鋼鉄のゴリラ〈AJ〉が雄叫びを上げた。
肉声ではない。
内蔵された動力源の獰猛なまでの稼動音が、猛獣のそれを想起させるのだ。
その目─―大型の猿ならば眼窩にあたるその部分は、亜夜を絶望の淵に追いやる無機質な底光りを放っている。自動プログラムか遠隔操作か、いずれにせよ無慈悲にして凄惨無類の破壊者に違いない。
封鎖された路地の反対には、薔薇色の虎。
身に纏う圧倒的な威圧感は、迫りくる〈AJ〉に勝るとも劣らない。
地上六階からのダイブは新型アーマースーツの飛躍的性能アップを証明している。
名も知らぬ敵は、復讐に燃える虎として生まれ変わったのだ。
女は言った。
「頸を取る前に名乗らせてもらう。シャドウブレイザーズ――チーム・キャッズアイ、隊長オクツ」
正に、絶体絶命であった。
『死』をこれほど意識したことはなかった。
〈AJ〉に対してボーグRを操る間、この恐るべき女をとどう戦えというのだ。
――無関係の真弓を守りながら。
彼等は決して容赦すまい。
先日、幼いまいに対してもそうだった。
後ろ手にかばう真弓は、背にしたフェンスなしでは自力で立つことさえできない。
〈AJ〉の前進に伴う地響きと、極度の怯えのせいだ。まともな人間としては、無理もない反応といえた。
「なんなのアレ!? ……亜夜ちゃん、あなた……あなたいったい、誰なのっ!!」
真弓は当然の疑問をぶつけてきた。
(そう……彼女は、あたしを知らない。あたしだってまだ彼女を……)
逡巡を見透かしたかのように、オクツが言い放った。
「ふふ、どうした? 今日会ったばかりの御学友のために戦闘放棄か。そんなタマじゃないはずだ。それとも、自分だけ逃げる隙をうかがってるのかい」
「……」
残酷な嘲笑を漏らすオクツへ、亜夜は返す言葉をもたなかった。
一瞬、逃げることを考えたのは、事実だ。
活路は──ボーグRを出現させた上での戦闘回避、これ以外にない。
刹那に思い描いた戦術の中には、巻きこまれて血塗れになる真弓の姿が、確かに在ったのである。
ボーグRで学校のフェンスを破って校庭に抜け、まずは八方塞がりのこの路地から脱出すること。
だが、その瞬間、〈AJ〉とアーマースーツの女の双方から攻撃され、残された真弓は……。
火を見るより明らかな結末。
だから、出来なかった。
ずっと昔から知っていたような気のおけない笑顔に、強く後ろ髪を引かれていた。
眩しいくらいな明朗快活さが亜夜を縛った。
かつて、亜夜にも多くの友達がいた。
今でもふいに思い出す、親友がいた。
もう、自分の人生と交わることのない、懐かしい人々。その記憶は、唯一亜夜を人間たらしめるかけがえのないものだ。日々侵食を企てる獣の心をくいとめる最後の砦と言ってもいい。
幼稚園から中学まで、ずっと同じクラスだった幼馴染み。告白したけど上手くいかなかった初恋の相手。彼はその後、何でも相談しあえるボーイフレンドになってくれた。試験前には順番に家でお泊まり勉強会をしたクラスメート。彼女たちとは同じ高校に合格して、抱き合って泣いた。
大切にしまい込んだ胸の奥のポートレート。
何故か、その中の一枚に、真弓がいる……
今朝からのほんの数時間で、真弓は亜夜にとってそんな存在にまでなっていたのだ。
だから、身の上をわきまえず連れだって下校などしてしまった。
この状況を真弓のせいにはできない。少しの時間でも、復讐者たる心にすら安らぎを与えてくれた、このどこまでも快活な少女を見殺しになど、亜夜には到底できなかった。
