※これは以前書いた『秘めごと』の続きですー。
読まなくても多分判りますが読んだ方がより理解は出来るかと。

 

砂糖菓子

 


 雪崩山は、もうそれはそれはぐったりしながら自宅へと戻った。
 一日経った今でもお腹はいっぱいだし胸焼けはするし。いくらなんでも大皿いっぱいのチョコを食べた(半ばやけっぱちではあったが)のだから当然と言えば当然のことなのだが。
 且つ、鞄の中には麗子からのチョコもある。いくら何でもこれだけは食べないわけにはいかないだろう。
 玄関のドアノブを握りしめ、深くため息をひとつ。そしてゆっくりとドアを開け……。
「……」
 開けた途端ドアの隙間から流れ出す甘い香りに、もうため息さえも出はしない。
 母さんが何か作っているのか? それとも……。
 どちらが作っていたとしても、この先の展開が読めてしまい、彼はなるべく音をたてないように自室に戻り、そっと部屋の鍵をかけた。
 しばらく息を潜めて部屋の中でおとなしくしていたのだが、いつまでも隠ることが出来ないと言うのは考えれば判ること。いっそのこと、飯島のアパートにでも押し掛けて泊まらせてもらうしか逃げ道はないかもしれない、そう思いついてそっと玄関に向かうべく廊下に出た所で。
「……あら? いつの間に帰ってたのかしら?」
 背後から少し責めるような声に呼び止められ、おそるおそる振り返った。案の定、そこにいたのはこちらを睨みながら身体中から甘ったるい匂いを漂わせた、ピンクのエプロン姿の少女。
「……ナグ、母さんは?」
 咎められた事柄には返事をせず、別のことではぐらかそうと試みた。が、彼女には当然のように通用しない。ますますつり目の大きな瞳が細められていく。そして鼻で、ふふんと笑った。
「お母さまは今日はいませーん。先日当たったって言ってたじゃない、1泊2日の温泉旅行。朝、うきうきされながら出かけていったわよ?」
 ……し、しまった! 雪崩山は今朝ベッドの上で寝ぼけた頭に響いた圭子の『では行ってきますね勇次さん、後のことは香代さんにお任せしてますからね』と言っていた声を今更ながらに思い出した。
 だったら家に帰らずそのまま飯島のアパートに本当に行けば良かったのか、と自分の失態を嘆くが時は既に遅し。
「だから、今日はあたしが久々に料理を作ったのよ? ……この匂いはちょっと違うけど……」
 ナグは最初は大仰に、でも最後の方はぼそぼそと小声になっていく。本人も何やら自覚はしているらしい。その姿がなんだか可愛くて、ぽんぽん、と頭を軽く撫でてやった。
「とりあえずもう少ししたらご飯は食べるから。ちょっと待っててくれよ」
 彼の言葉にナグは破顔する。
「うん、判った! おかずはもう少し煮込めばできるから待っててね」
 ぱたぱたと足音を立てつつ去っていく彼女の背中を見つめつつ『とりあえずおかずとチョコレートは別で作れよ』と心の中でツッコミを入れた。



