終章


「……って感じで、あなたのおじいちゃんとは本当に色々あったのよねぇ。まあ、もっとも日露戦争で色々ごたごたした時に老テオバルドが日本に来ちゃったから、あたしとしてはここで人間らしい生活が終わっちゃったと言う意味でも、ものすごく幸せな時だったのよ。だからこそこんなに美しい思い出になってるんだわ」
 長い長い話をこの言葉で締めて、香代はもう一度窓を見つめた。話したことで当時のことを鮮明に思い出したのだろう、先程よりも外を見つめる瞳が、複雑な光を帯びていた。窓の外は既にもう、すっかり冬の星空を描いていた。
「……この一枚の写真からは、全く想像つかないな」
 話の間中、ずっと持ち続けたままだった写真を、雪崩山はもう一度しみじみと見入る。確かに先程の香代のセリフの通り、写真にはそれぞれ異なった表情の人物が写っている。
 でもこの写真からは、香代が今語った壮大な物語を想像することは全く出来なかった。
「でも、『もしまたお会い出来ましたら』とか言った割に、あの後結局清さまには一度も会うことはなかったのよね。風の噂で生きてるとか亡くなったとかは聞いてたんだけど、一度も行かなかった」
「なんでだ? べつにじいちゃんに会ったって構いはしなかっただろう?」
 問い掛ける雪崩山に、目の前の少女は容姿に似合わない大人の笑みを返す。長い年月を生きているからこその艶然とした微笑み。
「何年経っても時を止めたまんまのあたしが、前に進んで行く清さまの前に出るなんて出来る訳ないじゃない。こっそり覗きに行ったとしても、バッタリ会っちゃうのは嫌だったし」
 あ、そうか……と雪崩山は気付いた。彼女はありえない力によって、見た目はずっと、自分の祖父と別れた直後と同じままなのだ。これでは歳を取り、変わり続けていく祖父の前に出られるはずもない。
 それはなんだか寂しいなぁ、と彼はしんみりとしてしまった。そのしんみり重苦しい雰囲気が嫌だったのか、香代は声の調子を変えていたずらっ子っぽい表情を浮かべてこう言った。
「あーあ、あの時あたしがちゃんと清さまに告白してればなぁ」
「……してれば、どうなるんだよ」
 なんだか嫌な予感がして、それでとりあえず問い掛ける。すると香代は不敵に笑んで言った。
「そしたらきっと、あなたのおばあちゃんはこのあたしだったかもしれないのに」
「……ぶっ」
 思わず雪崩山は吹き出してしまった。今目の前に立っている少女が自分の祖母だったら……と思うと吹かずにはいられなかった。その様子を見て、くすくす笑う香代。と、急に真面目な顔になりじっとこちらを見つめてくる。真摯な瞳に思わずこちらも気を引き締めた。
「でも、そうならなくてよかったかもしれない」
 その真摯な瞳のまま、香代はてくてく雪崩山の方に向かいながら言い放つ。
「だってそうしたら、あなたとこんな形で会えなかったんですもの」
「こんな形……?」
 香代が近寄ってきたことに、すわ何事か、と雪崩山は身構えた。彼女はほんの数センチ手前で立ち止まり、雪崩山をじっと見つめたまま手から写真を抜き取り、背伸びをして、そして。
 素早く彼の唇を奪った。
「!!!」
 雪崩山は声にならない叫び声をあげ、口を抑えて何故か首をぶんぶんと横に振った。反対に香代は、唇に指を当て、満足そうな笑みを浮かべてその場でぴょんぴょんとジャンプする。
 と、間髪入れず階下から声が聞こえてきた。
「勇次さん、香代さん、お夕飯が出来ましたよ。年越しそばもありますよ。あと香代さん、お部屋の準備出来ましたから」
「はーい。今お伺いします」
 圭子の呼び声に、お行儀よく香代は返事をした。そのままてくてく歩いてはしごに向かい。
 「よっこいせっ」
 と容姿に似つかわしくないかけ声を出しながら梯子を降り始める。
 ぶんぶん首を振り続けていた雪崩山は、母親の言った『部屋』と言う単語に引っかかり、ぴたりと動きを止める。固まってしまった身体をギシギシと音がたつかのように無理矢理香代の方に向け、恐る恐る問い掛けた。
「部屋って……」
 一旦消えた入り口から、香代がひょいと首だけ出した。悪戯が見つかった子どものように照れ笑いを浮かべ舌をペロリと出しながら。
「今、住む場所がなくて。姉さまと藻間さんの所なんて帰れるわけないし。で、お母さまについでだから相談したら、お部屋は余ってるからしばらく住んでいいですよって言われたの。だからしばらくここにいさせてもらうわね。あ、あと言いそびれたけど、さっきのあれは本気の証ね。洞窟内のあの時から、あたし、あなたが気になって気になってしょうがなかったの」
 満面の笑みで言い放つと、香代は今度こそ階下へと降りていった。
「……う、うそだろ……」
 先程のキスと、今の告白。立て続けに起きた衝撃の出来事に雪崩山は固まったまま動けなくなってしまったのであった──。

 

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