アミューズメント・パーティOnLine

15  異次元の色彩


「非常招集とは恐れ入ったね。何があったんだい」
 中華料理店『白楽天』には、数週間ぶりにAPメンバーが集結していた。恐れ入りながら入ってきたのは、部活動は久し振りの瀬川である。瀬川は麻都のことも、翼曽のことも知らない。
「瀬川さん、そりゃないですよ。ぼくらは今、もんの凄い相手と闘ってるんですからねぇ」
 明るい口調で飯島は言った。こういった状況の中で、この明るさは貴重である。名東が退院出来ない今、AP最大のコミックメーカーは飯島なのである。
「翼曽が来るってことかい? 飯島」
 加藤が言う。今日は珍しく、赤いジャンパーを着ている。お気に入りの白いジャンパーを翼曽の〈刃物〉に切り裂かれてしまったからである。感情的にはドライな方の加藤だが、こと物に関しては必要以上に恨みを募らせる性格の持ち主である。
「そう。来る」
「今日はそのことを皆んなに話しておく必要があったんで、臨時部会をここで開かせてもらったんだ」
 五六が付け加える。風で店の扉ががたがたと鳴る。その外には、「本日貸切」の旗が翻っていた。
 その五六の言葉を聞きながら、里美は昨日のことを思い出していた。飯島の言動もそう、あの闇の声もそう──そして、狙いが自分一人であるというのに、皆んなが自分を護ろうと必死になっていることもそう……何一つ自分では解決出来ない。何一つ、自分の守備範囲に入ってこない事件。何も出来ない非力な自分、頼ってばかりの自分……。
「どした? 元気だせよ。君が元気なくちゃ、士気に影響が出るだろ? ガッツだよ」
 飯島はそんな里美の目の前に握った拳を出し、力を込めてアピールした。その仕種に、里美は微笑みを取り戻した。信じていいんですね……飯島さん……皆んな……。
「おまたせぇ」
 二階から低い声とともに、巨体が降りてきた。藻間である。全員がその藻間を、何故か拍手で迎えた。照れながら藻間は皆の中央に来て、マイク代わりに割り箸立てをつかんで言った。
「いやいやいや、皆さん色々と心配をおかけしました。藻間隆、復活っ!」
 再び店内に拍手が鳴り響いた。
「これで本日の参加人員全て勢ぞろいってわけですね。ここに名東くんと割澤くんがいないのが残念です。それではアミューズメント・パーティ、臨時部会を開催します」
 飯島のこの元気な声で、APの臨時部会は開催された。そして教室のように机の配置された店内で、雪崩山はメンバーの前に椅子を出して座り、過去の状況説明をごく簡単に報告した。これも、同時体験のない瀬川のためのものであった。
「ほう……つまり、今、我がAPは、かつてない強大な敵に直面しているというわけだな」
 瀬川が何の疑問もなく、言う。呑み込みがいいのか、雪崩山の言うことを信じてないのかは、分からない。雪崩山はその点が少しばかり気にはなったが、かまわず先を続けた。
「〈雷羅〉は、どうやらかなり巨大な組織のようです。世界を股にかけた、超能力犯罪集団──どの種類の犯罪を犯しているのかは全く分かりませんが、とにかくそんな感じの組織です。あまりに現実離れした感もありますが、麻都須、翼曽通ともに、我々とは段違いの超能力者でした。彼らは自らを『超人間能力者』と呼び、人間の持つ全ての能力を超えた存在であると言っています」
「傲慢極まりないね」
 瀬川は実感がないので、こんな発言をする。しかし、彼以外のメンバーは、誰も茶々を入れようとはしない。
「〈雷羅〉の窮極の目的が何であるのかは判然としません。世界征服とか、人類滅亡とか、そんなマンガじみたものではないとは思うのですが……」
 この雪崩山の言葉に、皆は頷いた。そんな皆の行動を一通り眺めてから、雪崩山は続けた。
