可憐なモモチーの華麗な一日。(2)
「お疲れさまです、ゴオちん」
さっきの擬態獣(の卵)との接触から三時間後。休憩時間になったのでお昼を食べようとベース内の食堂へ続く廊下を歩いていると、少し疲れた顔をした猿渡さんが歩いてきた。いつものように笑って声を掛けると、彼はものすごく不機嫌な顔をしてそっぽを向いた。
「いいかげんそのあだ名で呼ぶのはやめてくれよ」
ブツブツとこっちに聞こえないように呟いているつもりなんだろうけど、丸聞こえ。
実は杏奈ちゃんが初めてオクサーに乗ったあの後から、私はずっと猿渡さんの事を「ゴオちん」と呼んでいたりするのだ。で、毎回「やめろ」とツッコミが入る。いつもだったら乾いた笑いで誤摩化しているんだけれど、今日はつけ込める要因があるし。という事で、私はニッコリと笑みを深めてダメ押しする。
「でも猿渡さん、さっき戦闘中にも杏奈ちゃんにそう呼ばれてましたよー。だからいいかなって。そろそろ皆その呼び方に慣れちゃって、ベース内公認も同然なんですから、私が『ゴオちん』って呼ぶくらい全く大丈夫じゃないんですか?」
うぐっ、と言葉に詰まった事から猿渡さんが精神的ダメージを喰らって撃沈するのが判った。そのまま悠々と横をすり抜ける。そういや、と思ってすり抜け様に一言。
「それとも『お疲れさまです、お父さん』の方がいいですかぁ?」
バタッ、と大きな音。あ、猿渡さん倒れた。
そのまま後ろを振り返らず、食堂へ。
食堂に足を踏み入れると、遅番だったせいもあってそんなに食堂内は混んでない。いつもの青汁でも飲もうかな、とカウンターの方に歩きかけたその時、後ろから何やら頭のてっぺんから抜ける感じの甘ったるい声が複数聞こえてきた。
おそるおそる振り向く。隅の方にいたのはオレンジ色の作業服の二人。片方は肩まで伸びた髪をポニーテールにした女性。もう片方は前髪が何やら斜めになってる男性。よく見ると鼻の下が異様に長くみえる。
……何やらすごい所に居合わせちゃったかもしれない。
私は二人には聞こえないように、小さくため息をついた。もっとも、わざとらしく息を吐いた所で、二人の世界に入っちゃっている人たちには聞こえなかっただろうけど。
二人が付き合い出した事は、ここ最近ベースのあちこちで噂になっていたし、人目もはばからずに『この世界は愛の為にあるっすよ』『そうっす、その通りっす』とお互いだけの世界を作り上げているんだというのを、一昨日二人を近くで目撃したコナミちゃんに聞いたばっかり。でも、私は実はこうやって近くで見るのは初めてだったりする。しかし、噂以上のくっつきっぷりだわ、森本さんに林さんってば。
私はさりげなく中華あんかけハンバーグランチに青汁ストレート、デザートの黒ごまプリンが載ったトレイを持って二人が目の端に映せるような位置に陣取り、食事をしながらしばし観察を試みる事にした。
「森本、この間はあげられなくてごめんっす。また『水晶豚の梅和えプロヴァンス風』作ってきたっす。今日こそ、これを全部森本一人に食べてもらうっす」
「くぅーっ、嬉しいっす林さん、本当にこれ全部いただいちゃっていいっすか?」
「だって、これは森本のためだけに作ってきたごはんっすから……」
うわ、森本さんてば林さんにご飯食べさせてもらってる。何あのデレデレとした顔。林さん、絶対何かピンクのオーラとか出してそう。あ、森本さんのほっぺについたご飯粒、食べてるし。人が殆どいないとは言え恥ずかしくないのかしら。あれはバカップル、という表現がぴったりかもしれない。あーあ、運悪く近くに座っちゃってた泉さんと那須さんてば不自然に背中向けちゃってる。
好奇心から始まった観察は、ものの数分で頓挫した。無理、あれずっと見てるの。独り身が淋しいとかそういうんじゃなくて、あれはあやし過ぎだってば。頼むから人のいない所でやってください。
彼らから一番遠い所に席を取り直し、ただひたすらランチを口に入れた。それでも食堂内に響く甘ったるい二人の声に、だんだんと苛立ちに似た何かを実感して、この場にいるのが耐えきれなくなり、休憩時間終了には早いけどセクションに戻ろうと席を立ち、だいぶ残してしまったランチをやっぱり苦笑している食堂のおばちゃんに渡した。
くすん。今日のランチすごく美味しかったのに。胸やけで食べられなかった……。がっくりと、脱力した時。
「よお、桃園」
