アミューズメント・パーティOnLine

12  冷気


「ヨクソ……トオル? 何者かね、そいつは」
 電話口で岩崎は尋ねた。電話の奥の声の主は、明らかに焦っていた。その声は半ば上擦っていた。
「分かりません。とにかくヤツの正体は全く分からないんです。分かっているのはたった一つ、ヤツと麻都は仲間だってことだけです」
「むう、麻都と?」
 その医師の声に、周囲にいた藻間、五六、麗子は身を震わせた。わずか四日前に出会ったあの恐怖の破壊魔の名を、こんなに早く再び聞くことになろうとは……!
「分かった。麗子君をそっちにやる。そこにいたまえ」
 岩崎医師は電話を切ると、ひとつ溜め息をついてから三人に向き直った。数分前までのあのにこやかな笑顔が、今は苦悩の表情に変貌していた。電話の内容は、彼の口から語られずとも三人には充分察することが出来ていた。
「何の電話だったんです? 先生」
 そんな三人の後方から声を発したのは、小川であった。手には白いハンカチを持っている。彼だけはトイレに行っていて、電話の周囲にはいなかったのだ。岩崎医師は伏せていた目を上げると、ゆっくりと言葉を切りながら語り始めた。
「今、勇次君から連絡があってな……トラブルが発生したらしい……恐ろしいことだよ……あの、あの地下の三人をあそこまでにした麻都須以上の能力を持つ男が……勇次君を襲ったそうだ……」
「何ですって?」
 小川はハンカチをポケットにしまいながら言った。他の三人は言葉も出ないでいた。小川は言葉を続けた。
「麻都以上ですって? 一体、誰が……」
「男は翼曽通と名乗ったそうだ。やはり、言葉の端々に組織が云々とか言っていたらしい」
「ヨクソ……」
 さすがの小川も、これ以上は言葉を発することは出来なかった。悪夢が再開されようとしているのである。それも、わずか四日前に見たばかりの悪夢が、である。
「まさかとは思うが、そいつ、ここに来るってことはないでしょうね」
 この藻間の言葉に、岩崎医師はぴくっと身体を動かした。その右手は素早く電話の横の壁にあった紅いボタンを押していた。火災報知器のスイッチに似たその押されたボタンは、ピンク色の光を放った。しかし、鳴りひびくであろうと予想されたけたたましいベルの音は、とうとう鳴らなかった。
「君たち、済まないが再び地下に来てくれたまえ」
 医師の声は、明らかに震えていた。四人は無言で同意した。
「さっきのボタンは、超心理研究の仲間だけが持つポケットベルの発信スイッチだ。何かが起こった時や、何かが起きそうな時には選りすぐられたスタッフが例の地下に集合するのじゃ」
 岩崎医師は足早に歩きながら、皆に説明を加えていた。医師の判断はやや臆病であるように感じられるかもしれないが、これが効を奏することになる。
「私だ、岩崎だ。客人四人も一緒だ」
「了解。どうぞ」
 再び巨大な鋼鉄の扉が開き、医師と四人は中へと入って行った。その決して広くない廊下には、三人の医師が集合していた。その全てが、先に里美の治療に専念していた医師であることを藻間は覚えていた。
「君たちには先程会ったが、自己紹介がまだだったな。私の名は浜田。超心理研究所では副所長になっている」
 背の高い、スマートな男が手を伸ばした。一番先頭にいた藻間は、成り行き上その手を握り返して言った。
「えと、藻間です。アミューズメント・パーティの元副部長です。能力はアポーテーションです」
 その横の、銀髪に眼鏡の男が五六に手を伸ばした。
「私の名はグレイオン。雪崩山先生の所で二十年間過ごした一番弟子だ。よろしく」
 五六はその、豪快に笑う外国人の手を握り返しながら言った。
「私の名前は五六です。数字の五と六でふのぼり、と読みます。アミューズメント・パーティ元部長です。能力はPKです」
 そして最後の男が小川に手を伸ばして言った。
「私の名は剛。岩崎先生とは同期の、研究所所長です。岩崎先生には病院全体のことを見てもらい、私が地下の二階と三階を統括しています」
 小川はその手を握り、少し間を置いてから口を開いた。
