アミューズメント・パーティOnLine
2 錬金術師

 数週間ぶりに雨に濡れるお茶の水の歩道を、学生たちはゆっくりと行進していた。黒、茶、赤──様々な色の傘が揺れる中、鞄を頭に人の波を押し分けて進む一人の学生がいた。彼は心持ち気落ちした表情を見せながら、傍らの喫茶店に入った。
「よぉ、来たな名東」
 店の奥には飯島と雪崩山の二人がアイスティー片手に学生を待っていた。名東と呼ばれたその学生は二人の前の椅子にかけると、ウェイトレスのオーダーを待ちつつ二人に向かって言った。
「雪崩山さん、今年は去年以上に辛いですよ。E研の連中も苦しんでるみたいですしね」
 名東は鞄からハーパーハウスのシステム手帳を引っ張り出すと、PEOPLEの項を開いた。そこには数百にも及ぶ人名が羅列されていた。そのアイウエオ順の名簿には、赤い線がこれまた無数に引かれている。
 ウェイトレスにアイスコーヒーを頼み終えると、名東は本題に入るべく再び口を開いた。
「……で、大雑把ですけど、今年の新入生名簿からそれらしいニオイのするやつを四百あまりリストアップしてみたんです。赤線で消してあるやつは、実際にこの目で見てみて見込みのなかったやつです」
「そうか……お前の読心調査は完璧だからな……間違いはないだろうが……」
 雪崩山はそう言い終えるとストローをくわえ、腕組みしたままシステム手帳に見入った。飯島も分厚い手帳をゆっくりとめくり続ける。名東の長い顔が申し訳なさげに揺れるのを見て、飯島はリフィルをめくる手を止めた。
 今年の新入生が不作なのは予想していた。大変だろうとは思う。でも、E研にも見つけられないってのはどうも……。
「ま、我がAPの血を絶やさんようにせんとな」
 突然、雪崩山がいかにも部長らしい発言を見せた。苦笑する飯島。なぜなら、雪崩山は部長という職にありながら、いままで仕事らしい仕事は一切したことがなかったからである。
「やる気になってるじゃないの、雪崩山くん」
 不意にレジの方から薄気味の悪い声が聞こえてきた。途端、雪崩山の不快感は絶頂に達した。その声の持ち主が三人のいるテーブルに近づくにつれ、飯島も名東も言い表わすことの出来ない不快感を感じるようになった。見るまでもなく、その姿態が脳裏に浮かんでくる。背の高い、青白い、黄土色のジャケットを着た蛇のような男!
「安藤……お前にそんなことを言われる筋合いは俺にはないんだよ」
 雪崩山は安藤をにらみ返しながら言った。安藤は心持ちびびりながら、捨てゼリフを残して店を出た。
「新入生はAPには一人だってやらないからな!」
 安藤の背中を見ながら、名東はつぶやいた。
「あーいう人が同類かと思うと何か嫌ですね。部長の広樹さんはわりといい人なのに……」
 その言葉には、飯島も雪崩山も深く頷いた。APとE研の『犬猿の仲』はもう何年続いているのか、皆目見当もつかない。
 AP──アミューズメント・パーティとE研──超常能力研究会は元々は一つのサークルに端を発する。
昭和二十八年、私立B大学の心理学研究会は一つの大きな転機を迎えた。当時助教授だった雪崩山勇次の父・雪崩山三郎の論文である『雪崩山家の超常能力』が会の中で問題となったのだ。学会に発表する前に念入りな再調査が必要という多数派に押された雪崩山助教授は仕方なく論文提出を止め、数人の研究グループを構成、再調査に挑戦した。このグループの名を超常能力研究会と言い、その後超能力を持つ学生を集める目的で同名のサークルを雪崩山助教授が顧問となって開いたのである。
