五、後宮──本当の心──
それから約一月後の霜月にわたしは東京極院にそっと入った。雪姫さまが後宮に行く時の女房になりすまして、内裏に入るためである。
そして久方ぶりに、雪姫さまと対面した。
「──お久しゅうございます、雪姫さま」
「若桜さまも、お元気そうですわね」
一通りの挨拶を交わした後、しばらくとりとめのない話をしていた。そうして一息ついた時、ふと雪姫さまが女房たちを下がらせた。そして、改まった口調で話し掛けてきた。
「若桜さま」
「……何でしょうか?」
「お二人は一体、どのようにして帝を殺めるおつもりなのですか?」
わたしは少し考えた後、話し出した。あまり彼女に聞かせる事はしたくなかったのだけれども──。
「まず、帝付きの女房になりすましたわたしが、宴で酔ってしまった帝を寝室に連れていって、……、そして──」
ここまで一気に話した後、思わず口ごもってしまった。続きを、彼女にいう事はためらわれた。何故なら……。
「わたしが帝を誘惑するのです。『帝をお慕いしておりました。今宵限りで構いませんので、どうかお情けをかけて下さいませ』とでも言えば帝は簡単に騙されるだろう、そう義成が言ったのです。そして気を緩ませた帝に気付かれないように薬を白湯かお酒に入れ飲ませる……と言う手筈になっているのですが……」
できるだけ目を合わせないようにして話し、その後そっと顔を上げた。雪姫さまは悲しそうな瞳でわたしを見つめていた。こちらが思わず罪悪感を覚えてしまうような。
慌てて他の話題に移ろうとしたところ、雪姫さまがそれを遮った。
「大丈夫です、平気ですわ。わたくしはこの事には口を挟まないと誓ったのですもの。だから、大丈夫です」
そう言った彼女は、さらに弁解をしようとしたわたしに話させないように、様々な話を始めた。……何も言えなかった。彼女の気持ちが分かり過ぎる程分かりきっていたので。
──そうして夜が更けるまで雪姫さまと話し、結局眠りについたのは丑の刻を過ぎてからだった──。
被(ふすま)の中で、わたしは考えていた。
愛というものを。
……義成の心が分からなかった時、雪姫さまに教えてはもらったのだけれども、それでも分からないことが幾つもある。
どれだけ彼を愛しているかを、どう表現すればいいのだろう。どうやって、彼にその想いを示せばいいのだろう?
……まだ、そんな想いが分からなかった頃、男は女を抱くことで愛を示す──そういう話を女房たちが話していた記憶がある。
では、女は? 女はどのようにして愛を示せばいいのだろう。抱かれることで示すとでもいうのだろうか?
……雪姫さまのように、相手に届かない想いを持っている人は、言葉以外でどのように愛を伝えることができるのだろう。
伝えられない想いは、何処に行くのだろう──。
そう考えると、わたしは彼女よりずっと幸せなのかもしれない。なぜならすぐ傍に、想いを伝えられる相手がいるのだから……。
「?」
その時、ふと気付いた。
わたしは一体、義成のどこを好きになったのだろう? そして彼は、わたしのどこを好きになったのだろう?
