真弓が、やってきたばかりの真新しい制服をハンガーに掛けていると、部屋のドアがノックされた。
「あれ? 誰だろう。……はーい」
(ねぇ、真弓ィ、今日どうするの?)
 廊下側には複数名いるのだろうか、ざわついた声が聞こえる。
「あ、いっけね。忘れてた」
 真弓はとっさに何かを思い出したように慌てた表情をしながら、足早にドアに向かう。不思議そうな顔で真弓を見る亜夜に、彼女は小さな声で答えた。
「今日、バレー部のみんなと、街に買い物行く約束してたんだ」
 バタンと音をさせて扉を開く。
「ごめーん、すっかり忘れてた。今謝る、ゴメン」
 心底申し訳なさそうな口調で手を合わせる真弓に、少女達は口々に声を掛けた。
「土曜日、どうしたの?」
「んー。ちょっとね」
 言いながら、彼女もドアの向こうに消えていった。
 廊下には、一体何人くらいの生徒が来ているのだろうか、女子校特有の黄色い声が、扉を閉めた今でも聞こえてくる。
 楽しそうだ。けど、多分、自分はこの輪の中には入れない。もう二度と、自分の戦いに人を巻き込みたくないのだ。かつてのまりや、今もきっと傷の痛みに堪えながら笑っている真弓のような人間はもう今後、出しちゃいけない。
 少なくとも、全てが終わるまでは……。
「ねえ、亜夜ちゃんもおいでよ。みんなに紹介してあげる。あたしの部屋にみんな入れちゃうとぎゅうぎゅうだからさあ」
 ひょこりと真弓がドアから顔だけ出して、手招きした。
「え? いいよぉ。あたしは」
「みんな、亜夜ちゃんの事、気になってるみたい。初日にほとんどみんなと話さなかったでしょ?」
 そう真弓に指摘されて、亜夜は返答に困った。
 本来、人と話すのは嫌いな方じゃなかった。中学の時の友人はそんなに少ない方ではなかったし、親友と呼べる何人かの友達には、言いたい事や悩み事、バカな話。それこそ何でも話せた。
 だから、余計にこんな事を思うのかも知れない。
 これ以上、自分に関わる者を増やしちゃいけない、と。
「ごめんね。あたしは、いいや」
 穏やかに答えて亜夜は首を振った。
 亜夜が躊躇う理由に気付いたのか、真弓は少し残念そうに口元を閉じると、もう一度、亜夜に返す。
「ん、わかった。じゃあ、ちょっとだけ待っててね」
 彼女の言う「ちょっと」はその言葉の通りほんのちょっとで、亜夜が近くにあったクッションに手を伸ばしたときにはもう、話がまとまっていたようだった。
 戻ってきた真弓は、亜夜の前にちょこんと座ると、いつものような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「これから、みんなと買い物?」
 問いかける亜夜に真弓は首を振る。
「ううん、今回はパスした。さすがにあんな事があった後じゃ、みんなと一緒に買い物になんて出られないよねえ」
 わざと作っているようにも見える難しそうな顔で、更に続ける。それから、一転して表情を変えて。
「だからさ、二人でどっか遊びに行かない? せっかくの日曜日だし。亜夜ちゃんが良ければ、だけど」
 飛び出した真弓の台詞に亜夜は目を丸くした。
「えー? 真弓ちゃん、傷とかまだ完全に治ってないんじゃ……」
「やだなー、心配ないって。朝走った感じなら、遊びに行くくらいなら充分いけるって」
「え、でも……」
「日曜以外は、シスターの許可が降りないと出られないんだからさ。自慢じゃないけど、あたしは雨の日以外に日曜に部屋に閉じこもっていたことなんて、ないんだからね!」
 言いながら、腕を大きく持ち上げて背伸びなどする。
「それにさ、なんか、悔しいじゃん。あいつらのせいで外にも出られないなんて。なんであたしたちが大人しくしてないといけないわけ?」
 それは確かにそうだ。しかし……。
「こういう時は、パーッと遊んで嫌なことは忘れるに限るよ。ね、亜夜ちゃん?」
 先日の事など忘れてしまったのではないかと疑いたくなるほど、真弓の声は明るかった。そして、……なぜだろう?
 何故だか断れないのだ。彼女の顔を曇らせたくなかったのか、それとも亜夜自身も、彼女とどこかへ遊びに行くのを望んでいたのか。
 どちらなのかは本人にもわからない。いずれの理由にも当て嵌まるのかも知れない。
「じゃあ、ちょっとだけなら」
「ホントっ? やったー。どこ行きたい? 亜夜ちゃんの行きたいとこ、連れてってあげる」
 思いの他、嬉しそうに顔の表情を明るくさせた真弓を見て、亜夜は、自分自身も嬉しくなった。
「甘いものが、食べたいな……」
 頭に浮かんだままのものを口に出してみる。
「甘いものね、OK! とっておきのお店があるんだ。そこのシュークリーム、絶品なんだよ」
「えー、そうなんだあ?」
 会話の途中で、亜夜は自分が必要以上に躁いでいることを感じた。ごく普通の女子高生に戻ったような錯覚を憶える。しばらく味わっていない、懐かしい感覚だった。
「じゃあ、日が暮れないうちに出発しよっか」
「うん」
 心配するな……。それって、真弓ちゃんの事だよね?
 不確かな兄の言葉が、彼女の中で確信に変わりつつあった。

