──あーもーどうすりゃいいんだよっ。
 混乱しきった頭のまま、賢木はシャワーを浴びていた。
 本当に、あまりに急展開過ぎて正直ついていけていない。さっきの透視の時に見た紫穂の大胆告白や、いきなりのお泊まり宣言。あれで混乱しない方がおかしい、と断言できる。で、実際彼女は今多分リビングで着替えたりしているわけで。

(こんな予定じゃなかったはずなんだよな……)

 がしがしといつもより多くシャンプーの泡だらけになりながら頭を洗い、一つ盛大なため息をつく。
 そう、わざわざ明日休みを取ったのも、今日の早上がりもれっきとした理由があったのだ。でも、彼女がここにいる以上それはあまり意味がなくなってしまった。

「明日何のために休み取ったんだかなぁ……」

 ぶつぶつと呟きながら、泡を洗い流すために勢いよくシャワーのコックをひねった。


 
 
 なんだかもやもやした気持ちを抱えながら風呂場からリビングに戻ってきた賢木は、とある一点を見た途端、あまりのことに動きの全てを一瞬止めてしまった。

 ──え、と。これは一体俺にどうしろと?

 目を見開き、ぽかんと口を開け。今この場に他の人間がいて、見られたら苦笑されること請け合いの間抜け面を晒している気がするが、これはそうならざるを得ない。
 賢木が見つめていたのは、リビングにあったソファ。そこには大きめのTシャツに膝丈のジャージをはいた紫穂が、すうすうと眠りこんでいた。
 どう考えても、状況的には据え膳と呼ばれる状況だよな……と思いながら、身体は全く動かない。視線だけがじっと彼女の寝姿のすべてを脳内に焼き付けん勢いでせわしなく動いてしまう。
 彼女は勢いでここに来ていたので当然何も持っていなくて。着替えなんかあるはずもなく自分が着ているシャツの中でも一番小さいものを貸したのだが、やっぱり大きかったようだ。襟首から見えている鎖骨とそれに連なる肌の白さに思わず息を止める。
 貸したジャージはショート丈だったはずなのだが、彼女がはくとやはり長くなってしまったようだ。それがまた、逆に心をくすぐられる何かがあって、どうしようもない。
 それに加えて、眠っているからこその無防備な顔がまた、たまらないというかなんと言うか。知っているはずのまつげの長さとか柔らかそうな唇とかがこれでもか! とアピールしている気がして、なんだかどうしたらいいか判らなくなる。
 女性の寝姿は見飽きてもおかしくないほど見ているはずだし、もっときわどいカッコな女のコが横に寝そべってたりしたことも数えきれないほどある。それなのに紫穂の寝姿を眺めるだけでここまでの衝撃を受けているのはなんでだろう、と現実逃避をかねてとりあえず冷静に分析なんかを始めてみるが。
 ──目が、離せない。
 とその時。彼女がソファの上で小さく身じろぎをした。動きに合わせて襟元がさらに開き、まろみを帯びた胸元を目の端にとらえてしまった。

(そ、それはヤバいヤバいヤバすぎる!)

 あまりにあまりな事態に理性がガッと頭をもたげた。勢いのまま紫穂に近づき、できるだけ視線を外しながらそっと揺さぶる。

「紫穂、こんなところで寝てたら風邪引くから。俺のベッドでいいからそっちで寝てくれー」

 これで起きないと、本当にまずい! 明日の太陽が拝めなくなるかも……。
 などと考えながら何度か揺すると、ふにゃ、と瞳が開いた。こちらの葛藤など全く知らない純粋な瞳が見えて、それがかえって賢木に冷静さを取り戻させた。そっと頭を撫でながら、もう一度声をかける。

「寝るならちゃんとベッドにしておけ。風邪引くしここじゃ身体も痛めちまう」

 寝起き特有の緩慢な動作で紫穂は頷いた。賢木はそっと紫穂を立たせ、支えながら寝室の方へと連れて行く。
 先程しっかりとシーツも取り替えて整えておいたベッドに倒れ込むように入ると、紫穂はあっという間に夢の住人になった。
 まったくしょうがないなぁ、なんて思いながらそっと上掛けを掛けてやる。ベッドの脇に椅子を引き寄せ、背もたれを前にして腰掛けた。片手は背もたれに腕をかけその上に顎を乗せ、もう一方の手は、紫穂の柔らかい髪の毛をずっと梳いていた。
 ふ、とサイドボードにおいてある目覚まし時計に目をやればすっかり0時を回っていた。日付の表示窓に出ている『28』の数字に思わず苦笑がこぼれる。

(あーあ、なんだか変な誕生日になっちまったなぁ)

 なんて、胸中で独りごちた。
 そう、今日6月28日は賢木の誕生日だった。本当は出勤日だったのだが同僚に言って代わってもらい、世間は休日だったので、紫穂を誘ってまったりとしようなんて思っていたのだ。実際午後からデートの約束もしていた。
 でも、なぜか今彼女はここにいて。しかも自分のベッドで熟睡していて。その事実になんだかちょっとした戸惑いと苦笑が浮かんできてしょうがない。

「まあ、誕生日の始まりを一緒に過ごせた、という意味では良かったのかもな……」

 手にまとわりつく髪の毛の感触が心地よくて、そっと、瞳を閉じた。
 
 


 ……何やら騒がしい。機械的な音が途切れることなく続いている。ぴくり、と重たいまぶたを上げてサイドボードの方を見遣り、時刻を確認する。真夜中の3時過ぎ。
 こんな時間になんだよ、と思いながら音の出所までゆっくりと向かう。リビングのローテーブルの上で私用の携帯が騒がしい音をあげて震えていた。仕事用の携帯じゃないから、急患や呼び出しなどではない。
 じゃあ誰だよ一体、とちょっとイラッとしながら液晶画面に出ている名前を見て、思わず青ざめた。それは、親友からの電話。

(やっべ、俺あいつに連絡入れるの忘れてた……)

 いっそ見なかったことにして電話を放り投げたくなったが無理だろう、えーいままよ! と大仰に通話ボタンを押した。

『──あ、賢木か? 紫穂がいないんだ。さっき仕事が終わって寝室覗いたら薫と葵しかいない。原因も込みで探すの手伝ってくれないかっ?』

 とてつもなく焦った様子の皆本の声に、申し訳なさと後ろめたさでいっぱいになってしまう。返ってくる怒声を覚悟しながら、ひと呼吸置いて賢木は言い放った。

「──彼女なら、うちにいるぞ」
『…………は?』

 皆本の声が、こわばったまま固まった。受話器越しにそっと透視すると、混乱して何を言ったらいいのか判らない状況が伺える。

「だから、行方不明ってことはないからとりあえず安心してくれ。彼女は今寝てるし。気になるなら朝一にでも迎えにくればいい。別に手ぇ出したりとかしないから安心しろよ、じゃっ」

 先手必勝! とばかりに固まったままだった皆本に言いたいことだけをがーっと言って電話を切った。切ってから携帯を見つめ、ため息。

(うわぁ、どうするか。確実に明日皆本に怒鳴られるのは確定だ。もしかしたら一発喰らうかもしれねぇ)

 とは言っても事実は事実だし、今更焦っても何かが変わるわけではない。となれば、やることはただ一つ。

「明日、起こされるまではぐっすり寝るかー」

 そのままソファにごろりと横になり、目を閉じた。

 

 
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