「ねー、センセ?」
本棚の前で本を物色していたはずの紫穂が、不意に賢木に問いかけてきた。PCの画面から目を離さず、声のみで問いかけに答える。
「んー、どした? 探してたモノは見つかったのか?」
確か探していたのは、いつも勉強の時は自分のを持ってくるのに、学校に忘れてしまったために持ってこられなかった、英和辞典。
『俺が持ってるヤツでよければ貸す』と言ったはいいけれど、いかんせん毎週届く医学雑誌に埋まってしまってこちらとしてもどこにあるかわからない状態。且つ、自分は〆切間際の仕事を抱えていて、手が出せない状態だったりする。
別にやましいものは入れてはないので、紫穂本人に探させていた、という状況なはずなのだが。
「うん、英和辞典自体はものすごーく奥深くにあったのを引っ張りだしたわよ? えっとね、この本の山、整頓しちゃって構わないかしら?」
紫穂がそう言うのも無理はない。なにせ本当に毎週届く雑誌の数は計り知れない。医療関係だけでも十数種類。日本語だけならともかく外国から届くものもいくつかある。それに超能力関連の書籍まで入っているとなればもう。
毎週毎週積み上げるたびに片付けようとは思うものの、あまりの量に投げ出していたのだ。だから、彼女の申し出はとてもありがたいのだが。
「そりゃありがたいけど、勉強終わったらにしろよ。テスト、もうすぐなんだろ?」
一応、勉強が終わってからで、ということで釘を刺しておく。それに紫穂は素直に返事をした。
「はーい」
よほど片付けたかったのか、勉強をものすごいスピードで終わらせた紫穂が本棚の雑誌や書籍を整頓していくさまを、賢木は目の端にとらえつつ仕事に没頭していた。
小一時間ほど経った頃だろうか、紫穂が大きな伸びをした。
「うーん、こんな感じかな」
その声で振り返るとさっきまでカオス状態だった本棚は、ものすごく綺麗に整頓されてスッキリしていた。同じ名前の本は出た時期が若い順に綺麗に揃えられていて、見た目にも実用的にもとてもありがたい状態。
「お、サンキュ」
振り返ってお礼を言うと、少し照れくさかったらしく、紫穂ははにかみつつ軽く舌を出して肩をすくめた。
それがものすごく可愛らしくて、賢木はほぼ終わった作業を保存してから、彼女に向かっておいでおいで、と手招きをする。
てくてくと歩いてきた紫穂に、膝を叩いてアピール。一瞬だけ躊躇うそぶりを見せたあと、彼女はちょこん、と賢木の上に腰掛けた。
横抱き状態の彼女の頭を愛情込めて撫でてやると、嬉しかったのか頭を胸に擦り寄せてきた。そこに収まったまま、問いかけてきた。
「あ、そうだセンセイ、さっき本整頓してて思ったんだけど」
「あ、なんだ?」
「ねえ、【Pediatrics】ってどういう意味?」
急に問われてさすがにビックリする。この状態で聞く内容じゃない気もするが。
「なんで急にそんな単語が気になったんだ?」
さすがに問いただしたくなって、抱きしめたまま訊いてみると、紫穂は先程まで整頓していた本棚の一角、英語の医学雑誌がまとまっている辺りを指差した。
「あそこ。センセイ外科のお医者さまだから、【medical】とか【Surgery】とかは何となく判るのよ。でも、あの単語ってあまり見たり聞いたりしたことないから」
ああ、あれか……とその単語がタイトルに冠してある雑誌たちをちらりと見て、そして不意に思い当たる。
「あれ、紫穂って今まだ14歳だよな?」
急に振られた、全く関連性がつかめない質問に紫穂が戸惑いながら答える。
「そうよ。薫ちゃんと葵ちゃんは去年のうちに誕生日だったからもう15歳なんだけど、私は早生まれだから誕生日もう少し先だもの。……その答えが、さっきの質問とどう関係があるの?」
そっかー……と賢木は片手を髪の毛の中に入れ、がしがしと頭を掻いてしまう。普段はほとんど意識してないのだけれど、こういうときは彼女と自分の年齢差、というものが嫌が応にも浮かび上がってくる。
はぁ、と思わずため息をついてそっぽをむいてしまった賢木に、紫穂が両手で賢木の頬を挟みこみ、くいっと自分の方に向けさせて軽く睨んできた。表情そのものの声音で問いかけてくる。
「なによ。さっきの質問とあの英単語の関係は?」
「……聞くと怒るぞ」
一応、忠告してみる。怒るのは火を見るより明らかだったから。
「いいわよ。聞いても怒らないようにするから」
けれど、こう返されてしまっては答えるしかない。出来るだけ視線を外しながら、頬を挟まれたままの状態で答える。
「【Pediatrics】ってのは、『小児科学』って意味だ。お前らの担当だった頃から、必要にかられて持っていたもので。んでだ、さっきの年齢の意味は……」
「意味は?」
「結構曖昧なラインではあるんだが、一応15歳未満が病気になった際にかかるの所ってのは小児科なんだ。いわゆる子どもって扱いなんだよ……ほら、やっぱり怒った」
賢木が言葉を重ねるにつれ、どんどん膨れていく頬に対して思わずツッコミを入れると、挟まれたままの頬を、ペチン、と軽く叩かれた。
そのまますとんと膝から降りて、とことこと歩いて入り口に向かおうとするのを慌てて追いかける。入り口横で追いついたので、腕をくいっと引き後ろから羽交い締めにするような形で抱きしめた。
「──はなして」
「いやだね。はなさない」
「子ども扱いするなんて、ひどいわよ」
「いやだから俺は医学的なことを言っただけで。俺自身は紫穂のこと、子どもだなんて思ってないし」
一所懸命フォローを入れる。すると、くるりと腕の中で振り向かれ、向き合う形になった。怒りの色濃い瞳で見つめられ、なぜか漂ってくる色香にドキッとする。
「じゃあ、証拠を見せて。子ども扱いしてないって、証拠」
いきなり言われて戸惑った。どうしたらいいか判らず、紫穂を腕の中に抱え込んだまま、逡巡する。悩んでいるのが透視めたのだろう、紫穂が身をよじらせて腕の中から出ようと試みていた。
「証拠見せてくれないなら帰るっ。もうここにも来ないわよっ」
そう言う風に拗ねる所がまだまだ子どもなんだよなぁ、と思ったが言葉には出さず、且つ意識の奥に押し込め、万が一透視まれても見えないようにしておく。腕を緩めることなく、むしろますます強めて身動きが取れないようにした。
「……ん、やっ。離してよっ」
「やーだねっ。ちゃんと今から子ども扱いしてないってことを証明してやるから、動くなよ」
言うなり有無を言わせず口づける。驚いて一瞬固まった隙をついて舌で紫穂の口をこじ開け、口腔内を蹂躙する。触れた可愛らしい舌に自分の舌を絡める。
「……ん……はぁっ……」
可愛らしい声にもっと色々としてみたくもなるが、やっぱりここは、と理性で押しとどめてそっと唇を離す。息が上がっている彼女が可愛くて、ぎゅっとまた抱きしめた。
真っ赤になっている耳に、そっと囁きを落とす。
「……これでいいか?」
しばしの沈黙のあと、小さな声が耳に届いた。
「……今日はこれくらいで勘弁してあげる。一応子ども扱いしてないんだってのも判ったしね」
これくらいって、これ以上は手は出せないんだが、などと考えつつ賢木はしばらく紫穂を抱きしめていた。
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