【Dance Diet Revolitionとはなにか】

 今でもゲームセンターに行けば、でかい筐体が置いてあるところもあると思います。コナミのゲームマシン「DDR(Dance Dance Revolution)」は1998年11月に登場し、今までゲームセンターに行かなかった人間までも狂喜させ、「音ゲー」ブームの貢献者となりました。

 その後プレイステーションへの移植、バージョンが上がるごとに変化していく内容、サウンドトラックCDの爆発的売れ行きなどで一種の社会現象になり、「踊ることの楽しさ」がイコール健康増進に繋がることも証明されました。コナミがDDRのノウハウから健康業界に乗り込み、フィットネスクラブのエグザスを買収したのも記憶に新しいです。

 小生は齢30を超えるまで、スポーツと名がつくものは全くしない人間でした。中肉中背ではありますが、腹の辺りに常に少なからず脂肪をぶらさげて生きてきました。

 1997年、転勤先の徳島から帰ってきて東京で最初に感じたのは、筋力の衰えでした。徳島ではクルマで営業をしていたので、歩くという行為すら意識しない限り行わない状態で、東京に帰ってきて驚いたのは電車での営業の辛さでした。階段がつらい! 徒歩がつらい!

 1998年、営業職から事務職に変わった小生は、いよいよ動かなくなり、自分の短い歴史の中でも危機的な肥満体型になっていきます。体重が69キロを記録したとき、さすがの小生も焦りました。今まで70キロの大台に乗ったことはありません。70キロを超えたら、もう後戻りは出来ないーー人生で最初の「本格的ダイエット」を目指したのがその年の9月の末でした。

 日々の食事のカロリー計算、帰宅後のジョギング、腕立てや腹筋などの筋トレ。書物も数冊購いこみました。なるべくお金のかからない範囲で、実践していて無理のない計画ーー3ヶ月でウエスト6センチ減。それが目標でした。

 しかし、カロリーコントロールとジョギングは体重を65キロまで落とした段階でその効果を現さなくなりました。いわゆる停滞期です。その後一ヶ月間、体重の変化はなし。やる気も失せるというものです。

 そこに颯爽と登場したのがDDRでした。ゲーセンでダンス! その発想自体が異常なうえ、当時は珍しいゲームだったせいか、踊っているとギャラリーが集まる集まる。上手く踊れないと恥をかきます。上達は実践しかありません。12月の一ヶ月間、小生は毎日のように100円玉を握り締めて(あるいは1,000円札を握り締めて)ゲーセンに向かいました。今は亡き新宿チルコポルトで「耐久5時間マラソンDDR」を仲間と敢行し、雪の降る時期にTシャツ一枚で身体から湯気を上げながら踊っていた頃が懐かしいです。

 そして年が明けてしばらくして、身体に劇的な変化が現れます。痩せた! 筋肉がついた! 身体が軽い! その具体的な数字はコンテンツを読んでいただきたいと思いますが、今まで運動と呼べる運動を一切してこなかった小生にはDDRはとてつもない効果を発揮したのです。

 そして1999年の4月に本コンテンツ【Dance Diet Revolution】は書かれました。当時は月曜から金曜まで静岡市のホテルに泊まって出張営業、金曜の夜に東京に戻るという変則的な生活をしていました。あまりにダイエットの効果があるので、痩身そのものに魅入られた部分もあります。この直後に鬱病を発症し、6月に一ヶ月の自宅療養を経て7月に東京本社で再び事務職として復職するのですが、痩身そのものに魅入られて健康を害していて、それでストレスに耐えられなかったのかもしれません。

 あれから4年。良く読み返してみると、1998年10月の体重は今の体重と同じです。体脂肪率が違うのが救いですが……小生再びのチャレンジに勝機はあるのか?

2002.08.24 他故壁氏

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