ポンと肩を叩かれ、振り返ると芝草さんがそこにいた。牛筋煮込み定食大盛セットのトレイを持って。
「お久しぶりです芝草さん、今からお昼ですか?」
苛立ちを押し殺し、微笑む。口の端とかピクピクしてるけど、気にしない方向で。
「ああ、本当はもっと遅いんだが、いつも誰かが呼びにこないとあの二人は帰ってこねえからな。ちょっとお灸を据えようかと思って早く来たって訳さ」
そう言ったあと、つかつかとバカップルに近寄り、ごつんごつん、と二人に一発ずつ。うわ、すごく痛そうだけどあれで目が覚めるわよね、きっと。
「森本ー、痛いっす〜」
「ああっ林さん、大丈夫っすか? もうオレどうしたらいいのか……」
森本さんに泣きつく林さん、それに応えるようにぎゅっと彼女を抱きしめながら頭をなでなでしてあげている森本さん。
……あれで全く効果がないなんて。なんて恐ろしいほどのバカップル。
「いちゃいちゃしないでとっとと現場に戻れ!」
芝草さんの一喝でようやく二人は重い腰を上げて現場へと戻って行った。ただし、手は繋ぎっぱなし、身体はすり寄せ合いながら、だけど。
ベタベタいちゃいちゃしながら去って行く二人の背中に、心の中でツッコミを入れる。頼むから明日以降は自宅でやってください、と。
「すまんな、あの二人も今が一番幸せな時なんだ、見逃してやってくれねえか」
私の心のツッコミに呼応するかのように、芝草さんの謝罪が入る。それに首を横に振って応じた。
「大丈夫です。今度から視界に入らないようにしちゃいますから」
その言葉に芝草さんがずるっと脱力するのが見て取れた。
「桃園ー、あんまりキツい事言いなさんな。もうちょっと広い心で接してやれよ、な?」
……別にキツい事言ったつもりなかったんだけどなぁ。だって見て害があるものはできるだけ視界から排除しないとじゃない、などと思っていると、目の前に豆乳入り青汁の紙コップを差し出された。
「今日はこれに免じて勘弁してくれ」
「芝草さんの頼みなら、しょうがないですね」
コップを握りしめて、すとんとまた先程までいた机に座る。芝草さんは向かいに陣取り、悠々と定食に箸をつけ始めた。ものすごい勢いで食べ物が減っていく様子が面白い。私もずずっとコップに口をつけながら、話題を振った。
「そういや芝草さんって、いつもベースの食堂のご飯ばっかりですよね。お弁当とかって持ってこないんですか?」
その言葉に、ご飯に熱中していた手が止まり、こっちを見る芝草さん。
「いや、ちょっとな」
言って、ほうじ茶をずずっと。
「奥さんに三行半でも叩き付けられました?」
私の冷静なコメントに驚いたらしく、芝草さんは口に含んでいたお茶が気管に入ったらしい。げほげほとむせた。しばらくして落ち着いたあと、恨めしそうに私を見る。
「人が飯を食ってる時になんちゅう事を言い出すんだ、桃園ぉ」
「だって仁くんのお話は良く聞くのに、奥さんの話題って殆ど出ないじゃないですか。仲のいい夫婦だって聞いていたのに話題が出ないってことは、芝草さんが『仕事が恋人状態』になっちゃった事に愛想をつかされたのかなー、とか考えちゃう訳なんですけど」
私がこんな事を訊いたのは、実は当てずっぽうじゃなかったりする。こっそり流れている噂があったから訊いてみただけなのだ。まあ、三行半とは誰も言ってなかったけど。
すると。
芝草さんは宙をにらんで考え事を始めた。奥さんに逃げられた言い訳を一所懸命考えているのかと思いきやそうでもないらしいので、私は芝草さんが何かを言い出すまで待ってみる事にした。
「とりあえず他には内緒だぞ」
しばらくしてやっとこっちを見た芝草さんは、そう言ってこそこそと、耳打ち。内容を理解した瞬間、私の心はちょっとだけ沈んだ。でもあえておどけて返事をした。
「了解です。内緒、ですね」
「頼んだぞ」
芝草さんは空になった食器をトレイの上にまとめ片手で持ち上げ、もう片方の手を軽く上げて、挨拶して去って行った。
……ちょっと悪い事聞いちゃったかもしれない、でも誰にも言わなきゃいいよね、なんて思いながら青汁をぼーっと飲んでいたら、ピルルルッ、と胸ポケットから電子音。そして通信機越しに聞こえて来たのはコナミちゃんの声。
「モモチー、もうとっくに休憩時間終わってるよ」
……しまったーっ!
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