「取り合えず、我々に対する挑戦状の内容は、ただ一つ。ここにいる本年度唯一のAP新入会員である山崎里美嬢の身柄を差し出せ、ということのみであります。これはこの四月より数度に渡って行われてきた、麻都のテレパシー攻撃でも聞かれた言葉です。彼らはその窮極の目的のために、どうしても彼女の能力が必要らしいのです」
「質問」
 藻間が手を上げた。
「山崎さんの能力は、彼らだけの知るものなのか? 俺たちは何も彼女のことは知らない」
 雪崩山はその質問に少し困ったような顔をし、その顔を飯島に振った。飯島はちらりと里美に視線をやる。里美はそんな飯島の眼をじっと見つめ、顎を引き、きゅっと下唇を噛んだ。寄り眼がかわいい。飯島はすぐさま雪崩山に振り返り、OKを出した。
 雪崩山は藻間に向き直ると、右手を上げてジェスチャーを始めた。
「いいでしょう。まだ、山崎さんの能力については皆さんにはお話していませんでしたね。今、御本人およびその配偶者から承認を得ましたので、説明を加えさせていただきます」
 この雪崩山の言葉に、飯島と里美は少しばかり赤くなった。暖かい視線が周囲から集まる。
「私の父の友人や教え子たちの集まって研究を行っている施設は、ここにいらっしゃる大半の方が御存知かと思います。そこのリーダーである岩崎先生と剛先生は、現在日本ではトップレヴェルの超心理学者であり、その道の権威でもあります。その岩崎先生の研究の中間発表的な診断が先日、私の所に届きました」
 雪崩山は言葉を切り、メンバー全員の顔を眺めた。一人瀬川だけが、飲み込めないような表情をして雪崩山の顔を凝視していた。
「結論から言った方が早いでしょう。山崎さんの能力は、我々のような、ESPとかPKとかいった分け方の不可能な能力でした。そう、彼女の能力は他人のESPやPKを増幅するアンプリファイア能力だったのです」
「増幅能力か!」
 藻間が言う。皆が皆、この雪崩山の言葉に同じ感想を持ったに違いない。なるほど、そんな能力があるなら、超能力戦闘集団が欲しがるのも無理はない。彼女がその集団の真ん中にぽつんと立つだけで、その集団全ての超能力が高まるのなら、こんな便利なことはないのだから。
「ただし」
 雪崩山は、ここで皆のざわめきの腰を折った。皆が一斉に注目する。
「研究は途中です。データそのものはかなり集まりましたが、その解析には相当の時間が必要でしょう。疑問点が目白押しなのです」
「疑問点とは?」
 こんどは五六が尋ねた。
「最も大きな疑問は、アンプリファイア能力が、一体誰にどう効力を発揮するのか、です。飯島は以前、この白楽天で〈神格〉のフーチパターンを出しました。これは、飯島に彼女のアンプリファイア能力が働き、彼の潜在的な超能力を引き出させた一例であると思われます。そして、セレファイス事件と、岩崎医院事件の二件の爆発的な力。これも、飯島の能力が彼女によって高められ、一気に放出されたからであると思われるのです」
 店内がざわめく。視線が飯島に集中する。皆が信じられない、といった視線で飯島を見る。飯島はその視線に戸惑いを禁じえなかった。当の飯島とて、信じられないことなのである。
「しかし、ここで疑問が生じます。飯島に潜在的な力があることを認めた上で話を進めますが、それでも、なぜ彼女は彼の能力だけを増幅したのでしょうか。セレファイスの中には、我々四人の超能力者がいました。その四人のうち、私と五六さんは攻撃型エスパーです。我々二人の能力を増幅させれば、あの精神障壁から出られたのではないでしょうか」
 飯島がうむ、と唸った。藻間と五六が顔を見合せ、瀬川が腕を組む。加藤は足を組んでいたのを外し、その両膝に両手を置いた。里美は相変わらず、飯島のジャンパーの裾をつまんでいた。
「つまり、彼女は、無意識ながらも、増幅させる人間を限定している、と考えられるのです。お分かりでしょうか?彼女は飯島を選んだのです。恋とか愛とかいったレヴェルと同様に、ベストパートナーとして、彼女は飯島を選んだのです」