考え考え考え続けて、ようやく一つの結論に達した。
わたしたちはお互いに、自分と同じようなものを見つけたのだと思う。
それはきっと、お互いの心の奥の『寂しさ』という感情だったのではないのだろうか? その寂しさを埋めるかのように惹かれあい、埋めていくことによって、いつのまにかお互いを愛しく思うようになったのではないのだろうか。
ある程度納得のいく答えを見つけて眠りに入ったときには、東の空は白み始めていた……。
──次の日。眠るのが遅かったおかげで、結局目覚めたのは午の刻を過ぎてからだった。遅い朝餉を頼み、庭を眺めていると、女房が文を携えてきた。
「誰から?」尋ねると「左衛門佐さまの内室さまからです」という答えが返ってきた。その文箱を貰うと、存外に重たい。どうやら文以外の何かも入っている様子だった。
女房を下がらせ、そっと文箱を開けてみる。中には予想通り、文の他に紙に包まれたものが入っていた。前々から、薔子に頼んでおいたものだ。
『姉さま、以前から頼まれていたお薬、お届けします。触る時はくれぐれも注意して下さい。中の粉に触れるだけで死んでしまう、それ程の薬だと薬師(くすし)が申しておりました。熊さえも一舐めで死んでしまうそうなので。
……実は、もうすぐ子供が生まれそうなのです。少しお腹が痛いのですが、今これを届けておかないと、もう届けられなくなってしまいそうなんですもの。
わたくし、今まで子供を産むことに、多少の抵抗がありました。だって子供の乳母になる方にお話を聞くと、とても痛そうなんですもの。けれども、いざ生まれてこようという時になると、早く子供の顔が見たい、そんな気になっている自分に驚いています。人間、いざという時には度胸が据わるんですね。
きっと姉さまもいざとなったらできると思います。わたくしは祈る事しかできませんけれど、必ず成功すると信じています。それでは』
──思わず、感嘆の吐息をもらしてしまった。薔子は何て強いのだろう。今まさに子供が生まれてくる、そんな辛い時に文を書くことができるなんて──。
わたしは、感謝の気持ちでいっぱいになった。そして新たに、暗殺の成功を心に誓ったのだった……。
それからしばらく東京極院にいて、雪姫さまが後宮に参内した時に、わたしは彼女の女房として一緒に参内した。
承香殿の女房部屋の1つに落ち着いた後、雪姫さまに許しを得て藤壺に行くことにした。
「姉さま、お久し振りです!」
藤壺に行くと藤香が元気な笑顔で出迎えてくれ、嬉しくなった。その横には、水干姿も愛らしい子供がちょこんと座っていた。
「将仁(まさひと)さま」
藤香がそう呼ぶと、子供はちょこちょこと歩いてすとんとその膝に座り込んだ。
「いつもは女房や乳母が見ていてくれるのだけれど、今日は姉さまに逢わせたくて宮をお呼びしましたの。……久し振りだから宮も甘えてくださって。本当に子供というのは可愛らしいものですわ」
そして思い出したように言った。
「そういえば、薔子に聞いたのですけれど。姉さまおめでとうございます。早く姉さまたちの子供を見てみたいものですわ」
「けれど、どうなるかは分からないと思うのだけれど……」
「それはどういう事ですの?」
存外に強い調子で彼女は尋ねてきた。
そこでわたしは話した。もしわたしたちが事を起こして誰かに見咎められたなら、自ら死を選ぶと言った義成の言葉を。
すると藤香は憤慨した。
「そんなこと許せませんわ! わたくし絶対に嫌です。……そうですわ! わたくし腹心の女房に言いつけて、節会の時に白湯か御酒に眠り薬を入れたものを衛士に振舞うように言っておきます。そうすれば帝の身辺を守る者はいなくなりますもの」
藤香の顔をまじまじと見つめてしまった。……彼女がこんな事を考えていることなど想像もしていなかったから。
わたしの驚きに気付いたのだろう、藤香は顔を赤らめながら、
「……姉さまのために、一生懸命考えましたの。──わたくし、薔子たちと違って全然お手伝いできなかったから。だからいろいろな物語を読んで、何か役立てる事がないか調べたんです」
「藤香……」
彼女の言葉にわたしはとても嬉しくなった。周りの人たちは皆、わたしたちに協力してくれる、その事を改めて思い知らされた。感謝の気持ちでいっぱいになり、涙が滲んだ。
それに気付いたのかどうか、宮さまが藤香の膝の上から危ない足取りでこちらの方に近づいて、わたしの膝の上によじ登り、にっこりと笑われた。その身体を抱き締め、頬ずりをする。肌は絹のように柔らかく、とても気持ちの良いものだった。
「子供っていいわね。宮さまを見ていたら、私も早く子供のこと抱き締めたくなったわ」
「そうですわ。ですから姉さまも、早く本当の幸せを取り戻して下さいませ、ね?」
その言葉に、力強く頷いた──。 |