アミューズメント・パーティOnLine
10  「好き」の魔力

「無駄なことを……」
 麻都は薄暗い小屋の中でせせら笑った。
 麻都には透視能力はないが、精神障壁で覆われた内部はいわば自らの内臓器官の内側に等しい。何がどうなっているかは、皮膚感覚に似た感触をもって理解出来るのである。また、その強烈なテレパシーは、コウモリの超音波よろしく店内を嘗め回し、大体の位置関係や力場の変化を読み取ることが出来た。
 テレパシー、PK、そしてテレポート……全く異質の能力を身につけたこの男は、一体何者なのか? 何故に山崎里美をそれほどまでにして欲しがるのか?
「二人とも、衰弱するにはまだ早いぞ」
 麻都は足下に転がる安藤と反山を蹴りながら、そうつぶやいた。安藤も反山も、その表層は血の気が失せ、生命力を感じさせないほどに衰弱し、周囲のダンボールや木箱に積もったほこりと同様の色を示していた。その、思った以上の衰弱に、麻都は少々困ったような表情を見せた。常に鬼の形相を持つ麻都にしては珍しい表情である。
「奴らを参らせるにはもう少し時間が欲しい。頑張れよ、二人とも」
 その、痩せゆく二人をじっと見ながら、広樹は麻都の後方で、さながら風に揺らぐ柳のように立っていた。死人の目をして。
「何故これほどまわりくどい方法で奴らを威しているか、知りたいか? 広樹よ」
 広樹はうなずきもせず、ただ立っていた。麻都はフンと鼻で笑うと、誰に聞かせるでもなく一人喋り出した。
「山崎里美……あの小娘のためだ。あの娘の潜在能力は計り知れん。一体あいつの能力とは何なのか? その道のエキスパートである筈の我々にも判らぬ。しかし、とにかくその能力値は計り知れんのだ。欲しい、どうしても欲しい。研究材料としても、将来の構想への材料としても、どうしてもその未知なる能力が欲しいのだ」
 麻都の目がきらりと輝いた。邪悪な光だ。その光が消えるか消えないかの内に、再び麻都の口が開かれた。
「そう、お前らこわっぱエスパーなんぞは本気で捜せばいくらでも出てくるわ。だが、あの娘だけは違う。今までにないタイプのエスパーだ。逆に言えば、もし仮にあの娘を捕らえることが出来なかったにせよ、こうして奴らを追い込むことによって、その能力を引き出すことが出来るかも知れんのだ。その力が私以上ならば、糞ったれに交代するのも仕方あるまい。だが、出来ればこの手で、この能力で奴を捕らえたい。この私がな!」
 麻都は一人、狂ったように笑い声を上げた。
「いた!」
 小川は電車の中で、思わず大声を上げていた。電車が新宿駅の見える位置にまで来て、速度を落とし始めたその時である。小川の飯島捜しがようやく実を結んだ。精神統一とまではいかないが、小川はそれに近い状態をあの中央線の列車内で保ち続けていた。
 飯島洋一という個人の精神をテレパシーで追うというのは、それだけで神業に近い。しかも、修験者が人里離れた道場で一人精神統一をして物を見るのとは違って、彼は人込みの電車の中から、人込みの中にいる一人の人間を発見しようというのだ。
 もっとも、これとて「心のパターンの特有な」飯島を追うからこそ出来る、非常に稀なケースなのである。小川は飯島の精神を放すまいとしながら、新宿で下車した。
「南口か!」
 階段を駆け上がり、小川は南口を出る。そして道路を東に取った。
「かなり近いと思うのだが……」
 小川は辺りをきょろきょろと見回しながら歩いた。彼の能力とて、大まかな距離感しか感じ取ることは出来ない。テレパシーとは、元々は発信者と受信者(双方が人間とは限らない)がいて、初めて成り立つものなのである。目に見えない受信者を求めて街を歩く小川に、少しづつ焦りにも似たものが起こってきた。
「どこだ? 飯島君。この辺りにいることは判っているのだが……」
 急な石の階段を降りる。階段を下り切って左に曲がると、東口の方に出る。その階段を降りながら、小川はふと下方を見た。
 髪の長い女性と、グレーのジャケットの男性!
