アミューズメント・パーティOnLine
1 闇の跳梁者

 四月にしては暖かい風が吹いていた。
 横目に中央線の黄色い列車を見ながら、そんな人気の途切れたビジネス街を、男が二人、歩いていた。
「やっぱり男二人で呑んでも酔わんなぁ」
「酔わんなぁじゃなくて、酔えんなぁじゃないのか?」
 背の高い方の男が、低い方の男を軽く小突いた。男はよろけつつも、笑顔を返していた。二人はこの夜の十二時まで、つまらない心配事を肴に呑んでいたのである。
 列車の通過音の反響する闇の中、男たちは酔いを醒ますかのようにゆっくりと歩いていった。
 月の綺麗な夜であった。
「こういう夜ってさー、何か起こりそうだと思わんか?」
 背の低い、黒いジャケットを着た男が尋ねた。
 しかし、背の高い、長い髪の男はその問には答えない。その眼は、じっと月を見ていた。
「飯島……何か聞こえなかったか?」
 飯島と呼ばれた背の低い方の男は、そう言われて背の高い方の男を見つめた。酔いは一瞬にして醒めていた。
 列車の音。風の音。何かの舞う音。自動車の音。そして……。
「何も聞こえねーじゃねーか、雪崩山」
 飯島は男に文句を言った。雪崩山と呼ばれた男は、それでもじっと月を見ていた。否、月を見ることによって精神を集中していたのだ。
「聞こえた! あっちだ」
 その言葉と同時に、雪崩山はビル街を駆け出していた。飯島は、ただ追うしかなかった。


「いやっ!!」
 抵抗する少女をガムテープで縛り上げると、黒い覆面をした男二人は嫌らしく頬を歪ませて笑った。少女のすらりとした白い脚は、男どもの欲望を刺激しないではおかなかった。
 ビルの谷間に差し込む月の光に輝く少女の髪は、恐怖の色を帯びている。男の一人がずいっと一歩前に出ただけで、その心臓は止まりそうになった。筋肉隆々とした男どもは、二人とも手にフォールディングナイフを畳んだ状態で持っている。あの刃が開かれた時が自分の最期の時なんだ──少女の恐怖は頂点に達しようとしていた。口に貼られたガムテープが汗と唾液で剥がれることを望みながら──。
「さてお嬢さん、お楽しみはこれからですぜ」
 男の一人がさらに一歩前に出た。フォールディングナイフのグリップの木目が、少女の網膜に焼き付く。一生忘れられないであろう程に……。
「ちょぉっと待ったぁ!」
 男二人は仰天して振り返った。そこには、走ったために酔いの急激に回った雪崩山と飯島が、心持ちふらつきながら立っていた。
「何だおめぇら!!」
 男どもはフォールディングナイフを開いた。雪崩山と飯島は微笑みながら、その問に答える。
「俺の名は雪崩山勇次! 私立B大学文学部心理学科三年、現在独身!!」
「俺は飯島洋一! 私立B大学法学部新聞学科三年、同じく独身!!」
 男どもは呆気に取られて、しばし身動きすら取れなかった。しかし気を取り直すと、ナイフを前方に突き出して身構え、自らを奮い起たせるかのように大声で返した。
「誰がお前らの身分を聞いたっ! 見られたからにゃ黙って帰す訳にはいかん。ちょっとばかり痛い目にあってもらおうか」
 男のすごんだ声とは裏腹に、その足はがたがたと震えている。もう一人の男の方も同様であった。その様子を見て、雪崩山と飯島は思わず笑い出していた。少女はそんな非日常的なやり取りを、固唾を飲んで見守っている。
「それじゃ雪崩山、頼んだぜ」
「任せなさい」
 雪崩山はずいっと前に出た。男の一人がそれを見て、飛びつくように少女の首筋にナイフを突きつけた。少女の微かな脅え声がそのほっそりとした喉から漏れる。
 雪崩山は首を傾げて微笑むと、真っ直ぐ右腕を前に伸ばして二人の男に言った。
「──今からちょっとした手品をご覧に入れよう。そのナイフを彼女に突きつけている君! もっとこっちに来ないとよく見られないよ」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる! これでも喰らえッ」
 前にいる男が、雪崩山に向かってナイフを振り下ろした。雪崩山は少女にナイフを突きつけている男の方をちらっと見てから、振り下ろされたナイフを実に簡単にニ本の指で捕らえた。驚愕し、声も出ない二人の男を尻目に、雪崩山は、まるで呪文でも唱えるかのように言った。
「ほーら……君の手は俺にナイフを渡したがっている……君の意志とは無関係に……」
 男の手がゆっくりと開かれていった。男は身体全体から脂汗を流していた。まるで見えない力で手を引き剥がされていくような……。
「うわーっ!!」
 少女にナイフを突きつけていた方の男も、身体を翻して雪崩山に突っ掛かってきた。しかしそのナイフも、二本の指によってその進行を妨げられていた。そして、引き剥がされる男の手。結局ナイフはニ本とも雪崩山の指の間に残されてしまっていた。
「さてお二人さん、彼女は返してもらおうか」
 二人が動けないのを確認すると、飯島はそっと二人の後ろに入り、少女を表に引っ張り出した。少女のガムテープをそっと剥がしながら、飯島は少女の家を尋ねた。少女は助かりたい一心で飯島に住所を教える。さらに飯島は、その近所の有名な場所も尋ねた。
「……M大和泉校舎の近くか……了解」
 少女を立たせると、飯島は雪崩山に合図した。男どもをにらんでいた雪崩山は二人に微笑みかけた。次の瞬間、二つの手にあったナイフが甲高い異常音を立てて漆黒の夜空に舞い上がっていく。再び驚愕し、身動きの取れなくなった男二人に、雪崩山は最後の一声をかけた。
「よく覚えておくがいい。この世には悪を懲らすために神から特別力を授かった人間もいるんだってことをな」
 その二人の視界を、上空にあったナイフが急速に横切った。肝を潰してあわてふためく男二人。コンクリートに弾けて鋭い金属音を夜の街に響かせるナイフ。そしてその音が消えた時には既に、飯島たちの姿は何処にも見当たらなかった。男どもは慌てて路地から表の通りに走り出たが、靴の音すら聞くことはできなかった。
 三人は、男どもが目を離したほんの一瞬のうちに、消えてしまったのである。
 男どもは、気も狂わんばかりにビルの街に吠えた。
「消えた……消えた……」

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