 学問的な言い回しだったので、皆が皆、瞬間的には何を言っているのか理解出来なかったが、平たい言葉に直して考えれば簡単なことだった。
「つまり……愛するが故の能力だ、と言いたいわけだな、雪崩」
 五六がニヒルに言う。ふんだんに皮肉の入った言い回しだった。その言葉で、全員がその言葉の内容を理解した。そして、皆んなで笑った。明るい、暖かい笑いだった。飯島と里美も、そんな笑いの渦の中で、真っ赤になって一緒に笑った。
 ひとしきり笑った後、雪崩山は言葉を続けた。
「ま、愛ゆえの……は言葉の綾ですが、実際それに近い状態であると思われるのです。無意識のうちに彼女は飯島をパートナーとして選択済みなんです。だから、翼曽が彼女を奪ったところで、翼曽の能力が増幅されるかと言うと、実はそうはいかないのではないか、というのが岩崎先生のお考えなんです」
「なるほど。だからこそ、逆に相手に渡してその無意識のフェイルセーフが奴らにばれれば、彼女にマインドコントロールをかけてくる可能性もあるわけだ」
 催眠能力に長ける瀬川が、ぼそっと言う。雪崩山は瀬川の方を向いて、頷いた。
「そうです。剛先生は、その点を心配していました。無意識の深層意識にまで入り込めるほどのヒュプノがいれば、それも不可能なことではないと」
「彼女をただのアンプにしちまうってことか」
 加藤が里美の方を気づかいながら、優しい口調で言った。飯島がその視線を捕まえ、強く否定の意志を送り込む。それは、許される行為ではない。人間を超能力人形にしてしまうようなことは、決して許されることではない。
「そんなことにならないようにするためにも、皆さんにひとつ御協力を願いたいのです。〈雷羅〉の、翼曽の挑戦状は明日の正午を指定してきました。場所は学校の学生ホールです。日曜にもかかわらず、学校は開いているそうです。彼らの能力には計り知れない部分があります。そんな、謎の敵と闘っていただくわけですから、当然事前に承諾を得たいのです」
 雪崩山の言葉は、真剣そのものだった。AP部長としての、誠心誠意の籠もった、本当の懇願であった。その言葉は、この場の全ての人間の心を突いた。白楽天のおやじでさえ、涙ぐむ始末である。
「明日、正午。学生ホールに来ていただける方は、ここで挙手をお願いします」
 雪崩山はそう言い、自らその左手を挙げた。その眼は、周囲のメンバーを一瞥し、そして宙を見つめていた。挙げられる手だけを見ようとしているのである。挙げない人の眼を見て、挙手を強制するわけにはいかない。挙げない人がいて、当然なのだから。
 一本、二本、三本、四本、五本……次々に手が挙げられていく。
「総勢七名、全員参加と認めます」
 雪崩山がそう言うと、店の外からその数を否定する声が挙がった。
「いや、総勢は十名だ」
 ガラスのはまった木の引き戸特有の、がらがらという音が店内に響いた。その開いた外側には、五月の新緑の香りにまみれた三人の男が立っていた。先頭の男は薄手の黄土色のジャンパーに長い髪を持ち、右手に今までくわえていたであろう煙草を持っている。左奥にいる男は、明るい表情でこちらを見ている。右奥の男は、眼鏡の奥に満ちている生気を迸らせていた。
「小川さん……」
「名東、割澤ぁ!」
 全員が合唱するように叫んだ。
 これで、パーティは揃った。


 真っ暗な洞窟。岩肌がごつごつと突き出、歩くのもままならない。明かりはほとんどない。ときたま、足元を照らすかのように蝋燭が一本、ぽつんと立っていたりする。実際、この洞窟は、真っ暗と言っても過言ではない。
 ここに棲む動物たちは、光を必要としない種族なのであろう。そう、それが例え人間であろうとも──。
