンと唸りをあげた。
「……あれは、高周波ブレード!」
 亜夜はそれが、ボーグRの武器と同じものだと気づいた。自ら発振する刀身が飛龍の右腕を叩き切った。
 青年はそのままバイクシートの上に跨った。すーっと高周波ブレードが、空にできた歪みに沈んでいく。
「乗りな、早く!!」
 亜夜の方を振り返り、青年が言う。一瞬躊躇いの顔を覗かせるが、彼女はすぐに決意した。ダッシュでタンデムに跨ると、
「戻れっ、ボーグR──」
 金色の髪をした亜夜の分身は倒れるように空間の裂け目へと落ちていった。
「行くよ。しっかりつかまってるんだ──」
 青年の強く優しい眼差しが、亜夜の双眸をとらえた。亜夜は青年の腰に手を回すと、ぎゅっと抱きしめた。青年のどちらかといえば、華奢な身体を、なぜか大きくて暖かく感じた。そう、ちょうど幼いときに父の背に揺られてときみたいだ。
 バイクが勢いよく発進する。
「……ぎっ。逃がさないある!」
 カオリンが叫んだ。飛龍の腕を破壊され、彼女の顔は、青年と亜夜に対する憎悪で満ち満ちていた。
 だが、反応する飛龍の様子がおかしい。片腕を失ったことが、合体の機構に微妙な影響を及ぼしているのか──
「カオリン、ここは引くのである。ボーグ故障ある」
 3人の内ではわりと冷静なホウリンの忠告にカオリンは悔しげに唇を噛んだ。
 バイクが空き地の角を曲り視界から消えた。
 後には、ただイグゾーストの音だけが聞こえるだけだった。

「ありがとう、でも、あなたは一体?」
 水音が聞こえる。小さな橋の上で、バイクを下りた亜夜は尋ねた。聞きたいことはたくさんあった。
 スッと、亜夜の唇に青年が黒い革手袋を嵌めたままの指を押しあてた。
「質問は一つだけ、次にあった時の楽しみがなくなる」
「次に……」
 亜夜は我知らず頬を染めた。まるで再会を約すような口ぶり。
「あなたの名前、教えてください」
「氷室雪都」
「ひむろ・ゆきと……」
 繰り返す。
 遠ざかるイグゾートスを見送る亜夜の瞳は、醒めない夢を見ているかのようだった。

執筆:夜人

つづく