「私は小川と申します。彼らとはライバルに当たる、超常能力研究会の元副部長です。能力はテレパシーです」
「で、この娘が」
 岩崎医師が麗子の肩を叩きながら六人の方を向いて言った。
「石原麗子君だ。先生の御令息、勇次君の恋人じゃ。能力は透視。小川君の後輩に当たる、E研の副部長だ」
 医師三人の「よろしく」の声に、麗子は頬を赤くして頭を下げた。そんな麗子を見、岩崎医師はまた笑顔を取り戻していた。そして笑顔のまま、医師は本題に入った。
「諸君をここに招集したのは言うまでもない。緊急事態が発生したのだ。ここに来る途中、勇次君ともう一人の……えと……」
「加藤です」
 藻間が助け船を出した。医師はにっこりと微笑むと、話を続けた。
「その加藤君とが、新たなる敵に遭遇した。と言うよりは、ヤツが先回りをして勇次君たちを待っていた、というのが正しい所らしい」
 新たな敵──この言葉に、三医師は眼を丸くした。微動だにしない。真剣な表情であった。
「正確な所はわからない。ただ、勇次君の電話の内容から、以下のことが分かった。敵の名前が翼曽通であること、翼曽が麻都を知っていること、そして彼も山崎里美嬢を欲しがっていること……」
「そして、敵の組織、ですか」
 小川が察して言った。岩崎医師はうなずき、三医師を見た。三医師は、額から脂汗を流して聞き入っている。それは、五六や藻間にとっても同様であった。静かな時間がゆっくりと彼らの周りに流れていった。
「もう一つ、重要なことが分かった」
 岩崎医師は言葉を切り、全員の眼を見てから言葉を紡いだ。
「勇次君の言葉から判明した事実だ。ヤツはこう言ったそうだよ。『あくまでシラを切るのなら、ここでお前たちにケリをつけて、さっきのワゴン車を追うだけのことよ』……もしかしたら、ヤツはこの病院のことを臭ぎつけるやもしれんのだよ」
「そんなッ!」
 否定の意味の絶叫を発したのは、麗子だった。しかし、絶対的な否定は出来ない。相手は怪物である。超超能力者である。どんな手段を使うかは全く分からないのだ。
「翼曽はテレポーテーションを使えるらしい。ならば、この建物の中に直接出現することもたやすいだろう。ヤツらのやり方は決して人の眼には触れない。警察とて、手は出せないだろう。何せ、証明の手立てが皆無なのだからな」
 岩崎医師はそう言って天井を見上げた。すすけた蛍光管が白い光を発していた。クモの巣に、蛾が捕まっている。ひび割れたコンクリートの表面がやけにまぶしい。
「で、どうするんだ? ヤツの来るのを待ってるのか?」
 グレイオン医師が言った。もっともな質問である。具体案を検討する時期が来たのだ。岩崎医師は剛医師を見、何かを伝えようと口を開いた。しかし、それより先に発言した者がいた。
「じゃ、あたし、勇次クンを迎えに行ってきます」
 麗子が通る声で言って、鉄の扉の方に向かって行った。彼女の頼りは、雪崩山がここに来てくれることだけであった。勇次クンさえいてくれれば、どうにかなる──麗子はそう信じることにした。岩崎医師はそんな麗子を一瞥し、にこやかな笑顔で言った。
「そうだったな。行ってらっしゃい。必ず、勇次君をここに連れて来るんだよ」
 麗子は笑顔でそれに答え、扉の向こうに消えて行った。その後ろ姿が完全に消えてから、剛医師は岩崎医師に言った。
「なぜあんな危険なことをさせるのです? 途中で彼女が襲われる可能性だってあるし、逆に勇次君を連れて来ることによってここの位置が敵に知れることにも……」
「同じことじゃ」
 岩崎医師は剛医師を見ながら言った。その手は後ろに組まれ、落ち着き払った姿勢からは自信の程が伺えた。
「ヤツは必ずここに来る。もう来ているのかもしれんな。麗子君が人質になるとは考えにくいし、翼曽のメリットにはならんよ。翼曽はどんなエスパーが何人いようとも恐れはしないだろう。人質は足手纏いになるだけじゃよ」
 心理学の権威らしい、落ち着いた予想であった。しかし、翼曽の紳士性はそこまで信頼のおける条件なのか?
