空気が震えた。
 エクサイマーレーザーは、あやまたずオクツごとティーゲル・トラウムを砕いた。
 あってはならない方向に捻じ曲がった首で、オクツはにやりと笑った。
「やっぱりおまえはあたいも殺すんだ」
 不吉な戦慄が、亜夜の背を走りぬけた。
(あたしは人殺しだ……!!)
 亜夜は、自分自身の中に沸いた殺意におののいた。
 それでも、体は背後からの殺気に反応して、そちら側へとボーグRを走らせた。
「……ひどいよ、亜夜ちゃん」
 そこにいたのは、死んだはずの真弓であった。
「亜夜ちゃん……あたしのことも、殺すの?」
「ぁ、ぁ……ごめんなさい……」
 よろよろと後退すると、そこには血まみれの石坂有紀の姿があった。
「ぁ、……どうして……?」
「御厨ちゃん、殺してくれてありがと♪」
 その隣には西村夕が
「あたいはあんたの所為で殺された……!!」
「や、嘘、嘘でしょ……」
 気がつけば、亜夜は今まで出会った人たちに囲まれていた。ただ、誰の顔にも、死相が貼りついている。
「お姉ちゃん、痛い……」
「おまえは、エミコだけじゃなくあたいも殺すのさ」
「亜夜ちゃんがあたしを殺した」
「殺した」
「殺した」
「殺した」
「い、いやぁ! ごめんなさい……許して、ゆるしてええぇええぇェええ!!!」
 謝罪と言い訳とが、口からあふれた。しかし、亡者達の幻影は亜夜を許さず、徐々にその包囲を縮めていった。
 ほとばしった筈の悲鳴が喉に絡まり、亜夜は息を詰まらせて目覚めた。
「ぁ……夢?……」
 肩を大きく上下させて、荒くなった息を自覚する。
「……ひっく、ひっく……こわ、いよぅ……」
 亜夜は幼子のように低く鳴咽していた。
「もう誰かを殺すのは嫌、嫌なのに……」
 このまま復讐を遂げようとすれば、これから先も犠牲は避けられないのに違いなかった。
 ましてや、累々と転がる死者の中に、真弓も加わるなんて考えたくはない。
 しかし、真弓が味方かどうかは、まだ分からないのだ。
 あるいは今しがた見た夢のごとくに、自ら手を下すことになるのかもしれない。
「こわい、こわいよう……」
 落ちてきた髪をくしゃりとかきあげると、そのまま強くつかむ。ひじで顔を覆うように隠して、亜夜は泣いた。

 どのぐらいそうしていただろうか、やけに長く泣いていたように亜夜は思ったが、ほんの数分のことに過ぎなかった。
 唇を噛み締めたときには、気弱な少女はもういない。真弓がいなくて良かったと、亜夜は思う。涙を見られることが、良い結果を生むことはないだろうから。
「あれ、起きたの?」
 顔を上げると、真弓はシャワーを浴びたらしく、髪を拭きながら部屋に入ってきた。
「良く寝てたみたいだったから起こさなかったんだけど、今日は学校ないよ。なんかもう日曜なんだって」
 こともなげに真弓は言ってのける。
「え?」
 亜夜は意味がつかめずに、聞き返した。
「何か、うちら丸一日も寝てたらしいよ」
「……ハア」
「でも、あんなこといっても誰も信じないよねえ」
 死にかけたというのに、真弓は感慨深げに腕など組んでみせる。