「飯島君!!」
 その大きな声に、飯島は飛び上がらんばかりに驚いた。酔った麗子を休ませるために階段に座らせていたところに、その上の方から降るような大声である。あまりに予想外な出来事に、飯島もしばし呆然としてしまっていた。
 その眼前に、飛び下りるように小川はやって来て、言った。
「飯島君。急いで帰ってくれ! セレファイスが、APが大変なんだ!」
 小川さん、何でここに──と言おうとした飯島の口が、一瞬にして閉ざされた。何……だって?
「な、何ですって? 小川さん、APがどうかしたんですか? 何でセレファイスのことを……」
「論議している暇はない。私は名東君から君の捜索を依頼されただけだ。事情はよくは判らん。だが、APのメンバーがセレファイスで〈壁〉によって捕らえられているというのは事実だ」
 飯島の思考回路は、その小川との会話に完全に切り替わっていた。APが、ついに麻都須によって直接攻撃された! 雪崩山が、そして里美が!!
「判りました。すぐに戻ります」
 飯島は、急ぎ階段の隣にある公衆便所に入ろうとした。しかし、その足を止める者がいた。
「あたしも連れてって」
 麗子である。
「APのピンチってことは、勇次クンのピンチってことよね。ウチの安藤や広樹が関わってるんでしょ? だったらあたしも行く権利がある。あたしも戦って……勇次クンを救けたい」
 未だにアルコールは残っているようだったが、その目の輝きはいつもの麗子に戻っていた。
「何かの役には立つわよ」
「……判った」
 二人は小川に軽く会釈すると、公衆便所に入った。小川はその前に立ち塞がり、中に人の入るのを阻止する体制を取った。辺りを見る。トイレに注目している人は、一人もいない。
「あのね……」
「?」
「そんなにきつくしがみつく必要はないんだけど」
 麗子は飯島に巻きつくかのようにしがみついてた。二人は、そのまま跳躍した。
「無事でいろよ……二人とも……」
 小川は、無人のトイレに向かってそうつぶやいた。
「でぇぇぇっ!!」
 強烈な衝撃が走った。セレファイスの中にも感じられるほどの、強烈な衝撃であった。APメンバーは驚いて、窓に殺到した。
「何だ! 何があった?」
 一番早く窓辺に来た五六が外を見たのと、その物体が空中から叩き落とされるのとは、ほぼ同時であった。一瞬ではあるが、スパークが走った。
「あたた……たた……」
 その、天より降りし物体は、新宿より跳躍してきた飯島と麗子であった。飯島は麗子をかばって落下したせいか、しこたま背骨を打ったらしく、暫く起き上がることも出来ないでいた。麗子は逆に、飯島の上に横たわったまま、何が起こったのかを理解しかねてぼーっとしていた。
「飯島!」
「麗子!!」
 五六の声と、雪崩山の声が重なった。その声がセレファイスの外に伝わったわけでもないだろうが、麗子はその声の方向を見て驚いた。
「勇次クン!」
 叫ぶ声は、空気の流入のないセレファイスの中までは届かない。しかし、その心は繋がっていた。
『ふふふ……来おったな、飯島洋一。だが、残念だったなぁ。お前の自慢のテレポーテーションでも、その精神障壁は潜ることは出来ないのだよ』
「う……」
 頭を振りながら、ゆっくりと飯島は起き上がった。それを支える麗子の腕。酔いの覚めたその腕は、しっかりと飯島の身体を支えていた。
「声……このテレパシーは……麻都……?」
『ほう……まだ反抗する気力は残っておるらしいな。感心感心。しかし、お前の能力はその壁の前には全くの無力だ。どうするつもりかね?』
「広樹クンっ!」
 突然、麗子が素っ頓狂な声を上げた。彼女の無意識な透視能力が、正面の小屋の中にいる広樹を見たのである。当然、彼女の目には麻都の姿も、床に倒れ込んでいる安藤と反山の姿も見えていた。
「あなた! そこで一体何をしているの! あなたって本当に卑怯者だわ!」
 飯島がようやく起き上がり、麗子に訳を聞いた。セレファイスの中を窓越しに見、そして振り返って麗子と同じ方向を睨む。
「……麻都! セレファイスに何をした! そんな行動が、E研の役に立つと思っているのか!」
