サプライズ。

3

 静流が悠々ととある部屋にたどり着いた頃、杏奈は食堂へと到着していた。トレーニングルームから食堂まで一気に走ったためハアハアと息も絶え絶えだが、息を整えるよりまずゴオの所在を確認するのが先、と食堂を入り口から一気に見渡す。やはりというかなんと言うか、ゴオの姿は見当たらなかった。がっくりと杏奈は肩を落とす。
(あーあ、やっぱりいなかったか……たまには他の人の作ったご飯を食べながら『ゴオちん、わたしのご飯と食堂のご飯、どっちの方が美味しい?』『そりゃ、奥さんの作ってくれた飯の方が美味いに決まってるよ』なんて甘い会話を繰り広げてみたかったのに)
 けれど、ゴオがいなければそんな端から聞いていると甘ったるくて逃げ出すような会話ができる訳もない。しょうがないから自室に戻ろうと、きびすを返したときだった。
「あれ、杏奈ちゃん、こんな所で何してるんだい?」
 食堂の奥の方から聞き覚えのある声がした。振り返ると、光司がゆったりとコーヒーを飲みながらこちらに向かって手を振っていた。
「あ、光司さん、お元気ですか?」
 てけてけと杏奈は光司の元に近づく。同じベース内に住んでいる割に、杏奈は光司に会う事は滅多になかった。同じ部屋で寝起きを共にしているゴオ、トレーニングコーチとしてほぼ毎日顔を合わせている静流とは違い、光司とはよほど強力な擬態獣がでない限りは顔を合わせる事もなかった。たまに会ったとしてもトレーニング中に横を通った時に挨拶するなど、そう言った類いのおつきあい。だからこうして彼が声をかけてきてくれるのはとても珍しい事だったのだ。
「元気元気ちょー元気。杏奈ちゃんはどうしたんだい、そんなに息切らせて」
「ちょっとゴオちん探してて。……あれ? それって新作メニューですか?」
 杏奈はふとコーヒーカップの横にある皿に目を向けた。ある程度食堂のメニューを制覇しているはずの杏奈にも見覚えのない食べ物がそこにはあった。嗅覚を集中させると、美味しそうな匂いが漂ってくる。
「ああ、なんか今日出たばかりの新メニューのスパゲッティだって、さっきおばちゃんが言ってたから食べてみたんだ。その名も『ジャガイモたっぷり肉じゃがスパ』だって」
 それは杏奈の食欲を大いにくすぐるメニューであった。先程の重労働もあり、一気にお腹がすいてくる。胃がそれを敏感に察知したらしく、ステキな音を鳴らしてくれた。
 顔を赤らめる杏奈。聞いてしまった光司が思わず手を合わせて謝罪のポーズをしたので、杏奈はふるふると首を横に振った。
「でも、本当にお腹すいちゃったなぁ」
「じゃあ、オレがおごってあげようか」
 何気ない一言に、光司が思いがけない提案を返してきた。
「え、でも、そんな……」
「ここで会ったのも何かの縁だし、お腹の鳴る音も聞いちゃったし、お詫びという事で」
 そのあと何度かお決まりの遠慮合戦が続いたあと、最終的に杏奈は頷いた。朝急いで出てきてしまったのでIDカードを忘れてしまった(IDカードで食券を買って、一括引き落としなのだ)事、そして何より自分自身のお腹が限界だったからだ。まあ、新作メニューがとても美味しそうで今すぐ食べてみたい、というのも理由の一つだったが。
 そして光司が注文して持ってきてくれた『ジャガイモたっぷり肉じゃがスパ』は、本当に美味だった。バターを上に落としてあるのがポイントで、コクがあり、且つ和風の味が存分に生かされているステキなものであった。あっという間に食べきって思わず食後の紅茶なんかも頼んでもらって、優雅に光司と話していた。
 だがしかし、ふと光司の腕時計を見た時に杏奈は現実に引き戻された。杏奈がここにやってきてから、既に四十分が経過していたのだ。
(でも、まあゴオちんきっと部屋に戻ってるだろうし。少しくらいのんびりしててもいいよね。光司さんとお話しするチャンスってあまりないんだもの)
 などと思い直し、優雅に紅茶を飲みながら光司とたわいもない話をしていると、光司がふと思い出したと言った風情で語り出した。
「そうそう、さっき杏奈ちゃん猿渡さん探してるって言ってたよね。オレがちょうどここに来たとき、猿渡さん朝飯終わってここ出る所で、なんか、チーフに用があるとかないとか言ってた気がするなぁ」
「……えーっ! なんで光司さん今までそれ思い出してくれなかったんですかっ」
 杏奈は怒るというよりも呆れてしまった。まあ、ゴオを探していることは言ったがどこにいるかを尋ねる前にご飯の話題で盛り上がってしまったのだから、しょうがないと言えばしょうがない。
「ご飯、ありがとうございました。今度いつかここで出会った時に何か奢りますから」
 ぺこり、と頭を下げて杏奈は走り出した。その後ろ姿に光司の声がかぶる。
「あんまり無茶するんじゃないぞー」
「はーい、了解です」
 杏奈は走って食堂を後にした。入り口付近で光司の『杏奈ちゃんが……』という言葉が耳をかすって、一瞬立ち止まったがあまり気に留めずすぐまた走りだした。この時光司に少しでも何かしら問いつめていたら、このあとの展開は違っていたのかもしれなかったのだが……。
「あ、杏奈ちゃんそっちに誘導しましたよ。とりあえず予定時刻プラス二十分と言った所ですから、そっちでも少し伸ばしておくとあとが楽だと思います。オレはあちらに向かいますから」
 

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