 高層ビルの白い壁が、夕陽の反射でオレンジ色に染まる。行き交う人々も家路を急いでいるのか、どことなく足早気味に彼女達の前を通り過ぎていった。
 道に延びた長い影は、延びるだけ延びていき、やがて陽が沈むと共に姿を消していった。
「早い、もうこんな時間なんだ?」
 腕に巻き付けてある腕時計を見ながら、亜夜は驚いたように言った。真弓お勧めの店でケーキをつつくだけのつもりが、いつの間にか、何処かのブティックの紙袋などを持っている。
 彼女たちは、繁華街をゆっくりと歩いていた。
 こんなにのんびりとした気分で街を歩いたのは久しぶりかも知れない。
「いざとなったらデビルくんがいるもん、大丈夫よ」
 そんな真弓の頼もしい言葉に安心したのか、亜夜自身の警戒心も薄らいでいるように思える。
「よし、次は……」
 はりきった声で真弓が何かを言いかける。
「え? まだ廻るの?」
「まだまだ案内したいところは沢山あるけど。さすがに回り切れないから、また今度来ようね」
「う、うん」
 ……その「今度」はいつ巡ってくるのだろう。そんなことを考えながら、亜夜は独りごちた。

 同刻……。
 亜夜たちの歩いた後を辿るように、500メートルほど後ろから、歩を進める影が二つ。
「ホント、この街って、誰もかれもが慌ただしいよね〜。あーやだやだ」
 優雅な歩き方とは反比例して、どこか気の抜けたような声で彼女は呟く。
 艶めかしげに動く紅を差した唇、髪の毛を掻きあげる度にちらちらと反射する指先のラメ。服についている同色のラメが、歩く度に揺らめいた。
「ふん」
 もう一つの影が、機嫌悪そうに一言返す。
 同じようなラメの入ったこちらは青いイブニングドレス。黒いイブニングと同じく、こちらも歩く度にキラキラ光りながら揺れる。けれど、その纏ったドレスの主は、遠目からでもわかる訓練された歩き方のせいか、それとも歩幅がやけに大きいせいか、ロボットのようにぎくしゃくしていて、あまり優雅とは言い難い。
「何故そのクラブとやらまで車を使わないんだい?」
 目いっぱい怨みを込めた目で、彼女は前を歩く連れに問い掛けた。
「こっちの方が楽しいじゃん?」
「はっ、どこが」
 悪態を吐きながら、彼女は自分の服装を見て力の抜けたような顔を隠せなかった。
「第一、なんであたいがこんなまねしなきゃならないんだ!」
 問い掛けた相手からの返事は戻ってこなかった。聞いていないというより、むしろ聞こえていないといったていで、すたすたと前を行く。
「くそ」
 彼女は唇を噛み締めながら、馴れない靴で地面を踏み締めた。
 と、そこに、今頃になって返事をする気になったのか、彼女に視線を向けながらおちゃらけた口調が返ってきた。
「どうせ今は暇でしょ。ご自慢のティゲール・トラウムも、あのザマだし」
「くっ」
 事も無げにあっさりと痛いところを突かれ、オクツは小さな呻き声を上げた。
「暇な人を作っておく程の余裕はな〜いの。しっかりこの雪花さんの役に立ってよね」
 雪花は、面白がるように笑いながらオクツの背中をポンと叩いた。
 彼女は、オクツを思いの他気に入ったらしい。
 気に入った相手に彼女がする行為は、二つに絞られていた。できる限り自分の側に置いておくか、さもなくば自分自身の手で殺すか。それ以外の手を彼女に使わせた相手は、今のところ誰一人いない。
 強い人間が死に際に残す、悔しそうな表情、そしてその瞬間が彼女に何かを奮い立たせる。
「こんな恰好させて、あたいに何させようってんだい?」
 真っ赤な顔で、オクツは彼女を睨みつけた。いつものスーツと違い、雪花の纏っているイブニングドレスと似た形の青いドレスに身を包んだオクツは、歩きにくそうに体をすぼめている。 
「そんな難しいことじゃないってば」
 ゲームを始める前の子供のような笑みを浮かべながら、彼女は答えた。
「……」
 雪花が何を企んでいるのか読めないオクツは、しぶしぶながら承知せざるを得なかった。
 こんなヒラヒラした服を着せられるのは、彼女にしてみれば屈辱的だ。けれど、これもエミコの仇を討つ為と割り切ればどうにか耐えることが出来る。
 溜め息にも似た深い息を吐くと、自分より僅か前を歩く雪花を見やる。
「……!?」
 雪花の肩の向こうに、見覚えのある体型の娘が見えた。もう一人、同じ年頃の娘と、何やら会話を交わしているあの後ろ姿は……。
「!」 
 オクツは目を見張った。
 あたいは、なんてラッキーなんだ。
 今、オクツの頭のファイルの中で一番前のページに並んでいる人物。仲間を奪った憎き仇。
 御厨亜夜が、前を歩いていた。
「どうする?」
 彼女の存在に、すでに気付いているであろう雪花に訊ねる。何を言われても、こちらのやりたいようにしか動くつもりはないが。
「!?」
 問い掛けて初めて雪花がいないことに気付く。
 御厨亜夜に気を取られている間に、雪花は姿を消していた。
 慌てて辺りを見回しても、勿論結果は同じだった。

 オペレーションSKY・HI開始まで、残りわずか。

執筆:Kan

つづく