ファミレスの一角を、迷惑な一団が占領していた。
 だみ声を遠慮なしにまき散らしている。
 駐車場にデタラメに放置された、改造スクーターの山を見たら、彼女たちの正体はおおよそ知れようというものだ。無力な獲物を探すような目つきに恐怖してか、二組いた先客も、早々に店をあとにし、いまや店内は貸し切りも同然の状態だ。
 気の毒なのがバイトの店員たちで、物騒な客を刺激しまいと、身を縮こめるようにして苦難に耐えている。さぞや、気が気でない一時間であったに違いない。
「でよぉー」
「ぎゃはは……バカいってんじゃねぇ!」
 化粧が板についていない年齢ながら、少女たちの粗暴さは狂犬さながらで、多人数という意識も、傍若無人な振る舞いを助長している一因であったろうか。あるいは、軽い薬物中毒にでも陥っているのかもしれない。
「あっれれー、どうしたんスかぁ、ユウさぁん……?」
 酔いと、おもねりがカクテルされた濁声が響いた。
 思考力が働いているとは思えない酩酊ぶりで、自分自身の言葉も正確には理解していまい。脱色した髪の下、視線が虚ろに宙をさまよっている。
「うるせぇんだよ、バカ!」
 凶悪な声が怒鳴り返すや、座がシンと静まり返った。
 狂犬たちを黙らせるに足る、殺気がのった一喝だった。
「ふ、ん……」
 リーダー格の少女――西村夕は、鼻を鳴らすと、ビニール椅子に深々と身を沈めた。今日に限ってはバカ騒ぎに加わる気にもなれない。
 不安が胸を浸していた。
 自分を誤魔化すように、バイクを走らせてみたけれど、モヤモヤは払拭されるどころか、澱のようにたまりはじめていた。脳裏に描かれる虚像――それは学園に転校してきた、ひとりの少女の容姿を形作っていた。
 噛み潰すようにしていたタバコを、灰皿にこすりつけて消す。
(あたいの知らないナンバーか……それとも別口?)
 もとより、明確な答が出るわけもない。
 ボーグ――その言葉さえ、正確に理解しているわけではないのだ。
 ただ、転校生が浮かべた微笑みと、双眸に宿った強固な念の意味するものだけは、見誤りようもなかった。あれは復讐を糧とする者の目……なにを捨ててでも、望みを叶えずにおかない狂気の光だ。
「チ……」
 神経質に指先を拭っている自分に気づいて、いっそう不機嫌になった。
 恐怖してしまうのは、自身、ボーグの能力を知っているからに他ならない。