 麻都は鼻で笑うと、木戸の隙間から見える飯島に向かってテレパシーを飛ばした。『フン。君の言い分はそれだけか。私は確かにE研の広樹と安藤を利用させてもらった。しかし、催眠テレパシーにだって限界はある。これは、奴ら──安藤と広樹の、君たちAPを憎む気持ちを利用させてもらったに過ぎないのだよ。二人とも、君たちには羨望と恨みの気持ちをたっぷりと持ち合わせていたのでね』
「──理由にならんっ!」
 飯島は、小屋めがけて突進していた。しかし、その行為も無駄に終わった。突然、空気の壁のような物に飯島の身体は触れ、弾き飛ばされてしまったのである。土煙をあげて派手に倒れ込む飯島の前に、小屋の木戸を開けて歩み寄る人影。
「ひ……ろ……きッ!」
 その人影は、死人の目をした広樹和義であった。今の壁は、広樹の放ったPKの束であったらしい。身構えるべく、素早く立ち上がる飯島。
「卑怯な!」
 雪崩山はセレファイスの中で怒鳴った。今の広樹はトランス状態にあり、自己の能力をフルに活用出来る状態にある。しかし、その活用に際しては自己の意志は全く反映されず、麻都の思うがままに操られているのである。いわば「超能力人形」だ。かたや、飯島は直前に長距離飛行を行ったばかりのテレポーターである。攻撃能力は何一つ持っていない。これでは、織の中で素手の人間と虎とが闘う見せ物と何ら変わりがない。
「俺なら、俺なら広樹のPKなど……!!」
 悔やむ雪崩山。しかし、その窓を越えて飯島を助けに行くことは出来ない。その思いは、五六も藻間も同様であった。飯島は今、蛇ににらまれた蛙なのだ。
「こい! 広樹! その邪悪な気を粉砕してやる!」
 飯島はファイティングポーズを取った。普段の広樹のPKの程度を知っている飯島は、未だに先程のPKを広樹の物だとは思ってはいない。麻都の精神障壁の一種だと誤解していた。普段の広樹のPKは、せいぜい純金のネックレスを焼き切ったり、壊れた時計を動かしたりが限界である。
 だが、その固定概念が飯島の命取りになった。
 右腕を振り上げ、思いっ切り振り降ろす飯島だったが、広樹は避けようともせずにその拳を胸に受けた。しかし、衝撃が一切伝わっていない。逆に、飯島の振り降ろした拳と同等の力が、そのまま飯島の右の拳に返ってきていた。嫌な音がした。飯島の拳から、鮮血が迸る。
『飯島君。君の動物としての能力では、トランス状態の広樹君を倒すことなど到底不可能なのだよ』
「何をッ!」
 後退さりし、拳を嘗める飯島。広樹は、周囲の小石を自らの周囲に無数に浮かび上がらせ、ふわふわと弄んでいた。どの石がいつ飯島に向かって飛んできても不思議はない。飯島は、己の読みの甘さを後悔すると同時に、新たな闘志を燃やしていた。
「そうか──麻都に操られている状態では、潜在能力が増大するのか。しかし、そんなことで負けるわけにはいかない!」
 飯島はジャケットの袖を捲くり上げ、再びファイティングポーズを取った。その腕にしがみつく麗子。
「待って、飯島クン。勝てっこないわ。貴方には、広樹のPKをブロックする術がないじゃないの。あの小石だって、人間が投げるスピードで飛んできたら命に関わる怪我をするわ。だから……」
「どうしろ、と言うんだ!?」
 二人は黙って広樹を凝視した。広樹の顔は、相変わらず無表情なままである。小石の数は、二十を越えていた。上下に、ゆっくりと浮かびながら移動を繰り返している。その光景を、窓越しに固唾を飲んで見守るメンバー。
「下手をすれば、あの二人は俺たちへの見せしめに殺されるかもしれないな」
 藻間がぼそっ、と言った。五六と雪崩山が藻間の方を一斉に見た。一番嫌な予想であった。汗がだくだくと彼らの額を流れる。
「広樹クン! そんなに貴方って卑怯な男だったの?」
 麗子の甲高い声が、辺りに響き渡った。じっ、と広樹の目をにらみながら、麗子は続けて言い放った。