 しかし激動の歴史と共に会の内容は急変していく。学生運動華やかなりし頃は学生運動家たちによって煽動された超能力を持つ生徒らが学校を急襲、門のかんぬきはPKで開けるわ学校側の作戦を読心するわ学長室に火炎ビンをアポートするわ機動隊を幻覚で攪乱するわ……自動的に超常能力研究会は閉鎖され、その歴史も幕が下りようとしていた時期もあった。
 しかし、超常能力研究会はエスパー研という二つ名で七十年代に復活した。顧問は変わったが、実質的には以前の研究を引き継ぐ形で活動が再開されたのである。ただ、ここにも時代の波が押し寄せて来ていた。戦後の大学復興以来守り続けていた学生の管理機構に限界が生じ、学生の自由を活動を学校側の意志で統率出来なくなってきていたのだ。学校側は生徒の団結力を恐れ、管理された学生の理想像をねじ曲げる反体制的な生徒を陰から弾圧するためにこのエスパー研を使用したのである。
 そんな威圧的な態度を取る学校側に反発して結成されたのが、現在のアミューズメント・パーティである。当然その構成は非公認サークル形式を取り(この点は現在も変わっていない)、当時まだ活躍していた故雪崩山教授の流れを汲む正当派エスパー集団として結成を遂げたのである。今現在、学内ではこの手の紛争は全くと言っていい程に見られなくなったが、それでもなおE研とAPの『犬猿の仲』は伝統として残っている。
「ま、何にしても新入生だけは手に入れんとな」
 超能力者同士の「袖の触れあう感覚」だけで新入生の中から超能力者を見つけることの難しさは、APやE研のメンバー全員が知るところのものである。いくら名東が優れた読心能力を持つテレパスであっても、これが至難の技であることに変わりはない。
 途方に暮れる三人ではあったが、手がない訳ではなかった。学生ホールには「新入生求む!」のポスターは貼ってあったし、実際APはE研よりは明るいイメージを学生たちから持たれていたからである。
「ま、何にせよ俺たちは捜すだけ……いなけりゃそれでおしまいだ。超能力の錬金術っでもあるってんなら話は別だけど」
 名東がコーヒーを飲み終えたことを確認すると、飯島は締め括りの言葉を言い、三人は腰を上げた。
 天は未だにその号泣を止めようとはしていない。

 憲法の授業は、飯島にとっては睡眠の時である。教科書通りの内容を話す教授のか細い声を聞きながら一日の疲れを取るべく眠りに入る……典型的な「出るだけ生」であった。
「だから去年、単位取れなかったのかなぁ」
 つぶやく。
 B大学は総合大学だが、文系と理系ではキャンパスの位置がまるで違っている。都心部の学生街にある文系のキャンパスには、法・文・経・商・社の五学部が存在している。今飯島が受講しているこの憲法という講議は、五学部共通の超大講堂で行われいているため、実に様々な学生が思い思いに聴講しており、それを観察するのも飯島の楽しみの一つであった。
「こんだけ人がいるんだから、エスパーの一人や二人いたっていいようなものなんだけどなぁ」
 再びつぶやく。飯島は深い眠りにつこうと身体をひねった。コンパクト六法を枕に目を閉じようとしたその瞬間、飯島の視覚神経をある画像が痛打した。大講堂のちょうど対角線上──直線距離にして約三五〇メートルの位置に座る、髪の長い少女。
(あの娘だ!)