甘い、と思いつつ、亜夜は単独逃走を捨てたのであるが……。
「顔にでてるぜ。何故そうしない? ボーグB使いのガキと違って、その娘を守る意味はない」
亜夜は身を強ばらせた。
半ば本音をつかれ、行動を予測されたことより、この動揺が背後の真弓に伝わったこと、それが何より辛かった。
ハッ、と息を止め、目を見開く真弓の動作が制服ごしに感じられた。
クリスチャンの洗礼を受けたわけではないが、聖オルコット学園のシスター風に言えば、思ったことはやったこと変わりない。
背中に突き刺さる何とも言い難い視線。
それを振り切るかのように亜夜は叫んだ。
「その通り。このコは無関係よ。わかってるなら解放してあげて!」
オクツは、ヘルメットに収まりきらない黒髪を後ろに靡かせながら嘲笑う。
「ハッハッハッ、あたしがそうしようにも、〈AJ〉がどうかね。こいつは今、動くモノ全てに反応する。つまり、ボーグを出してなんとかしなけりゃ、おまえたち二人がターゲットになる」
そして、その時自分は亜夜を討つ……オクツのその意志は、ギラつく眼光となってヘルメットのバイザーを貫き、亜夜へ届く。
「一般市民の生命をっ!!――仮りにも政府機関でしょう!」
「そう、超法規的だがね。多少の犠牲で多くを救えるなら、その道を選ぶ。御厨亜夜を倒すための貴い犠牲一名、報告書にはそう記される」
「……交換条件よ!」
「タイムリミットまでわずかだ。〈AJ〉の射程範囲圏にはいったら、もう誰にも止められない。ワンダッシュ10mは下らないはずだ」
亜夜の声色には、哀願の響きさえ交じり始めた。〈AJ〉はすでにギリギリの間合いに迫っていた。
「あたし一人なら、大人しく捕まってあげる! この場で殺してもかまわないわ!」
途端、オクツが右手を挙げる。バイザーの奥で、オクツは羅刹じみた形相にかわった。
オクツの後方、路地を塞ぐトラックの方からミカのUZIサブマシンガンが火を噴く。
狙いは二人の足許だ。ただの脅しではなかった。当たったところで痛む心はない、そんな乱射だ。
亜夜のなかのDエンジンが稼動した。
即座に亜空間を斬り裂いた両手が、危険とみなされる跳弾を弾き飛ばす。
「ううっっ!」
真弓の呻きだ。
亜夜は思わず振り向いた。幾つかの弾丸が真弓のスカートを貫いたようだ。アスファルトに膝を着いた片脚、チャイナドレスのように裂けた部分から、鍛えられた躍動的なももをさらけ出させていた。
しかし、出血は見当たらない。
握りしめるように手をあてるのは、左胸だった。
「真弓ちゃん! まさか、あの傷が……心臓発作なの!?」
「……ううん、へ、平気だよ。こんなの、何年ぶり。ちょっとビックリしちゃったから……。バレーやってても出ないのに……こんな時に、ごめんよぉ」
驚愕したのは亜夜の方だった。
真弓は笑っている。
もちろん無理に作ったものだが、学園で見せてくれた、あの悪戯っぽい笑みだった。
跳弾でズタボロになったスポーツバッグから、使いこんだバレーのボールが転げ落ちている。
真弓は、黄ばんでしまった白球に震える手を伸ばした。代わりに拾った亜夜に真弓は言う。
「ありがと……大事な人にもらったものなんだ。お守りみたいなもの。春高バレーで代々木に行けるとイイなって……」
ここで終わらせるわけにはいかない。真弓の夢、大切な人との時間を――。この先、何人もの人を幸せにできる、この笑顔を!