「何がAPへの嫉妬よ! 何が羨望よ! 貴方、そんなに小さい男だったの? それでよくE研の部長が勤まったわね。だから今、E研はこんなに小さいサークルになっちゃったのよ! APに完全に遅れを取るサークルにね! 判ってるの? 人に操られて、大きな力を与えられて、それで楽しいわけ? それで満足なわけ? 人を苦しめて、人をおとしめて、それで嬉しいわけ? 最低! 最低よ、全く! そんな男に惚れられたって、ちっとも嬉しくなんかないわよ! あたしと勇次クンの仲がそんなに羨ましいなら、勇次クンと対等に戦える全うな男になりなさいよ! それでも貴方、男なの!?」
 そこまで一気にまくしたてて、麗子は一息ついた。と同時に、麻都のPKによって、麗子の身体は5メートルほど後方に飛ばされていた。隣接するビルの壁面に叩きつけられ、地面に落ちる麗子。
「石原さんっ!」
 飯島が急ぎ駆けつけ、抱きかかえる。どうやら、怪我も大したことはないようであった。麗子はすぐに、飯島の肩に手を置いて立とうとした。飯島はそれを思い止まらせ、しばらく休ませるべくビルの陰に彼女を座らせた。
「麻都! 広樹! 貴様らぁ〜ッ!」
 飯島は電光石火の早業で広樹に組みついた。驚きに精神を乱した広樹は、空中の全ての小石を地面に落としてしまっていた。どっと地面に倒れ込む二人。しかしまたもや、飯島は広樹のPKに弾かれ、宙に舞っていた。
「くそっ……」
 かろうじて着地に成功した飯島は、向き直って広樹を見た。
「?」
 広樹の目は、もはや死人の目ではなかった。普段の、あの何を考えているか分からない、現実を直視しない目に戻っていたのだ。麻都の呪縛が解けたのである。広樹は辺りを見回し、自分の手を見、飯島を見、そして座り込んでいる麗子を見た。
「え、え、え……?」
『しまった。あの程度のショックで催眠が解けるとは……。再び催眠をかけている暇はない。眠ってもらおう』
 麻都は事態を把握しきれていない広樹に向かって、「気」を放射した。しかし、彼とてサイコキノの端くれである。その「気」を甘んじて受ける男ではなかった。素早く位置を移動し、飯島の所に駆け寄って言う。
「飯島君、麻都はあそこだ!」
 広樹は小屋の木戸にPKを集中した。数秒で木戸は粉砕され、ベニヤ特有の破壊音がこだました。もうもうと立つほこりの中に、一人の男がいた。黒いコートに身を包み、細い顎につりあがった目の、邪悪な気を発する男が!
「飯島君、君にはお初にお目にかかる。私が麻都須だ。君の彼女である、山崎里美を欲しがる者の一人だよ」
 そうゆっくりと言い、にやりと笑う。しわがれた声は、その風貌に似合わず老人のそれである。細身の割にがっちりとした腕が、飯島の方に向かって上げられた。
「広樹……君の仕事は終わった。安らかに眠りたまえ」
 飯島の隣にいた広樹が、突然どんっという音と共に視界から消え去った。そして、後方に起こる破壊音。振り向くと、飯島の位置から十五メートルほどはあるであろうセレファイスの壁に、広樹は叩きつけられていた。壁を覆うモルタルの板が粉々に砕けていた。
「広樹っ!」
「人の心配をしている暇があるのかな? 飯島君」
 麻都は、その圧倒的な力を誇って飯島に語りかけた。後退さる飯島。相手にならない。いつの間にか、飯島の背には、麗子がぴったりと身を寄せていた。その背に手を回し、かばうようにして飯島は麻都を睨みつけていた。
「君と戦って、君を殺すのはたやすい。PKを利用した殺人は、決して現在の警察機構には解明出来まい。例え、彼らの目の前で君の内臓を破裂させたとしても、彼らは私を逮捕することは出来ない。現行犯の概念が覆される。しかし、私はそんなにもったいないやり方はしないよ。人の命は貴重だ。私は殺人鬼じゃない。だから、こういったまわりくどい脅しを掛けているわけだ。判るかね?」
 麻都の目が、きゅーっと細くなった。笑っているのだ。その髪は、風もないのにたなびいている。コートの裾もまたしかり、である。飯島と麗子は、いつの間にかセレファイスの壁際まで追い詰められていた。窓からは、雪崩山、五六、藻間の三人が何やら大声でわめいているらしい様子が伺えた。
「つまり、だ。一つだけ、君を安心させることを言ってやろう。君を殺しても、私には何のメリットもない、ということだ。私の希望は唯一、山崎里美を渡してもらうことだけだ」
