・豊島氏が最初(平安時代末期)に居を構えたとされている城跡です。(これも確立はされてないような気がする)
鎌倉時代から室町にかけてここからどんどん石神井川沿いに拠点を移していったんですね、豊島氏。
そして、1478年に太田道灌によって滅ぼされてしまうんですよね。合掌。
最初に落ちたのがここ平塚城、応援に向かった豊島泰経と石神井城&練馬城の兵と太田道灌が戦ったのが、あの『江古田沼袋古戦場』です。
平塚神社入り口。参道長過ぎ。
しかも駐車場になっている、と言うのがちょっと悲しい。
神社の下は崖ですから、また最高の自然の要塞だった訳です。
しかし、石神井川沿いに勢力を伸ばすには、もうちょっと近づいた方が拠点としては良かったんじゃ……。
歩いて10分くらいかかりますよ?
神社の横はとても広い台地です。
多分、造幣局工場の横くらい(緑になっている公園の辺り)までは城だったのではないかと。
因みに左上の黒い四角部分と書かれているのは神社入り口。
個人的感想。
シ、シンプルイズベスト? ってか本当になんもないんですが。
諸事情あって近くを通りかからなかったら、全く判らなかったんじゃないかと思いましたよ。
上にも書きましたけど、川沿いに勢力を伸ばすのであれば、もうちょっと飛鳥山公園寄りに行った方が良かったのではないかと思いました。
まあ、出城はあったみたいですけどね 。
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