再び銃声が地を抉った。こちらを向けと、焦れたように。
「ふざけた条件だ。それは許せないね。この前以上の力を見せてみろっ。でないとエミコの弔いにならないんだよっ!」
すっくと立って、睨み返す亜夜。やるしかないと腹をくくっていた。
「そう、それでいいんだ。……有効な戦法を教えてやろう。その娘の体を盾にして戦うんだ。このシルバーリンクスの初撃を避けたければ。あんたにはお似合いだぜ」
オクツから眼を離さず、亜夜は真弓にいった。
「驚かないでね、何があっても。……あたしが死のうとどうなろうと、すぐにあたしのことなんか忘れるって約束して。そして〈人形〉のことも」
ボーグRがその全貌を現し、〈AJ〉に面を向けていた。
「それが、〈人形〉・・・・?」
真弓の声をかき消して、オクツが毒を吐く。
「知ってるよ、憎い仇がいるんだろ。そいつに辿り着くためには手段など選ばない、そうゆう女さ。……前の学校で、同類の〈人形使い〉を手に掛けてるじゃないか。相手も化物とはいえ、その娘と同じ年頃の女子高生をな」
――臨界点だ。
ボーグRがファイティングポーズを取った。
〈AJ〉の膝関節部分のミリ単位の撓みを看破しての反応だ。想像を絶する破壊行動の予兆。
その時――
口火を切って疾ったのは、真弓だった。
目を見張る跳躍力を発揮してフェンスに飛びついた。ソフトボール部の練習のために高く張られたネットを、見る見る半分近く這い上っていく。
そうしながら、叫んだ。
「迷惑なんて、かけるもんですか! あたしのせいで死んだりしないでよねっ! めげてないで、戦いなさいよ! 右の頬叩かれたら、左の頬を打ち返せ――バレー部コーチの口癖なんだから!」
亜夜が真弓を見あげた瞬間、〈AJ〉とオクツが同時に地を蹴った。
ゴッ、
〈AJ〉のいた場所に、大きな窪みができた。
巨躯の安定を計るために設計された馬鹿でかい足底部が、成人男子の上体ほどの穴を穿ったのだ。
その穴よりさらに巨大な拳が暴風を巻き起こし、ボーグRに振り下ろされてゆく。
10m余りを0コンマ5で移動する1.6tの鉄塊。
最短の軌道を選んで繰り出される左の突きは、ボーグRの全身に匹敵するサイズである。
喰らえば、いかなボーグRのボディも四散しかねない。ギリギリでかいくぐり、足首に一撃……亜夜はそう考えた。超重量ゆえに、最も負担を強いられる箇所、その脆さに一縷の希望を託すべく。
が、オクツはそれを許さなかった。
なんと、オクツの速度は、〈AJ〉と殆ど変わらぬほどのものであった。
完全な計算外だ。
彼女の自信の源、身体機能を十倍にまで高めるティーゲル・トラウムが生み出されるに至る凄惨な歴史を、亜夜は知らない。
人形への恐怖、〈人形使い〉への憎しみを塗り固め、生身をもって人形と相対するために編まれた叡智の結晶、それが薔薇色の虎なのだ。
オクツは、100mを11秒台で走る。
ティーゲル・トラウムを装着し、宿敵を前にした今、彼女は限界を超える速度をはじき出していた。
怪鳥に似た奇声が耳腔を打つより速く、足刀が亜夜の頬を掠めていった。
それはナイフのように、亜夜の顔にさっくりとした傷口を残した。
だらり、と熱いものが流れ出した。
それが自分の血と悟った時、爆音を聞いた。
〈AJ〉の拳が、ボーグRを捕えたのだ。
ダッキングの動作の途中で亜夜の注意がそれたため、身をかがめた姿勢で腰の辺りを上から擦られた。それだけのことが、凄まじい力積を生んだ。
亜夜に瓜二つのフォルムが一度地面にバウンドし、それからビルの側面に衝突した。
ボーグRは直径5mの空洞を作り、崩壊したコンクリートの下へ消えていった。
〈AJ〉の突きはそれでも止まらなかった。
アスファルトをチーズのようにめくりあげ、それから斜め上にはねあがる。
太い腰が、ぐるりと左へ回転していた。
間断も躊躇いもない、滑らかで強靭なバックブロウ。
「いやぁぁぁ―――――――――っっ!!」
年齢と容姿にみあう悲鳴を、亜夜は素に戻って絞りあげた。
〈AJ〉は、もう一つの動くモノ……真弓を狙っていた。
真弓は熱せられた飴のように曲がったフェンスから手を離していた。〈AJ〉の起こした風圧に、真弓の握力、フェンスのどちらもが耐えきれなかったのだ。