 いや、なんだかんだで年の功なのかそれとも少女時代の教育の賜物か、ナグの料理は美味しいのだ。それは、雪崩山家の全員が思っていることで。
 日本食を作らせたら今の所右に出るものはいない、と雪崩山は密かに思っていた。料理の手際の良さも、片付けなどの後始末も本当にすばらしく。見た目中学生な姿形とのギャップも相まって、すばらしいの一言に尽きる。圭子もその腕を買っていて、今では月の半分は彼女の料理が食卓に並んでいた。
 ただ、ここ数日ナグはふらりと外に出て帰ってこなかったので、久々の彼女の料理ということになる。
 今日の夕飯も筑前煮とぶり大根、ほうれん草の白和えとありがたいメニューで、あんなに胸焼けしていたにもかかわらずするりと全てが胃の中に収まった。
「ごちそうさま」
 雪崩山は丁寧に手を合わせてから食器をまとめ、台所まで食器を運ぶ。流しの桶に食器を浸した際、ちらりと目の端にカラフルな色をとらえた。
(あー、そういえば……)
 肝心なことを忘れていた。さすがにもう甘いものはたくさんだ。正直、匂いさえも遠慮したいくらいなのに。でも、明らかにそのラッピンクされているものの中身は透視能力がなくても判るわけで。
 と、彼の視線の先に気づいたのだろうか、ナグがとことことやってきてその赤いリボンのついた小箱を、無言でずずいっと差し出した。明後日の方を向いたまま。
「……え、と、これは……」
 判っちゃいるけど訊かずにはおれない。ややあって、小さな声で答えが返ってきた。
「今日あげるものなんか、一つしかないじゃない。戦後のお菓子業界の思惑に乗るなんて癪だけど、時代には逆らえないかなって」
 一体いつの時代のお嬢さんですかナグさん? などと判りきってるツッコミを口中で転がしつつ、雪崩山はちらりとナグを見る。いつものちょっと冷たい感じのする顔は、羞恥のためか真っ赤になっており、瞳は不安で揺れていた。よく見ると、差し出された手も細かく震えている。
 不覚にも可愛い、と思ってしまった。ただ、彼女からのチョコレートは受け取るわけにはいかないのだ。何が何でも。
 昨日の昼間、イグや里美たちからもらった(というか無理矢理食べさせられた)チョコはいわゆる何の想いもこもってはいない。二人の彼氏への愛情が詰まっている失敗作だったわけで。
 でも、これは違う。これはナグが自分へ作ってくれたものなのだ。麗子という彼女がいる以上、勘違いされてしまうようなことはやってはいけない。理性と本能が、それだけは駄目だと忠告する。
「ナグ、さすがにそれは受け取るわけにはいかないや。判ってるだろ?」
 申し訳なさそうに雪崩山は呟く。思いの外小さな声になってしまったのは、彼女への憐憫だろうか。ぴくり、とナグは肩を揺らす。
「……あ、でも、義理だったら明日以降ならいいぜ。とりあえず今日はやめてくれ。昨日から食べ過ぎで辛いんだよ」
「昨日から食べ過ぎ……ってチョコ? ──だれから、かしら?」
 ギギギ、と音が立っていると勘違いしそうなくらい、壊れたロボットのようなぎこちない動きでナグがこちらを向く。しまった、と思った時はもう遅かった。涙でたたえられた瞳がみるみる藍色になっていく。
 次の瞬間。
 パリン、と小さな音が雪崩山の背後から聞こえた。振り返ると、食器棚のガラスが粉々に砕け散っていた。ナグの冷邪眼で、急速に冷やされたガラスが砕けたのだ。
「……うわっ!」
 慌てふためき、急いでナグの側に駆け寄る。彼女は香代としての能力である見つめることで物を冷やす能力、そして亜邪神時代の残り香のような力、両方を持ち合わせている。暴走させると後が厄介だ。下手したら家が綺麗になくなってしまう。
「落ち着けよナグ。食べたのは頼まれたからだって。不本意なんだからさぁ」
 とりあえず宥めようと肩に手を置くと、ぴしゃりとはねのけられる。未だに涙が滲んでいる目は藍色のまま。誰が見ても怒っている状態で。
「……あたしからのチョコはダメでも、麗子さん以外のチョコ食べてるのねっ。おかしいと思ったのよ。夕方お洗濯ものした時あなたのシャツからチョコレートの香りがしてた。うちの中のがついたのかな、とか考えたけど」