 それはまぎれもなく、昨日助けた脚の綺麗な少女──山崎里美であった。飯島は講義中であるにも関わらず、荷物をまとめて階段を降り始めた。飯島は決して軟派な人間ではなかったが、女性に声を掛ける度胸くらいは持ち合わせていた。ただし、講義中に女性に声を掛けることが度胸と呼べるならの話であるが……。
「今日は、お嬢さん」
 突然背後から声を掛けられ、里美は飛び上がらんばかりに驚いた。講義中に背後から声を掛けられた経験のない御仁には理解できないかもしれないが、これは意外と平常の神経を掻き乱す行為である。思わず床に落としたシャープペンシルが、無機質で乾いた音を立てた。飯島はそれをゆっくりと拾うと、有無を言わせず彼女の隣に座った。少女のシャープペンシルはその華奢な指には似合わない、艶消しブラックの製図用シャープであった。
「山崎さん……だっだっけ? はい、シャープ」
 里美は絶句していた。昨晩の事件から自分を救ってくれた飯島洋一が講義中にいきなり自分の隣に座り、そして自分に話し掛けている──自分に! 瞬間、昨晩の出来事が走馬燈の如く脳裏で回転し、里美の頭の中は飯島に尋ねたいことで一杯になっていた。
 しかし、里美は声すら出すことが出来なかった。その顔は赤みを増し、身体中の関節という関節がギクシャクとし始めた。手のひらは汗ばみ、視線は虚空をさまよった。
(なぜ……?)
 蒼いストライプの走るシャツの奥の胸が、今まで経験したことのない感覚に締めつけられていた。
「知らなかったな……同じ学校だったなんて。これが終わったらちょっと付き合って頂けますか?」
 里美は顔を真っ赤にしながらうなずいた。拒む理由はなかった。
 飯島は、別にすけべ根性で里美に声を掛けたのではなかった。彼女に魅かれていたのは確かだったが、明らかにそれ以外の、またそれ以上の理由が彼を動かしたのである。それが何であるかは誰でも知っているのに、その正体を正確に言葉で表すことは出来ない。神の名を出すまでもなく……。
 終了のチャイムが鳴るまでの間、二人はそれっきり一言も交わさなかった。
 

 雨で登校している学生数はかなり減っているはずであったが、さすがに昼食時は人が集中するためか、学食は学生たちで溢れていた。飯島と里美がやってきた時には既に、その人の波は学食の遥か彼方の廊下にまで伸びていた。二人は学食をあきらめ、校舎の外へ出る階段を上がった。
「午後の授業は?」
 飯島の問に里美は、小さな声で午後の授業が存在しないことを告げた。
 むろん、これはうそである。うそが口を突いて出たことにも驚いたが、それ以上に里美は自分がいつになく上機嫌であることに驚きを感じていた。
 湿った空気を漂わせながら学食の前に並ぶ学生たちを尻目に、二人は傘をさすと校舎を出、そのままキャンパスを後にした。芝生とアスファルトのキャンパスを出ると、車の行き交う表通りに出る。その通りを南に五分程二人は歩いた。
 歩きながら、飯島はふと思った。
 いくら自分が昨日彼女を助けた人間だからといって、ちょっと声をかけただけで女の子ってのはこんなに簡単について来るものなのだろうか? 同じ建物の中にいたというだけで、自分の正体が本当に大学生であるという保証はないというのに……信用してもらったと素直に喜んでいいのだろうか?