 麻都の顔が、飯島の顔とほとんど距離なく近づいた。麻都の息が飯島の顔にかかる。硫黄の臭いだ。たまらなく臭い。しかし、顔をそむけた所で、もはや逃れる場所はない。これ以上下がれば、精神障壁の餌食となる。麻都の腕は長く、左右にはもう逃れようがなくなっていた。
「お分かりかい? 飯島君。私が何を言いたいのか」
 麻都の目が、極限にまで細められた。硫黄の息が続きを語る。
「私の知る限りでは、山崎里美を説得させられるのは君、飯島洋一しかいない。何と言っても、君と彼女は恋人同士だからねぇ。君の言うことなら、きっと聞いてくれると思うのだよ。そこで相談だ。君に、彼女を説得してもらいたいわけだ。彼女さえウンと言ってくれれば、君たち全員の命を保証しよう。当然だよ。私は君たちの命には、何の興味を持ち合わせてはいないのだからね」
 飯島の鼻と、麻都の鼻がこすれあった。飯島には成す術がなかった。
「どうかね、飯島君。今から、君一人が通過する間だけ、精神障壁を緩和しよう。もっとも、その瞬間に逃げ出そうなんて考えは無駄だよ。一人しか通れない道に、二人は通れない。それに、一人が出たところで、何ら問題解決にはならんよ」
 飯島は頷くしかなかった。それを見た窓の中の雪崩山が激しく手を振った。それを見て、五六が尋ねた。
「何だ、一体外では何を話しているのだ」
「口の動きから見ると、どうやら麻都は飯島を中に入れて、山崎さんを説得しようというらしいんです」
「まずい! 飯島までもがこの呪縛に捕まったら、もう望みがなくなる!」
 中の三人は大声で「来るな、来るな」を合唱するが、外には全く聞こえない。飯島は麗子の手を引いて、セレファイスのドアの前までやって来ていた。しかし、その手は解かれ、麗子は麻都の所に引き寄せられてしまっていた。
「何をするっ!」
「彼女は山崎里美説得には何ら関係がない。なのに、彼女まで精神障壁の中に入れてしまうのは、可哀想ではないかね? 飯島君」
 しかしその腹は、飯島にも読めていた。つまりは、人質である。何らかの不穏な動きを飯島が行った時には、麗子の命はないぞ、という威しなのである。威しのための威し、と言えた。どこまでも卑怯な手を使う麻都に従うしかない自分を、飯島は悔やんだ。
 ドアの前に一人で立つ。ドアのガラス越しに、雪崩山が心配そうに覗き込む。飯島はそこで、麻都に見えないように指である合図をした。その自然な動きに、麻都も内容までは気づかない。
「いいかね。やるよ飯島君」
 麻都の号令と共に、飯島はドアを開け、セレファイスに入った。ドアの前では、雪崩山が飯島を待っていた。チン、とドアベルの音がなる音と共に、飯島は店内に消えた。
「飯島さんっ!!」
 突然、飯島に抱きつく者がいた。里美である。その衝撃に、身体中の傷が反応した。しかし、その傷み以上に、飯島は里美の衰弱ぶりが気になった。
「藻間さん、何で彼女はこんなに?」
「判らん。精神障壁の悪影響か、もしくは酸素濃度の関係か……とにかく、ここは暑いし息苦しい」
「飯島さん、飯島さん……」
 ついに、里美は泣き出していた。ぎゅっと強く、その身体を抱く飯島。その心の中には、怒りが再び沸き起こってきていた。
「うまく説得すればよし、そうでなくとも……」
 麻都は独りごとをいってはにやにやとしていた。今や、負けの条件はゼロに等しい。精神障壁の持続時間も広樹が加わったために伸びたし、こうして人質もある。完璧ではないか──そんな心の余裕が、麻都の顔面に笑みを発生させていた。
「いたたた、いたいわよっ!」
 麻都の傍らで、麗子は一人もがき苦しんでいた。麻都がPKで麗子の身体を縛り上げているのだ。目には見えない縄が、彼女の身体をぐるぐる巻きにしていた。黒いMAー1に、くっきりと縄の食い込む跡が見える。しかも、その身体は地についておらず、空中に浮遊しているのだ。支点も力点もない麗子に、このオリは脱出不可能であった。
「ほほほ、見てる見てる。これだけ傷めつければ、飯島とて心が動くであろうよ」