「どーりで、走ってて身体が重いと思ったさあ! そりゃ丸一日 寝てればねえ」
「走った!?」
「うん、あたし朝はとりあえず走ることにしてるのさ!」
 亜夜は思わず言葉を失って、真弓を見た。確かに、真弓は自分の目の前で死にかけた筈だ、傷だってそんなに簡単に癒えるわけが無い。
「真弓ちゃん、あなたって……」
「だから、いいからね!」
 真弓は言い切った。
「あたしこんなに頑丈なんだから、巻き込んだとか気にしなくていいからね!! もう、足手纏いになんてならないから、避けたりしないでよね!」
 亜夜は言葉を詰まらせた。
「あたし亜夜ちゃんのこと、もう友達だと思ってるし、〈人形〉だって怖くなんかないからね。しかととかされる方が、ずっとずっと傷つくんだから!!」
 はたはたと禁じたはずの涙が、頬を伝う。
「や、やだ、どうしたの? 亜夜ちゃん」
「い、生きてて良かったねえ」
 真弓が敵な訳が無い。たとえ、敵だとしても守ることが出来るなら。
 真弓は亜夜のために走ったに違いなかった。まだ傷も痛むだろう、だが、亜夜が自分を巻き込んだと、悔やまないように強がってみせてくれているのだ。
「やだ泣かないでよ、あたしも泣きたくなるじゃんかぁ」
 真弓の瞳からも涙があふれて、二人は抱き合って泣いた。
「ごめんね、ごめんね、真弓ちゃん」
「謝らなくていいよぉ」
 ひとしきり泣くと、二人で食堂へ行き、食事をした。本来ならば、オルコットの食事の時間は決まっているのだが、シスター達も二人に配慮してくれたらしかった。
「千木良さん、荷物が届いていますよ」
「はーい、有り難うございます」
 届いていたのは、大きな箱だった。味も素っ気も無い白い箱に、某有名デパートの包み紙が巻き付けてある。添えられたカードを見て、真弓は小躍りするような声を上げた。
「あ、あの人からだ!」
「あのひと?」
 亜夜の問いかけに、真弓はカードを見せてくれた。カードにはただ「A」と書かれていた。
「制服が入ってる。何か、亜夜ちゃんのもあるみたい」
「た・タイミングいいのねえ」
「うん、『A』さんて、いつも私が欲しいものが分かるみたいにプレゼントくれるんだ」
 それって気持ち悪くない? という言葉を、亜夜はようやく飲み込んだ。真弓はその「A」という人物に、心底感謝しているらしかった。
 これがまた、当ててみると、亜夜にも真弓にも、ぴたり、と合うサイズでなおのこと気色悪い。
(何で、あたしのスリーサイズが分かるのよ!?)
 亜夜の心の叫びは、勿論真弓に届かない。
 真弓は疑うという観念を持っていないらしい。
「あれ、亜夜ちゃん宛てにカードが入ってるよ」
「!?」
 やーめーてー!!
 とは、思うが、まさか真弓が差し出しているカードを叩き落とすわけにも行かず、しぶしぶ受け取って、封を開いた。
 そこには見慣れた字で、「心配するな」と書かれていた。
(……おにいちゃん?)
 何を言いたいのかはわからないが、胸が温かくなる。
 いつものように、暁の言葉は足りないが、今回はありがたかった。
(ねえ、これは、 真弓ちゃんのこと?)