空中を力無く落ちてゆく真弓の頭部へ、無情の死が突きあげられていった。
「アヤコ、今のどう見えた」
「ハッ?――今の、とは……」
鮮明に戦況を映し出すモニターを凝視しながら、サキエがつぶやいた。
〈AJ〉を搭載していた大型トラックの中に小さな緊張が疾った。
アヤコにとってもサキエ技術仕官は伝説の戦士であり、尊敬する上官オクツの唯一の憧れの対象である。話しかけられるだけで背筋が伸びるが、今の感覚は少し違った。
戦慄に近い何かをアヤコは感じ取った。
この人が自分ごときにこんな質問を投げかける時、好ましい事態が展開しているとは思えないのだった。
「私には一分以内にケリがつくように見えますが」
返事に僅かな間があった。不安が増す。
「あたしにもそう見える。あの〈人形使い〉の方はね。ティーゲル・トラウムと〈AJ〉のペアは、人形一体なら恐れるに足らず。計算通り、100%征圧可能だ」
「……」
「今地面に落っこちた女子高生の方さ。変じゃなかったか?」
「死亡したはずです。頭部の皮膚にかすっただけでも人間の脳は……」
「プリンシェイクさ。保証するよ」
「では?」
サキエには、〈AJ〉の一撃が外れたように思えた。
木の葉が揺れて、掴もうとした人の手をすり抜けるように。
考えこむサキエに、今度はアヤコが、
「計器に反応が! もう一体、付近に人形が!」
「――いや、コレは……なんだ? 似ているが、認識パターンが違う! 何処だ、補足周波数が微量すぎる……これじゃ正確な位置がつかめない!!」
最初の一撃でボーグRは、大打撃を負っていた。
右腰の人工皮膚は裂け、動くたび小さな火花を散らしている。左手の肘から先も機能不全に陥っているようだ。
中国武術で言う化勁の動きができなくなった。
化勁の化は、相手の攻撃を無力化することをさす。日本で言えば、受け流し、引き、崩すなどを含めた「合気」とゆう言葉に相当する。
斬獄業火四将拳を学ぶ際、まず真っ先に暁に叩きこまれた動きだった。体格と膂力に恵まれない亜夜には、なくてはならない技術であった。亜夜の体得したそれをボーグRに投影させるまで、どれほどの血を流したことか。
〈AJ〉のようなパワーファイターにこそ、最も有効なのだが、微妙な皮膚感覚で相手の力の流れを察知すことも、その流れを操作してやることも、今のボーグRには困難だった。
〈AJ〉の剛腕を受け流そうとするたび、数ミリの動作ミスから恐ろしい拳圧を喰らうのだ。
全く触れさせず、逃げ回るしかなくなっていた。
そして、その状況すら、オクツの意のままに操られはじめているのだった。
オクツは明らかに嗤っていた。
ヘルメットの造型は、口許だけを露出する形をとっており、そこから両端を吊りあげた紅いルージュを覗かせるのだ。
「どうした!? いつでも終わらせられるぞ、お前の生命!」
ワイヤードナックルは〈AJ〉の体に重大なダメージをもたらさず、高周波ブレードを出す隙をオクツは与えなかった。
オクツは音速に超えてしまいそうな四肢を叩きつけ、時折、愛刀シルバーリンクで斬りかかる。
制服と白い肌は、オクツの思い描くままになます切りされていく。
「ラアアアッ――ッ!!」
オクツのボディアッパーが、亜夜の鳩尾を射抜いた。
意志に反して、血液交じりの胃液が漏れる。一瞬遅れで到着する、地獄の苦しみ……人体の苦痛を知り尽くした暴力のプロによる打撃だった。
ティーゲル・トラウム、〈AJ〉ともに、駆動可能時間はあと5分。オクツは余裕をもって締めの刻を決定した。
亜夜が地に伏すと同時に、ボーグRも叩き伏せられた。〈AJ〉の脚に踏みつけられたまま、動きを止めている。
(終わりね……)
ある種の安堵が、亜夜を包み始めていた。
(ゴメンね、まり……真弓ちゃん)
何かが、亜夜の体を揺すってくる。
早く殺して、そう思った。
だが、亜夜に触れる者の奇妙な暖かみが、いざなう暗闇を追い払おうとしている。
「亜夜ちゃん、あたし、アイツのゆうことなんて……信じないよ」
「え……真弓ちゃん?」
すぐ近くに倒れていた真弓だ。
亡き骸と思っていた真弓が、薄く開いた瞳に天を映しながら、残った力で亜夜に語りかけている。
