【こんな本を読んだ】

日本沈没

小松左京 光文社文庫 上・下巻とも620円

by楽光一

 

 ま、筆者が今さらとやかく言うことはないでしょうし、この作品を全く知らない人はいないでしょうから、あえてここでは内容には触れますまい。名著です。傑作です。
 ただ、じつは筆者、映画版やテレビ版は観ていたのですが、原作は今の今まで読んだことがなかったのです。
 読みたかったのですが、カッパノベルスでは絶版、古本もめったに見つからず(ま、あまり熱心に探さなかった筆者も悪いのですが……大学の先輩のうちで見つけたときに借りればよかったんですけどね)、20年も「読みたい、でも見つからない」人生を歩んできました。
 記憶に新しい、1月の阪神大震災――『日本沈没』における「京都大地震」のごとき、誰もが予想だにしなかった大破壊と大惨劇。時期こそ小説では夏、現実では真冬と違いはあるものの、もう次は「第二次関東大震災」しかないのでは? と勘ぐってしまいたくもなります。
 そして、文庫による『日本沈没』の復活。上下巻、計750ページを五日で読了しました。最初は映画版のシーンを思い出しながら気楽に読んでいったのですが、京都が京都大地震で破壊されたあたりから、もういけません。現実と虚実が入り交じり、どんどんと引き込まれていきます。映画にあったシーンはその映像が脳内で阪神大震災のニュースフィルムとミックスされ、増幅され、さらに破滅的なイメージとなっていきます。
 そして映画では第二次関東大震災のインパクトに隠れ、詳細には描かれなかった沈み行く日本列島の描写の何と緻密で悲惨なこと!――千切れて海溝に沈んでいくその姿には、もう泣くしかありません。
 これだから「逆転満塁ホームランのない破滅小説」は嫌なのです。何一つ、救いがない。行くも地獄、残るも地獄……名前のついている主役級のキャラクタが思ったより死なずに生き残っている(ように思われる)というのに、この読後の虚脱感は……この胸の支えはいったい……。
 場合によっては「震災を商売にしやがって!」と憤る勘違い君も出てくるかもしれません。しかし、それは違います。巻頭、小松左京自身がこう述べています。
「(前略)『日本沈没』では、上・下両巻に東京と大阪の高速道路が破壊され、ちょうどラッシュ時と重なった道路に車の雨が降り、それが火災の発火点になった、と描写した。出版してしばらくして、ある専門家から人を介して『そんなことは起こるはずはない、いたずらに人心を乱すべきではない』との指摘を受けた。この度の地震では、それを現実に目にした私は、複雑な思いにおそわれた」
「(中略)日本人は過去、さまざまな幸不幸を味わってきた。今では繁栄と豊かさの中につかりきっている。しかし、日本が地震列島であるという現実と、それに対応する政治的、社会的システムが、いまだに無力であるという状況に変わりはない。この本が、これから起こるかもしれない災厄に、日本人が対決するときの参考になれば、著者としてこれにまさる喜びはない」
 未読の方はもちろん、少年時代に読んでからしばらくごぶさた、という方も、ぜひ今、読み返してみてください。インパクトが違います。ある意味では「今、もっとも面白いSF小説」と言ってもいいのではないでしょうか。 

1995.05.01

 

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