 勿論これは全く飯島のいらぬ心配ことであって、いかにも心配性の飯島らしい発想であった。人のことばかり心配する心配性──普通人はこれを「要らぬお節介」と言うのだが、口に出して言わなければ紛争の種にはならない。それを知ってか知らずか飯島は、決してそういった類いの言葉を発しはしなかった。飯島の人付き合いの秘訣は、そこにあるのかもしれない。
 そうこうしているうちに二人は、奥まった所にぽつんと建っている一軒の中華料理店に入った。その油に汚れた看板の文字は全く読めない状態で、引き戸も簡単には動かないという、とにかく客の入りそうもない店であった。店内も店内で、綺麗に掃除はしてあるものの、お世辞にもよい装飾であるとは言えなかった。
「いらっしゃい」
 店の奥から中年太りのおやじが実に億劫そうに出て来たが、飯島の顔を見ると急に笑顔になって言った。
「おや飯島さんお久し振り。しばらく来なかったんでどうしたのかと思いましたぜ……おや、カノジョですか? お珍しい」
「彼女も何も、さっき出会ったばっかりだ。そういうことばっかり言ってるから店が寂れるんだよ、おやっさん」
 この飯島の突っ込みにはさすがのおやじも参ったらしく、しきりに手をふって恥ずかしそうにしていた。
「ま、いいや。おやっさん、飯島スペシャル二つね」
 おやじはへいと言うと、再び店の奥に下がって行った。里美はそのやりとりを半ば呆然として見ていた。飯島とおやじの関係が、その会話から見て逆転しているように思われたからである。
 そんな里美の前に、不意にお冷やが出現した。誰かが運んできたわけではない。まさしく、正真正銘、目の前に水の入ったコップが出現したのだ。
「藻間さんでしょ! やめて下さいよ。彼女はAPの娘じゃないんですからね」
 飯島の怒鳴り声とほぼ同時に、店の奥の階段から長身の男がぬっと現れた。分厚い眼鏡の奥の細い目は、悦びに怪しく光っていた。
「なんだ、違うのか。純粋にお前の彼女なのか、そりゃ悪かった。おれはてっきり──」
 そこまで言って、藻間は飯島の腹芸に気がついた。堅気の彼女に知られたくないか──藻間はそれ以上何も言わなかった。飯島に目配せして店を出た。
 店内は再び静寂の時を迎えた。
「あの……」
 口火を切ったのは、意外にも里美の方であった。彼女は頬の火照りを気にしながら、飯島に向かって言った。
「……質問したいことは沢山あるのですが……どれから先にしていいのか……」
 飯島は少しばかり驚いた。まだ顔を合わせて間もないというのに、自分に対しての質問が既に順序立てられないほど出来てしまっているとは……不思議な気分であった。自分の方が誘っておきながら、その相手から質問攻めに合おうなどとは全く思っていなかったのである。
「んじゃ、何から答えようか?」
 里美の頭の中は、憲法の講義中よりも更に混乱していた。尋ねたいことの数は大したことはない。昨晩のことと、今の会話から関すること、そして……。しかし里美には、どこからどう切り出していけばいいのかさっぱり思いつかなかった。どうしてなのかはまるっきり不明であったが、とにかく彼女の頭の中ではピンクの靄が渦巻いていた。
「昨日の晩のことだろ?」
 飯島は正直に喋る気になっていた。自分の力を隠しておく必要性を彼女に感じなかったからである。何故かは分かろうはずもなかった。ただ、少女の欲しているものは真実であろうと──そう感じたからかもしれなかった。飯島は淡々と語り始めた。
「君が知りたいのは多分、雪崩山の手品と俺の手品のことだろう。今から言うことはあんまり人にふれ回らない方がいいと思うよ。君の精神が疑われるのがオチだからね」
 お冷やをすすり、一息ついてからまた言葉を紡ぐ。
「そう、俺と一緒にいた、雪崩山のやったナイフキャッチの技は、簡単に言うと超能力──専門的に言えばPK、念動力って言うんだけど──を使ったからなんだ。PKってのはつまり、手や脚を使わずに、念じて物を動かしたりする能力を言うんだけど、あいつの力は本物で、ああやって僅かな集中力でどえらい仕事が出来るんだ。ナイフを空に飛ばすの、見たろ? 本気出したら凄いだろうなって思う。それと、俺の手品の方だけど──」
 話はおやじの出現で中断された。二人の前に、飯島スペシャルと呼ばれる定食が置かれた。おやじが眉をひそめて飯島に言った。
「いいんですかい飯島さん、この娘堅気の人なんでしょ? それなのに──」
「大丈夫ですよ、おやじさん。彼女はそんな娘じゃありませんから」
