その頃、都内某所にある〈闇狩り隊〉シャドウブレイザーズの前線基地。表向きは小さなベンチャー企業の事務所を装ってはいるが、ロッカーや物置の中には彼女達が普段から使用する装備が収納されている。
 そこに、作戦行動を終えたチーム・キャッズアイのメンバーはいた。
 しかし、今回の作戦において殉職したエミコはいない。彼女は今後、“家出人”として警察庁に届けられる事になる。――決して見つかる事はないが。それが、非合法組織の構成員が辿る末路なのである。
 今回の失敗は、優秀なる彼女達にとって悔いて余りあるものになった。
「くそっ」
 チームの隊長であるオクツは、腹立ち紛れに足元にあったゴミ箱を蹴り上げた。実質的には休眠状態にあるこの事務所のゴミ箱は空である。ゴミ箱は部屋の隅の天井にある蛍光灯に命中し、無数のガラス片と共に床に転がった。
 シミュレーションと実戦の違いをまざまざと見せ付けられた。いや、そんな考えは“逃げ”だ。ターゲットが情報とは異なって二人連れになっていた時点で、計画は延期すべきだったのかもしれない。
 ――全ては、自分の判断の甘さゆえか――
 オクツは、自分の行いを悔いた。しかし、もう、エミコはいない。
 彼女は、他の隊員達を見渡す。多くは力なくうな垂れてはいたが、泣いている者はいない。
 当たり前だ。彼女達は、シャドウブレイザーズに入隊したその瞬間から、このような事も全て覚悟しているのだから。
 ――エミコ、仇は取るよ――
 オクツは決意する。それだけが、彼女がエミコに対してできる事なのだ。
 その時、彼女の机に唯一ある固定電話が軽やかな電子音を奏でた。オクツは受話器を取ると、その“口”の部分に特殊な装置を取りつけた。
 本部との連絡は全てこの電話機を通じてのみ行われるが、お互いの音声には特殊な暗号処理が施されていて、“デコーダー”と呼ばれる装置を取り付けなければ聞き取る事は出来ない。
「――はい」
 一呼吸置いて、オクツは電話に出た。

 亜夜が、まりの家から帰ると、もう夜の十一時を回っていた。亜夜は着ていた洋服を乱雑に脱ぎ捨ててパジャマに着替えると、そのままベッドに横たわった。
 ――まりちゃんをもとの15歳に戻してみせます!!
 先程、まりの母親に言った言葉を思い出す。
 しかし、ベアは謎だらけであった。彼女の母親の話からすると、まりはその身体にDエンジンを埋め込まれていない。となると、斬獄業火四将拳でDエンジンを破壊する事は出来ない。
 分かっている事は、まりに危険が生じるとベアが起動し、その代償にまりを若返らせる事だけだった。
 亜夜は、まりの母親に「これ以上、まりを傷つけないように」と伝えてきていた。先程の様に命を狙われた時ならまだしも、身内の暴力が原因でベアが暴走していては、まりを治す前に取り返しのつかない事になるからだ。
 それに、両親に虐待を受けるまりの姿をこれ以上見たくはなかった。
「結局、鷺宮博士を見つけるしかないのかな」
 亜夜は、一人呟く。
 こう考えると、亜夜には分からない事だらけであった。ボーグの事、Dエンジンの事、先程の少女達、斬獄業火四将拳……。これらは兄である御厨暁が知っているのかもしれないが、彼は必要最小限の情報しか亜夜に与えない。
 しかし、次の一点だけは彼女にも分かる。
 ――これ以上、ボーグの事で不幸になる女の子を作っちゃいけない。
 そして、彼女は少女達をボーグという足枷から解放する術を持っている。ボーグを動かすDエンジンを破壊する我流拳法「斬獄業火四将拳」を。
 彼女は起き上がり、床に無造作に放り出されていた携帯電話を手にした。そして、幾つかのキーを押し、御厨暁へ電話を掛ける。
 彼女の瞳には、固い決意の炎が静かに、だが決して消える事のない力強さを持って燃え上がっていた。

 ――同刻。
 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中に、彼はいた。
 豪華な執務机が出入り口である両開きのドアに正対するように置いてあり、その上にある一本の蝋燭が微かな炎を灯していた。
 蝋燭の灯りは、両側の壁に掛けられた立派な絵画を幻想的に浮かび上がらせている。
 彼は、両の肘掛のある本革仕上げの椅子に深く腰を沈め、一枚の写真を眺めていた。
 その写真には、若き日の彼と彼の親友、そして、親友の幼き愛娘が写っていた。
「……亜夜」
 彼は、一人呟く。
 その時、扉を軽く叩く音が聞こえた。彼は写真から目を離し、正面の扉を見る。
 扉は、音を立てる事もなく開かれた。立っていたのは、黒いコートを纏った銀髪の青年であった。
「プロフェッサー、ご報告したい事が」
「……入れ」
 言われて、銀髪の青年は部屋の中に足を踏み入れた。彼の背後で、扉は音もなくまた閉められる。その時、彼の背後の空間が歪んでいる様にも見えた。
「ふ、……貴様は本当に上手くボーグを扱うな」
 椅子に腰掛けたまま、彼は笑った。やはり今、扉を閉めたのは青年のボーグの仕業なのだ。
 冷静さを保ちつつ、Dエンジンを動かすには非常に高度な技術が必要なのだが、目の前に立つ彼はそれを雑作もなくやってのけるのだ。
「祭文亜夜を確認しました。――もっとも、現在は御厨亜夜と名乗っていますが、同一人物です」
 銀髪の青年は、淡々と報告する。
「御厨? ――そうか」
 男は、静かに頷く。
「祭文亜夜及び彼女のボーグRは、予想を越える戦闘力を有しているようです。ボーグGならびにボーグJが撃破されました。二体の〈人形使い〉の内、一名は祭文亜夜によりDエンジンを破壊され“廃棄”。もう一名は祭文亜夜との戦闘により死亡しました」
「……」
 報告を受けても、彼は表情一つ変えなかった。
 どうやら、これらの事は既に“予測済み”であったようだ。
「作戦は続行します。よろしいですか?」
「――彼女は、いづれ必ず我々の前に立ちはだかる大きな岩となろう。殺すのだ――彼女が自分の“力”に気付く前に」
「畏まりました」
 銀髪の青年は、目の前の男に深く頭を下げ、部屋を出て行こうとする。
「ゼファー……」
 その彼を、男が呼びとめる。
「――今後、彼女を『御厨亜夜』と呼ぶように」
「畏まりました」
 ゼファーは振り返る事無く答える。
 またも、ゼファーが触る前に扉はゆっくりと開かれた。彼はそのまま部屋を出て行き、扉は静かに閉められた。
 扉が閉められると、男は口元を歪めるように笑った。
 そして、目の前の蝋燭の炎を吹き消す。
 部屋は、漆黒の闇に閉ざされた。

執筆:右京

つづく