 顔を伏せ、だらりと下げた両の拳は大仰なくらい震えていて。これはヤバい、明らかに危険だ!
 雪崩山はとっさに目の端にとらえたまな板を握りしめ眼前に構える。次の瞬間、まな板に冷たい感触と衝撃が走った。こちらもPKを発揮させ、予想外にかかってきた力を受け止める。
「──はっ!」
 近距離で受けたのだから衝撃と冷たさはハンパない。案の定力と力の拮抗で被害を受けたまな板は、パキン、と音を立てて綺麗に二つに割れてしまった。
 うわーこれ母さんが青森に行った時わざわざ買ってきた青森ヒバのまな板だった気がするな……なんて脳みその隅で冷静な自分がいた。
 とりあえず使い物にならなくなったそれらをポイッと放り投げ、直接対峙する。彼女の力の噴出に合わせ、こちらも自身のPKを使ってバリアを張るつもりで。
「……勇次の、バカーッ!!」
 怒りに呼応するかのようにあちこちに冷邪眼を放ち、ナグは次々に台所中を凍らせていった。いくつかは受け止めることはできたが、とてもじゃないが暴走した攻撃全てを受けきれるわけなく、次々と台所の中が凍り始めていった。流しの水道管、机の上にあった調味料一式、かけてあったタオル、ストックに置いてあったビール……それはもう、悲惨なほどに綺麗に氷漬けになっていった。
「だから落ち着け、ナグ!」
「いや! 勇次の言うことなんか、聞かないもん!」
 頭をふるふる振りながらナグは泣き叫ぶ。その度に何かしら凍っていく。
 くっそ、と軽く心の中で毒づきつつ目の前にあった鍋蓋を盾代わりにして雪崩山は少しずつナグとの距離を縮めていった。もう、言葉じゃ説得できない。体当たり方式しかない。
 一、二発くらい直に冷気を喰らうのを覚悟の上でギリギリまで近づき、そして。
「──!」
 ふ、と攻撃が止んだ。雪崩山の胸の中には、すっぽりと収まった小さな身体。
「……俺が悪かった。だから落ち着いてくれよ」
 落ち着かせる意味も込めて、ぎゅっと抱きしめる。大泣きした小さな子どもをあやすように、頭を何度も撫でてやる。
 縋るように雪崩山のシャツを握りしめ、小さな身体を震わせて、しゃくり上げていたのがだんだんと収まり、泣き声も小さくなっていき、そして何にも聞こえなくなる。
「──落ち着いたか?」
 小さく問いかけると、かすかに頭を一回縦に振って肯定の意を示してくる。けれどもシャツを離そうとしないので、どうしたもんかなと悩んだ。が、彼女の気のすむまではこのままでいいかな、と考え直し抱きしめたまま動かずにいた。
(見た目よりずっと小さいよな、こうしてみると)
 あまりにも華奢すぎて折れてしまいそうな肩。細い腰。シャツを握りしめている手は本当に小さくて、思わず動揺してしまう。どこに視線を向けたらいいか判らなくなり、明後日の方を見ながら深く息を吸い込んだ、その時。
「……ごめん、ね」
 小さな声が耳に届いた。慌てて見ると、腕の中からナグがこちらを見上げていた。
 涙をたたえて潤んだ瞳、赤くて小さな可愛らしい口がわなないているさまは、先程感じたものと相反した色香を帯びていて、雪崩山はどうしていいか判らずますます混乱してしまった。
「俺の方こそ、謝んないとな。ナグの気持ちも考えないで軽々しく言っちまった。ちゃんと、食べるよ」
「……ホントっ?」
 途端、ナグの顔がぱあっと明るくなる。もぞもぞと雪崩山の腕の中から抜け出し、とことこと先程チョコを置いていた所に戻っていく。
 何やらがっこんがっこんと不穏な音をさせたあと、戻ってきたナグの手に握られていたのは。
「ごめん勇次。冷たいけど、食べてねっ」
 リボンの先まで凍っている、箱だった。
 これ以上はない、と言わんばかりの嬉しそうな彼女の笑顔につられてしっかりと受け取る。途端、身体中に寒気が走った。……当然と言えば当然なのだが。
 なにか未来へのかすかな予感に本能的に身震いしたのかもしれないな、とちょっと冷静な脳の一部でそれを感じ取り、思わずため息を漏らしてしまう雪崩山なのであった。

背景:macherie

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