 都合の良すぎる想像かもしれないが、そうでも思わなければ、この日々をあと少しでも耐えられない。
「ねえ、なにかいいことかいてあったの?」
「うん」
 無くしてしまったものを、少しだけなら取り返せそうな気がしていた。

 オクツを捕らえた白い腕は、彼女を柔らかな絨毯の上に降ろした。
「くそ、なんだってんだい!」
 すばやく体制を整え、向き直る。そこには天使を従えた少女がいた。
「今度は天使? 笑わせるよ! おもちゃどもが!!」
 吐き棄てるように言うと、天使へとねらいを定め、飛び掛かる。巨大な天使に掴み掛かると、小柄なオクツは子供のように見えた。それは、彼女の表情がそう見せていたのかもしれない。ひび割れたティーゲル・トラウムの下で噛み締めた唇は、ルージュとは違った赤をにじませ、涙しない瞳はてらてらとあぶらめいていた。
「やらせといていいのぉ?」
「かまいませんわ、彼女の装甲はもはや機能いたしません。Vには手加減させておりますわ」
「ま、あたしはぜーんぜんかまわないけどね」
 雪花は、ラメのきいたエナメルを爪に塗りながらつぶやいた。スレンダーな身体にまとう黒いイブニングドレスもまた、てらてらとしたラメが入っており、まるでその様は蛇を思わせた。
「その化粧似合いませんわね」
「しょーがないじゃん、今夜はクラブに侵入なんだよ。クラブよ、高級、とかってつく方の! お分かり? 美波ちゃ〜ん」
 おちゃらける雪花の唇には毒々しい紅の色があったが、どう贔屓目に見ても十代の印象はぬぐえるものではなかった。
「こーの雪花さんがじいさん達に、酌などしてあげちゃうわけだぁ。冥土の土産にしちゃ贅沢な話じゃない?」
 美波は唇だけで笑んでみせると、視線をオクツに向けた。
「ほんとつかめないやつ、あんたいくつなのよ一体」
 素性が知れないのはどの〈人形使い〉でも同じ事だが、ナンバーが上に上がるほど家族構成はもとより、年齢すら分からない。性別だけは女性で統一されているらしいのだが、かつての石坂有紀の例もある通り確固たるものでもないらしかった。
 オクツの息はあがっていた。体力的なものよりも、精神的なものがオクツを追いつめていた。
(あと少し、あと少しだったのに……!!)
「オクツさま、気はお済みになりまして?」
 美波の言葉に、オクツはがっくりと膝をついた。
「なんだよ、なんだってんだい……!!」
 ティーゲル・トラウムは壊れ、チームとの連結も途絶えた今、頼りになるのは己の勘と肉体しかないというのに、高ぶりすぎた闘争心はオクツの能力をことごとく奪っていた。
 もしV及び、そのマスターに殺意があったのなら、オクツはこの場で殺されているだろう。
「……もう、会議は済んでしまいましたわね」
 オクツは目を見開き、美波の視線を追った。その先に掛けてあった時計に、自らの運命を知る。
「くっそ……エミコ……」
 吐き出す呪詛の言葉は弱々しかった。重なる命令無視に、逃亡と思われても仕方が無い、
 今回の失踪。キャッズアイはおろか、組織にさえいられないことは明白だった。
 涙は流れない。訓練を重ねたオクツには、涙することすら許されなかったのだ。
「オクツ様のことはよく存じ上げておりますわ。こうしてご招待申し上げたのは、私たちに力を貸していただきたいからですの」
 オクツはぼんやりと濁る目で、美波を見上げる。
「御厨亜夜を……殺してくださいませ」
「それは……」
「知っておりますわ」
 オクツの言葉を遮って、美波は言った。
「シャドウブレイザーズにいれば、エミコ様の仇は望めませんのでしょう? 私たちはオクツ様のお力になりたいと思っておりますのよ」
「あたいの力……?」
 はっ、とオクツは笑った。
「悪いけどねえ、ティーゲル・トラウムは壊れちまった。仲間もいないあたいに出来ることなんて何にも無いよ」
 吐き棄てるような言葉には、たっぷりと自己憐憫がまぶしつけてあった。
「壊れてしまったものは、直せばいい。そうでしょう?」
「あんたねえ、これは政府最新の……」
  反論しかけて、オクツは口を閉じた。そうだ、最新だの何だのと言って、はっきり単体で〈人形〉に対峙できるほどの、力を有した武器は何も無いのだ。
「いいじゃん、やだってもんは。そこらへんでのたれじなせておきなよ」