 病弱だった自分はもういない。
 あの手術を境にして、強大無比な力を手に入れたのだ。
 そう自分に言い聞かせてみる。

 不安を打ち消すように、生ビールのジョッキに手を伸ばそうとした時――。
『Yuu……』
 肉を伴わない声が頭蓋に響いた。
 きしむような痛みを心臓が発し、苦鳴とともに身をはね上げた。落下したジョッキが、ゴトリと不快な音を立て、床に黄色い水たまりを作る。
「ユ、ユウさん……!?」
 とっさに差し出された手を振り払うと、ヨロヨロとした足取りで、店をあとにした。ついてくるなと叫ぶと、あまりの剣幕に畏れをなしてか、少女たちはあえて言葉に逆らおうとはしなかった。
 移り気なリーダーだと、今頃はさんざん陰口を叩いているに違いない。
「う、ぐ……」
 痛みに引きずられるように、通りを渡って、薄汚い小路へともぐりこんだ。
 果たして、召還者はそこにいた。
「あんたか……今日はなんの用だよ!?」
 つっけんどんな調子で訊く。
 男への恐怖が、必要以上の敵意となって表れていた。
「…………」
 暗闇の中、シルエットが一歩を踏み出すと、黒いコートが死神のように浮かび上がった。銀髪と、長身から外国人と知れるものの、ゼファーという名前以外、彼女はなにひとつ知らされてはいない。
 闇より現れる使者――それが彼だ。
「不必要に、派手な真似はするなといってあるはずだが?」
 先の暴走行為を咎めているらしい。
 説教されてたまるものかと、唾を吐き捨ててみせた。
「立ち回るような、派手な走りはしちゃいないさ。ワッパかけられちゃ、まずいってことくらい、あたいだってわかってるよ」
 もとより、あまり感心のない話題であったようで、男の口から、それ以上の非難は聞かれなかった。過去、サングラスの下に、感情が表出するのを見た覚えがない。
「AYAと遭遇したそうだな」
「……誰だって?」
 転校生の名前だと認識するまで、数瞬の時を必要とした。
 ギョッとして、相手を睨みつけた。
「アイツを知ってんのかよ!」
 詰問にも、男は動じなかった。時々、目の前にいるのは人間そっくりに作られたボーグで、真の召還者は他にいるのではないかと疑ってしまいたくなる時がある。
「〈あの御方〉よりの指令を伝える」
「指令……」
「AYAを抹殺せよ」
 まさかという驚きと、やっぱりという理解――どちらが、より色濃かったであろうか。もとより、同じボーグを身に宿した者同士、行き着く未来は容易に想像がつく。
「あいつも――だって、知っているんだよな!?」
 確認の裏に、恐怖を見て取ったか、
 男の腕が伸びてくると、中空につりあげられていた。
「はな……っ」
「役に立たない駒はいらない。それが、〈あの御方〉の考えだ。もとより、服従回路に支配されている以上、貴様には犬の生き方しかできまい」
 体格に勝る相手とはいえ、人間ひとりを容易につり上げる膂力は、化物じみていると評すべきだった。事実を冷然と告げる口調にも、気張った部分など、微塵たりとも感じられない。
「……はっ……っ」
 解放されても、すぐには声も出せなかった。
 苦痛と、それに数倍する畏れが声帯を強張らせていた。
「〈あの御方〉によって、死の淵から救われた以上、役にたってみせることだ。動作不良品というなら――わたしが狩るぞ」
 前方の空間が割れるのを予期して、とっさに身構えたけれど、恐れていた一撃はついに訪れなかった。
「AYAを仕とめろ……それが使命だ」
 殺気をぶつけたのが嘘のように、死神はいつもの死神だった。
 ただ、予想外に、述懐めいた呟きが続いた。
「AYA……見逃したのは、D−エンジン開発者たる、プロフェッサー・サイモンへの敬意からだ。けれど、牙を剥くというなら、容赦はしない」
 サングラスの下の瞳はいかなる場所を見つめているものか。
「潰しても……いいんだな?」
 確認にも、反応らしい反応はなかった。
 薄い唇が動いた。
「死ぬ気でかかれ。さもなくば、貴様の方が死ぬことになる」
「あの餓鬼、そんなに強いってのかよ!」
「逃走は許さん……それだけだ」
 コートをひるがえし、闇の中へと舞い戻っていく。
 目を凝らしてみても、男の姿を、暗闇と切り分けるのは不可能だった。予期せず現れ、不意に消えていく。神出鬼没な男だ。
「クソッタレ!」
 手近にあったポリバケツを蹴り飛ばした。
 得体の知れない闘争心が、心臓を中心にわき起こり、送り出される血に乗って、脳髄を快楽で満たしはじめていた。感じていた恐怖心が減退し、闇雲な破壊衝動へと突き動かす。
「御厨亜夜……ブッ殺してやる!」
 ジャケット越しに、乳房をワシ掴みにして呻く。
 暗がりの中、前方の空間にひび割れが生じると、メタリックな物体が飛び出して、コンクリートの壁に鋭利な掻き傷を描き出した。それも一瞬のことで、少女の狂騒が晴れると同時に、路地はいつもの静けさを取り戻していた。
「あたいのボーグのが上だってこと、証明してやる……」
 熱に浮かされたようにつぶやく。
 それが自分自身の思いなのだと、少女は最後まで信じて疑わなかった。

執筆:ケブッチ

つづく