 麻都は、笑いが止まらぬかの如く、破顔していた。
「いいですか皆さん、奴は今、テレパシーを発していない。つまり、セレファイスの中にいる我々の考えや会話、行動などは全く掴めていない。店内の酸素濃度や温度を考えると、長くは持たない。ここはひとつ、雪崩山にまかせるしかないのですよ」
「うむ」
 藻間が腕組みして、飯島に言う。
「しかし、うまくいくかね? 麻都を倒すとなると、これは至難の技だ」
「やってもらうしかないでしょう。我々は待つのみです」
 飯島の腕の中では、里美が涙目で飯島を見上げていた。その髪にそっと手を入れ、労るように梳く。細い髪までが、怯えているかのようである。
「雪崩山の能力は無限大です。ヤツの経験から照らし合わせても、やってみる価値のある作戦と言えます」
 飯島の言葉と同時に、セレファイスの外に異変が生じていた。
「きゃっ?」
 麗子の回りにスパークが起こった。途端、地面に落ちる麗子。驚いたのは、麻都である。一瞬、何が起こったのか全く理解出来なったからである。
「何だ? 一体何が……?」
 次の瞬間、隣のビルの窓から疾風の如く何者かが飛び出し、麗子の傍らにやって来ていた。
「麗子、大丈夫か?」
「勇次クン!」
「馬鹿なッ!」
 しかし、その影はまさしく雪崩山勇次その人であった。雪崩山はサングラスを取りつつ、麻都に向かって言った。
「随分と驚いているようだな、大将。当然だよな、自慢の精神障壁を、お前さんが全く気づかないうちに抜け出して来ちまったんだからな」
「うまくいったようだな」
 窓から覗いていた藻間が、皆に報告した。
「何で俺が外に出られたか、教えてやろう。チャンスは当然、お前さんが精神障壁を弱めたあの時だ。あの時、俺と飯島はサインを送り合った。『俺の手に触れろ』って意味のジェスチャーだった。そして飯島がセレファイスに入ってくる瞬間、俺は奴の手に触れた。俺は飯島の体内をアースのように伝い、隣のビルに跳ばされたってわけだ──お分かりかな? お前さんの精神障壁はある意味で完璧だ。しかし、厚みがないんだ。人間一人分の厚みもね。俺の身体が跳ばされた瞬間には、まだ飯島の左足は障壁の外だったってわけさ」
 麻都は、雪崩山のその言葉を放心しながら聞いていた。そんな技があったとは──! 己のうかつさに腹を立てると共に、麻都の心の中には、ふつふつと怒りが沸いてきていた。
「ふん、お前の力はお前の家で見せてもらった。要注意のサイコキノではあるが、私に勝てるとでも思ったのかな? 雪崩山君!」
「やってみなくちゃ分かるまい」
 雪崩山は黒いCWUも脱ぎ、麗子に渡していた。
「お前さんがどんな目的で山崎さんを欲しがっているのかは知らんが、こんなやり方は許されんね! 正当派超能力者のこの雪崩山勇次が、正義の鉄槌を下してくれる!」
「面白い。どこまでやれるのかな?」
 二人とも瞬時に、臨戦体制に入った。夕焼けの空が突然真っ黒な雲に覆われ、赤かった空気も灰色に変わり、周囲の空間がざわめきだした。
「この時が勝負です」
 飯島が言った。
「いくら麻都とて、二つのPKを同時に使えるとはとても思えません。しかも、この精神障壁だけでも大仕事であるというのに、本気になった雪崩山を相手に戦おうというのです。隙が出来るはずです」
「その時に内部から障壁に揺さぶりをかけるって訳か!」
 藻間がポンと膝を打った。しかし、五六はあまり嬉しそうな表情をしてはいない。
「そうかな」
「え?」
 聞き返す飯島に、五六は静かに答えた。
「奴はこれだけ強力な精神障壁を張り巡らしながら、割澤を苦しめるほどの強烈なテレパシーを放ってきた。二つの力を同じに使うことくらい、奴にとっては朝飯前なのではないのか?」
「しかし、二つの同種の能力なら……」
 可能性は、ある。飯島たちの望みは、その部分のみであった。三人は、窓の外から二人の闘いを見守っているしかないのだから。
「!?」
 まず、雪崩山が攻撃を仕掛けた。麻都の立つ地面が割れ、中から石つぶてが噴き上がった。かなりの数をかわしたものの、数個の石つぶては麻都の身体を捕らえていた。麻都は空中四、五メートルの位置まで翔ぶと、ひらりと反転して地面に降り立った。
