「……」
何度目かの、深いため息。腕時計で時間を確認する。
待ち合わせ時刻は今から30分前。でも、待ち合わせた当の本人は現れることもなく、且つ連絡さえも来なくって。
きっと急患が入ってしまったんだろう、だったらここにいてもしょうがないから帰って連絡を待った方がいいのかしら、とも思うのだけれど、動いたとたんに彼が来てしまったら悔しい。
そんなどっち付かずの心のまま、紫穂は校門前でじっとたたずんでいた。
暮れ始めた空はすっかり茜色。辺りを素敵に染めあげながら、ゆっくりゆっくりと色のトーンを落としていく。握りしめた鞄や制服の上から羽織っているコートもふんわり暖かそうな色になっているというのに、自分の心はどんどん沈んで暗くなっていくのが判った。
(せめて、一言でいいから連絡くれたらいいのに……)
しょうがないと理解してはいてもそこはやっぱり、怒りの矛先は相手に向けられてしまう。あーもう、どうしよう、と少しイライラし始めた時だった。
「紫穂、どないしたん?」
背後から声をかけられる。振り返ると黒髪を風に少し煽られながら歩いてくる、見慣れた少女の姿を認めた。
「葵ちゃん……。委員会はもう終わったの?」
紫穂は彼女へ疑問を投げかける。葵はそれに答えることなくとことこと歩いてきて紫穂の隣に立つ。きょろきょろと辺りを見回しながら、逆に問い返してきた。
「紫穂、待ち合わせは結構前やったんやない? センセイまだ来てへんの?」
葵の言葉で、何か押さえていたものがプチン、と音を立てて切れた気がした。その勢いのまま、紫穂はプクリと頬を膨らます。
「私の質問に答えてよ。もう」
「うん、終わったで。だってもう5時過ぎてるやん。さすがに委員会一つでそんなにはかからへんて」
「……そうよね、もう5時過ぎてるものね……」
ふうっ、と大きなため息を一つついて、紫穂は寄っかかっていた校門からす、と身体を離した。
「もういいわ。葵ちゃん、一緒に帰ろ」
紫穂の言葉に、葵はびっくりして彼女の顔を覗き込んだ。怒りとあきらめがないまぜになった表情。そんな顔のまま、マンションへの道を急ごうとする。
「いいのん? センセイ待ってなくて」
先に行ってしまった背中に問いかけると、鞄から携帯電話を取り出しながら声だけが返ってきた。
「多分急患が入っちゃったとかで来れなくなったんだと思うの。連絡もないからこっちからマンションに戻るってメールしておくから、いいわ」
(本当にそれでいいんか? だって今日は……)
葵は途中まででかかった言葉を飲み込んだ。これ以上は言っちゃいけない、そんな雰囲気が小さくなっていく背中からは滲み出ていたから。彼女は無言のまま、紫穂に追いつくべく小走りに駆け出した。
「おかえりー……ってあれ、紫穂?」
マンションに着くと、リビングで転がりながらゲームに夢中になっていた薫が紫穂の姿を見つけ、ものすごく不思議そうに問いかけてきた。
「今日はセンセイとご飯一緒だから夜遅くなるって言ってたじゃん。なんでここ……いてっ!」
ものすごい勢いで葵に鞄でどつかれ、コントローラーを持ったまま薫は床に沈んだ。紫穂は何も言わず、ぷいっとそっぽを向いて小走りに寝室へと向かって行った。
「薫、もう少し紫穂の気持ちも考えてあげてな? 学校の前でずっと一人で待っとったんやで、あのコ」
頭をさすりさすりしながらようやく起き上がってきた薫に、葵は釘を刺す。その言葉にハッとして、リビングの入り口を見つめながら、薫は申し訳なさそうに小さく呟いた。
「そっか……。せっかく誕生日のデートだったのに、センセイ来れなくなっちゃったのか……」
──その頃。寝室に戻った紫穂は、着替えもしないで制服のままベッドに倒れ込んでいた。
何日も前からずっと楽しみにしてた約束。薫ちゃんたちもも気遣って、いつもなら当日にやっていた誕生日会を前日に繰り上げてくれて。
……こうなるかもってことは判っていたことじゃない。センセイは社会人で、お医者で。急に来れなくなるかもって言うのは付き合い始めた時から判りきっていたはずなのに。なんで今日はこんな悔しいのかしら。
悔しさと悲しさでいっぱいの心を、どうしたらいいか判らなくて。せっかくの誕生日にこんなに悲しいのが辛くて。
ぽろり、と涙が一粒だけ転がり出て、ベッドに吸い込まれていった。
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