「何にしろ、攻撃型のエスパーがここには存在しない。勇次君と加藤君には戻って来てもらう必要があるんだよ」
 浜田医師が後方で、そっと言った。


 麗子はワゴン車に向かって走っていた。Gジャンの下のTシャツは、汗でじっとりと濡れていた。着替えたいと思う気持ちを抑えながら、麗子はワゴン車の運転席のドアを開けた。黒いタイトのミニスカートから伸びる脚がクラッチとアクセルに伸びる。
「早く……早く……」
 麗子はキィを回した。セルモーターが回る。しかし、ワゴン車は思うようには発進してくれなかった。エンジンが掛からないのだ。麗子の焦りは次第に増していった。
「何でかかんないのよッ!」
 麗子はカンシャクを起こして叫んだ。叫んでもエンジンは掛からない。彼女の脚はクラッチとアクセルから離された。そして麗子は、おもむろにGジャンを脱ぎ捨てると、Tシャツの袖を捲くり上げてノースリーブ状にし、再びエンジンに挑戦した。
 ついに、努力の甲斐あってか、エンジンに火が灯った。軽い振動を起こしながら回るエンジンに、麗子はほっとした。勇次クンを連れて来れなかったら、一体どうなるのか──麗子の恐怖は一瞬ではあるが、和らいだ。
 しかし、次の瞬間、その和やかな感触は全て払拭されてしまった。
「何、あの大男!?」
 麗子の乗るワゴン車の前に、身長二メートルを優に越す大男が立ち塞がっていたのだ。漆黒のスーツに山高帽、青白い肌に銀に近い白髪を持ち、鋭い眼の隣にあるべき耳のない男!
「やっと見つけましたよ、お嬢さん」
 翼曽通!!


「何だ? この振動はッ!」
 藻間が叫んだ。地震、ではない。地震の揺れ方とは違う、身体がそう言っている、藻間はそう思った。かなり大きな振動ではあったが、一度だけのものであった。振動波ではない。何か、大きなものが地面に落ちたか叩きつけられたかの如き振動であった。
「上を見て来る」
 剛医師が言って、鋼鉄の扉のほうへ向かった。
(小川さん……近くにいるんですか?)
 小川は、頭の中に突然入って来たこのメッセージに一瞬怯んだが、すぐさま発信者が誰であるかを理解した。
(名東君か? 気がついたんだね)
(今の大きな振動で……小川さん、来ます。来ます)
(何が来るというのだ? 名東君)
 小川のこの問と名東の返答の間隔は、決して長い時間ではない。ほんのコンマ何秒かの間隔である。しかし、テレパシー通信時には、この間がとてつもなく長く感じられるものなのである。
(邪悪……!)
「藻間! 五六! 来たぞ!!」
 突然のこの小川の大声に、藻間も五六もびくっと身体を動かしていた。医師たちも同様であったが、逸早くグレイオン医師が気付いた。
「小川君、君テレパスだったね。何かを知覚したのか?」
「名東が教えてくれました。〈邪悪〉が近付いていると」
「邪悪!?」
 小川以外の六人が一斉に言った。邪悪! そう、今彼らにとって最大の敵がここに来たのだ! だとしたら、さっきの振動は一体?