 声も聞こえない。気配も感じられない。人間どころか、生き物など全く棲んでいないのではと思わせる。ただ暗く、じめじめとして、それでいて風は涼しい。苔の臭い以外は、嗅覚では感じることは出来ない。
 天井から水が滴り落ちる音が響く。水の落ちた地面には、鍾乳洞に見られるような円錐形をした鍾乳石がうず高くそそり立っている部分もある。周囲に苔のある所もあれば、ない所もある。よく見ると、節足動物の類が這っているのを運よく目撃出来るかもしれない。
 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして第六感ですらも動物の生活を感じとることの出来ない洞窟に、彼らは、いた。
「──翼曽よ」
 その声は、重く洞窟に響いた。大きな声ではないが、音のない洞窟には相応しくないほど響く声である。姿は見えないが、その声の具合から予想は可能である。高い場所から見下ろすように喋る老人と、その下で跪く全身黒ずくめの大男の姿が──。
「次の失敗はなかろうのぉ」
 時間にすれば僅かな時であろうが、この音のない闇の中では、次の音を聞く欲求が時間を捩じ曲げる。長い長い間の後に、再び老人の嗄れた声が響いた。と同時に、何か低く唸る声のようなものも聞こえた。翼曽が恐れ入っている様子が手に取るようである。では、この声の主が翼曽の言った『あの方』であり、闇の使者の少女の言った『おじいちゃん』なのであろうか。
「──よい、行け」
 三度目の声が響いた。前二言よりも言葉尻が重い。これ以上は貴様とは話さない──という意志の現れなのだろう。実際、それ以降は老人の嗄れた声を聞くことは出来なかった。
 闇にまた、静寂の時が訪れた。
 長い、長い静寂の時が流れた。
 人間の感覚など、信頼に値するものではない。この、長く感じられた静寂の時も、その場に時計を持つ者がいれば、決して分数的には長くないということを発見出来たであろう。そして事実、客観的に見た時間は、それほど経過してはいなかった。
 静寂を破る声が、洞窟内に低く響いた。
「──ナグ、か」
 老人の声である。が、翼曽に語りかけていたであろう先程の声とは違い、嗄れ方が少ない。それは、孫に対する老人の、無条件の愛に満ちた語り方に似ていた。
「ただいま、おじいちゃん」
 明るい、かわいらしい抑揚のある声が、今までの暗い、じめじめとした洞窟内のイメージそのものを変えたかに思える──それほど、この少女の声はこの洞窟には不似合いのものであった。
 ぽっ、と少女の周りに明かりが灯る。少女の手には、カンテラが吊るされていた。
 明かりに照らされた少女の姿は、更にこの洞窟には不似合いのものであった。少女は肩にピンクのカーディガンを羽織り、ダークアースのTシャツとスリムのジーパンを身に纏い、手には金のブレスレットをしていた。
 しかし、その服装以上に特筆すべき点は、やはり少女の風貌であろう。
 身長は一五○センチに届くか届かないかである。その顔には特徴的な大きい眼と緑がかった瞳がある。髪はあくまで黒く、短く揃えられていた。その身体は細く、その見た目で推定される年令──十五・六の少女としては、やや痩せている印象を受けた。
 そう、この少女は、雪崩山や里美に〈手紙〉を渡し、その夜に飯島たちに挑戦状を伝達した、闇に囁いたあの少女である。
「役目、御苦労じゃった。さ、少し休んだら、いつもの仕事に戻っておくれ」
 ナグ──そう呼ばれた少女は、カンテラを持つ反対側の手に、古びた書物を持っていた。そのぼろぼろになった革の表紙からは、恐ろしく古めかしい印象を受ける。彼女の仕事とは、老人の身の回りの世話と、この古書の管理なのだ。
「はい、おじいちゃん」
 ナグは見えない闇の奥の老人にぺこんと頭を下げると、カンテラを灯したまま、老人の声のした方向とは逆の方向に歩いていった。
「……待て、ナグ」
