■■■莫迦Mac図鑑■■■

■三号機■

PowerMacintosh
7100/66AV
250MBHDD Model

発売:1994年04月

購入:1994年07月

 1994年、7の月。ついにその時が来ました。ミッドレンジながら、セパレートMacと17インチモニタを購う日が。PowerPC601の駆動ヘルツは66MHz、HDDは250MB、搭載メモリは増設して48MBと、いま(2003年03月執筆時)考えると非力以上の何物でもないスペックも、当時は贅沢で高速で豪華なものでした。まだ、パーソナルコンピュータが三次元演算結果を高速表示できない時代の話です。

 このマシンは2002年02月にG4“QuickSilver 2001”がわが家に来るまで、実に7年半も現役で稼働してくれました。初期型にありがちな故障箇所もなく、途中で96MBにメモリも強化され、モデムも144から336、その後はフレッツISDNから最後にはケーブルモデムによる常時接続8Mbpsの世界まで、パソ通とインタネの激動の歴史を生き残ってきました。

 しかし、さすがに時代の流れについてこれず、現役を引退。いまでは電源を入れられることもなく、パソコンラックでひっそりと余生を送っております。7年半の間に7100/66AVに関わった周辺機器はモニタ2台、外付けHDD3台、モデム3台、プリンタ4台、スキャナ1台、MOドライブ1台、カードリーダ1台、スピーカ1台。OSは漢字Talk7.1から7.5、8.0、8.1、8.2、8.5、Mac OS9.0から9.2.2まで。

 そう、このマシンから、Macもフロッピィを押し込まないといけなくなりました。LC520までは「暫烈拳ドライブ」だったんです(笑)。最初のころは違和感があったのを憶えています。今のマカーのひとには「昔のMacはフロッピィを吸い込んだんだぞ」って言っても信じてもらえないのでしょうね。Macはフロッピィを刺したらオートで吸い込んで、ごみ箱に入れたらオートで吐き出すのが常識だったのですが。まあ、今のマシンには「レガシードライブ」はついていませんから、何を今さら、なのでしょうが。

 インターネットを主戦場にするまで、このマシンのメインアプリケーションはQualk Xpress 3.3でした。小生の「DTPをやる」という夢が叶ったのです。個人での出力はPSモノクロレーザプリンタですからカラー利用を考えることもなく、お金がないですからPSフォントもほとんど購えず、いま考えるとお寒いDTP環境だったわけですが、同人誌にDTP(それも「雑誌並みの本格レイアウト」)を持ち込むこと自体が珍しかったころですから、本の出来栄えは理想に近く、満足の行く環境ではありました。

 主戦場を紙媒体から電子媒体──インターネットに移してからも、7100/66は頑張ってくれました。テキストと減色したjpegを扱うだけなら、このマシンでも何の問題もなかったからです。ただ、時代は確実にブロードバンドに流れていきました。ブロードバンド化と同時に、動画を扱うコンテンツが増えていきます。動画を観るということは、CPUにとってかなりのストレスです。Flashで作られた動画コンテンツを観る機会が増えるにつけ、残念ながらロートルPowerPCではもう無理だ、と思うようになりました。

 2002年、小生はついに新アーキテクチャであるG4の導入に踏み切ります。二台目のモニタが燃えてしまってHPの更新・維持ができなくなってしまったことと、Mac OSXがようやく普及の兆しを見せたことが、小生の財布のヒモを緩めたのです。

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