「二つのバリアを一遍に張れるとは!」
 これには雪崩山も驚いた。しかし、自らに張ったバリアは弱かった。これは、つけ入る隙である。
「君とは根本が違うのだよ!」
 麻都は着地と同時に雪崩山をにらみつけた。きょうれつなプレッシャーが雪崩山に飛び、雪崩山は両腕で顔面をカバーしながら、かろうじてそれを受ける。周囲の空気が鳴り、地面に不規則な割れ目が生じた。後方のビルの壁面には細かいヒビが入り、その衝撃のすざまじさを物語っていた。
「これだけ激しい攻撃を加えることが出来るとは……セレファイスの方は?」
 雪崩山はちらっとセレファイスの方を見遣る。しかし、窓の中の連中は一向に動こうとはしない。どうやら、まだ、精神障壁には影響は出ていないらしい。化け物だな──雪崩山はそう思った。
「隙が多いな、君はっ!」
 そんな雪崩山の背後に、麻都は出現していた、雪崩山はエルボーをかましてその反動で前方に転がって逃げる。相手がテレポートも使えるということを、雪崩山は忘れていた。全く、厄介な相手である。
「駄目だ! 奴は二つも三つも能力を一遍に使えるんだ! 全く隙がない!」
 飯島はセレファイスの壁を殴りつけていた。窓から見える限り、これはもう、いわゆる学問領域の超能力者の闘いではない。超超能力者の闘いである。そんな闘いの中でも、麻都の能力値はまったく落ちていない。これは、飯島の予測にはなかった現象である。飯島は、がっくりと肩を落とした。
 そんな飯島の落ち込みを、里美は敏感に察知していた。飯島の胸の中で、里美は尋ねた。
「ねぇ、駄目なの? どうしても駄目なの?」
 飯島は、何も答えられなかった。五六も、藻間も、マスターも、皆んな黙りこくってしまっていた。涙にむせながらも、里美は尋ねることをやめなかった。
「ねぇ……駄目なの? 私たち、もうここから出られないの? このまま死んじゃうの? ねぇ……」
「……そんなことはないよ。悲観しちゃいけない」
 飯島はなるたけ優しく、ゆっくりと言った。それは里美に対しての言葉であると同時に、自分に対しての語りかけでもあった。これしきで諦めてはいけない……何のために雪崩山は外で戦ってくれているのか!
「だああっ!」
 しかし、その頼みの綱の雪崩山も、次第に強大な麻都の力の前に押されていた。衝撃波が雑草を斬り、コンクリートの溝板を舞い上がらせる。雪崩山の力では、防ぐのが手一杯であり、とてもその間に攻撃を仕掛ける余裕はなかった。
 麗子をかばいながら闘う雪崩山は、消耗の度合いが大きい。腕が切れ、鮮血がほとばしる。構わず、雪崩山は麻都に組みかかる。肉弾戦なら、勝ち目があると踏んだのだ。しかし、麻都の細く長い腕は見た目以上の力を出した。雪崩山は何度も放り出され、その度に傷を負った。
「信じられんな……何ちゅうパワーだ。人間技とは思えない」
「超能力者は並の人間よりその部分が優れているだけだ。しかし、私は人間の全てを超える者なのだよ。超人間能力者とでも言おうか!」
「自惚れるな!」
 雪崩山のローリングソバットが、自らを超人間と言う麻都の胸にヒットする。転がる麻都に、雪崩山は奥の手とも言うべき力を放った。
「親父、お袋……やるぜ!」
 雪崩山はその右腕を倒れ込んだ麻都の胸に突き立て、目一杯の力を籠めて拳をぶち込んだ。瞬間、周囲の空間が歪みを起こしたかのようにねじ曲がり、視界がぼやけた。周囲の水分が次々に蒸発し、強烈な重力が二人にのしかかっていく。
 麻都は、完全に身動きを封じられてしまっていた。雪崩山の額に、セレファイスの中にいた時以上の汗が噴き出る。強烈なPKの重圧が、二人に掛かっているのだ、二人のいる地面が次第に陥没を始めていた。
「これでも……精神障壁は緩和されないのかっ!」
 雪崩山は気力を振り絞ってセレファイスの方を見た。しかし、窓から見える五六と藻間の顔は、障壁が一向に変化しないことを物語っていた。
「駄目だ……」