 数歩歩いた辺りであろうか。老人が不意にナグを呼び止めた。普段でもあまり例のないことらしく、ナグは驚いて老人のいるであろう闇の方向を振り向いた。
「なに?」
 僅かな沈黙の後、老人の声がゆっくりと、低く響いた。
「イグは帰っておるかの?」
「──知らない。でも、多分、戻ってきてると思う」
 ナグは少しだけ不機嫌そうに答え、老人の返答を聞くのもそこそこに、その場を離れていった。
 靴底が岩を蹴る音が次第に小さくなっていき、ナグのかざす明かりも次第に小さく、遠くなっていく。老人も闇に溶け、人間の臭いは洞窟から消え去っていった。
 そこには、真の闇が戻っていた。
 この洞窟こそが、〈雷羅〉の本拠地である。


 雨が降っていた。まだ梅雨には早い時期ではあるが、雨はそんなことに関係なく、この御茶の水に降り注がれていた。
 雨の中、一人、また一人と、傘の華が坂をゆっくりと下ってやって来る。
 その雨の中の光景は、不思議と飯島が里美と初めて会話を交わし、〈神格〉に驚き、寝込んでしまったあの日のことを連想させた。
 その日は、アミューズメント・パーティが、〈雷羅〉と係わった初めての日である。考えようによっては、「記念すべき」日だったのかもしれない。
 その日の雨の様子と今日の雨の様子は、瓜二つとまではいかないまでも、よく似た状況であったことに間違いはなかった。
 そんな雨の中を、APメンバーたちはゆっくりと大学に向かって歩いていた。
 飯島は、茶色い渋目のデザインの傘を広げ、ゆっくりと歩いていた。お気に入りの焦茶色の薄手のジャケットの裾を翻し、その肩には黒いナップサックがかけられている。時々立ち止まっては、周囲の、普段と変わらない町並みを眺め、そしてまた歩き出していた。
 雪崩山は、翼曽にバイクを破壊されて以来、電車通学である。彼もまた黒い傘を差し、履き慣れないウォーキングシューズでゆっくりと歩いていた。着たきり雀の彼だが、さすがにバイクをなくしてからは、ライダーブーツを履くことだけはしなくなっていた。
 里美はピンクの傘を廻しながら、努めて陽気に歩いていた。薄い黄色のスウェットの上着と、白いミニスカートが彼女の気分を象徴していた。彼女は昨日、自分のアパートに久し振りに帰ったのだ。今日という日には、新しい服、新しい下着に新しい傘で臨んだ。
「やあ」
 軽い挨拶の声が、校門の前で響く。校門には、藻間と五六が待っていた。藻間はダークアースの薄いコートを着ている。五六はラフなポロシャツ姿だ。その二人が手招きに似た仕種でメンバーを学校の敷地内に入れる。ちょっとした検問だ。
「他の連中は?」
「小川と割澤以外は、皆んな来てるよ」
 藻間がぼそっ、と言う。寒いというほどの気温ではないのだが、藻間はことさら寒がった。
 ホールの入口の扉を見ると、なるほど、扉は開かれていた。そして、その扉の横に掲げられている立て看板に気づき、その文字を読む。

 映画監督とプロレスラー作家のバトルロイヤル対談!
  監督・伊賀村壇 VS レスラー作家・吉祥寺烈
  開場 13時00分 開演 13時30分 終了 16時00分

「なるほど。開いてるはずだ」
 今日は一般にも開かれている公開セミナーの特別対談がこの校舎の二階と三階にある大講堂であるのだ。飯島は、あの闇の言葉に納得した。
 里美が腕時計を見た。
 午前十時五十二分。
 闇の声が指定した時刻は、正午すぎである。まだ時間に余裕はあったが、こういった余裕は決して無駄なものではない。
 ホールには、APメンバーが集結していた。
「全員がこのホールに入るのは危険だ。今から人間を割り振る」
 雪崩山は中に入ると同時に、そう言い放った。その場にいる全員が、その言葉に振り向いた。雪崩山はゆっくりとホールの机の上に腰をかけると、全員を見下ろすようにして、言葉を続けた。
