「わぁーっ!すっごく綺麗!」
部屋の中に入った途端、あたしは歓声を上げた。
ちょうど海に面している部屋だったらしく、窓から夕焼けが見えている。海の中に沈んでゆく夕日がもう幻想的で……。
「あたし、海の中に沈む太陽が一番好きっ」
そう言った時。また何かが心に引っ掛かった。 何だろう? 鎌倉に来て、少しづつ何かが目覚め始めている。思い出したくて、でも思い出したくない、何か。それって一体……。
「──さん、姉さんってば」
隆の声で我に返った。
「な、何?」
「オレ少し疲れたからシャワー浴びてさっさと寝るよ。姉さんも、今日は早く寝た方がいいよ。明日は早起きしていっぱい観光するからさ」
「うん、分かった。じゃ、早くシャワー浴びちゃいなさい」
そうやって隆を部屋から追い出すと、ベッドに枕を抱えて座り込んで海を見つめていた。
──あれは、いつのことだったっけ?
確か、隆がうちにやってきて一週間くらい経った頃だと思う。
いつもはタフなあたしも、さすがに色々な事がありすぎたためか、熱を出して寝込んだの。父さんや、出来たばかりの弟に心配かけたくなくて黙って寝ていたんだけど。奇妙な夢にうなされて目が覚めたら、あまり見た事のない顔が心配そうに覗いてた。
……誰だっけ?
3秒悩んで、思い出した。
「隆くん、どうしたの?」
声を掛けた途端、怒られた。
「どうして熱があるってオレや父さんに言わなかったんだよ! 薬も飲まないでこじらせちゃうじゃないか!」
「……ごめんね」
怒られてムッとしたけれど、心配かけた事が分かっていたから素直に謝った。
すると彼は、優しく笑って言った。
「オレが傍についていてやるから、ちゃんと寝るんだよ」
その声を聞いて、あたしは安心して眠って……。
次の日起きたらベッドの端で、彼がぐっすりと眠っていた。そっと毛布を掛けてやって寝顔を覗いた時、心の中に何か暖かいものが溢れ始めているのに気付いたの。それが隆を想う気持ちだって気付くのに、そう時間はかからなかった。
だけど、隆は血の繋がった『弟』なんだもの。好きになっても報われない、好きになってもらえない。
──いつもだったら、これ以上考えてもどうしようもない事に気付いて、考えるのをやめてしまっているのだけれど、今日は何故だか考えが、想いが止まらなかった。
本当はね、今、隆の傍にいるのは辛いの。怖いの。 昔は淡かった想いが、今じゃハッキリと形を示して溢れてしまいそうになってる。……それが辛いの。
隆に心の中の想い、全てを打ち明けてしまいそうになってる。でも言ってしまったら、今この『姉弟(きょうだい)』という関係さえも壊れてしまう。……それが怖いの。
──思わず、抱え込んでいた枕をギュッと抱きしめたその時。
「姉さん、起きてる?」
隆が頭を拭きながら、部屋に入ってきた。
「う、うん」
そう答えながら彼の目とあたしの目が合った時。またふっと心に何かが浮かんできた。さっきみたいに引っ掛かった、程度じゃない湧き出てくる想い──。
築地(ついじ)の陰からぴょこりと顔を出して、重保さまが帰ってくるのを待っていた。──昨日一人で散歩していたら、言葉じゃ言い表せないくらい綺麗に夕日が沈む場所を見つけたから。
確か今日は申(さる)の刻(午後四時頃)には帰ってくるって言ってたんだけれど……。もう半刻(一時間)も彼を待っている。
どうしたのかなぁ? 御所さまに急に呼ばれてしまったのか、そうじゃなかったら千幡さまの遊び相手になっているのか。どっちにしてもあまり良い事じゃない。だってもう由比の浜に行かないと日が沈んでしまうんだもの。
思わず諦めの吐息を漏らした時。いきなりぽんっと肩を叩かれて振り向いたら、そこに重保さまの笑顔があった。
「どうしたの? 今日は菊乃に裁縫を習うから逢えないって言っていなかった?」
「だって……、昨日重保さまと別れた後由比の浜に行ったら、すごく夕日が綺麗に見える場所を見つけたんですもの。だから今日、一緒に行きたいなと思って、お裁縫を放り出してきちゃったの。……二人で見に行きません?」
「へえ、そんなに綺麗なんだ。……だったら行ってみようかな?」
「本当!? 嬉しい! じゃあ早く行きましょう。もう日が暮れちゃうもの」
──私は彼の手を引っ張って、足早に歩き出した。
「──ほら重保さま、綺麗でしょう? 昨日見つけた時にはすごく驚いたの。ここは人が滅多に来ないから、きっと誰も知らないわ。だからここは、私たちだけの秘密の場所」
私の話を聞いているのかいないのか、重保さまはただひたすらに海を見つめていた。
私もお喋りをやめて、彼に寄り添うようにして景色を眺める。
まさに夕日が沈む直前で、海や木々、その他の全ての物も夕日に溶け込んでいるような色合いになっていて……。
いいなあ。わたし、こんな海にだったら溶け込んでしまいたい。
昔のように逃げるためではなく、ただ純粋にそう思った。
「……何を考えているの?」
不意に重保さまが私の心を見透かすかのように尋ねてきた。この想いは何故だか自分だけの秘密にしたくて、首を振った。
「ううん、何も考えていないわ。美しさに見とれていただけ。……あのね、重保さま」
「何?」
「私、海に沈む太陽が一番好きっ」
「……そうか。俺より夕日の方が好きか」
からかうような声に、慌てて首を振った。
「いいえ。私は重保さまの事が……一番好きよ」
慌てて弁解をする私が可笑しかったのか、彼は笑いながら私の肩を引き寄せた。
そうして沈んでゆく夕日を、二人でいつまでも見つめていた……。
「姉さん、大丈夫かよ。ホントに起きてる?」
隆に呼ばれて、急に現実に引き戻された。
心配そうな瞳であたしを覗き込んでいる、隆。
その姿を見た途端、隆への想いが溢れ出て止まらなくなって、思わず彼に抱きついてしまっていた。
「……え、ね、姉さん、どうしたんだよ?」
うろたえている声さえ、愛しい。
今、心に浮かんだ映像が、あたしの心のブレーキを解除してしまったようだった。自分の想いを表すかのように、あたしは抱きしめる腕に一層力を込めた。
「姉さん、一体どうしたんだよ」
もう一度隆が尋ねてきて、その意外に冷静な声に、初めて自分が何をしていたかに気が付いた。
「あ……ご、ごめんね。え……っとぉ」
や、やだ。あたし何やってるのよっ。
慌てて隆の身体から離れると、
「あ、あたしもシャワー浴びてくる。先、寝てていーからねっ!」
呆然としている彼を尻目に、あたしは急いでバスローブを引っ付かんでバスルームへと駆け込み、冷水で思いっきり頭を冷したのだった……。
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