 藻間が言った。目の前で、信じられない超能力戦争が勃発しているというのに、その光景が何一つ問題の解決に繋がっていない──五六でさえ、溜め息をついていた。絶望であった。窓から見える二人は、普通人が見ればただ単に雪崩山が麻都をうえから右手が押さえつけているだけに見えるだろう。しかし、その周囲のオーラは、カンの鋭い人間になら感知出来るであろう程に強烈なものであった。
「あのままじゃ、雪崩山か奴か、どっちかが死ぬ……死なないと、問題は全く解決しない。
 五六がそっと言った。もしかしたら、麻都を殺さない限り、この精神障壁は破れないのではないのか? 五六でさえ、そう思っていた。
「死ぬ……!」
 里美がピクッと動いた。飯島がその身体を軽く押さえ込む。心配はいらない……そう言おうとした飯島の口を、またもや里美が封じた。
「雪崩山さん、死んじゃうの? 皆んな死んじゃうの?」
「……そんなことはないよ。心配しないで……」
「死んじゃうの? 飯島さん、死んじゃうの? 嫌、嫌、いやっ! 私は嫌よ、飯島さん!!」
 里美の腕が、一層強く飯島の身体を締めた。飯島もまた、里美の身体をぎゅっと抱き締めた。
 彼女を守りたい──。
 彼と生きたい──。
 二人はお互いを労り、お互いを守りたいと思った。そんな二人を、気を使ってか五六と藻間は窓際で、マスターはカウンターの奥でなるべく見ないように、それでいて厚く見守っていた。
「……おい」
「何だよ」
 藻間につつかれ、五六は藻間を見た。藻間は、抱き合う二人の方を見て、口を開けている。はしたないヤツだ、やめろよ──と言おうとした五六の口も、ぱっくりと開いたままになってしまっていた。
「あ……?」
「光……?」
 五六はその藻間の指先に、不思議なモノを見た。
 オーラのほとばしりである。それが、後光と呼ぶに相応しく放射されているのである。
 その途端、麻都が苦しみだした。やっと効果が出てきたか、と雪崩山は思った。しかし、それは間違いであった。セレファイスの内部に光を見つけたのと、その間違いに気づくのとは、ほとんど同時のことであった。
「光──?」
「ごわぁぁぁっ!!」
 突然、藻間と五六、マスター、そして寝かされていた割澤までもがセレファイス内の壁に叩きつけられた。一度、二度、三度。三度目の壁には四人ともぺったりと張りつけられてしまっていた。それも、粘着物で張りつけたという感触ではなく、内部からの圧力で張りつかされている、というのが正しい。それも、かなりの圧力である。「な、な、何が……」
「喋るな! 舌を噛む……ぞ……」
 四人は凄まじい圧力に曝され、喋ることすらままならなくなっていた。窓ガラスが粉々に砕け散り、壁一面に膨大なヒビが走った。空気とも何ともつかないものが嵐のように店内を暴れ回り、光が走った。その光の中心には、飯島と里美がいた。
「がぁぁぁぁっ!」
 雪崩山は既に力を解いていた。苦しみ、もがく麻都を見、そして光と振動に包まれたセレファイスを見、その気持ちは複雑であった。
「一体何が起こっているのか──?」
「だはッ!!」
 次の瞬間、五六と藻間、割澤、そしてマスターは、セレファイスの壁をぶち破って、破片と共に屋外へと飛び出していた。ほこりがもうもうと舞う中、四人はもんどり打って地面に倒れ込んだ。
 そして中から放射された光が辺りを洗い、その光に曝された麻都は逃げるように飛び跳ねた。
「こ、これが……『力』か……!」
 苦しそうに頭と胸を押さえながら、麻都はゆっくりと立ち上がって言った、雪崩山が気づいて蹴りを加えるが、その足の当たる寸前に麻都はテレポートしていた。
「チッ!」
 雪崩山は舌打ちしながら足を引っ込め、セレファイスの方に向き直った。白い煙がもうもうと立つ中、色を特定出来ない光が幾筋も走っていた。
 その中心には、飯島と里美がいた。
「一体……何が……」
 この、小さな喫茶店が崩壊していく光景を、飯島と里美の放つ神々しい光の束を、雪崩山と麗子は、ただ呆然と見ているしかなかった。

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