「〈雷羅〉が同じ手を使うかどうかは分からない。しかし、前回の教訓を活かすべきだと俺は思う。また精神障壁に捕まってしまったら、今度もまた前回同様に脱出出来るとは限らない」
 一同は、一言も洩らさないように雪崩山の言葉に聞き入っていた。
「そこで、消極的ながら、バリア対策を施したいと思う。まず、飯島と山崎さんは絶対に離れてはいけない。何があったとしても、二人で行動するように」
 飯島と里美は頷いた。それとほとんど同時に、里美の手が飯島の手をきゅっと握った。
「あと、俺と加藤は外に出る。五六さん、申し訳ありませんが、ホールの中に入っていて下さい。それと名東、割澤が来たらどっちかが外に出てくれ」
 名東がはいっと返事をする。元気な名東の様子を尻目に、瀬川が不満そうな声を出す。
「雪崩、俺は?」
「瀬川さんは藻間さんと一緒に、外にいて下さい」
「瀬川より俺のほうが小川の相手としてはいいだろう? 俺と小川が外にいるから、瀬川、五六と中にいてくれ」
 中に入ってきた藻間が言った。雪崩山は少し考えてから、その方がいいですねと答えた。
「少なくとも、これでセレファイスの時のような慌て方はしなくて済む。相手は計り知れないエスパーだが、人間であることに変わりはない。ま、このホールをセレファイスみたいに破壊しない限り、誰にも迷惑はかからないだろうからな」
 藻間はそう言って、ひとつ大きな伸びをした。
「しかし……嫌な空の色だな」
 藻間は扉の外からのこの声を聞き、振り向いた。そこには、いつもの黄色いジャンパーを着て天を仰いでいる小川の姿があった。煙草の紫煙がゆっくりと空間に広がっていく。
「小川……来たな」
「ああ。ところで藻間よ、この空の色、何か感じないか」
 そう言われて、藻間は傘もささずに立っている小川のそばに行き、同じように空を眺めた。雨が頬に当たる。
「そうか? 普通の曇り空だと思うぞ」
 雨雲は、ゆっくりと斑を展開しながら渦巻いていた。暗い部分、明るい部分が入り交じり、かなりの速度で変化している。時折、陽の光が透けるのか、ぼうっと明るい部分が出来る。
「う〜ん……テレパス特有の勘なのか、それとも単なる勘違いなのか……取り敢えず、俺には普通のどんより曇った雨空としか見えんがね」
 一度口を切った藻間が、もう一度確認するかのように小川に言った。小川はしかし納得した様子を見せない。再び、雨に濡れながらじっと空を見上げた。
「……邪悪な精神力を感じるんだよ……あの空には……まるで異次元空間のような、あの色彩が……」
「色彩?」
 小川の言葉に驚き、藻間もまた再び空を見た。
 小川の言う「色彩」とは、一体何なのか? 藻間には、灰色と黒以外の色を見ることは出来なかった。色彩と言うからには、様々な発色が存在するのだろう。テレパスにしか感受出来ない、微妙なスペクトルの変化なのだろうか?それとも、もっと精神的な色彩なのか?
「おーい、名東、ちょっと」
 藻間は名東を呼んだ。名東は元気よく返事をして、傘を差しつつ外へ出て来て言った。
「藻間さん、何で雨降ってるのに傘さしてないんです? あれ、小川さん、いつの間に……」
「名東、あの空に何かを感じるか?」
 藻間はそんな名東の質問を無視し、どんよりと曇った空を指さして言った。名東は怪訝そうな顔をしたが、その質問が冗談ではないことを悟り、傘を畳んでじっと空を見つめた。
「あ……何だ、これ……」
 名東は空の一点を見るなり、眼を見開いて言った。藻間はその様子を見、そして小川の方を見た。小川は無言で頷いている。
 名東にも見えるのだ。小川の言う「色彩」が、テレパスである名東には、はっきりと知覚出来るのだ。
(名東)
 そんな名東の頭の中に、聞き慣れた声が飛び込んで来た。テレパシー通信だ。
(あ、割澤か? 今どこだ?)
(今、御茶の水の駅だ。駅前の交差点で信号待ちをしてる。それより名東、感じるか?)
