ぴんぽーん。
インターフォンの音にハッとして目を開けると、陽はもうだいぶ上まで昇っているらしくリビングも隣のキッチンもずいぶんと明るくなっていた。
「朝一に来いって言ったような気もするんだけどなぁ……」
などと呟きながら画面を見ると案の定皆本だった。受話器を取って「おはよーございます」などと声をかけてみる。
『……』
皆本は一言も、発しない。ものすごーく怒っているのが伺えて賢木はそれ以上は何も言わずにそっとロックを解除した。しばし待っていると、今度は玄関のチャイムが鳴る。
「ふぁ〜い」
なんて、ちょっと間抜けな声を上げつつ玄関に向かい、チェーンとロックを外し、ドアを開けた。目の前には片眉をつり上げ頬がひくひくとしている、皆本の姿。
「おう、ずいぶん遅かったんだな」
リビングに招き入れつつ話しかけてはみるが、やっぱりしゃべろうとしない。
(こりゃ、相当怒ってるなぁ……)
どうしたもんかねぇ、と頬をかりかりと掻いてみた。正直に言うか、と口を開こうとしたその時。
「……センセイ、おはよう。なんかうるさいけど誰か来てるの?」
かちゃりと寝室のドアが開き、紫穂が半分寝ぼけたまま顔を出した。ソファに座っている主任の姿を捉えても動じることなくふらふらと歩いてくる。
(低血圧ってのは聞いてたけど、こりゃよっぽどかな。多分皆本のこと、見えてねえ)
「おう、おはよう。来てますよみなも……って紫穂さ〜んっ?」
返事をすると彼女はてこてこと近づいてきて、ぺたり、と背後から賢木の身体に抱きついた。寝起きで普段よりあたたかな体温が心地よく伝わってくる。あまりに心地よくて現在自分の置かれている状況を思わず忘れ、くるりと振り向いてそっと身体を曲げ、紫穂の頬にキスを落とした。
「おはようのキスとかってベタじゃない、センセイ?」
「や、でもやっぱりな。せっかくだから……」
「……さーかーきーっ!」
背後からぞっとするほど低く響いてきた皆本の声に、しまった、と思うが既に遅かった。振り返ると阿修羅のごとき形相の皆本がこちらを睨んで立ち尽くしている。紫穂も、ようやく皆本の存在を認識したようだ。そして賢木の置かれている状況も。
くいっとTシャツの裾を引っ張って小声で囁いてくる。
「ちょっと、皆本さんに連絡し忘れたのね。……まったく。怒られるに決まってるじゃないの」
『そうですよー。でも、皆本が怒ってるのは今ここに紫穂がいることじゃなくて俺たちの関係だと思うぞ』
睨まれていて視線が外せないので、紫穂には思念で伝えてみる。
「……紫穂が出て行ったのはケンカしたからだ、と薫たちには聞いたよ。ケンカの理由は言ってくれなかったけど。まさか理由って……」
怒りの形相のまま皆本がこちらに向かって問いかけてくる。おいおい、ここでそれをあえて訊いてきますか? なんて思っていたら。
「!」
いきなり横に身体が引っ張られ、バランスを崩して倒れそうになった。次の瞬間、唇に触れた柔らかい感触。目の前には可愛らしい彼女のアップ。この状況で何を、とも思ったが紫穂にされるがまましばし身体を預け、唇を堪能した。
「──センセイとは、こういう関係よ♪ 因みに昨日はセンセイのことをからかわれて怒って飛び出しちゃったの」
唇が離れたあと、紫穂は皆本に向かって言い放った。それはもう極上の笑みを浮かべて。
確かに口で説明したりするよりはよっぽど説得力ある行動だとは思う。けれど、皆本に対してはどう考えても火に油を注ぐ結果にしかならない。
案の定、皆本は怒りにうち震えながらこちらを睨んできた。と思うと不意に近づかれぎゅっと腕を取られる。
「賢木はちょっと、こっちにこい。──紫穂はとりあえず帰るんだ。薫も葵も反省してたから大丈夫だと思う」
「……でも、私今日これから約束があったの……センセイと。だからここにいちゃダメ?」
紫穂の問いかけに皆本の肩が、ぴくりと揺れる。……握られた手から、読まなくても怒っているのが流れてきて賢木は思いっきりため息をついた。
今日はきっと、夜まで拘束されるのは間違いない。
「……多分今日は無理っぽいかも。とりあえず帰った方がいいぞ」
賢木が言うと、紫穂は素直に頷いた。
「今日の埋め合わせは必ずしてね。だってそうしないと誕生日プレゼント渡せないし」
ものすごく心配そうな瞳で見つめられ、皆本が掴んでいない方の手をぎゅっと握られた。途端、流れ込んでくる紫穂の思念。
『センセイに怒りの矛先が向いてて、私の無断外泊は忘れちゃってるみたいね、皆本さん。……私の分まで存分に怒られてねっ』
「──なっ」
声を上げてツッコミを入れようとするが、いち早く皆本がぐいっと賢木を引っ張った。
「とりあえず、ことの発端から全て話してもらうからな、覚悟しろ」
(あ、あの小悪魔めーっ!)
ずるずると引きずられながら心中で叫びをあげることしか出来ない、賢木なのであった。
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