「復讐なんて聞いたら、シスターたちは失神するだろうけど……大丈夫、あたしは味方だから。明日さ、懺悔に付き合ってあげるから、だから……」
「真弓……真弓ちゃん!!」
真弓の言葉はそこで途切れた。
両手で胸を掻きむしり、それから力がぬけていった。
「もういいかい? 仲良く逝かせてやる、こいつで串団子にしてな」
真弓の体にかぶさるようにして抱きしめる亜夜。オクツはその背中に最後通牒を言い渡した。
「急速に体温が低下しています。あの個体はもはや活動不可能です」
体温感知センサーは、一人少女の死を確定事項として告げた。
だが、サキエはアヤコを突き飛ばすように立ちあがり、トラックを飛び出していった。
少女の体温低下に反比例するように、人形に類似した気配が上昇していた。サキエの経験の中にもない、不足の事態が起ころうとしていた。
オクツの眼前で何かが炸裂した。
「退け!――未知の新種だっ!!」
サキエの叫びが届く寸前のことだった。
異様な殺気に感応し、とっさに飛び退かなければどうなっていたか。それが、白い色だったこと、オクツに把握できたのはそれだけだった。
亜夜にも事態は飲み込めていない。
「誰なの……?」
オクツと自分との間に誰かがたっている。
突如まきおこった砂塵の中に。
風が空気をあらい流した時、亜夜は奇跡を見た。
それは、いつの間にか亜夜の腕から抜け出た真弓ではないか――
オクツはヘルメットに張り付いた白い残骸を手に取り、自分を襲ったものが何か、やっと気づいた。
(ふざけやがって……バレーボールかよっ)
「ばかな、やつはゾンビか!?……」
アヤコが装甲トラックの中で呻く。
「体温15度……なぜ動ける。それに、いまのタマ、時速550キロオーバーだとォ?」
シャドウブレイザーズには、人形に対抗しうる超人を生みだすために、あらゆるジャンルのトップアスリートのデータが集積されている。だが、膨大な情報量をいくら検索しようとも、球技において550キロのスピードで玉が飛んだ記録はない。
バレーなら、なおのことだ。世界レベルの男子で160キロ、女子では135キロでしかない。
最速はバトミントンで、300キロ強。それも、打ち出しの初速のみ。ごく短い距離のことである。
オクツのパニックは無理もない。
死んだと思った人間が、神速の勢いで動き、超人と化した己を上回るスピードボールを打ち込んだのだから。
「真弓ちゃん!?」
亜夜の声に答えはない。
その代わり、真弓の周囲に奇妙な瘴気のようなものが揺らめきだす。
半透明の空間の歪み、そう、あたかもオーロラの如き光。
ボーグが出現する時ににていた。
いや、この時空に生まれいずることができず、もがき苦しんでいるように見えた。
「ゴメンね、亜夜ちゃん。隠してたんじゃないの……知らなかったの、これを人形と言うって」
目を凝らしても幽鬼さながらのそれは、奇妙な姿をしていた。腕が見えた時には、脚が見えず、あらゆる部位が始終明滅をくりかす。
逞しい男性の体型を有していた。
「あたしは、デビル君てよんでた。ほら、山羊の角みたいのがあるでしょ」
「――!!」
地響きが亜夜の体を跳ねあげた。
〈AJ〉が襲いかかってくる。
「いかん! アヤコ、〈AJ〉を止めろ! 遠隔操作にきりかえて、全員退避しろ!!」
サキエの指令は、遅すぎた。
いや、〈AJ〉が速すぎたし、真弓のデビルはそれよりさらに速かった。
デビルの背に巨大な翼が広がったかとみるや、静止状態から飛翔旋回にうつっていた。
〈AJ〉の股間を難なく潜りぬけ、背中に張り付き上昇してゆく。肉眼で追いきれない高度まで、アッという間に。
〈AJ〉の片足が、ごとりと落ちてきた。
デビルの翼に切り落とされたのだ。
真弓がいない。
デビルの早技と共に、真弓の姿も消え失せていた。
「!」
「!」
「!」
シャドウブレイザーズが、そして自ら人形を操る亜夜までが、驚愕せずにはいられなかった。
〈AJ〉を地上に叩きつけるべく、落下してくるデビル。
真弓はデビルとともに、亜夜たちの遥か上空にいた。
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