(これだろ。この、〈異次元の色彩〉だろ)
(ああ。途轍もない精神力だ。電車が御茶の水に入った瞬間に感じたよ。この御茶の水は完全に精神空間に幽閉されてるみたいだ)
「何だって!?」
 突然、名東は大声を上げた。これには藻間も小川も驚いて、視線を名東に落とした。小川には名東と割澤の会話を又聞きするほどの能力は、ない。
「何だ、どうした? 名東」
「やられましたよ、藻間さん、小川さん!」
 その一言だけを残して、名東はホールに走り込んだ。その慌てように、飯島も雪崩山も一抹の不安を禁じえなかった。
「何だ、何が起こったんだ? 名東!」
 雪崩山が訊く。名東は息を整えながら、焦り気味に早口で喋り出した。
「今、駅に着いた割澤から連絡があったんでが……この御茶の水界隈の全てが、今、異常な精神空間に幽閉されているって、割澤が言うんです……」
「何だって!?」
 雪崩山が立ち上がった。いや、彼以外のメンバーも、一斉に立ち上がっていた。
「馬鹿な! それほどの力が奴らにあると言うのか……」
 雪崩山は悔しがった。翼曽は、麻都とは異質の能力者だったのだ。しかも、ここまで根本的に違いがあるとは……。
「しかし、その精神空間ってのは、麻都の使った精神障壁と同質のものなのか?」
 飯島が名東に訊く。しかし、その解答を名東は持ってはいない。もし同質のものならば、大変なパワーである。この御茶の水から、彼らアミューズメント・パーティのメンバーは一生出ることは出来ない。
「でも、そんな無駄な障壁を奴が張るかな」
 五六が静かに言う。
「あの力は、狭いセレファイスに我々を幽閉するのには効果があった。兵糧攻め、酸素濃度減少、温室効果──しかし街一つを障壁で囲んでも、全く効果はないぞ。翼曽の疲れ損だ。何か、それ以外の効果があるに違いない」
 なるほど、と飯島が言う。加藤も頷き、窓から外を見た。どんよりと曇った空の色が、また少し変化していた。轟々と渦を巻いているように見える。暗雲垂れ籠める、とはまさにこういった空を言うのであろう。
「雨を降らせたのも、翼曽なのかなぁ」
 飯島がぼそっと言う。自然現象を手玉に取ることが出来る相手に、一体どうやったら勝てるというのか──彼の心の中に、不安が募っていった。
「どうやら、例の精神障壁とは異質なものみたいですよ」
 そう言ってホールに入って来たのは、割澤であった。びっしょり濡れた傘を振りながら、彼はゆっくりと皆の方へと歩いていった。
「確証があるのか? 割澤」
 その雪崩山のもっともな質問に、割澤は少し困ったような表情をしてから、ぼそっと答えた。
「いや……感じですよ。あくまで、感じ。この間のセレファイスで感じたものとは、まるっきり異質の振動数なんですよ、このエネルギーは」
「異質の振動数、ねぇ……」
 五六も納得しかねたのか、割澤の方を向いて確認するように呟いた。割澤も説明の必要のあることを悟り、なるべく皆の見える位置に行って立ち止まり、説明を始めた。
「つまりですね……麻都の精神障壁ってのは、エネルギーを放出して壁を作り、その中の人間を封じ込めるものだったわけですよね。つまり、精神の檻です。今回のこの、御茶の水界隈を覆っている精神空間っていうのは、確かにエネルギーの場ではあるんですけど、決して何かを縛ろうとか、覆おうとかいったものではないんですよ」
 割澤はここで言葉を切り、よいしょっと言ってホールに常設されているプラスティックの椅子に腰掛け、一息ついてからまた続きを語り出した。
「何て言うんでしょうね……そう、精神障壁はエネルギーを放出して人間を檻に閉じ込めましたが、精神空間は自分がその中に入って、自分のエネルギーを高める場なんですよ。だから、ぼくらは閉じ込められたんじゃなく、翼曽の有利な空間に引きずり出された──と考えたほうがいいんじゃないかと思うんです」
「なるほど……じゃ、この御茶の水にいる限り、俺たちはパワーアップした翼曽と闘わざるを得ないわけか」
 雪崩山が言う。割澤はこくっと頷き、口を噤んだ。
「汚い──という言い方も出来るが、ま、防ぎようがないわな」
「うん、闘いとは常に自分の有利な場所で展開されるもんだ。ひっかかった俺たちも甘かったよな」
 小川と藻間が、妙に明るい口調で言う。冗談なのか、本音なのかは、口調からは判断しかねた。
「ま、いいだろう。俺たちは馬鹿正直に連中の招待を受けた。それには当然、罠や不利な条件は含まれていたわけだ。そんなことは百も承知で来てるんだ、今更じたばたしたって始まるまい」
 五六が小川と藻間に合わせるように言う。そうなのだ。誘いに乗る理由は、本来なら有り得ないのである。
 しかし、逃げてばかりでは、何の解決にもならない。やれるだけのことはやる──若い彼らには、この結論しか残されていなかったのだ。
 謎の超能力犯罪集団、〈雷羅〉──驚異の超超能力者・翼曽通との最終決戦の時刻まで、あと一時間である。
 外では、雨足が一段と強くなっていた。

【16 怪老人】を読む

【アミューズメント・パーティOnLine】にもどる