「急ぎ調べる必要がある! グレイオン、浜田、名東君の所へ行ってくれ! 俺は上を調べる! 岩崎……」
 しかし、その剛医師の言葉も途切れた。鋼鉄の扉に手を掛けた瞬間、五六がPKでその身体を扉から引き剥がしたのだ。
「な、何を……」
「扉から離れて! 危険だ!」
 小川が叫んだ。五六のPKに引かれるようにして剛医師は奥の医師たちのいる所まで来た。その直後、鋼鉄の扉が轟音と共に大きくひしゃげた。何か巨大な力で、外から圧されているのである。
「お初にお目に掛かります。私の名は翼曽通、〈雷羅〉よりの使者です」
 その声と同時に、鋼鉄の扉が大きく裂け、何かの塊が廊下に侵入して来た。その侵入者を瞬時に判断出来た者は一人として存在しなかった。
「な、な……」
 驚きに表情を歪めている医師たちを下がらせ、藻間と五六、小川が一歩前に出た。もうもうと砕けたコンクリートによる煙の立つ中、三人は侵入者が一体なんであるかを知った。
「これは、俺たちの乗って来たワゴン車じゃないか!」
 大きくひしゃげ、鋼鉄の塊となっているワゴン車を見て、小川が叫んだ。では、乗っていた麗子は一体?
「ぐ……お……」
 藻間が念を集中する。その左手は、ワゴン車の運転席であったろう部分に向けられていた。額に汗が光る。数秒後、藻間の左手が微かに発光したかと思うと、その大きな胸板の中に一人の女性が出現した。
「麗子君!」
 全身を切り刻まれ、傷だらけになった麗子がそこにはいた。幸い傷そのものは浅いようだが、ワゴン車に乗った状態でそのままワゴン車ごと病院の建物にぶつけられたらしく、シートベルトがなかったら間違いなく即死であっただろう。
「心配はいらないよ。骨折もないし、打撲も大したことはない。切り傷も、顔はなるべく避けたからね」
 その声は、ひしゃげたワゴン車の塊の後方から響いた。煙の晴れる頃、その黒い姿は一層はっきりと彼らの眼に入っていった。
 漆黒の巨人、翼曽通!!
「貴様が翼曽か!」
 常に冷静な五六が、珍しく声を荒げて言った。翼曽はそんな五六を一瞥し、奥の医師の方に向かって言った。
「山崎里美はお前たちの手にはおえん。我々〈雷羅〉が管理する」
「〈雷羅〉だと?」
 岩崎医師が顔を上げて聞き返した。しかしその問に翼曽は答えず、一歩一歩彼らとの間合いを詰めていった。
「山崎里美はここにいるのだな? これは好都合だ。山崎里美を渡してもらおう」
「冗談はよせ! 俺たちを何だと思ってるんだ!」
 麗子を抱きかかえながら、藻間は叫んだ。その眼は潤み、空いた右手の拳は怒りに震えていた。麗子を剛医師に任せると、藻間は再び向き直って言った。
「貴様らにどんな権利があってこんな仕打ちをする? 貴様ら、一体何者なんだ? 何だってこんなことをする!?」
「〈雷羅〉……それがお前たちの組織の名か?」
 激する藻間の後に、冷静な五六の質問が加わる。しかし、翼曽はそれらの質問を無視した。ゆっくりと間合いは詰まり、医師たちはこれ以上下がれない所まで来ていた。そう、21号室の前まで彼らは下がってしまっていたのだ。
「無駄だ。ここには戦闘訓練のなされたエスパーは存在しないと見たが、いかがかな? あの雪崩山君でも私に致命傷を与えることは出来なかったのだ。君たちに何が出来るというのだ? 私は殺生は好まない。おとなしく山崎里美を引き渡してもらいたいものだな」