 雪花がじれったげに声を上げた。
「そんな弱虫の手を借りるまでもないって」
「弱虫……だと?」
 オクツの目に、怒りの炎が宿った。
「雪花ったら」
「へえ、まだそんな目が出来るんだぁ? あたしがあんたのこと試してあげる」
 黒いピンヒールが、絨毯をへこませる。雪花はゆっくりと息を吐くと、両手をだらりと下げた。オクツは、はっとして構えた。
「ふん!」
 呼気も荒く、長い足を利用しての蹴りが放たれる。雪花のまだ少年のような身体が、しなやかにしなった。
 一歩下がって、オクツは髪の毛一本、よけた。休むまもなく、逆足での裏蹴りが飛ぶ。
 更に下がったところに、雪花は連で飛び蹴りを放つ。
「ほらほら、下がってばっかりじゃリングアウトだよ!?」
 まるで舞うような攻撃だった。雪花の足がステップを踏むたび、雪花の白い足がスリットを割って覗いた。黒いドレスもあいまって、足の白さが目に染みるようだ。
 軽い身のこなしとは裏腹に、その威力は空気の切れる音で察しがつく。
「く……」
 よけきることが出来ずに、まともに手で受けたオクツは、思わずうめいた。
 並々ならぬ戦闘経験を持つ彼女をしてもって、驚嘆に値するほどの重い蹴りだった。
「小娘がなめるな!」
 オクツの手には、シルバーリンクスがあった。
「そうこなくっちゃ」
 雪花は舌なめずりをする。
 シルバーリンクスの重みが、感覚をよみがえらせた。オクツは距離、体重移動から、雪花の次の攻撃を予測して身構えた。
「おやめなさい!」
 美波の声に、雪花は舌打ちした。
「せっかく面白くなってきたとこだったのにさぁ」
 痛いほどに研ぎ澄まされた感覚が、ゆっくりと萎えていく。ここで断ってみたところで、帰る場所はどこにも無く、ティーゲル・トラウムなしには〈人形使い〉に対してあまりにも無力だ。
「いいさ、手を貸してやる」
「では、これはこちらで『修復』させていただきますわね」
 美波の白い指が、壊れたティーゲル・トラウムの表面をなぞった。
「御厨亜夜……わたくしたちは〈AYA〉とよんでおります……は祭文教授の娘さんでいらっしゃいました。〈人形使い〉と〈人形〉を結んでおりますDエンジンは、元々医療用に開発されていたのをご存知でして?  けれど……科学者にとって、人の体を弄繰り回すことはどんなに魅力的だったのでしょうね……。いいえ、祭文教授をうらんでなどおりませんわ。私どもがこうして健康でいられるのも、こんな……」
 そう言うと、美波はVを手元へ呼んで続ける。
「……お友達を与えてくださったのも、祭文教授ですもの……うらんだりしましょうものか? 祭文教授が亡くなったのも、本当に事故でしたのよ。だけど、亜夜さん、いいえ〈AYA〉は私たちが殺したものと思い込み、Rがあれほどまでに強くさえなければ彼女もあれほどまでの思いにはとらわれませんでしたものを。私たちは彼女をこの狂った思いから開放して差し上げたいと思っていますのよ」
 オクツはがっくりとうな垂れて、否、眠っていた。
「いつものことだけど、たいした物ねえ」
「素敵な寝物語だとは思いませんこと?」
 くっく、と肩を震わせて美波は笑った。
「目が覚めても、素敵な夢が続きましてよ」
「さっきは止めてくれてサンキューね。……危なくまじで殺すところだったわよぉ」
 赤い舌で唇をなめ、雪花は自らを両の手で抱いた。
「強いんだもん、そいつ。……あれよねぇ、弱いやつの希望とかって踏みにじるのもたまんないけど、強いやつを殺すときの快感には及ばないわ。命と命の駆け引きの末に死んでいくやつを見下ろすのがたまらなく好き」
 オクツの死に顔でも想像したのか、雪花は恍惚とした表情を浮かべた。幼い容姿に妖しげな装い、少年のラインのそれぞれがお互いを際立たせ、どんな妖艶な美女よりも艶やかしくみえる。
 美波はまぶしげに目を細めた。
「人を殺すときのあなたは綺麗だわ」
 くす、と雪花は笑った。
「まるでそれ以外はぶすみたいじゃんかぁ。やめてよ、私にはそっちの趣味ないからね」
 ひらりと着衣を翻す様は、まるでもう一人の雪花のようだった。
「時間なんて、止まってしまえばいいんだわ」
 美波は一人ごちた。

 オペレーションSKY・HI開始まであと13時間。

執筆:神那良子

つづく