 おやじが奥に消えるのを見届けると、飯島は里美に飯島スペシャルを薦めた。週に二度は食べにくる、飯島の編み出した必殺のコスト・パフォーマンスランチである。ラーメン、ギョーザ、スブタにチャーハンもついて、三百円は殺人的であった。勿論誰もがこのスペシャルを頼める訳ではなく、まさに飯島スペシャルと呼ぶに相応しい存在であった。


 学生ホールでコーラを飲んでいた雪崩山は、藻間を発見して声をかけた。
「やっほぉ、藻間さ〜ん」
「よぉ雪崩、今日は一人か」
 藻間は雪崩山の隣に座ると、胸のポケットから禁煙パイポを出してくわえた。
 雪崩山はAPの先輩である藻間を、新入時から慕っていた。藻間は父・雪崩山三郎の心理学の最後の講議を受けた人物であり、その人柄は父からも聞かされていたからである。
「そういえば藻間さん、飯島見ませんでした? さっきから捜しているんですけどねー。確かあいつ午後授業なかったはずで、いつもならこの辺でぶらぶらしてるんですけど」
「い……」
 藻間はすんでの所で口を閉ざした。言っていいものなのだろうかという疑惑の念が、彼の口を閉ざしてしまったのだ。藻間のその態度が何を現すのか、雪崩山にはむろん理解できない。
「……いや、知らんよ。私は知らん。それじゃね、私は三限があるから」
 藻間はそそくさと立ち去ってしまった。雪崩山は何か心の中に割り切れないものを持ちながらも、飯島を待っていた。まるで待っていれば必ずここに来ると言わんばかりに……。


「さっきの続きだ。雪崩山の話はしたよね。ヤツ同様、俺も超能力者だ。君をM大の前に運んだのも、俺だ。俺の能力は空間転移──テレポーテーションって言った方が通りがいいかな。君の住んでいる所を事細かに聞いたのは、そういった訳があったんだ。目印となる大きな建物を尋ねたのも同様だ。跳ぶ先が分からないと転移した時どうなるか分からないからね」
 飯島はコップの水を飲み干すと、一息ついた。里美はとにかく一言も聞き漏らさぬよう、神経を集中して飯島の言葉を聞き言っていた。そうすることがまるで、自分の使命であるかの様に、である。
 話の内容は常人の理解の範疇を超えてはいたが、里美にはそれが嘘やでたらめでないことくらいは理解出来た。飯島の目が嘘をついている目ではなかったからである。誠実に、正直に、自分に真実を話して聞かせようとしてくれている……里美にはそれだけで充分であった。
「俺たちは学校でアミューズメント・パーティっていうサークルをやっている。さっきの藻間さんっていう人はAPの先輩だし、雪崩山はAPの部長だ。飯島スペシャルが生まれたのも、ここが藻間さんの下宿先で、よく俺たちAPのメンバーが利用するからなんだ」
 飯島は話の続きとして、あまり彼女に関係ないであろうAPのことをしゃべってしまい、はっとした。嫌な予感が飯島の脳裏を横切ったからである。
「APってどんなサークルなんですか?」
 飯島は失敗した、と思った。これでは自分と雪崩山が超能力者であることをしゃべったその上に、APやE研のメンバーがみな超能力者であることまで説明しなくてはならないからだ。その局面を打破すべく、飯島は話題を転換しようと頭を巡らせた。
「あ……そうだ、ちょっと試してみない? 面白い物があるんだ」
 そういって飯島は店のカウンターから何やら奇妙な、黒くて鎖のついた棒を持ち出した。そして自分のノートから紙を一枚綺麗に切り離し、フリーハンドでいくつかの同心円を描いた。
「なんです? これ」
「政木式フーチ・パターンと言ってね……精神の状態が一目で分かるんだ」
 飯島はその何の変哲もない棒を里美に手渡すと、持ち方を説明した。
 政木式フーチは、細い金属の鎖とその先端についている黒い棒によって構成されている。平たく言えば「振り子」である。
 要するに鎖の部分を持ってフーチと呼ばれる棒の部分を釣り下げ、そのフーチの描く軌道を見てその人がどういった精神の持ち主か、また精神状態にあるかを見るというものである。
「超能力者の軌道」なるものも存在することから、飯島たちはしばしばここに来るとフーチを使ってその日の精神力の動向を見たり、また新入会員の能力の存否などを見たりしていた。
「そう、そっと持って。それから目をつぶって、心を落ち着かせて……」
 飯島の言う通り里美は目をつぶり、心を落ち着けた。自分の手に重なっている飯島の手の温もりを感じながら、彼女はゆっくりと心を静めた。
 ゆっくり、ゆっくりとフーチが揺れ始める。それは本当にゆっくりと、しかし確実に大きくなり、ついには一定のパターンを描き出した。それは、楕円というよりむしろ直線に近いものであった。その直線は軽く十五センチを超えている。明らかにこのフーチパターンは……超能力者!