 翼曽はそう言い、にやりと笑った。五六のPKも、藻間のアポーツも、小川のテレパシーも、攻撃に使うにはあまりにチャチな能力であった。それだけに、麻都やこの翼曽と互角に戦った雪崩山のPKは特筆に値するのである。
 しかし、ここに雪崩山はいない。
「ほう……その奥の部屋にいるのか? 通してもらおうか、諸君」
 いよいよ翼曽は目と鼻の先にまで来ていた。小川と五六は観念したが、藻間は違った。決して屈しなかった。
「許さん! 絶対に貴様、許さん!」
 藻間は突進していた。翼曽の胸板に、藻間は強烈なタックルをかけたのである。翼曽の巨体が僅かに怯んだが、しかしそこまでである。雪崩山や加藤と同じように、藻間もその身体をコンクリートの壁に叩き付けられていた。コンクリートの表面にヘアークラックが入り、藻間は真下に転落した。この近距離であの衝撃を受ければ、並大抵の人間であれば気絶は免れまい。しかし、藻間は耐えた。再び起き上がったのである。そして小川と五六の前に出ると、翼曽の進路を遮った。
「絶対……行かさん! 山崎さんは渡さない……」
「中々に根性の座った人物だな、君は」
 翼曽は歩みを止め、藻間を見下ろした。そしてゆっくりと左手を胸の辺りに上げ、藻間に向けた。その手には、四本しか指がなかった。奇麗にマニキュアの施された鋭い爪を持つ指が。
「君に敬意を表して、私の奥義をご覧に入れよう。この技で静かになってもらうよ」
 そう言い終わるや否や、翼曽の左手の四本の指はその手から離れ、高速で空中を飛翔し始めた。〈刃物〉である。当然ながら、藻間も五六も小川も、見るのは始めてである。狭い病院の廊下でも、〈刃物〉はその効力を全く失うことなく襲いかかって来た。三人は、この攻撃をどうすることも出来ずに受けていた。
「これで分かったはずだ。君たちは私には決して勝てないのだ。おとなしく山崎里美を渡した方が利口だと思うのだがな」
 翼曽はせせら笑った。
「う……む……」
 五六が念を集中し始めた。その雰囲気を察知した小川と藻間は、五六の周りに集まって〈刃物〉によって念の集中が妨げられるのを防いだ。腕が、脚が、胸が、腹が、背が、次々と切られていく。全て皮一枚の精度だ。強大な精神エネルギーの嵐の中、三人は手を出すことすら出来ないでいた。
 この戦いの合間を縫って、医師たちは二手に分かれて病室に入っていた。グレイオン医師と浜田医師が飯島と名東の病室へ、岩崎医師と剛医師が里美の病室へと入っていったのである。彼らにも彼らなりの考えがあった。この状況を打開するには、少々荒っぽいかもしれないが、里美の能力に賭けるしかない、と踏んだのである。ただ、彼らとて医師である。人体に影響の出るような無謀なことは出来ない。名案の浮かばなかった彼らは、取り敢えず三者の状況を見るべく病室に入ったのであった。
「やッ!」
 五六が声を発した。彼の、決して攻撃するほど力のないPKのした仕事は、翼曽の頭上の蛍光管を砕いてその破片を降らせることであった。しかし、ここで思わぬ底力の出た五六のPKは、蛍光管周囲のコンクリートをも破片として降らせていた。これは、五六にとってはオーバーロードであり、彼はこのPKを放つと同時に昏倒してしまった。
「何!?」
 翼曽は突然の頭上からのガラスの破片とコンクリートの破片に気を取られた。一瞬の隙が生まれた。しかし、この隙は加藤と雪崩山の作ったほどの長い時間は生んではくれなかった。このわずかな怯みは、ごくわずかに〈刃物〉の弾道を逸らせることしか出来なかったのである。
