三、真実──復讐──
『義成さま、お元気でしょうか?
物忌み(ものいみ)の為にお逢いできなくなってもう六日も経ってしまいました。早くお逢いしたい、そう思うのですけれど、わたしがそのように思ったからといって物忌みが明けるのが早まる訳ではありませんもの。ですからこうして文をお送りして、お逢いしたような気になるつもりです。
今日ようやく薔子が、左衛門佐さまと同じ邸で暮らす事になったための引っ越しをします。
彼女はもう少しこちらにいたかったようなのですが、中務卿宮さまが、ここに左衛門佐さまが通われるのをあまり快く思ってらっしゃらないようなので、結局、五条の方にある宮さまの縁(ゆかり)の邸に、二人で移り住む事にしたんだそうです。
でも薔子がいなくなってしまうと、灯が消えたようになってしまうので寂しい気がします。彼女が幸せならば、それで良いんですけど。
すみません。なんだかとりとめのない事を書いてしまいました。
確かお話では、明日にも物忌みが明けるとか。でしたら明日にはお逢いできるのでしょうか?
こう書いてしまうと、こちらに来る事、強要しているみたいですわね。そういうわけではありませんので。お気になさらないで下さい。
義成さまにお逢いできるのを心待ちにしています。それでは』
──その日は、水無月も終わろうかと言う、蒸し暑い日だった。
物忌みで逢えない義成に文を書き、終わって香住に届ける準備をさせていると、そこへ薔子が挨拶にやってきた。少し目立ち始めてきたお腹を、恥ずかしそうに袿(うちき)で隠して。
「──姉さま、今まで本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げようとする妹に、わたしは言った。
「いいのよ。お世話になったり迷惑をかけたのはわたしも同じ。頭を下げるような事ではないわ」
「姉さま……」
「それよりも一つ、約束してほしいの」
「──何?」
「どんな事があっても、必ず、幸せになってほしいの。例え、何があっても」
「ええ、約束するわ。でも、姉さまもよ。きっと幸せになってね。そのお手伝いならわたくししますから」
涙ぐみながら言った彼女に、そっと微笑み返した──。
夜。静かになってしまった邸の中で、わたしは先程届けられた藤香からの文を読んでいた。
『姉さま、いかかお過ごしですか?
今日、東宮さまから初めて薔子と左衛門佐さまの事を聞き及び、驚いてしまいました。どうして知らせて下さらなかったんですの? それに身ごもっている事も初めて知りました。わたくしに内緒にするなんてずるいですわ。
でもあの二人幸せになると良いですわね。
ところで、姉さまたちの方はどうですか? 義成さまはお元気でしょうか。実は、今日御文を差し上げたのには、薔子の事もありますけれど、本当は義成さまの事でなんです。
先日、内々の宴の折に義成さまをお見掛けしたのですが、とても寂しそうな御顔をなさっていたんです。その事を東宮さまにお話したところ、もうすぐ御生母さまの命日だからではないかと、そうおっしゃっておられました。
そうお聞きした時、わたくし思ったんです。義成さまの寂しさを癒してあげられるのは姉さましかいないのではないかと。わたくしには、彼は姉さまにしか心を許していないような気がするんです。それに義成さまを一番分かっているのは姉さまですから。そう信じています。
ですから、是非義成さまに優しくしてさしあげて下さい。東宮さまも「彼のあのような顔をみていると、自分が悪い事をした気がしてしまう」そうおっしゃって、とても心配しておられるんです。
そんな東宮さまを見ているのも辛いです。
義成さま、東宮さまの為に。お願いします』
──わたしは文を置き、脇息に寄り掛かった。そして考えを巡らせた。
何故なら藤香が文の中で書いていた“義成さまは寂しいのでは”という言葉に、思い当たるものがあったから。
……物忌みの前に訪れた義成は、一緒に眠った時、まるで子供が母親にするようにわたしの手をきつく握り締めて眠っていたのだ。
夜中に起きてしまってその事に気付いた時、何故だか寂しい気持ちになったのを覚えている。彼がとても深い悲しみを背負っているように思えたのだ。
そんな彼の心を、わたしが癒してあげる事はできるのだろうか?
──考え、考え過ぎてうとうとしかけた時。
「若桜さま、若桜さま」
香住の声で目が覚めた。
「一体、こんな時間にどうしたの? もう亥の刻(午後十時)も半刻も過ぎているのに」
「実は、義成さまが突然いらっしゃったのですけれど……」
そう答えた香住の声は困惑していた。
「えっ、義成が? 確か今日までは物忌みではなかったの?」
「ええ。わたしもそうお聞きしていましたけれど……。どういたしますか?」
「こちらにお呼びして」
「は、はい」
香住は慌てて彼を呼ぶために車宿の方へと走っていった。
その時わたしはふと、不安に襲われた。何故だか震えが止まらなくなった。
何なのだろう。これは今から何かとてつもない事が起きる“前兆”なのだろうか。
一生懸命心を落ち着けようと深呼吸していると、簀子縁から足音がして、「若桜さま、よろしいでしょうか」躊躇いがちな香住の声がした。
わたしは脇息から身を起こし「ええ」と返事をした。
すると妻戸を開けて義成が入ってきた。途端、わたしは驚いた。
彼は一目見ただけで分かる程に面やつれしていたのだ。
すぐにでも彼の傍に駆け寄りたい衝動に駆られるのを抑え、わたしは香住に下がるようにと命じ、彼女の気配が消えると同時に、彼の前に走り出た。
「どうしたのです、若桜」
義成はそんなわたしを見て軽く微笑んだ。けれどもその笑みは、無理をして表情を作った、そんな風にしか見えなかった。
「あなたこそどうしたの、今日まで物忌みだったのでしょう? 何か大変な事でも起こったの?」
「……実は物忌みというのは嘘なのです。どうしても考えたい事があって、今日まで邸に籠っていました。ようやく決心がついて、こちらに来たのですが……」
「──決心、とは?」
「あなたに、真実を話す決心です」
そう言った義成の顔は強ばっていた。
わたしは何が何だか分からず疑問の視線を投げ掛けた。
すると不意に義成に抱き締められた。
「よ、義成……」
「わたしは六年も待ったのだ。若桜、あの時あなたと出会えた事は運命だと思っているのです」
「どういうことです。真実とは一体なんですの?」
……あの時の出会いと、今の彼の話。一体どんな繋がりが……。
「あれは六年前。わたしの元服が決まった頃の事でした……」
彼は、わたしを見つめながら、話し始めたのだった。
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