そして、本当にありあわせでこれでもか、という料理をみんなで仲良く食べて。全員でボードゲームなんかで遊んだりして。楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
──今、ちらりと見た時計のデジタル表示は、23時30分になろうとしていた。
もう、いいかげんに寝なきゃ。明日にはきっとセンセイの方から連絡があるはずだし、と、とっくに夢の中の住人になっている二人と一緒に布団に潜り込もうとドレッサーから立ち上がった時だった。
聞き慣れた電子メロディがすぐそばにおいていた携帯から流れてきた。彼からかかってきた時のみ流れる音。一気に舞い上がる心を抑え切れず、紫穂は慌てて通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『ああ良かった。まだ起きてた。間に合ったー……』
賢木のホッとしたような声が、流れ込んできた。耳元で響く、大好きな声。知らず、頬がほころんでいくのを止められなかった。
「皆本さんから聞いたわ。なんだか大変だったんですって?」
『そうなんだよ。オレがあと5分で上がりだーって浮かれてたらさ、いきなり。今日に限ってまったく連絡できる状態じゃなくて、こんな時間になっちまった。──ごめんな』
謝罪の言葉に、紫穂はぶんぶん首を横に振る。
「ううん、最初はものすごいムカついて次に会ったらどうしてやろうかしら、とか考えちゃったけど。今はまったく怒ってないから」
『そうだよな、やっぱ怒るよな。せっかくの誕生日だったんだから……うん、決めた。オレ、今からそっち行くわ』
あまりに急な展開にものすごく驚いた。嬉しくてしょうがないけど、大丈夫なのかしらと不安も覚えた。
「センセイ、だって今日大変だったんでしょ。疲れてない? 無理しなくても明日でも私は大丈夫よ」
『いや、オレが紫穂に会いたい。皆本にはオレから電話しておく。下で待っていてくれるか? 10分で行く』
「──うんっ、待ってる!」
通話が終了したあとの、紫穂の動きは素早かった。着ていたパジャマを急いで脱ぎ、洋服に着替える。ドレッサーに駆け寄り、髪を梳かし、おかしな所はないかをチェック。
コートを急いでクローゼットから取り出し、勢いのままリビングに駆け込む。皆本が彼女を認め、ニッコリと微笑んだ。ああ、もうセンセイは電話をしてくれたのだと推測できる。
「行っておいで、紫穂。賢木からは僕も連絡をもらったから。ただしマンションの前までだぞ」
「うん、判ったわ皆本さん。行ってきます!」
素直に返事をして、走り出した。もう着いているかもしれない。急がなきゃ!
エレベーターなんか待っている余裕もなくて、階段を急いで駆け下りる。エントランスから外に出ると、賢木はまだ来てはいなかった。
良かった、センセイを待たせるのはいやだもの。
マンション前のガードレールに腰掛け、ふうっと息を吐く。澄んだ夜空を白い息が遮る。そこで、コートを手に持ったままだと言うことを今更ながら思い出し、あわてて着込んだ。いくら何でも慌て過ぎよね、とクスリと笑いを漏らしたとき。
聞き慣れたエンジン音が耳をかすめた。あわてて振り向くと、見慣れたバイクが走ってくるのが見て取れた。小さく手を振って、いることをアピールする。
路肩にバイクが止まり、ヘルメットを外す時間さえも惜しいのか、外しながら賢木がこちらに駆けてきた。やっと会えた恋人に、紫穂は嬉しくて仕方なかった。目の前までやってきた彼に、ぎゅうっとしがみつく。
「──会いたかった」
ぎゅっと力をこめると同じくらいの強さで抱きしめ返された。
いつの間にか慣れ親しんだ、ぬくもり、抱きしめられた時に微かに香る匂い、手のひらの感触。
全てが欲しくて欲しくてたまらなかったもの。
その腕の中で、安堵のため息をひとつ。そして首をあげ、身長差のある賢木の顔を見上げニッコリと笑顔。
「会えて良かった。やっぱり誕生日当日にちゃんと言いたいしな」
賢木は一呼吸置いてから、まっすぐ紫穂の瞳を見つめて言った。
「誕生日おめでとう、紫穂」
そしてポケットをごそごそと漁り、中から小さな箱を取り出した。
中から出てきたのは、銀の鎖のネックレス。ペンダントトップはアメジスト。紫穂の誕生石だ。紫穂の顔が、ぱあっとほころんだ。
「嬉しいっ、ありがとうセンセイ。──今つけてもいい?」
「オレがつけてやるよ。後ろ、向いてみ?」
紫穂が髪の毛を持ち上げくるりと後ろを向くと、賢木が器用につけてくれる。いつも向き合って抱き合っていたりはするけれど、背後に回られるということはないからか、なんだか必要以上にドキドキが止まらなくなってしまう。留め終わったのか、首にかすかな金属の感触、そしてもう一つ落ちてきたのは。
「……え、や、ちょっとセンセイっ」
「んー、なんか見てたら、つい、な」
うなじの一部分だけ、唇が当てられた感触が残っていて。そこから身体がどんどん火照っていくのが判って。耳まで真っ赤になってしまった紫穂を、賢木が後ろからふわりと抱きしめた。前に回されてきた腕を、ぎゅっと抱きしめて。
「あ、あと1分で今日が終わっちゃうのね」
思わず紫穂は呟いた。ちらりと見えた賢木の腕時計は、23時59分を指し示していた。
「……それじゃ、あと1分だけ、紫穂はオレだけのものな」
耳元で囁かれたあと、紫穂を自分の方に向かせて。
そして唇に落ちてきたのは優しいキス。
|