「それでもッ!!」
 藻間は一気に四箇所に意識を集中した。普通の状態では、四つの異なる空間にある四つの異なる物体に同時に意識を集中するなど、とうてい出来るものではない。しかし、極限
状態の中で藻間は、無意識のうちにそれを行っていた。これが外れたらアウトだ! 藻間の意識は全てこの行為に集中していた。
「何ッ!?」
 時間に直せば、コンマ何秒……いや、それより短い時間だったかもしれない。そんな瞬きよりも短い時間の中で、究極の戦いが行われたのである。
 〈刃物〉の姿は、もうどこにもなかった。
「くっ……君らの力がそこまであるとは……うかつだったよ」
 翼曽はまだ五本の指のある右手で帽子を直しながら、藻間と小川に言った。小川は肩に、昏倒して意識のない五六を担いでいる。その重さも、今の彼には何の苦痛にもならなかった。五六と藻間は、この超超能力者に一矢報いたのである。
(やりましたね、藻間さん)
(ああ。さすがはAPの人間だ。よくやったよ)
 藻間は、翼曽の本当にわずかな隙を突いて、彼の〈刃物〉を別の場所にアポートしたのである。もう、翼曽の左手に指の戻って来ることはあるまい。これには翼曽も驚き、戦いに静寂の時が流れていた。
「……しかし、これまでだ。もう、君たちは私を止める術を持たない。そうだろう? どきたまえ。それとも、もう身体を移動させる力も残ってはいないのかな?」
 翼曽は気を取り直すと、藻間と小川をPKで廊下の壁まで下がらせ、その真ん中を通り抜けていった。もう、小川にも藻間にも、その進行を妨げることは出来なかった。
(名東君、そっちに翼曽が行くぞ。気をつけて)
(ありがとう、小川さん。どうなるかはわからないけど、運を天に任せて……)
 大きな音を立て、翼曽は21号室に入った。そして医師と機械と患者を一瞥し、医師に尋ねた。
「どうやらそこに眠っているのは飯島洋一と名東雄太のようだな……山崎里美はこの病室ではなかったのか」
浜田医師とグレイオン医師は一言も言わず、首を横に振った。その眼は翼曽と計器の間を右往左往していた。
「起きたまえ、名東君。君がさっきから小川君とテレパシーで会話しているのは知っている。ま、内容までは覗く余裕がなかったがね」
(知っていたのか……だったら、僕の頭の中を読めばよかっただろう?)
 この名東の言葉は、再び翼曽を激怒させる結果になった。翼曽は読心能力を持たない。それは翼曽のウィークポイントでもあり、最大の恥部でもあったのだ。翼曽は名東の胸倉を掴むと、シーツごと床から二メートル三十センチの位置まで釣り上げて言った。
「山崎里美はどこだ? お前なら知っているだろう」
 しかし名東は固く口を閉ざしたまま、ばたばたと暴れた。体力の回復していない名東にとって、この拷問はかなり効いていた。しかし、里美の病室を言うわけにはいかなかった。今、隣に行かれたら、全てが終わりなのだ。里美も飯島も、昏睡状態なのだから……。
「隣だ」
 その声は、翼曽の予想に反した方向から聞こえてきた。翼曽はその声のした方向を、探るように見た。下だ。ベッドの辺り……隣のベッドからか?
「里美は22号室だ」
「飯島さんッ!!」
 名東は絶叫した。なぜ、なぜ飯島は里美のいる病室を教えてしまったのか?
