ふと胸騒ぎを覚えて、亜夜はカーテンの隙間から屋外を見た。
 何もなかった……。ただ、いいようのない悪寒と、胸騒ぎがぬぐい去れない……。ここ2・3日、西村夕の姿が校内に見えなかった。あれだけ派手な容姿である。姿が見えなければすぐに分かる。思ったよりも傷が深いのかとも考えたがそうではないことはすぐに分った。行方不明なのである。
(おそらくはもう……)
 亜夜は、静かに目を閉じる。
 初めての実戦で分ったことは一つ……。
(彼女は戦うことに躊躇いはなかった。目的もなく、ただ言われるがままに戦っている……恐らく校内での乱暴な姿でさえ理性を保つための行為に過ぎないのかもしれない)
 幼い頃に数回見ただけの鷺宮博士の面影に、死に神の顔がだぶっては消えて行った。
(その生命と引き換えに魂の服従を誓わせる卑劣な悪魔。結局はその生命さえも……)
 そう思うと同時に彼女の中の、D-エンジンに火が灯る。
(負けられない。あの男にだけは……)
 胸に痛い程の熱さを感じ強くそう思う亜夜の中には、父親の復讐だけではなかった。戦う敵に払う情けは持たなくとも、消えてしまう者への情けは有るのだ。ボーグという人形を操っているつもりで、自分もまた操り人形だった彼女に……そして……自分もまた同じであるかもしれないことに、彼女は哀しみさえ感じていた。
(ま、どのみち後には引けないけどね)
 自嘲じみた笑みをもらして、亜夜はベットに潜る。
 次なる敵に会うために……。

 石坂有紀にその命が下ったのは、西村夕の失踪後5日程経っての事だった。部屋に入った途端携帯がなった。
「何やってたの? やけに遅かったじゃん。こっちは御厨ちゃんと遊びたくてうずうずしているのにさ」
『フン、喜べ。正式に命令が出たぞ。堂々とやって構わんさ』
「やった。で、あの薬はもう送ってあるんだろうね? 残り少なくってさ」
『ああ、今日あたりつく頃だが』
「そうありがとう」
 向こうが電話を切るのを見計らって携帯を切った。それから、時計を見る。
「あと15分か……。そろそろメインをいじらないとやばいな」
 そう呟いて部屋を出ると、地下室へとおりて行った。
「全く、たいした外見でもない癖に、こんなややこしいシステム作るんならたまには帰って来やがれってんだ」
 有紀はここ数年両親の顔をまともには見たことがなかった。この頃は、家にさえ帰っては来ていないのだろう。腹立ちまぎれに切った両親のホログラムはここ、2・3年見ていない。子供の為にできるだけ自然な家庭環境をとでも思ったのか、石坂家はからくり屋敷である。ホログラムの両親に、人工の音声メカ、だが、そのどれも現在の有紀を知ること等なかった。真直ぐ両親の元に情報を流すメインコンピューターは、何時も有紀がいじるため正確な情報等1つも流しはしなかった。

 5年前……、既に鷺宮の陰謀は始動していた。大学病院の院長を買収し、既に何体かのボーグが作られていたのだ。その中に有紀の姿もあった。
 広い家の中で、胸を押さえ苦しむ有紀を見つけたのは家政婦だった。すぐさま救急車が呼ばれ、病院に運ばれた彼女の心臓は衰弱し、何時止まってもおかしくはなかった。両親は、大金を積んで(とはいえ彼らにとってたいした額でないのは有紀には分っていた)その手術を受けさせた。
 この、悪魔との契約により、彼女の命は救われた。そして、彼女の一生は鷺宮の手に渡った。
(全くバカらしい話だよな。高い金払ってしてもらった手術で本人は生きて苦しんでいるんだからな。あいつらが知ったらどんな顔するんだか)
 含み笑いをしながら、有紀はメインコンピューターの電源を切る。その足でポストに向かう。ポストにあったのは小さな小包だった。割れ物注意のはり紙がはって有ったが大事に扱われたようにはとても見えなかった。中に入っていたのは小さな瓶で、さらにその中にはカプセルが入っていた。
「それもこれもあいつらのせいだな」
 そう呟いて、彼女は中身を少量手に取り、口に放り込んだ。小瓶のラベルは見なれない横文字で『ホルモン剤』を意味する単語が書かれていた。
「やっぱり邪魔臭いな」
 女性にしては小さめの膨らみを彼女は荒々しく掴む。そこには、女性にも男性にも成りきれない自分がいる。何も知らない両親の施しが彼女……否、彼を両性具有の汚らわしくも美しい化け物へと変化させた。本来なら成らない形の両性具有者へと……。
「こんなもん、なくても十分化けもんだけどね」
 悲し気に呟いた有紀も、自嘲的に笑うとすぐにいつもの通りに戻った。
「明日は御厨ちゃんと遊ぶんだから元気をためておかないとね」
 そういって、台所に入ると冷蔵庫の中のものを次々とレンジの中へ放り込んで行った。

「まずは、1人……か」
 青年はナイトスタンドの薄明かりの中でグラスを傾けた。
「まだまだ……かあの男までは……」
 二ヶ月前の拾い物それが、功を奏すのかどうかはともかく、「政府」のヤツらよりも早く辿り着かねば成らないのだった。
「まずは、1歩前進だな」
 青年は一気にグラスの中のものを飲み干す。まだ、情報が足りなかった。

執筆者:宮 万優美

つづく