未経験の痛みは人を錯乱させるか、気絶せしめるのが普通である。亜夜の場合は、後者であった。
 目覚めた時、亜夜は、自分が布団の中に入る事を知覚するのに暫しの時を要した。
 全身を覆い尽くすような痛みと疲れで、身体を思うように動かす事が出来ない。
 桜も散った後だと言うのに、未だ肌寒さは残っている。
 掛けられた羽毛布団から、覚えのある匂いがする。
 ――真弓の匂いがする。
 どうやら、既に日は暮れているようで、その部屋は暗く、辺りは静まり返っていた。ただじっとして目を凝らしていると、次第に目が暗闇に慣れてくる。隣で誰かの寝返りを打つ姿が見える。
「う、ううん……」
 ――真弓の声。
 親友の声が、これほど安心感を与えてくれるとは思わなかった。知らずうちに、笑みがこぼれる。再び、疲れと痛みで頭に靄が掛かっていく。
 亜夜の意識は、夢の中に誘われていった。

 ――それは、とてもリアルな夢だった。
 むしろ、先日の戦闘の再現と言っても良かった。
 巨大なゴリラの様な兵器〈AJ〉が、足下のアスファフルトを踏み潰しながら高速で迫ってくる。
 亜夜もボーグRも傷付き反撃できる状態ではない。亜夜はRと共に走り出す。
 亜夜の前方には、先に逃がしておいた真弓が走っている。
「亜夜ちゃん、早く! もっと速く走って!」
 真弓は、振り向き様に叫ぶ。
「あたしの事は良いから、早く逃げて!」
 亜夜は親友に叫び返し、後ろの〈AJ〉を振り返る。
「!?」
 と、そこには先程まで彼女達を追ってきていたはずの〈AJ〉の姿がない。
「キャアア!」
 その時、前方を走っていたはずの真弓の悲鳴が聞こえた。
「そ、そんな……!」
 亜夜は驚愕する。
 薔薇色のスーツを着たオクツが、真弓を羽交い締めにしていたのだ。振り解こうともがく真弓の腕を強引に後ろ手で極めて、彼女の自由を完全に奪う。
「ぎゃあっ!」
 ティーゲル・トラウムは人工筋肉によって十倍の筋力を生み出すが、力の加減は上手く出来ないらしい。
 スーツ越しに伝わる感触の変化に、オクツは驚いたように亜夜に告げる。
「あら、軽く極めたつもりだったのに。――折れちゃったみたいだねぇ、この娘の右腕」
「ああああああああああああああ!」
 真弓は激痛に泣き叫ぶが、オクツは折れた右腕を離そうとしない。
「真弓ちゃんを離してぇ!」
 親友の苦しむ顔に、亜夜は泣きながら叫んだ。
「それは出来ない相談だね」
 そう答えるオクツの隣には、いつの間にか〈AJ〉が立っている。
「この娘を離して欲しかったら、あたし達を倒すんだね」
「早く離してあげて! あたしが替わりになるから!」
「だ、大丈夫よ、亜夜ちゃん……」
 その時、真弓が顔を上げて微笑んだ。顔中に脂汗を流しながらも、亜夜に言う。
「ほ、ほら……、あたし、……いつもバレーで鍛えてるし、こんなのへっちゃら。へへへ」
 真弓は激痛に時折顔をしかめつつも、必死に笑顔を作っている。
「真弓ちゃん!」
「そ、それに、あたしには『デビル君』がいるし――ね?」
「でも!」
「そうだったね。忘れていたよ」
 それまで黙って話を聞いていたオクツは、愉快そうに笑った。
「あんたは、瀕死になると〈人形〉を出すんだったね」
 そう言って、彼女はシルバーリンクスを手にする。
「あ、あああ……」
 嫌な予感に亜夜は一瞬、言葉が出ない。
「でもね、即死だったら出せないでしょ」
 オクツは亜夜の反応を楽しむように、ゆっくりと愛刀を持つ右手を振り上げる。
「やめてえええぇぇぇ!」
 シルバーリンクスが真弓の心臓に突き刺さる。そのまま、オクツは力任せに愛刀を横に薙ぎ払った。
「がはぁ!」
 凄まじい鮮血が真弓の口から噴き出した。真弓の瞳から生気が消え失せる。
 オクツは、血塗れで絶命した真弓をボロ雑巾のように投げ捨てた。
「残念だったねぇ!」
「よくも……よくもぉおおおおおお!」
 亜夜は怒りに我を忘れた。左胸のDエンジンがこれまでにない勢いで稼動し、ボーグRに無類の力を与える。
「ボーグR、エクサイマーレーザー!」
 亜夜は、自ら禁忌としていた技の名前を叫んでいた。

執筆:右京

つづく