 飯島は眉ひとつ動かさずに、再び言った。
「翼曽よ、里美は隣だ。静かに寝かせてくれないか?」
「飯島君、御協力に感謝する。ただ、少し残念だよ」
 翼曽は名東を降ろし、部屋を出て行きながら言った。
「恋人の君が彼女を裏切るとはね……」
「行ってみれば分かる」
 翼曽は21号室を出て行った。名東は痛む身体を我慢しながら、飯島に詰め寄った。
「何で、何で言ったんですか? 飯島さん!」
「やかましいぞ、名東。ここは病院だ、もう少し静かにしてくれないか」
 そう言うと、飯島は布団の中に潜り込んでしまった。
「ここに山崎里美がいるのか?」
 翼曽は22号室の巨大な扉を開け、中に入った。だだっ広い部屋の中に、ぽつんと一つベッドがある。その傍らには岩崎医師がいた。その奥では、ソファに寝かされた麗子と彼女を看病する剛医師が翼曽を見ていた。
「山崎里美はここにいる。だが、翼曽通よ、お前さんに一つ問いたい」
岩崎医師は静かに、ゆっくりと言った。
「彼女の現在の精神状態は平静だ。この時の脳波をどう検査しても、彼女にいわゆるESPがあるとはとても思えない。α、θ、δ、いつの波の時も同様だ。そんな彼女をなぜお前たちは欲しがる?」
 翼曽はせせら笑った。無知に話す内容に持ち合わせていないよ、とでも言いたげな表情であった。
「貴方たちの手におえる能力ではないのですよ。無駄な研究はやめたほうが利口ではありませんかな?」
 そして翼曽は里美の眠るベッドの脇に来て、その寝顔を眺め、言った。
「見事な隠匿性だ……この状態では我々でない限り、この娘が超絶的な能力の持ち主だとは思わないだろう」
 そしてシーツにくるまれたままの状態で里美を抱き、翼曽は病室を出て行こうとした。岩崎も、剛も、全く手が出せないでいた。このまま山崎里美は、謎の組織〈雷羅〉に囚われてしまうのか?
「そこまでだ、翼曽」
 翼曽の後方──部屋の端の方で、つい先程聞いたばかりの声が聞こえた。誰の声だったか? 翼曽はすぐに思い出せず、振り向いて声の主を見るべく身体を回した。そして、見た。
 声の主は、コンクリートの壁などまるで存在しないかのように壁をゆっくりと抜けて、22号室に入ってきていた。軽くウェーブの掛かった髪が揺れ、きりっとした眉が意志の強さを物語っていた。その口許には、自信に満ちた笑みが湛えられていた。
「い……飯島君か!」
「そ、飯島洋一君。自己紹介は必要ないだろ? たっぷりと麻都から聞いてるんだろうから」
 飯島は縦縞の寝間着姿で言った。ついさっきまで昏睡を続けていたとは思えない元気のよさである。その手は、自然に腕捲くりをしていた。
「里美、起きな。そのまま誘拐われていく気かい?」
 そんな飯島の言葉に、里美はくすくすと笑った。仰天したのは翼曽である。抱いた段階で、彼女が昏睡から覚めているなら気付くはずである。一体、どうなっているのか?
 里美はそんな翼曽の腕からそっと床に降りた。長い髪がふわっと揺れ、空間に心地好い薫りを残していく。そして、照れながらも里美は飯島の傍らに来て、その腕を飯島の腕の間に通した。
「先生、里美に着る物を!」
 岩崎医師が、奥のロッカーから里美の衣服を持って来た。里美はシーツにくるまりながら、いそいそと着替えを始めていた。
 その一連の行動を、翼曽はただ眺めていた。あまりに予想外の、あまりに意外な、あまりに場違いな展開に、彼の頭の中は完全に混乱していた。一体、自分の眼の前に展開しているこの光景は、一体何なのだ!?