「山崎さん、君も超能力者なのか!」
 飯島の耳元での大声に、里美ははっと我に返った。途端にパターンは崩れ、振り子運動になり下がっていた。里美は飯島の言葉の意味がよく理解出来なかった。誰が──誰が超能力者?
「君のフーチパターンは完全に超能力者のものだった。あのパターンが出せる常人なんて、そうざらにはいない。君は自分で気づいていないだけで、本当はかなり強力な超能力者なんだ」
 そう言われても、里美はおろおろするばかりであった。十八年生きてきて、自分が超能力者であるという徴候など、ついぞ感じたことなどなかったのに、ここに来ていきなりそんなことを言われても……。
 逆に飯島は、己の選択眼に吃驚していた。まさか彼女に魅かれた「それ以上の理由」がこれだったとは! 飯島の頭の中に、けさ喫茶店で言った言葉が蘇って来ていた。
『超能力の錬金術でもあるってんなら話は別だけど』
 飯島は自分のことを、真の錬金術師だと思った。
「でも……飯島さん」
 飯島は浮かれた顔で里美を見た。彼女はまだ事態の把握が完全ではなかった。黒いフーチを飯島に差し出しつつ、里美は言った。
「私が超能力者かどうかは別として、飯島さんはそうなんでしょ? だったら飯島さんがやれば当然超能力者のパターンが出ますよね」
 それはそうだ。彼女は目をつぶっていたのだから、超能力者のパターンがどんなものか分からないのだ。飯島は浮かれた顔を真顔に戻すと、フーチを受け取って同心円の上にかざした。
 実を言うと飯島は、いままでにフーチパターンが直径十二センチを超えたことがない。だから、十五センチを軽く超えてしまった里美の前でフーチパターンを作るのは、正直言って気恥ずかしかったのである。しかし、こうなっては後には引けない。飯島は直径十五センチを超えることを願いながら、精神を統一した。
「わぁ」
 声の調子から、里美が自分の傍らに来ていることに気づいた飯島は、邪心を取り払うべく更に精神を統一した。
 一体自分のフーチパターンは、どの程度まで拡がっているのか? 里美は「わぁ」以来一言もしゃべってはいない。静寂が店内をあふれんばかりに満たした。もうこれ以上は待てない。もしかしたらフーチは凡人の如く小さな楕円を描いてるやもしれないのだ。
「山崎さん、どう?」
 しかし人の気配はするものの、彼女からの返事はなかった。左の肘を使ってつついてみる。里美の胸には飯島の肘が当たっていたが、彼女は異様な雰囲気に押し黙ったままである。不意におやじの声が背後から響いた。
「飯島さん! それ……」
 飯島は驚いて目を開いた。そこにあったものは、里美の硬直した身体とおやじの飛び出さんばかりの目玉、そして静止してぴくりとも動かない、黒く鈍く光るフーチであった。有史以来ごく僅かの聖人にしか見られなかったと言われる、驚異の超常能力……おやじと飯島の口から、ほぼ同時にひとつの言葉がかすれながら吐き出された。
「神格……」

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