「翼曽、俺は今、自信を持って言う。お前に里美は渡さない。外の会話に聞かせてもらった。随分非道なことを仲間や先輩にしてくれたそうじゃないか。許さん!」
「許さん? どうするというのかね? 君の能力はテレポート……尻尾を巻いて逃げ出すというのなら別だが、この私を倒すことが出来るとでも思っているのかな?」
 翼曽は、やっと我を取り戻していた。危うく相手のペースに巻き込まれる所であった──翼曽は自らの弱さを恥じた。そして、この生意気な口をきく飯島に怒りを感じていた。
 翼曽は残された右手の五本の指を飯島に向けて示した。この至近距離なら、一直線で心臓を射抜ける。一瞬のうちに勝負は決まる。翼曽はまた笑みを取り戻していた。
「どうした? 飯島君。こっちの準備はいいぞ。先に抜かせてやろう」
「心配御無用。そちらからどうぞ」
 この飯島の口のきき方に、翼曽は俊敏に反応した。瞬時にして五本の指は翼曽の右手から離れ、飯島の身体目掛けて飛び出していった。脳、頚動脈、心臓……死は確実であった。
「きゃっ!」
 里美の声が病室にこだました。空気が振動し、轟音を伴って変質した。そして、〈刃物〉は五本とも飯島と翼曽の間で止まってしまった。
「く……空気の壁……? こんな能力が飯島に……!?」
 翼曽はその表情を歪めた。周囲の空気から圧力を受けていたのである。そして飯島と里美の背からほとばしるオーラを見た翼曽は、確信した。
 里美の能力を。
「後……後光……やはり、『神格』……山崎里美の力、とくと見受けたぞ……」
 翼曽の右手に指が戻った。巨体がガクッと膝を付く。視界にちらりと、岩崎医師と麗子を抱いた剛医師が壁にへばりついているのが入ったが、翼曽にはそれを気にしている余裕はなかった。
「しかし……この程度の力に麻都が敗れたとは……思えんな……」
 後光輝く二人の前で、翼曽は再び立ち上がった。周囲には紫の対流が出来ていた。空気圧を跳ね返しているのだ。
「なるほど……あの方が欲しがるわけだ……その力……」
「あの方だと?」
 飯島は額に汗を流しながら尋ねた。あの方とは一体何者なのか? 彼らの組織〈雷羅〉のボスのことを言うのか?それとも、まだほかに里美を欲しがる者が……。
「いいのかな? ここは地下だ。外は土だぞ。これ以上その力を使ったら、医者どもが潰れてしまうぞ」
 翼曽はせせら笑いながら、飯島をにらみつけた。飯島は痛い所を突かれ、歯噛みした。確かにこれ以上圧力をかけていたら、翼曽よりも先に岩崎医師や剛医師が潰れてしまうだろう。しかし、何の効果もないままに翼曽を自由にしてしまうのは、飯島にとっては耐え難いことであった。飯島は呼吸を整えると、腕を真っ直ぐに伸ばして頭上で組み、一呼吸おいて一気に振り下ろした。
「がああっ!?」
 空気が裂けていくのが、翼曽には見えた。そして、その切っ先が紫の対流を裂き、翼曽の左肩を砕いた。翼曽はその場に崩れ折れた。膝をつき、指のない左手をついた。右手は左の肩を押さえに回っていた。
「なんという圧力だ……ESPでもPKでもない……まさしく超能力……」
 後光が消えた。里美が気絶したのだ。慌てて飯島はその身体を抱えた。部屋に一斉に冷たい空気が流れ込み、霜を形成していた。どさっ、という音と共に、岩崎医師と剛医師が床に落ちた。病室の壁には一面にヘアークラックが入り、ガラスの類は全て粉々に砕かれていた。そこに広がる、冷気。超超能力戦の後は壮絶である。
「飯島君……君はまだその能力のことを何も知らないようだから一つだけ教えてあげよう……」
 翼曽は血の泌み出た左肩を押さえながら顔を上げ、飯島の眼を真っ直ぐ見て言った。
「彼女の……山崎里美の能力はあまりに特殊だ……君自信の力を根こそぎもっていってしまうかもしれない……」
「何のことをを言ってるんだ? 翼曽!」
 飯島にも疲れが出ていた。昏睡から一転して超能力戦である。疲労があって当然であった。里美を抱えたまま、ふらふらとよろめきながら、飯島は翼曽に尋ねた。
「その力……必ず頂戴するよ、飯島君……彼女は超能力者なら誰でも欲しいパートナーなのだから……」
 そう言って、翼曽はゆっくりとその姿を掻き消していった。それが飯島の気絶によるブラックアウトだったのか、翼曽のテレポートだったのかは、その時の飯島には判断のしようがなかった。

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